第32話 魔力値一の窓際社員に、異動と昇給の話が来た
魔導銀の継続販売が始まって、二週間。
俺の生活は、妙な形で安定していた。
平日は会社。
週末はダンジョン。
定期納品は、もう午前中だけで終わる。
古代施設の調査は協会と日程を合わせて月二回。
魔導銀の加工も、一度に必要量だけ作る。
「今月分、四・二キログラム。予定生産量を達成しました」
コレットが加工設備の前で報告する。
「注文より少し多くない?」
「品質検査用と予備分です」
「十台あるのに、まだ二台しか動かさないんだな」
「二台で足りていますから」
コレットは当然のように答えた。
「必要のない設備まで稼働させれば、故障率と維持費が増えます」
「マスター!」
少し離れた場所でラヴィが手を挙げる。
「三台にすれば、わたしの仕事も増えます!」
「増やす理由になりません」
「では四台!」
「数字を増やしても駄目です」
その横で。
イリスが壁へもたれたまま目を閉じている。
「イリス」
「……起きてる」
「まだ何も聞いてない」
「先に答えた」
「それ寝てる人の言い訳だぞ」
「中枢監視中」
紫色の瞳が少しだけ開く。
「第二循環路、正常」
「本当に仕事してた」
「だから寝てない」
「目閉じてたけど」
「省電力」
何を言っても勝てない。
セラが加工設備から俺への魔力供給線を切る。
「直人様。本日の供給終了です」
「体内魔力は?」
「安定しています。六機完全同期後、危険域へ近づいた記録はありません」
フィオナも俺の腕へ触れる。
「体調も問題ありません。ただし、帰宅後は休んでくださいね」
「まだ昼だけど?」
「午前中ずっと活動しています」
「三時間くらいだぞ」
「三時間活動したので休みます」
「厳しいな」
「優しいのです」
本人は本気らしい。
そんな週末を過ごし。
月曜日。
会社へ行くと。
俺の机に、一通の社内通知が置かれていた。
『人事部面談』
嫌な予感がした。
◇
「白石君」
「はい」
人事部の会議室。
そこにいたのは。
人事課長。
黒川部長。
そして、技術本部の副本部長だった。
普段なら俺と話すことなどない人だ。
「単刀直入に言う」
副本部長が資料を開く。
「君に異動してもらいたい」
「異動?」
「古代遺物解析室を新設する」
画面に組織図が表示された。
『古代技術事業準備室』
技術本部直轄。
人員、十二名。
主任候補。
その欄に。
『白石直人』
と書かれていた。
「俺が主任ですか?」
「そうだ」
思わず聞き返した。
今の俺は。
第五資料室。
会社の地下。
仕事らしい仕事もほとんど与えられない窓際社員。
「魔力値一の俺が?」
副本部長が少し気まずそうに咳払いする。
「その件についても再評価を行う」
「再評価?」
「従来の魔力測定方式では、君の能力を正しく判定できていなかった可能性がある」
五年間。
それで評価されてきた。
魔力値一。
魔導機器を壊す社員。
現場に出せない。
使えない。
だから地下の資料室。
「給与も見直す」
新しい数字が表示される。
基本給。
役職手当。
専門技術手当。
合計すると。
今より月六万五千円ほど上がる。
「かなり上がりますね」
「それだけの価値があると判断した」
今なら。
その言葉を聞いても。
以前のように胸が苦しくはならなかった。
むしろ。
不思議なくらい冷静だった。
「業務内容を確認してもいいですか?」
「もちろんだ」
「古代遺物の解析は、誰が担当します?」
黒川部長が答える。
「君と、例の魔道人形だ」
「六機を業務で使う前提ですか?」
「ああ」
「使用契約は?」
一瞬。
沈黙。
「白石君」
人事課長が言う。
「主任になれば、それなりの裁量もある。自分の補助機を業務に活用するのは――」
「会社所有の機材ではありません」
「分かっている」
「では、別契約ですよね」
誰もすぐには答えなかった。
ここまで話を聞いて。
ようやく気づいた。
俺を評価した。
確かに。
でも。
会社が本当に欲しいのは。
俺だけではない。
六機。
ダンジョンへの接続権。
古代設備の解析能力。
俺たちが持っているもの全部だ。
「もう一つ」
俺は資料を見る。
「新設部署で発見した技術や資源の権利は?」
「勤務中の成果なら、原則として会社に帰属する」
副本部長が答える。
「既に白石君個人が保有している資産まで奪う話ではない」
