月下にて
奥の間での一悶着の後、俺は脱力して体育座りのまま庭先で浮かんでいる三日月を見ていた。青白い三日月はどこかスマイルマークのようで、今の俺を空からあざ笑っているかのようなそんな不快感を俺に起こさせた。実際、月というのはよく人の行動をあざ笑ったり、卑下したりする対象として故事でも使われることがある。礼にすればかぐや姫とかだ。あれは月の女に人が寄るなど分をわきまえろ、というのを皮肉ったひどい物語だ。
しかし、今ならば嘲笑われてもおかしくはないのかもしれない。不快感を感じるのは逆ギレというやつだろう。図星を突かれているから照れ隠しに苛立っているのだ。
清には四日後、と言ったが彼女がそれをどう捉えたのかはわからにけれど、俺からすればその四日後に起こることがとても重要であり、俺が簀巻にされて穢多と呼ばれる人たちのところに転がされるのだからキーパーに祈ってでも転換期になんてほしいのだ。
穢多のところに転がされるくらいなら、まだ海でサメの餌にされたほうがマシかもしれない。穢多というのはわかりやすく言えば現代日本で言うところの不法入国者のようなものであり、法律などが適用されない明治になるまでの日本での最下級の身分の人間だ。彼らは書物などによっては残忍に記され、人として書かれないこともある。
具体例を言えば「指でつくられたくびかざりを首にかけ、鼻と口の間に赤い刺青を入れ、目は真珠よりも大きく、腹は俵よりもふくらんでいる。歯は変に曲がり、耳には大きな石ほどの穴が空いている」とか書かれていた気がする。とにかく、そんな人がいるわけがないので、かなり誇張されて書かれているのだ。それくらいに人として見られていないのが、穢多だ。
「はー。身ぐるみ剥がされて貞操も奪われて臓器も食われて目玉で耳飾りとか作られるのかなー。目玉は二つあるよな、だったら二つくり抜いて耳飾りにしてしまおう、とか言うやつもいるんだろうなー。ナカ=トガめ。よくも俺をこんな時代に送ったな、送られて二日でもう嫌になってきたよ。もう普通の高校生として暮らしたい。平安時代嫌だ−」
「随分と清に苦労しているようだな」
そんなこんなで人生に絶望している俺の背後で聞きなれた声がした。あまりにも心当たりのある声だったので振り返ってみると、夜だと言うのにまだ正装に身を包んだ忠盛公が俺を外廊下から見下ろしていた。反射的に俺は正座し、そして深々と頭を下げた。
平家に雇ってもらっている身としてはこれくらいは当然だろうし、時代にも合った行動だ。特におかしいところはないはずだけど、忠盛公はその姿勢を見て薄い微小を浮かべていた。
「頭を上げてくれ。鱸丸でもなし、清と罵り合うような豪胆なものが頭を下げるようなことをすれば私のほうがかしこまってしまう」
その言葉に俺はおずおずと頭を上げた。そしてどこか、認識に違和感を覚えた。目の前に立っている平忠盛という人は俺がさっき見た清に対して静かな嫌味を言った姿とも、朝の清の行動を非難する姿とも違う。わからいやすく言うなら職場のいい感じに接してくれる年配の上司みたいな感じだろうか?忘年会の席とかで一発芸をやって失敗してウケを狙う、とかするああいう人みたいな包容感あふれるオーラを醸し出していた。
「朝はぞんざいな挨拶ですまなかったな。私は清の父、平忠盛という。――別にそうかしこまる必要はない。正座などせんでも、もっと楽にしてくれ。なんなら上に上がっても良いぞ?」
忠盛公は言いながら廊下にあぐらで座り込んだ。主君の主君にそう言われては俺も断るわけにもいかず、足を崩してあぐらをかいた。ただ、同じ目線に経つことは遠慮した。一応むこうは殿上人になる存在だ。そんな人と同じ目線で話すとか俺のSAN値が秒単位で減ってしまう。
「私は平清盛様の家人が一人、三条夕霧と申します。このたびは我が主君が大殿に向かって大変な失礼を……」
「なに、アレが私を毛嫌いしているのはいつものことだ。それに対していちいち怒っていては私の喉が保たんからな。ああいった行動をしたところで別に罰せはせぬよ」
感動すら覚える言葉だ。あれだけ自分のこれまでやってきたことを否定されて怒らないとか、この日とは聖人ですか?今の為政者にはまずいないタイプだ。汚職とかをして、それがバレたら即日に記者会見をして詫びを入れる人だよ、この人は。
「それを聞いて安心いたしました。しかし、なぜ大殿は清盛様をあそこまで自由にさせておられるのです。その……御二人の関係は本人から聞きしに及びましたが、それだけでは説明できないものがあるように感ぜられるのです」
「そうか、お前はアレが私の娘ではない、というのを知っているか。いや、それ自体を責めることはせぬ。あれが語ったとなればよほどお前を信用してのことなのだろうからな」
どこか楽しそうに忠盛公は語る。この人は一体どういう人なのだろう、と俺は疑問に思った。今こうして話している姿は娘を大事にする父親に似ている。だけど、なぜその姿を他の人の前で見せないのかがわからなかった。




