二章番外編 体力測定(後編)
翌日日曜日、午後三時。
竜ヶ台高校の無人の体育館に、体操服姿の健吾、穹良、璃那の三人はいた。予測通り校内にはほぼ人影がなく、職員室の一角に明かりが点いているいる程度だった。
「思った通りでしたね。日曜の体育館を思いつくなんて、さすが私です」
「いやその案出したの俺だから」
健吾のツッコミに朗らかな笑声を上げてから、璃那は真面目な顔に戻って、穹良に目を向ける。
「さて穹良、まずは体力測定について説明しましょう」
「いや、その必要はない」
穹良の意外な返答に、璃那は思わず疑問符を吐き出す。昨日は体力測定がなんなのかも分からないと言っていたはずだ。
「親切なお前ならそうするだろうと思って、多少は調べてきた。概要は把握してあるから、その分の時間を練習に充てよう。今日はそのための時間だろ」
「そ、そうですね。では早速始めましょうか」
そう言って踵を返し、璃那は二人を先導して用具倉庫へと向かう。その道すがら、璃那は健吾にそっと寄って耳打ちした。
「ねえ西島さん、なんか穹良、変じゃありません?」
「変? 何が?」
「何って、穹良って下調べとかしてくるような人ですか? それに練習したいって。なんか違和感感じるんですけど」
言われてみれば、璃那の言いたいことは分からなくもない。
穹良には恐らく竜族の血を引いているがゆえの余裕があるのだろう。彼女の大仰な態度が元々の性格なのか、その余裕に基づくものなのかは分からないが、少なくとも性格形成に影響していることは確かなようだ。
そんな余裕を持ち合わせた穹良が、少し余裕なさそうに見える、と璃那は言いたいのだろう。おそらく先日の体育、そしてその後の雪灘が絡んだ一件がネックになっている。そして体力測定がどんなものか分かった今、確かな危機感を感じているのだろう。
「運動能力が周りと比較ならないってことは分かったはずだからな。穹良なりに困ってるんだよ」
「そういうものですか」
後ろの穹良に聞こえないように可能な限り声量を下げつつ、健吾は用具倉庫の鉄製の引き戸を開ける。かなりの重量がある扉だが、難なく開けられるのは元々の筋力の問題か、半竜ゆえか。
倉庫の中には、屋内で行う測定に必要な器具が揃っている。と言っても大した道具は必要ではなく、今回は握力計があれば済む。まずは、穹良の身体能力の把握を行う。
「では穹良、まずは握力から測りましょうか」
倉庫内で握力計を見つけた璃那が、ぼんやりと用具を眺めていた穹良に手渡す。測定した握力を針で示す、アナログタイプの握力計だ。
「これを握ればいいのか?」
「そうですよ。レバーの間隔は調節できるので、手の大きさに合わせて下さい。そうしないと正確な数値が測れないので」
物珍しそうに握力計を眺める穹良の背後で、健吾も握力計を手に取る。健吾の身体能力を予め把握しておくことも今日の目的の一つだ。穹良の身体能力が突出し過ぎていることは問題だが、健吾の身体能力が全く未知数であることもまた、大きな問題である。
「どれ、俺も測ってみるか。ふんっ!」
直立した状態で、右手に一気に力を集中させる。五十三キロ。おそらく男子高校生の平均以上ではあるが、かといって圧倒的と言うような力ではない。何ともパッとしない数値だ。
「五十三ですか。強いのでしょうけど、ちょっと冴えない気もしますね」
「そうだな。これと言って鍛えている訳ではなけど、どうなんだろうな」
評価しにくい数値と向き合う健吾と璃那の背後で、金属が軋むような、ひしゃげるような音がする。その音源を確かめようと振り向いた先には、少し困惑したような表情の穹良が所在なさげに佇んでいた。
手の中には、レバーとグリップが歪んで圧着してしまった、見るも無残な握力計。
「あの、穹良……?」
「違うんだ、この機器が柔いから……!」
「握りつぶしたのか」
「おい健吾言い方を間違えるな。握りつぶしたわけでは」
「では目の前の状況を穹良的に言うと?」
「手の中に壊れた握力計が一台……」
