平忠盛と雲蓮
とある武家の厩。そこに雲蓮は隠れていた。馬は糞をするから当然臭い、しかし、今は我慢するしかなかった。日はまだ高く、今都に顔を表せば、自分のこの輝きを放つ長髪が多くの人目を引く、と理解していた。夜を待ち、馬を盗んで遠い九州にでも逃げる。さしもの法皇と言えどそんな遠くまで兵は送らないだろう、と雲蓮は考えていた。
ちょうどその時だ。雲蓮の腹はこれまでにないくらいに痛みだした。とっさに雲蓮はまずい、と思った。今ここで生まれては赤子の泣き声で気づかれてしまう。必死に生まれるな、と雲蓮は自分の腹に言い聞かせた。そしてなんとか腹の痛みは収まった。ほっとして雲蓮は大きく息を吐いた。しかし、それも束の間。一人の若武者が厩の中に入ってきたのだ。
男は身なりが汚く、彼女が院の中で見たような見目麗しい北面の武士などとは比べようがなかった。しかし、その顔はどこか人を和ませ、自然と自分の秘め事を喋ってしまいそうな不思議な魔力が感じられた。
「おう、石。元気か。え?いい色ツヤになったじゃないかぁ、なぁ。俺もまたお前と野山を走りたいなぁ」
男はまるで馬を身内と考えているかの如き風潮があった。雲蓮は変わった男だ、とばかりに物陰に隠れながら男の様子を伺っていた。男は厩の中の糞を片付けながら、雲蓮の隠れている物陰にまで近づいてきた。そこには馬の鞍がいくつも置いてあり、男はその中の一つを手にとって石と呼んだ馬の背中につけようとした時だ。
男の視界に金色の何かが入った。不審に思った男は周りを見た。そして見てしまった。白い男ものの服を着た金色の長髪の女が物陰から自分を伺っているのを。とっさに男は腰の太刀へと手が伸びた。自分の厩になぜ女がいるのか、というのも驚いたが、何よりもその女の髪色に驚いた。金色などこの日本に存在しない髪色だ。天女でもありえぬ。
「なんぞ、おぬしはなんぞ」
男はおどけながら女に聞いた。女はただ怯えながら、男を凝視するばかりだったが、すぐに顔を壊し、その場に倒れ込んだ。慌てたのは男の方だ。さっきまで自分を凝視していた女がいきなり倒れ込んだのだから慌てて当然だが、その時の女の表情は苦悶とかそういった言葉では言い表せないものだった。
困ってしまって男は屋敷から白い布などを持ってきて女の上にかぶせた。女は声に鳴らない悲鳴をあげるばかりで自分の質問に応えられるとは思えなかったので、男は石を厩から出し、厩に閂をかけて遠乗りを始めた。気分転換、というのもあるがそれよりも女のことを考えるともやもやしてしまうのだ。あれだけの美女を目にすればそれは当然と言えたが、それを差し引いてもあの女はわからなかった。
「おう、平の御曹司!」
水面の近くを馬でゆっくりと進んでいたときだ。背後から声がした。振り返ってみると長弓を背中に携え、薄い群青色の着物を着た武士が自分を追従していた。人懐っこい笑みを浮かべながらその武士は男に近づいてきて、出会い頭に男の肩を叩いてきた。
「どうした、忠盛。浮かぬ顔をして。おぬし、都では有名になっておるようではないか」
その武士、源為義は嫌味な言葉で男、忠盛に話しかけてきた。忠盛は苦笑しながら、応よ、と答える。昨日、忠盛は父である正盛と共に盗賊の一派を退治してきた。そのときに忠盛が盗賊の棟梁を討ったため、彼は今都で少なからず有名なのだ。
「で、いくら報奨はもらった。土地か?それとも財宝か?」
「つまらぬことを聞くのはよせ、為義殿。そも、たかが盗賊の棟梁の首程度で院が褒美をくださるわけもない」
同年代である為義を『殿』と付けるのはすでに為義が源氏の棟梁であるからだ。それゆえ、忠盛もある程度へりくだって為義と接している。
「それは……まぁ、そうかもしれん。おお。それはそうと、だ。昨今都を賑わせとる噂を知っているか?」
「噂?生憎と今日都に戻ってきたものでな。生憎とそういったものは知らぬ」
「ならば、聞け。俺は今ある女を追っておるのよ」
女、というフレーズに忠盛は眉をひそめた。女を追うなど穏やかではない。しかも、源氏の棟梁までも参加するなどよほどのことだ。
「その女はな。法皇様の御寵愛を集めておったそうなのだが、なんとその実はこの國を脅かす悪鬼なのだそうだ。そしてその女の腹には子供がおってな。その子供が将来國を滅ぼす、と陰陽師に引き出された鬼が予言したらしい」
「陰陽師を信じると?」
「まぁ、それは隅に置こうではないか。とにかく、その女を捕らえ、殺せと俺は命令されているのよ。なんならおぬしも加わるか?國の行く末を救った、とあれば褒美ははかりしれんぞ」
「女の特徴は?」
為義の言葉を意に返さず、ただ森はただ聞く。
「うむ、金色の髪をしているらしい。また、顔つくりも浮世離れしておるらしいぞ」
それを聞いて忠盛の全身の毛穴から汗が吹き出した。挨拶も名ばかりに忠盛は石の腹を蹴り、すぐさま厩へと走り戻った。
そして彼が厩に急行した時に見たものとは……
元気な産声をあげる赤子だった。




