反忠盛派
平忠盛が殿上人となるという話を聞き、その一門は歓喜に震えた。源頼光という例はあるにしろ、武士が殿上人となる、つまり昇殿を許されるというのはこの当時の武士という新興身分の人間に対しては破格の待遇であったといわざるを得なかった。忠盛という人間の院に対する並々ならぬ忠誠、そして献身、さらには上納金が彼をこの地位まで登りつけた、と言える。
京の都ではこの話は広まり、揶揄する人間もいればまた羨望の眼差しで忠盛という男を見るものもいた。京の都に住むものとはいえ、その身分は色々だ。役人、武士、町民、乞食、そして貴族。彼らは新しく内裏に、しいては院という赤地にポツリと落ちた忠盛という黒点がひろがるか、それともただの滴となるか、それを見据えようと己が考えられるあらゆる手段を用いて、忠盛の行末へと視線を向けていた。
中には忠盛こそが新たな時代を開く男、と考え早々と忠盛に貢ぐものもでてきた。特にどちらつかず、朝廷の中でも日陰ものよばわりされていた学者などはこれを機に政治の表舞台に立とうと考えを巡らせていた。菅原道真以来、朝廷は藤原家、そして上皇により政が行われ、学者などは表に出ることができなかった。ましてその菅原道真が國としての貿易を閉ざしてしまい、知識は限られたものしか入ってこなくなった。
そんな彼らが求めたのは、新興、そして自分たちの意見を聞いてくれる存在だ。有り体な言い方をすれば彼らは朝廷そして院内での出世頭を探していたわけだ。その出世頭に貿易による知識の流入の素晴らしさを解き、もう一度遣唐使のような、大国である中国(この当時は宋)との貿易関係を樹立させようという野心を抱いていたのだ。
彼らは「國の良さをしめす文化、それはよい。しかし、それでは文化は行き詰まる」ということを早々と理解していたのだ。その中の一人として、高階通憲という当世一の学者、と謳われる中年の男がいた。彼こそが平忠盛を院で行われる宴に誘った張本人だ。人が良さそうな顔をして、彼の頭の中には常に様々な思惑が渦巻く。よく知るものは彼を、たぬき学者、など呼んだりもした。
その彼が忠盛を支持する派閥、そしてそれと対抗する派閥も当然ながら院内には存在していた。それは先の摂政、関白を歴任した院内でも屈指の魑魅魍魎、藤原忠実だった。齢はすでに六十を超え、白河法皇と同じ程の人生を生きながらえた彼は、まさしく妖怪と称すに値する院内の実力者で、位を退いてからもなお、政においては絶大な力を持っていた。
かつて、白河法皇の治世に忠実は彼から疎んじられ、院から追放されていた。しかし、鳥羽上皇の治世となって再び舞い戻ってきたのだ。実は意外と苦労している忠実だが、その忠実からすれば忠盛のような武士が昇殿を許されるなど、嬉しいわけがないのだ。自分のような高貴な身分の人間、それよりは劣るも生まれながらにして上位の貴族であった人間が内裏へ入ることを許されるのはわかるが、生まれも怪しい武士風情が内裏へと足をつけるなど、汚らしい。そういう価値観のもと、忠実は思案をした。
すでに院宣が下され、忠盛が正式に殿上人となることが決まってしまった以上、それを覆すことはできない。無論、忠実が鳥羽上皇を説得する、という方法は残ってはいたが、実のところ忠実は鳥羽上皇からもあまり好かれてはいないのだ。それでも彼が院内にいるのは上皇が自らの政敵となる人間の掃除のために忠実という最高のほうきとして使っているからに過ぎない。
つまり、忠実が上皇を説得しようものなら、上皇の不況を買って今度は忠実が新しいほうきに履かれるかもしれないのだ。そんなリスクを犯す忠実ではなかった。
ではどうするか?
