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第34話 会社を辞めても、六機分の支払いは残っていた



 翌朝。


 俺は、いつもより少し早く会社へ着いた。


 第五資料室へ降りる前に、人事部へ向かう。


 鞄の中には。


 一枚の退職届。


 それだけなのに、妙に重く感じた。


「白石さん?」


 受付の社員に声をかけられる。


「人事課長にお話があって」


「少々お待ちください」


 待っている間。


 スマートフォンが一度だけ震えた。


『直人様。焦る必要はありません』


 セラ。


 続けて。


『マスター! 終わったら連絡してください!』


 ラヴィ。


『直人の心拍数、平常比一二八パーセント』


 シエル。


『深呼吸はしても構いませんが、過呼吸にはならないでくださいね』


 フィオナ。


『書類は昨日確認済みです。余計な条件が追加された場合は署名前に連絡してください』


 コレット。


 最後。


『なおと。いってらっしゃい』


 イリス。


「全員見てるみたいだな……」


 少し笑えた。


 五年前。


 入社した日は、一人だった。


 辞める日を決めた今は。


 スマートフォンの向こうに六人いる。


     ◇


「退職、か」


 人事課長は。


 俺が差し出した紙を見て、しばらく黙っていた。


「はい」


「先日の異動を断った時点で、少し予想はしていた」


「すみません」


「謝る必要はない」


 意外な言葉だった。


「退職希望日は?」


「就業規則に従って、一か月後を希望します」


「有給が残っているな」


「十八日あります」


「引き継ぎを考えても、すべて消化できるだろう」


「第五資料室の仕事、そんなに引き継ぎあります?」


 思わず聞くと。


 人事課長が困った顔をした。


「……そこは私から何とも言えん」


 ですよね。


「ただ」


 人事課長が退職届を机へ置く。


「一つ確認がある」


「はい」


「六機の魔道人形についてだ」


 やっぱり来た。


「売買契約の残額がある」


「はい」


 総額百八十万円。


 毎月三万円。


 五年間。


 まだ支払いは始まって数か月しか経っていない。


「退職すると給与天引きができなくなる」


「支払い自体は続けます」


「その点は問題ない。ただ、支払方法を変更する必要がある」


 人事課長が契約書を表示した。


「契約上、退職時に残額を一括請求する条項はない」


 少しだけ肩の力が抜けた。


「じゃあ、今まで通り月三万円?」


「会社と君の合意があれば可能だ」


 そこまで聞いたところで。


 俺はスマートフォンを取り出した。


「少し確認しても?」


「ああ」


 コレットへ送る。


『月三万円の振込継続でいいみたい』


 返事はすぐ来た。


『それでお願いします』


『一括返済しなくていい?』


『しません』


 速い。


『残額を一括で払う資金はありますが、事業準備金を減らす合理性がありません。金利も手数料も発生しない契約です』


 なるほど。


『ただし自動振込に変更してください。支払忘れは信用を失います』


『了解』


 俺は人事課長へ向き直った。


「月三万円の銀行振込でお願いします」


「分かった」


 変更書類が出される。


 今度は。


 ちゃんと最初から読む。


 支払総額。


 残額。


 毎月の振込日。


 所有権は既に俺へ移転済み。


 会社側に使用権や回収権はない。


 支払いが続く限り、契約はそのまま維持される。


「問題ありません」


 署名した。


 人事課長が書類を受け取る。


「白石君」


「はい」


「変わったな」


「そうですか?」


「ああ」


 苦笑する。


「以前なら、こちらが出した書類をほとんど読まずに署名していただろう」


 否定できなかった。


「最近、勉強したので」


「魔道人形に?」


「主に第五資源機に」


「そうか……」


 人事課長は、なぜか少し納得したようだった。


     ◇


 退職の話は。


 その日の午後には黒川部長にも伝わった。


「白石」


「はい」


 第五資料室へ降りてきた黒川部長は、以前より随分静かだった。


「本当に辞めるのか」


「はい」


「条件が不満なら、まだ調整できる」


「条件の問題じゃないです」


「古代技術事業準備室も?」


「面白い仕事だと思います」


「ならなぜだ」


 俺は少し考えた。


 昔のことを言うこともできた。


 魔力値一と決めつけられたこと。


 機械故障の責任を押しつけられたこと。


 地下へ送られたこと。


 壊れた六機を買わされたこと。


 でも。


 今さら、それを並べたいとは思わなかった。


「自分でやりたい仕事ができました」