「壊したんですね?」
「壊れた」
「壊した、ですよね?」
穹良と璃那が不毛なやり取りをする中、健吾は穹良に近寄って手の中の握力計に視線を落とす。
「えーと、握力、測定不能、と」
健吾の一言で、穹良は黙り込む。視線を手の中の落とすと、針が振り切り、役割を果たせなくなった握力計が一台。
「壊した」
「はい、器物破損の容疑で現行犯逮捕です」
璃那が雰囲気を和ませてくれたが、穹良の異常な身体能力の一端が明らかになった瞬間だ。もしこれが明後日の本番に明らかになっていたら、大きな騒ぎとなっていただろう。
「しかし参ったな。まさかこれほどだったとは。今日試しておいて正解だった」
壊した握力計を竜力で直しながら、自身に言い聞かせるように呟く。
「今日の目的を果たせそうで何よりですよ、穹良。穹良と私たちでは、根本的な部分が違うんです。その違いをはっきりさせておけば、理解だって出来ます。まずは一通り、種目を試してみましょう」
璃那の励ましを受けて、穹良は少しだけ表情を明るくする。それから三人は倉庫から出て、体育館内で一通りの種目に挑戦した。本来屋外で行うものは、屋内で擬似的に再現できる程度に落とし込んで行うことで、本番を想定した。
その結果、長座体前屈以外の種目では高校生女子の平均よりも圧倒的に高い能力を有していることが分かった。ハンドボール投げに関しては先日のドッジボールの際にその威力が明らかとなっていたが、他では特に脚力が秀でているようだ。体育館の端から端までのタイムを五十メートル走換算したタイムは四秒を切っており、反復横跳びは残像が見えかけていた。立ち幅跳びに関しては、滞空時間が長くてスローモーションを見ているような気分になる程だ。
「根本的に違い過ぎます……」
計測をしていた璃那が、力の差を見せつけられた絶望感を含んだ感想を漏らす。
「私に流れている血は飛竜のものだそうだからな。体が軽いうえに飛ぶことも出来る。そういう要素が現れているんだろう」
一通りの種目を終えて休憩しながら、璃那は二人分の記録を見比べる。持久系の種目は行っていないので不明な点は残っているものの、現時点で高すぎる身体能力が明らかとなった。それと比べると、健吾の記録は男子高校生の平均より上回っているものの、運動神経が良いの一言で片づけられる程度だ。璃那が感知できるほどの半竜であることが疑わしくなるような内容であるが、何の対策も講じなくて良さそうなことは朗報でもある。
「穹良の記録と比べると、西島さんの記録が大したことないように見えますね」
「そりゃ比べる相手間違ってんだもん。俺片手で机壊せねえし」
「謝るから蒸し返すな健吾。あの件に関しては反省してるんだ」
ステージに腰かけながら、穹良は不満そうに足をブラブラとさせている。そんな彼女と一緒に揺れる赤い髪の毛を見て、健吾は疑問を口にした。
「そう言えば穹良、髪切った?」
普段の穹良の髪の長さは腰の位置まであるが、今は肩甲骨の下程度の長さしかない。行きに一緒に電車に乗っていた時には腰丈だったはずだが、自分の見間違いを考慮して今のような聞き方をした。
「私も気になってたんですけど、この前の体育の時も髪の毛短くなってましたよね」
二人分の視線を受けて、穹良は少し考え込むような仕草をしてから、自身の髪をそっと手に取った。
「あの時は周りに聞かれないようにはぐらかしたが、髪の毛の長さ程度なら簡単に変化させられる。その気になれば姿すら変えることが出来ると思う。やったことはないけどな」
「道理で授業終わった後は元の長さに戻ってると思ったんですよ」
「すげー見間違いしてんのかと思った」
疑問が解消してすっきりとしたような顔をした二人を見て、穹良は不思議な心地よさを感じていた。
なぜなのかは分からない。ただ、自分の特性を打ち明けても興味本位でぐいぐい来ることなく、一定の理解を示した上で距離感を保ってくれている感じが、とても嬉しく感じた。