「分かりました」
そこは一応、線を引くつもりらしい。
だから。
腹も立たなかった。
会社としては。
かなりまともな提案なのだと思う。
「返事はいつまでですか?」
「一週間以内で構わない」
「持ち帰って検討します」
昔の俺なら。
その場で受けていた。
六万五千円の昇給。
主任。
地下資料室から技術本部へ。
欲しかったものばかりだ。
「分かった」
副本部長が頷く。
「前向きに考えてほしい」
「はい」
俺は頭を下げた。
ただ。
返事をする相手が。
今の俺には六人いる。
◇
帰宅して事情を話すと。
最初に反応したのはラヴィだった。
「すごいじゃないですか、マスター!」
「ああ」
「主任です!」
「うん」
「主任って強いんですか?」
「戦闘力の話じゃない」
「では要りませんね!」
「判断が早いな」
セラは資料を読んでいる。
「直人様の社内評価が訂正されたこと自体は、良いことだと思います」
「そうだな」
「ですが、六機の業務利用について契約が不明確です」
「そこは俺も気になった」
シエルが数字を表示する。
「昇給後の予想手取りを算出」
数字が一つ。
続いて。
現在の副収入。
定期納品。
協会月額契約。
魔導銀。
業務委託。
それらが並ぶ。
「比較します」
「しなくても何となく分かるけど」
「昇給後の会社給与より、現在の副収入期待値が一・九倍」
「そんなに?」
「今月の魔導銀契約が予定どおり履行された場合」
会社側が提示してくれた昇給は。
少し前なら夢みたいな金額だった。
でも。
今は。
俺たち七人で作った収入の方が大きい。
「直人さん」
フィオナが優しく尋ねる。
「主任になりたいですか?」
「……どうだろう」
答えに詰まった。
昔なら。
なりたかった。
ちゃんと仕事をしたかった。
評価されたかった。
窓際から出たかった。
「今さらだから嫌、という話ではありませんよ」
フィオナが言う。
「直人さんが、今どうしたいかです」
「今か」
「はい」
俺は少し考えた。
「ダンジョンの施設を直したい」
口に出すと。
思ったより簡単だった。
「まだ一万件以上残ってるし」
「一万二千四百件以上」
シエルが訂正する。
「増やさなくていい」
「正確性です」
「それに」
俺は六人を見る。
「みんなとやってる方が、面白い」
ラヴィが一瞬で笑顔になる。
「マスター!」
「感情値上昇を確認」
「シエル、今は言ってもいいです!」
「ラヴィ、平常比百四十二パーセント」
「数字にすると恥ずかしいですね!?」
セラも。
小さく微笑んだ。
コレットだけは。
まだ資料を見ていた。
「白石さん」
「うん」
「感情面は理解しました」
「ここから数字?」
「はい」
やっぱり。
「この異動案を受けた場合」
新設部署。
勤務時間。
想定残業。
副業可能時間。
利益相反。
六機の貸与契約。
全部が表示される。
「最大の問題は、時間です」
「時間?」
「主任になれば、現在より本業拘束時間が増える可能性が高いです」
「ダンジョンに行けなくなる?」
「少なくとも減ります」
コレットが俺を見る。
「白石さんが会社で評価されるために」
一拍。
「白石さん自身の事業を止める必要がありますか?」
答えは。
もう分かっていた。
「ないな」
「わたしもそう思います」
コレットが資料を閉じた。
「ただし」
「まだ辞めない?」
「はい」
「やっぱり」
「残り十二日です」
空中へ。
一つの数字が出る。
『安定利益三か月判定まで――十二日』
「今辞めれば」
コレットが言う。
「会社への反発で辞めたように見えます」
「それは嫌だな」
「十二日後なら」
琥珀色の瞳が細くなる。
「数字を確認して」
「うん」
「生活資金を確認して」
「ああ」
「事業計画を確認して」
「うん」
「その上で」
コレットは笑った。
「白石さん自身が、会社を必要としないから辞められます」
イリスが。
俺の隣へ寄ってくる。
「なおと」
「何?」
「そっちがいい」
「ああ」
「ちゃんと選ぶ」
以前。
会社に残るために。
俺は六機を押し付けられた。
今。
その会社は。
俺を引き留めるために。
役職と昇給を差し出してきた。
それでも。
俺の答えは。
十二日後。
数字が揃ってから出す。
初めて俺は。
会社に評価されるかどうかではなく。
自分が会社を選ぶかどうかを。
考えていた。