「各々方、本日はお集まり頂きまことに恐縮でありまする。この忠実、これ以上の歓喜はない、と考えておりまする」
舌にイボでもできたような声が忠実の屋敷の一角で響いた。忠実を筆頭に、その場にいるのはどれも彼も上位の貴族。藤原家を始めとしたこの國の黎明期から存在する名だたる名家だ。
「忠実様、さように召されるな。我らは貴方様の御書によりこの場に参上したもの。いわば同士でおじゃる」
そう言ったのは小野通家という中流貴族だ。あの小野妹子の遠い子孫にあたる人物で、まわりのご機嫌を取るのがうまい男だ。
「通家殿のおっしゃる通り。忠実様が御言葉を我らはただ行うのみぞ。我らの中に忠実様がなにゆえに我らをお呼びあそばされたのか、わからぬものなどございませぬ」
すかさず合いの手を入れたのは清原元就だ。彼もまた中流貴族であり、あの清少納言の子孫にあたる。
「皆様のお熱いお言葉、この忠実の身に深く染み渡りてございます。しからば、この忠実。おのが腹を割って皆様にお話をしましょうぞ」
忠実はいやらしく笑い、それに便乗して他の貴族たちも皆悪党らしい笑みを浮かべた。
「お話となると、やはり平忠盛のことで有りましょうかな?」
「さよう。あの成り上がりものを如何にして政の世より遠ざけるか、それが我らの大いなる悩みにございまする」
「上皇様は頑なな御方。であるならば、忠盛を昇殿させることおやめになることはありますまい」
「しからば、如何なさる?」
「それを話し合うのございましょう」
今回集まった貴族の特徴は二つある。一つ、忠盛に対して並々ならぬ敵対心を持っているということ。一つ、皆生まれは高貴ではあるが、中流貴族にとどまっていることだ。例にすれば通家は中納言、元就は少納言だ。どれも拾五位より少し上の役職。昇殿こそ許されているが、決して素晴らしい役職であるとは言えなかった。
彼らはひとえに今回の企みに便乗し、忠実の伝手を頼って出世しようという野心を持ったものばかり、忠実はそれらの野心を知り、それを利用しているのだ。互いに言葉を交わす彼らを見て、忠実は深い愉悦を心のなかで味わっていた。
「では、官打ちも有りえますかな?」
「おや、恐ろしい。さりとていかなる厄でございましょう?あのものは院への献身も厚く、この世の不幸が押し来るなど誰も思いますまい」
「否、おるではござりませぬか。あやつにも不幸の種が」
そう言われてその場の人間は誰しもがこれは天のお与えくださった一矢、とほくそ笑んだ。それまで黙っていた忠実ですら包み隠そうともせず、これは僥倖、とほのかな笑みを浮かべていた。
「であらば、誰が不幸ものとならん。あのものを憎み、なお我らに忠のあるものでなければこのやくは務まらん」
「そのようなことでございますれば、私がご用意いたしましょう」
突然の忠実の言葉に一同は彼に視線を向けた。ほぼ全員の視線が自分に向いたのを確認して、忠実は話を続けた。
「私めの雇う武士に忠盛に並々ならぬ嫉妬の心を抱くものがおりまする。そのものがやくに適当では?」
その言葉に一同の頭の中に一人の武士の顔が浮かんだ。なるほどあの男ならば、と貴族たちはまるで遠足に行く子供のように声を隠そうともせず喜んだ。
「されど、あの男でよろしいのか?武をうたがうわけではございませぬが、忠盛もまた武家の棟梁。返り討ちにされては目も当てられませぬ。もし、あの男が……」
「殿中には刀は持ち込めぬ。儀礼刀では人は叩けても殺せはせぬよ。それに、良いではないか。あわよくば共倒れとなってくるやもしれぬぞ?」
「忠実様もお人の悪いことを。もし、あの世へとどちらも渡らば、忠実様をさぞ恨みましょうて」
「むしろ感謝するのでは?足の汚い武士が殿中を、院を汚さずに済んだのじゃ。感謝されこそすれ、恨まれる道理などないでおじゃる」
「まことそのとおり、通家殿のおっしゃる通りでござります」
貴族たちはここぞとばかりに忠実を褒め称え、そして持ち上げた。本心五割建前五割といったところだろうか?その中、ひたすら忠実だけはこれからやくを担う男の顔を頭に浮かべながら、愉悦を膨らませていた。
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