約束(二)
彼はとても綺麗だった。
石膏みたいにぺたりと均一に白い肌。額に鬱陶しい影を作る黒い巻き毛。少しの光にも眩しそうに顰めた黒い眉。睫は長く、髪と同じようにくるりと巻いていた。これも黒。
黒と白。それが彼の色だった。その中で、目と唇だけが赤かった。その赤はいくらか鮮やか過ぎた。そこにあるべきじゃない赤さ。
彼の前にいると、身体の奥のほうがしくしくした。彼は優しかった。私が何を言っても何をしても微笑んで頭を撫でてくれた。私は彼を疑いなく好きだったけれど、同時に消えず弱まることもない身体の奥の慄きを抱えていた。
「お兄ちゃん、ちょっと怖い」
秘密をそのままとっておけない子供の私は、そのままを彼に伝えた。彼は微笑んでいた。
「怖い? 僕は何か、いけないことでもしたかな」
私は慌てて首を振った。
「お兄ちゃんはいつも優しいよ。他のどんな人よりも優しいよ」
「それでも怖い?」
赤い唇はつやつやしていて、濡れている。たった今切りつけられた傷口みたいだった。その端をきゅっと持ち上げた微笑み。重たそうな下唇。身体の奥、お腹の下の方がしくしくする。
「こわい」
赤い唇をじっと見つめながら、私は言う。微笑み以外の何かを私は期待していた。何か。何だろう?
わからなかった。そのときには何もわからなかった。
彼はゆっくりと私に顔を近づけた。肉の厚い、赤く濡れた唇。しくしくした。怖いのに、私は身を引くことも出来ず、彼の息が近づいてくるのを肌で感じて、唇をぼんやりと開いた。
「いいこだ」
囁きは、あんまりにも小さくて、ほとんど声にもなっていない。その吐息で出来た言葉を、私は耳ではなく肌で聞いた。
「……こわいのが、いいこなの?」
彼は赤い目を細めた。唇よりも更に濃く赤い目。暗い場所ではぼんやりと光っているような。私はそのとき、彼が瞬きをしないことに気付いた。
「僕は悪いものだからね。怖いのが正しいんだよ。君は、いい子だ。賢い子だ」
そして高い鼻を私の低い鼻につんとつけると、彼は顔を引いた。私の細い髪を指に絡ませて、するすると滑らせた。
はぐらかされたという不満はあったけれど、安堵のほうが大きくて、私は彼の胸に頭を預けた。白い清潔なシャツに包まれた、ひんやりとした硬い胸。
考えてみれば、最初から全部がおかしかったのだ。
彼は私の家の近所に住んでいた。洋館、と呼ぶほど大きくもないけれど、ちょっとした庭に薔薇のたくさん咲いている、洋風の、塀に細い蔦を這わせた古そうな家。ある日、塀越しに庭の薔薇を見ていると、彼が声をかけてきたのだ。私は八歳だった。雨が降っていた。
「薔薇が好き?」
彼は傘を差していなかった。黒い巻き毛から水が滴って、薔薇の上に落ちて、撥ねた。それを見ながら、私は首を振った。
「ううん。見ていただけ。」
薔薇は黒に近い赤いものと、純白の小ぶりなものの二種類が、混ざって植えてあった。全く調和していない組み合わせだ。その不可思議な対照が私の興味を惹いたのだった。
彼は声を出して笑った。とても無邪気な、私がそこにいることを忘れているような笑い方だった。笑いの発作が止むと、彼は私に視線を合わせるためにしゃがんだ。塀越しに、私たちは見つめあった。黄色い傘が彼の肌を黄色く染めていた。
「また、いつでもおいで。君を歓迎するよ」
私は困惑して、でも結局頷いた。断るという選択肢はなかった。彼は赤い目を細めて微笑んだ。
「今日は遅いから、もうおかえり。またね。いつでもおいで」
私はもう一度頷き、踵を返した。彼の視線が靴下から覗く脹脛の辺りに貼り付いている様な気がした。




