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第3話 壊していたのは、俺ではなかった



 翌朝。


 目を覚ますと、台所から規則正しい包丁の音が聞こえていた。


 狭い部屋には、俺以外に動ける者が一人しかいない。


「セラ?」


「おはようございます、直人様」


 台所を覗くと、セラが踏み台の上に立っていた。


 銀白色の長い髪を背中へ流し、真剣な顔でキャベツを刻んでいる。


 昨夜より身体の亀裂は減り、破れていた指揮官ジャケットもほとんど元へ戻っていた。


「朝食を準備しています」


「料理できるのか?」


「第一制御機は、契約者の生活全般を支援できます」


 答えながら、包丁が止まった。


 セラも止まった。


「……セラ?」


「問題ありません。切断位置を再計算しています」


「料理に使える演算能力、残ってる?」


「一・三パーセントです」


「昨日より減ってないか?」


「夜間に直人様の魔力生成量が増加しました」


 何もしていないのに、俺のせいらしい。


 包丁を持ったまま停止しているセラから、そっと柄を受け取った。


「続きは俺がやるよ」


「不要です。わたしは高性能――」


 言い終わる前に、セラが踏み台から傾いた。


 腰を支えると、銀白色の頭頂部に一本だけ立った髪が揺れる。


「今のは?」


「調理台周辺の安全確認です」


「そういうことにしておくか」


 朝食は俺が作り、セラには皿を並べてもらった。


 三枚目の皿を置いたところで動きが止まったので、結局それも俺が引き継いだ。


「会社を休むことはできませんか?」


 向かいに座ったセラが言う。


 彼女の前にも朝食を置いたが、食べる必要はないらしい。


「今休んだら、退職する口実を与えるだけだ」


「現在の勤務先は、直人様の能力を正しく評価していません」


「それでも給料は必要なんだよ」


 来月からは、その給料から三万円も引かれる。


 六機の維持にどれほど費用がかかるかも分からない。


「第二号機が目覚めるまで、あと十六日でしたよね」


「正確には、十五日と二十一時間です」


「それまでは今の生活を続けるしかない」


 セラは少しだけ不満そうに目を伏せた。


「直人様が会社へ行っている間も、遠隔で魔力圧を調整します。ただし、距離が離れるほど負荷が増えます」


「大丈夫なのか?」


「問題ありません」


 返事の直後、セラの額がテーブルへこつんと当たった。


「まったく大丈夫に見えないけど」


「着席姿勢の再調整です」


「無理はするなよ」


 セラが顔を上げる。


 サファイアブルーの瞳が、わずかに見開かれた。


「直人様は、ご自身の心配をしてください」


「俺は五年間、魔力値一で普通に生きてきた」


「それは、直人様の身体が異常な圧力へ耐えているだけです」


「さらっと怖いことを言うな」


 出勤前、セラは俺のスマートフォンへ指先を当てた。


 画面の隅に、小さな青い六角形が浮かぶ。


「簡易通信回路を接続しました。緊急時には、ここから呼びかけてください」


「スマホに魔法を入れて大丈夫なのか?」


「一般的な魔導機器とは構造が異なるため、最低限の通信であれば耐えられます」


「最低限?」


「長時間使用すると発熱します」


「普通に電話した方がよさそうだな」


「わたしは電話番号を持っていません」


 それもそうだった。


     ◇


 会社へ着いて最初に気づいたのは、身体が軽いことだった。


 いつも胸の奥にあった重苦しさが薄れている。


 セラが離れた場所から魔力を抑えているためだろう。


 その代わり、スマートフォンの青い六角形は、時折弱く明滅していた。


「白石、ちょうどいいところに来た」


 地下の資料室へ向かう途中、資材管理部の主任に呼び止められた。


「第二保管庫の魔石測定器がまた止まった。見てこい」


「修理担当へ連絡した方がいいのでは?」


「お前が触った後から動かなくなったやつだ。まず原因を確認してこい」


