表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜の人々  作者: 古池ねじ
長い旅
8/24

長い旅(二)

 昼前に本を読み終わってしまったので、それを捨てて新しい本を買った。ブラッドベリの「十月はたそがれの国」。面白いけれど、のめりこむタイプの話じゃない。ぼんやりと読んだり、辺りを眺めたりしながら過ごす。


 私がいるのはチェーンのカフェだ。二人がけの小さいテーブルの上には半分減ったアイスコーヒーと一口だけ食べたチーズケーキ。店内は半分ぐらい埋まっている。私はこういうお店に行くことが多い。それなりに賑わっているチェーンのカフェ。別にこういうところが好きなわけではなく、他に居場所がないのだ。誰の印象にも残りたくないし、関心も向けられたくない。


 ガラス越しに外を見ると、秋の日はもう暮れかけていた。人が、たくさんいる。とてもたくさん。みんなそれぞれ違った恰好をして、違った顔をして、違った歩き方で歩く。多分、その違いはとても大切なことなのだろう。ブラッドベリとバルガス・リョサが違うように。


 でも、そんなのはどうでもいいと思ってしまう。たくさんの人。人の群。羊の群、魚の群と同じだ。個体に違いを見出そうとすれば、いくらでも見出せる。逆に言えば、あえて見出そうとしなければ、それは「群」としか認識できない。個体に意味はない。


 うんざりして、チーズケーキを一口食べた。ここのチーズケーキはずっしりしていて好きだ。私は甘いものが好きだ。きちんとした食事も取らずに甘いものばかり食べることが、よくある。多分身体にはよくないけれど、この二年体重を計ったことも健康診断を受けたこともないから、どうでもいいと思ってしまう。


 人の流れを見たり、本を読んだりしていると、あっという間に窓の外が暗くなる。秋の日は、暮れかけてからがとても早い。つるべおとし、と中学のときに教師が言っていた。


「ここ、空いてますか」


 不意に、声をかけられる。私は本を閉じる。


「連れを待っているので」


「恋人ですか?」


「いえ、息子です」


「やあ、ママ」


 正面の席に、シュウが座る。堪えきれずに噴出してしまう。


「何、ナンパ?」


「うん。ちょっとやってみたかったんだ」


 シュウも笑う。私は手を伸ばしてその頭を撫でる。丸い可愛い頭。


「おかえり」


「うん。ただいま」


 日が沈むまで、シュウとはたいがい別行動を取る。人気のないところで休息しているということだけれど、詳しいことはよくわからない。


「いい子にしてた?」


 シュウが尋ねる。私は頷く。


「それなりにね」


「そう。いい子だ」


 シュウも私の頭を撫でる。赤い目が笑みに細くなる。


 不思議なことだけれど、これだけ特殊な姿なのに、シュウに注目する人はほとんどいない。多分、何がしかの力が作用しているのだと思うけれど、わからない。シュウのことは、二年も一緒にいるのに、ほとんどわかっていない。でも全てを知りたいわけでもないから、それでいい。


「何?」


 じっと自分を見ている私に、シュウが首を傾げる。私は微笑む。


「シュウは可愛いなと思って」


 目を瞠った後、眉を寄せる。


「やめろよ」


 不服そうにつんと唇を尖らせる顔が可愛くって、頭をぐしゃぐしゃにしてしまいたくなった。ふふ、と声に出して笑う。シュウはちょっと眉を寄せたあと、テーブルの上にあるものに目を留める。


「またケーキか」


「いけない?」


「いや、女の子だなと思ってさ」


「シュウも食べる?」


 チーズケーキを切り取ったフォークを口元に寄せると、また不服そうに唇を尖らせた。


「やめろよ。僕はそんないかもの食いじゃない」


 いかもの食い、という言葉は耳慣れないけれど、意味は分かったので大人しくフォークを引っ込める。


「ケーキは食べないの?」


 シュウは頷く。


「食べないよ。女の子の食べ物だ」


 ときどき、シュウは思ったより年を取っているんじゃないかと思う。偏屈なのだ。もっとも、小さい男の子というのも偏見が強い生き物なんだけれど。


 私はシュウに拒否されたチーズケーキを口に入れる。美味しい。


 ふと好奇心が働いて、尋ねてみる。


「シュウって、普通のもの食べないの?」


 何を当たり前のことを、という顔で答える。


「食べないよ」


「食べたらどうなるの?」


「どうもならない。死んだ生き物の血を飲むといけないって話もあるけど、別にどうもないよ。ただ不味いから気分は悪くなる、かな」


「ふうん」


 頷くけれど、ちょっと混乱した。よくよく考えるといろいろと意味がわからない。シュウの身体の仕組みは、私の知っている生物、と、もっと言えば科学の知識とも合致しない。質量保存の法則とか。でも、


「そんなもんか」


 と思う。理屈に合わないからと言って、目の前にあるものを否定することはできない。


「そんなもんだよ」


 シュウは先生みたいな口ぶりで諭してくる。


「はあい」


 素直に返事をすると、シュウは楽しそうに笑う。


「寝床はもう確保したの?」


「ううん。まだ。早く休みたかった?」


「いいや。聞いただけ」


「移動する? このへんでとる?」


「どっちでも。君の好きなほうで」


「じゃあ、このへんでとる」


「怠けものだなあ」


「シュウに言われたくない」


 頬を膨らませると、シュウの小さな手がこちらに伸びる。


「その顔はやめなさい」


 ぽん、と音を立てて、シュウの中指と親指が、私の頬を押しつぶした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