殿上人
日が暮れ、夕焼け時になったとき俺たちは平氏の屋敷に入った。昨日のように夜遅くではなかったので、ちゃんと門は開いていたし、中にも多少の明かりが輝いていた。屋敷の中は人が何人かうろついていて、皆武装している。警備として、だろうか?でも、昨日はいなかった、ということは今日になって何かあった、ということなのか?
門の中に入ると、すぐに昨日清に叱咤されてた鱸丸が飛び出してきて清にペコリと頭を下げた。相変わらずかわいいな。まだ童顔だし、こう三歩離れて着いてくるあたりがいい。どこか男心をくすぐる性格をしている。清とは幼馴染のような付き合いらしいけど、清からすればどこか自分に着いてきくれる可愛い妹のようなものなのかもしれない。
「清様。お帰りなさいませ」
「うん、ただいま。えっと、それでこれは何事?昨日は警護の武者なんていなかったわよね?親父殿に脅迫の手紙でも来たのかしら?」
「いえ、そんなことは。ただ、今日はとてもめでたい日なのでございます」
その言葉に清は小首をかしげる。俺も首をかしげた。めでたいって何がめでたいのだろうか?年柄年中祭事をやってる朝廷や院の連中からすれば年柄年中めでたいことなのではないだろうか?それは朝廷に仕えている武士も同じことだと思う。なのに、今日に限ってこんなにめでたい、とはどういうことだ?それに、めでたいのになんで警備の武者を展開するんだ?意味がわからない。
「めでたい?……まさか」
「ええ、忠盛様が、清様の御父上が四日後、殿上人として内裏に招かれることとなったのです!」
感極まるとはまさにこのことで鱸丸は自分のことのように、気がついたら泣いて喜んでいた。彼女は瞳からはまるで洪水のように涙が流れ、地面にちょっと小さな水たまりをつくるくらいだった。
「親父殿が、殿上人?それは……ほんと?」
「はい!院より正式に認められたとのこと。これまえの苦汁がついに実ったのでございます。敷いては、院より中務省大輔に任ずと事例も賜ってございます」
中務省大輔と言えば律令制の中でも最も重要な立ち位置にある省の、それも重要ポストだ。現代日本で言えば各省の長官、みたいなポジションに等しい。そんな重要ポストに就任して、さらに昇殿が許されたとなればそりゃ家中の人間は我がごとのように喜ぶだろうし、警戒して屋敷の警備を強化するのも納得できる。昇殿する前に暗殺でもされたら目も当てられない。
しかし、
「くだらない……」
清は感涙にむせび泣く鱸丸を無感情にはねのけた。鱸丸は驚いて清を見上げた。いきなりの発言に俺は耳を疑った。日本人らしく流れに流されればいいのに、彼女は自分で泳ぎ始めた。始めてしまった。
「親父殿は?」
「御父上でしたら今は奥に。忠正様、平次様、家貞様、伊藤忠清様と宴会を開いていおいでです」
「そ。ありがと」
清はそっけない態度で名ばかりの礼を言うと、剣をかついで奥へと消えてしまった。後に取り残された俺らはただ彼女の後ろ姿を見守るくらいしかできなかった。
「ねぇ、大丈夫なの?アレ、そうとうキレてるよ?なんていうの?不機嫌?」
「だろうな。でも、俺らは清がただ家人って呼んでるだけでまだこの家とはなんのゆかりもないからな。今俺たちがつっこんでも多分意味なんてないと思うよ?それこそ突入、即斬首、なんてのもあるかもな」
「うわ、こわ」
「御二人は随分と落ち着いていらっしゃいますが、心配ではないのですか?」
平常運転で話す俺たちを鱸丸が不思議そうに覗き込む。彼女からすれば自分の主が暴走しているのだから心配でたまらないはずだ。止められなかったことを悔いてもいるかもしれない。だからこそ、俺らみたいに主を心配しようとしない家人が珍しいのだろう。
「いやだってさ、清が粗相を犯すなんてことがあっても、忠盛公を殺す、なんてことは起きないだろ?彼女だってそれほど頭のネジが飛んでるわけじゃないんだからさ」
「なんて恐ろしいことを!清様が御父上を斬るなどあるはずがありません。あの御方は口では御父上を批判していますが、心の底では信頼していらっしゃる……はずです」
最後のほうが少し怪しかったな。鱸丸も清が忠盛公を殺すわけがない、ということを疑っているということだ。かく言う俺も口ではそう言ったが、どうなるかはわからない。清はすごくひねくれた直情型の人間だ。やばい、心配になってきた。
「なぁ、鱸丸、さん?今忠盛公が宴会をしてる場所に案内してくれない?もしもの時に清を止められるとしたら鱸丸、さんか茜くらいだろうし」
「あの、私武芸は確かに得意と自負しておりますか、主に刃を向けるのは……」
「じゃぁ、案内してくれるだけでもいいよ。なるはやでたのむ」
「なる…・はや?ちはやぶる?」
なるべく早く、の略だけど通じないか。この時代の書物って変なところで縮めて読むのが多いからつうじるかと思ったけど、そううまくはいかないか。
「なるべく早くって意味。ほら早く!」
「えっと、正面の廊下をまっすぐ進み、右折です」
鱸丸はおずおずとした調子で答えた。俺と茜は走って彼女に教えられた道を辿り、そして
座敷で仁王立ちの清が忠盛公に詰め寄っているのを目撃した。