「ダンジョンの施設修復か」


「はい」


「それで食っていけるのか?」


「少なくとも、三か月連続で今の給料を上回りました」


 黒川部長の眉が僅かに動いた。


「……そうか」


「生活費の予備もあります。継続契約もあります」


「準備していたんだな」


「コレットに止められてました」


「止められて?」


「数字が揃うまで辞めるなって」


 黒川部長が。


 初めて少し笑った。


「厳しいな、あの資源機は」


「かなり」


「だが、正しい」


 意外だった。


「白石」


「はい」


「魔導銀の取引はどうなる?」


 そこだった。


「俺が退職しても、契約は別です」


「継続できる?」


「こちらから切る理由はありません」


 黒川部長が息を吐く。


「……そうか」


 社員ではなくなる。


 でも。


 取引先にはなれる。


 会社と俺の関係が。


 完全に終わるわけではない。


 形が変わるだけだった。


「今までのことについて」


 黒川部長が言いかけ。


 一度止まる。


「会社の評価に、誤りがあったことは認める」


 俺は黙って聞いた。


「もっと早く調べるべきだった」


「はい」


「すまなかった」


 謝られるとは思っていなかった。


 だから。


 少し返事に困った。


「……俺も、もっと早く自分から調べればよかったと思ってます」


「魔力値一を?」


「何でも機械の数字が正しいと思ってましたから」


 黒川部長が頷く。


「退職日までは、普通に働いてくれ」


「もちろんです」


「あと」


「はい?」


「第五資料室の整理をしておけ」


「全部?」


「五年分あるだろ」


「最後に一番大きい仕事が来たな……」


 思わず呟くと。


「残業はするな」


「え?」


「時間内で終わらないなら、残った分はこちらでやる」


 少し前なら。


 絶対に聞けなかった言葉だった。


「分かりました」


     ◇


 帰宅すると。


 六人が玄関に並んでいた。


「ただいま」


「お帰りなさいませ、直人様」


 セラ。


「マスター! どうでした!?」


 ラヴィ。


「表情から推定。退職届受理確率九十八・九パーセント」


 シエル。


「まず座ってくださいね。今日は精神的に疲れているはずです」


 フィオナ。


「契約変更書類を見せてください」


 コレット。


「……おかえり」


 最後のイリスだけは。


 俺のところまで歩いてきて。


 そのまま腕へくっついた。


「受理されたよ」


 ラヴィが跳ねた。


「やりました!」


「まだ一か月勤務があります」


 セラが止める。


「お祝いは?」


「退職日です」


「一か月も待つんですか!?」


「待ってください」


 俺はコレットへ契約変更書類を見せる。


「残りは月三万円ずつ払うことになった」


「確認します」


 数秒。


「問題ありません」


「一括で払わなくてよかった?」


「むしろ払わない方がよいです」


「やっぱり」


 コレットが残額を表示する。


 まだ百万円以上。


 かなり残っている。


「会社を辞めても」


 俺は数字を見る。


「天引きだけは終わらないんだな」


「正確には」


 コレットが訂正する。


「来月から給料天引きではなく、自動振込です」


「そこ大事?」


「非常に」


「タイトル的には寂しいな」


「何の話ですか?」


「何でもない」


 俺は笑った。


 最初は。


 毎月三万円を奪われるように感じていた。


 今は。


 少し違う。


「残りも全部払うよ」


 六人を見る。


「ちゃんと」


 セラが目を細める。


「直人様」


「ん?」


「既にわたしたちの所有権は直人様へ移転しています」


「分かってる」


「ですので、支払いはわたしたちを買うためではありません」


「じゃあ何?」


 コレットが答えた。


「過去の契約を、最後まで終わらせるためです」


 そうかもしれない。


 会社から押し付けられて始まった契約。


 でも。


 終わらせるのは。


 今の俺だ。


「じゃあ」


 俺はスマートフォンで自動振込の設定を開いた。


「最後まで払おう」


「はい」


 六機分。


 毎月三万円。


 会社を辞めても。


 その支払いだけは、しばらく続く。


 けれど。


 もう。


 給料から勝手に引かれる金ではない。


 俺が自分で稼いだ金から。


 自分で選んで払う三万円になった。


 退職まで。


 あと一か月。


 そして。


 《ヘクサ・リンク》が。


 本当に俺たちの仕事になる日も。


 同じくらい近くまで来ていた。


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