長い旅(十一)
お湯に浸かる私を、床に直接座ったシュウは、見るでもなく見ている。私は膝を抱え、ぼんやりとお湯のあたたかさを感じている。あたたかいことは、気持ちが良かった。感情とはなんの関係なく、私の身体はゆるやかに弛緩して、くつろいでいる。私の身体。生きている、私の身体。私の身体は単純だ。弱くて、わかりやすい。
「君はきれいだ」
浴槽のへりに腕を乗せ、その上に頭を置いて、シュウは突然言う。私は首をかしげる。髪から水滴が落ちて、お湯を揺らした。
「そんなことはないと思うけど」
私はごく普通の女だ。それは良く知っている。顔も身体も特別に醜くはないけれど、特別に綺麗でもない。ごく、普通の女。
「それは僕が決めるんだよ。君は、きれいだ」
眩しいものを見るように、シュウは目を細めた。私は微笑む。シュウが言うのなら、そうなのだろう。私はきれいだ。それでいい。
「君がすごく好きだよ」
シュウが言う。私に伝えるためというより、事実を確認しているかのような言い方だった。
「ありがとう」
「……そうかな」
珍しく曖昧なことを言って、シュウは微笑んだ。妙に寂しそうな笑みだった。ぱちゃりと音を立てて軽くお湯の表面を叩き、ぬるいな、と手を引いた。
「入れないの?」
「入れないことはないよ。ただ、入りたくない。気持ちよくないから」
「気持ちが悪くなる?」
シュウは首を振った。
「悪くはならない。別に変わらない。それが嫌なんだ」
それが嫌なんだ。
私は何も言えなかった。シュウのことはよくわからなかった。苦しかった。わかりたかった。シュウと同じになりたかった。でも、なれないだろうとわかった。前、シュウにそう言ったときには、何故拒まれたのかよくわからなかった。でも、少なくとも今は、私はシュウの場所にはまだいけないと、自分でわかった。
私は膝を抱えた腕を解いて、シュウの頭を抱いた。シュウの頬に自分の頬をつける。涙が出そうだった。私のシュウ。
「愛しているよ」
シュウは呟くように言った。
「私も」
「気が合うな」
私は笑った。もしかしたら私たちの意見が一致するのは、そこだけかもしれなかった。
お風呂から上ってベッドに入っても、シュウは優しかった。テレビもつけずに、ベッドの脇に膝たちになって、私の頭をなでてくれる。
「ゆっくりおやすみ」
眠りかけた私のこめかみに唇をつけて、言ってくれる。私はちいさく頷いた。守られている、という感覚。幸せな気がした。
それなのに悪い夢を見た。内容は覚えていない。でも、とても悪い夢。
目を覚ますと、シュウはいなかった。当たり前のことだけれど。
むかつく胸を押さえて、起き上がる。ベッドサイドのテーブルに、メモが置いてあった。メモがあるのは珍しくもないけれど、いつもよりも少しだけ長かった。
「体調はどう?
しばらくこのあたりでゆっくりしてもいいし、また移動してもかまわない
君の好きにして
愛しているよ」
いつもメモは捨ててしまうのだけれど、惜しくて、小さく折りたたんだ。鞄のポケットを開く。
そこに、カードが入っていた。杉山さんの名前の書かれた、ケーキのお店のカード。私はカードを取り出す。
いらなかったら捨ててください。
そう言って気まずそうに笑った杉山さん。日に焼けた目尻の皺。
捨てなくちゃ。
そう思うのに、できなかった。胸がむかつく。ポケットを閉める。
メモを財布にしまうと、もう一度ベッドにつっぷした。
それでも目を閉じると浮かぶのは、杉山さんのことだった。
朝食に降りたけれど、脂臭さが鼻について、何も食べる気になれなかった。食器の硬い音を立てて、食べ物を飲み込んでいく人たち。たくさんの人。生きている人。私は目を逸らし、そこに背を向ける。一度部屋に戻り、あたたかいお茶を淹れた。一口飲む。
何かが変わってしまっている。
その考えが、胃に貼りつく。吐き出してしまいたいけれど、できない。目を閉じて、瞼を手のひらで覆う。こんなのは、一時的なことだ。そう自分に言い聞かせる。
たいしたことではない。だって、ずっと知っていたことだ。シュウがどういうものかなんて。わかってこの二年、一緒にいた。たいしたことではない。
私はお茶を飲む。コップの中の、あたたかいお茶。それに集中しようとする。
でももう杉山さんは、お茶を飲むこともできない。
ぱちっ、と、あのときの顔、食いつかれて歪んだ杉山さんの顔が浮かぶ。私はコップをテーブルに置いた。認めざるを得ないのかもしれない。その考えに、背中がつめたい汗で濡れる。
何かが変わってしまっていた。




