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第36話 まだ社員なのに、勤務先から俺の会社へ発注が来た



 法人設立の翌朝、俺はいつもどおり東都ダンジョン資源開発株式会社へ出社した。


 いつもと同じ通勤電車に乗り、いつもと同じ社員証で入館し、いつもと同じ地下の第五資料室へ向かう。昨日までと何も変わらないように見えるのに、鞄の中のスマートフォンには《ヘクサ・リンク株式会社 代表取締役 白石直人》と表示された法人情報が入っている。


 自分でも、かなり妙な状態だと思う。


「おはようございます、社長」


 イヤホン越しにコレットの声がした。


「会社にいる間まで社長って呼ぶのか?」


『設立済みですので』


「こっちでは普通の社員なんだけど」


『役職は場所によって消滅しません』


 理屈は分かるが、朝から落ち着かない。


『それより社長。本日十二時に、協会との契約移管について確認をお願いします』


「個人名義だったやつか」


『はい。定期納品、古代施設調査協力、資源加工品販売の三件です。今後は可能なものから法人契約へ変更します』


「全部すぐ変える必要ある?」


『ありません。個人探索者資格に紐づく部分は社長個人へ残します。会社へ移した方が経理上明確なものだけです』


 相変わらず、その辺りは慎重だった。


『なお、東都ダンジョン資源開発株式会社との魔導銀売買についても、次回更新時から法人契約へ変更する予定です』


「つまり、ここが俺の会社の取引先になる?」


『既に実質的にはそうです』


 俺は地下へ向かうエレベーターの中で、小さく息を吐いた。


 十九日後には辞める勤務先。


 その会社へ、今は自分の会社の商品を売っている。


 やっぱり妙だった。


     ◇


 午前中は第五資料室の整理を進めた。


 五年間で溜まった資料は想像以上に多かったが、昔の俺のように何でも一人で抱える必要はなくなっている。保存期限を過ぎたもの、電子化済みのもの、技術部へ返すものを分け、判断できないものだけ一覧にして主任へ回す。それだけで作業はかなり速かった。


 十一時過ぎ、主任が地下へ降りてきた。


「白石、ちょっといいか」


「はい」


「購買から話が来てる」


 嫌な予感ではなかった。


 最近、この会社から呼ばれる理由はかなり変わった。


「魔導銀ですか?」


「それもあるが、今度は法人の方だ」


「もう伝わったんですか?」


「法人番号が出たんだろ。購買部が取引先登録したいらしい」


「早いですね」


「継続購入先が法人化したなら、そりゃ確認する」


 主任はそう言ってから、少し複雑そうに俺を見る。


「しかし、本当に変な話だな」


「俺もそう思います」


「うちの社員が代表の会社に、うちが商品を発注するんだからな」


「利益相反は確認してます」


「そこじゃない」


 主任は苦笑した。


「数か月前まで、お前が古代素材を売る側になるなんて誰も考えてなかったって話だ」


 俺も考えていなかった。


 そもそも六機を家へ持ち帰った日の俺は、毎月三万円をどう捻出するかで頭がいっぱいだった。


「午後、人事と購買へ顔を出してくれ」


「分かりました」


「勤務時間内でいい」


「会社の取引先登録なのに?」


「お前が退職するまでは社員でもあるからな。ややこしいんだよ」


「ですよね」


 本当に、それに尽きる。


     ◇


 昼休み。


 探索者協会とのオンライン面談をつなぐと、画面にはいつもの支部職員と三枝さんが映った。


 俺の横では、今日は自宅から接続しているコレットが空中に資料を並べている。


『まず、古代施設調査協力契約についてです』


「はい」


『現場へ入る探索者資格は社長個人に紐づくため、参加主体は白石直人のまま維持します。ただし、六機の専門能力提供と設備保守支援については法人契約へ移管したいと考えています』