いや、きっと分かる。自分の力を武力としてしか捉えてくれなかった大人たちに囲まれていたおかげで、純粋な理解と寄り添いに飢えていたのだ。もう十年以上前の記憶のはずなのに、心はまだ囚われているらしい。
「それよりも、だ。問題が洗い出せたなら次は対策だろ。璃那、私はどうすればいい」
「そうですね。では、演技の練習をしましょう」
「演技?」
「そうです。思いっきり手を抜きながら、いかに必死にやっているように見せるか、という演技の練習です。と言っても、投げることに関しては誤魔化しが効きにくいので、手の抜き過ぎは逆に怪しまれます。その辺の加減も含めて、調整していきましょう。幸か不幸か穹良は表情が乏しいので、あまり演技する必要はないかも知れませんね」
――――璃那ってたまにさらっと毒吐くよな
二人のやり取りを聞きながら、健吾はそんな感想を抱く。穹良もそう思ったのか、心なしか目の光が弱まった気がする。
それから健吾も協力する形で、穹良の手抜きの練習が始まった。実際に練習してみて思ったことだが、確かに璃那の言う通り表情に変化が見られないので、手を抜いても本気でやっても違いが分かりにくかった。もちろん健吾や璃那からしてみれば違いは分かるが、穹良と交流の浅いクラスメイト程度なら問題なく騙せるだろう。そういったレベルの話だった。
練習は一時間程度で終わり、五時過ぎには解散となった。校門で璃那と別れ、上竜宮駅へと向かう道中、穹良が口を開いた。
「私は、私の体のことを何も知らなかったということを知った。知らないことが怖かったが、知ったことで怖さと向かい合う方を学べた。なら、かがみはどうだ? かがみは知っているのか? 今までの学校生活で、不都合があったことはないのか? 体力測定はどうしてた」
淡々と言葉を押し出すその向こう側には、徒労感が見え隠れしている。一気に色々なことを知って学んだせいで疲れたのだろう。これもまた、半竜ゆえの苦労だ。
「かがみの運動神経は、普通の人とほぼ変わらない。だから特別気を使わなくても、どうにかなってるみたいだよ」
「そうか。なら良かった。まあ、妹だからな」
――――妹だから?
引っかかる言い回しに怪訝そうな顔をすると、察した穹良が気を利かせて補足説明してくれた。
「半竜の兄弟では、上のものほど力が強く、下のものほど力が弱い。血の濃さは同じでも、だ。なんでか分かるか?」
「……いや」
母親が竜族について研究しているくせにこの程度の知識もないのかと、健吾は自分を呪う。自分が半竜という存在から逃げてきたツケだ。半竜としての特性が現れないが故に、人として生きていけると思っていた代償だ。
「半竜はものすごく存在が危うい。人間より強く竜よりも弱いんだからな。半竜であるゆえに狙われた場合、下の者を守るための力が上の者に与えられる。そして下の者は、狙われないように力が制限される。そんな仕組みだ。上手く逃げ切ることができれば子孫を残せるし、力も引き継げる可能性があるからな」
「それが、穹良には守護者がいて、かがみにはいない理由か」
「そうだ。守護者は強力だが、見つかりやすいからな。囮の役割もあるんだ」
「なるほどなあ……。でも俺、一人っ子だぞ?」
すると穹良は、少し呆れたような視線を送りつけてきた。
「お前には血が繋がっていなくとも、守るべき相手がいるだろう」
言われて、ひねくれ者で可愛くないと思う時もある一方でやっぱり可愛い義妹その一と、ブラコンで元気な引き籠りの義妹その二の顔を思い浮かべる。
なるほど、確かに守護者の力に頼ってでも守りたい存在たちだ。
「ああ、そうだった」
「何かあった時には、全力で守れ。そのための力だ」
なぜかとても力強い台詞に聞こえて、穹良の方を見る。そこには、言葉同様の力強い目をした、これまた可愛い幼馴染がいた。
「分かった」
穹良の思いを受け止めるように、健吾もまた力強く応える。そして応えた以上、実行することを誓う。
二人を見守り地平の彼方に沈みゆく太陽に、健吾は確かに誓った。己の力は守るために使うことを。