 支部職員が資料を確認する。


「こちらとしても、その方が処理しやすいです。特に設備修復の範囲が広がっていますから」


『ありがとうございます。次に資源加工品販売ですが、こちらは全面的にヘクサ・リンク株式会社へ移管します』


「問題ありません」


「定期納品は?」


 俺が尋ねると、コレットがすぐ答えた。


『探索者として受注している常設依頼は、当面社長個人の実績として残します』


「会社にしないんだ」


『はい。すべて法人化すれば良いというものではありません。実績の継続性と手数料構造を比較すると、現時点では個人契約維持が有利です』


 三枝さんが画面越しに笑った。


「白石さん、自分の会社なのに社長が一番説明を受けてません?」


「だいたいコレットが先に決めてます」


『決定前には確認しています』


「確認される頃には、ほぼ正解が一個しか残ってないんだよ」


『選択しやすいよう整理しています』


 本人は善意らしい。


「それと」


 三枝さんが少し真面目な表情になる。


「法人化したなら、協会側から一つ提案があります」


「何でしょう」


「中層設備の保守を、単発の調査協力ではなく正式な委託業務にできませんか?」


 コレットの琥珀色の瞳が光った。


『範囲を伺います』


「現状、復旧済み設備の定期確認や障害一覧の更新は、ほぼ白石さんたちしかできません。協会職員だけでは古代設備へ触れない場所も多いので、月単位で保守をお願いしたいんです」


「また固定収入?」


『そうなります』


 コレットがもう計算を始めていた。


「ただし、無制限に修理する契約ではありません」


『当然です』


「月二回の定期点検。緊急度A・B障害の状態確認。実際の修復作業は、その都度別見積もり」


『合理的です』


「月額十二万円でどうでしょう」


 俺が驚くより先に、コレットが資料を拡大した。


『設備数と拘束時間を考えると、十四万円を希望します。ただし初年度は十二万円で開始し、三か月後に業務量を再査定する条件なら受けられます』


「それなら問題ありません」


「決まるの早いな」


『長引かせる理由がありませんので』


 法人設立から。


 一日。


 ヘクサ・リンク株式会社に、最初の固定保守契約が増えた。


     ◇


 午後二時。


 今度は勤務先の購買部だった。


 会議室に入ると、以前魔導銀の購入を担当した購買課長と、人事課長が待っている。


「白石さん。こちらが取引先登録申請です」


「はい」


 書類の宛名。


『ヘクサ・リンク株式会社 御中』


 代表者。


『白石直人』


 俺の勤務先が。


 俺の会社へ書類を出している。


 何度見ても慣れない。


「今後の魔導銀取引について、法人名義へ切り替えたいと考えています」


 購買課長が説明する。


「価格や納期は現行契約を引き継ぐ形で問題ありませんか?」


「コレットに確認します」


「第五資源機ですね」


 もう名前まで覚えられていた。


 スマートフォンを机に置いて接続する。


『お世話になっております。ヘクサ・リンク株式会社、資源・契約管理担当のコレットです』


 昨日までなら《第五資源機》と名乗っていた少女が。


 今日は会社名を先に付けた。


 それだけで。


 本当に会社になったのだと少し実感する。


「現行条件の引き継ぎで問題ありませんか?」


『基本条件は問題ありません。ただし、契約主体変更に伴い一点追加を希望します』


「何でしょう」


『支払期限を月末締め翌月末から、月末締め翌月二十日に変更してください』


「理由は?」


『創業初期の資金繰り安定化です』


 購買課長は少し資料を確認した。


「対応可能です」


『ありがとうございます』


 あっさり決まった。


 黒川部長も主任もいない。


 嫌味もない。


 普通に。


 会社同士が条件を話しているだけだ。


 人事課長が俺を見た。


「白石君」


「はい」


「今の君は、社員としてこの席にいるのか?」


「……どっちでしょう」


「私も分からなくなってきた」


 購買課長が笑う。


「この件については取引先代表でしょうね」


「じゃあ勤務時間に商談して大丈夫なんですか?」


「会社側が呼んでいるので問題ありません」


「本当にややこしいですね」


「十九日だけですよ」


 人事課長の言葉に。


 少しだけ空気が変わった。


 退職まで。


 十九日。


 会社の人も。


 もう、その日を知っている。


     ◇


 商談が終わる直前。


 購買課長が新しい資料を出した。


「実は、もう一件相談があります」


「魔導銀以外ですか?」


「はい」


 表示されたのは。


 古代遺物の一覧だった。


 シエルが以前、第四保管庫で解析した品々。


「古代技術事業準備室で、本格的な研究を始めることになりました」


「そうなんですね」


「ですが、社内だけでは解析できない物がまだ多い」


 何となく。


 次の言葉が分かった。


「ヘクサ・リンク株式会社へ」


 購買課長が言う。


「古代遺物の定期解析業務を、正式に委託できませんか?」


 以前。


 会社はシエルを。


 産廃一機に一時間八千円なんて高い、と言った。


 今は。


 その会社の購買部から。


 正式な業務委託として話が来ている。


「内容を確認してからになります」


『資料を送ってください』


 コレットの声が重なった。


「月に二回。各三時間程度を想定しています」


『主担当は第三解析機シエル。必要に応じて第一制御機または第五資源機が補助。月額固定契約にする方が双方の事務負担が減ります』


「こちらもそのつもりです」


『では、業務内容を確認後に見積書を提出します』


 話がまとまる。


 俺は。


 何とも言えない気分で契約資料を見ていた。


 会社を辞めるから。


 仕事がなくなるわけではなかった。


 むしろ逆だった。


 社員として安く使われる立場を離れた後も。


 必要な仕事だけ。


 必要な能力だけ。


 正しい契約と価格で。


 この会社と付き合っていくことができる。


     ◇


 帰宅した頃には。


 ヘクサ・リンク株式会社の収支予測が更新されていた。


「社長」


「まだ慣れないな」


「慣れてください」


 コレットが空中へ数字を並べる。


 魔導銀の継続販売。


 古代施設保守契約。


 調査作業報酬。


 そして、まだ仮見積もりだが東都ダンジョン資源開発株式会社からの古代遺物解析委託。


「固定契約だけでも」


 数字が出る。


「会社員時代の手取りを、ほぼ上回ります」


「魔導銀を抜いて?」


「はい」


 俺は少し黙った。


「じゃあ、魔導銀が売れなくなっても?」


「すぐに生活が破綻する状態ではありません」


「本当に会社になってきたな」


「最初から会社です」


「昨日できたばっかりだろ」


「一日目でも法人です」


 セラが俺の隣から収支表を見る。


「直人様」


「何?」


「これで、会社を辞めた後も安定性は高まりましたね」


「ああ」


 ラヴィが勢いよく手を挙げる。


「では人を雇いましょう!」


「まだ早いです」


 コレット。


「戦闘員を百人!」


「何と戦うつもりですか」


 シエル。


「社員の健康診断制度は必要ですね」


 フィオナ。


「社員、まだいない」


 イリス。


「全員、話が先に行きすぎだ」


 六人の声が重なり。


 部屋が騒がしくなる。


 その真ん中で。


 俺は。


 今日受け取った取引先登録書をもう一度見た。


『発注元』


『東都ダンジョン資源開発株式会社』


『受注先』


『ヘクサ・リンク株式会社』


 あと十八日。


 俺はまだ。


 東都ダンジョン資源開発株式会社の社員だ。


 それなのに。


 その勤務先はもう。


 俺が辞めた後も仕事を頼みたい相手として。


 俺たちの会社を登録していた。


 窓際社員として切り離された俺の仕事は。


 会社の外へ出た途端。


 仕事として買われるものになっていた。


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