 半年前、在庫確認を手伝わされたときのことだ。


 俺が測定器へ触れた途端、警告音を鳴らして停止した。


 修理後も何度か同じ症状が起き、最終的に第二保管庫へ放置されていた。


「壊れた機器と無能社員。相性がいいだろ」


 主任は笑いながら、保管庫の鍵を投げてきた。


 断っても、別の面倒な仕事を押し付けられるだけだ。


 俺は鍵を受け取り、一人で第二保管庫へ向かった。


 室内には、旧式の魔石測定器が置かれている。


 電源を入れても画面は暗い。


 スマートフォンの青い六角形へ触れた。


「セラ、聞こえるか?」


『はい。聞こえています、直人様』


 小さな声とともに、本体がわずかに熱を持つ。


「前に俺が壊したと言われてる測定器がある」


『触れないでください』


「原因を調べろって言われてるんだ」


『では、背面の管理盤を開いてください。内部へ直接触れず、画面をこちらへ向けてください』


 言われたとおり、背面の蓋を開いた。


 配線の横に、小さな記録表示が残っている。


 スマートフォンのカメラを向けると、セラが数秒黙った。


『解析しました』


「何が原因だ?」


『故障していません』


「電源も入らないぞ」


『超過魔力検出による永久保護停止です』


 初めて聞く言葉だった。


「永久保護停止?」


『許容量を大幅に超える魔力が接触したため、内部の演算核を守る目的で回路を遮断しています』


「やっぱり俺が壊したってことじゃないか」


『違います』


 いつもより少し強い声が返ってきた。


『機器は正常に機能しました。直人様の魔力を危険と判定し、自ら停止したのです』


「でも、俺が触らなければ動いてた」


『雷が落ちて安全装置が作動した場合、雷が機械を操作できないとは評価しません』


「俺を雷と一緒にするなよ」


『比較対象としては、雷の方が安全です』


「そんなにか?」


『はい』


 迷いのない返事だった。


 保護停止を解除する方法を聞くと、セラは管理盤の奥にある三つの端子を示した。


『右側の端子を絶縁棒で五秒間押してください』


 保管庫にあった整備用の絶縁棒を使う。


 五秒後、内部から小さな起動音が響いた。


 暗かった画面に光が戻る。


『保護停止を解除しました。ただし、直人様が直接触れれば再び停止します』


「手袋を使えば?」


『一般的な絶縁手袋では防げません』


「じゃあ、どうやって操作すればいい?」


『わたしが遠隔で魔力を覆います。今から十秒間だけ、接触可能です』


 スマートフォンの六角形が強く光った。


『どうぞ』


 恐る恐る測定器の操作盤へ触れる。


 警告音は鳴らなかった。


 画面も消えない。


 五年間、何を触っても異常を起こしてきた俺の指で、初めて魔導機器が正常に動いている。


「本当に動いた……」


『当然です。直人様に欠陥はありません』


 セラの声が少し誇らしげに聞こえた。


『欠陥があるとすれば、直人様へ対応できない現代の機器です』


 測定器の履歴を確認すると、過去の停止記録が表示された。


 接触魔力、測定上限超過。


 保護機能、正常作動。


 再起動手順、管理者による解除が必要。


 俺が壊したという記録は、どこにもなかった。


「これ、最初から履歴を確認していれば分かったんじゃないか?」


『はい』


「修理担当は何をしてたんだ」


『直人様の魔力値が一であるという前提から、上限超過の表示を機器の誤作動と判断したのでしょう』


 俺が無能だから壊した。


 会社は最初からそう決めつけ、まともに調べようともしなかった。


 測定器の復旧記録を印刷し、保管庫を出る。


 主任へ報告書を渡すと、露骨に眉をひそめられた。


「動いたのか?」


「保護機能が作動していただけでした」


「そんなはずはない。お前が触ったんだぞ」


「接触時の魔力が測定上限を超えたと記録されています」


「魔力値一のお前が?」


 主任が鼻で笑う。


「故障した記録を読み間違えたんだろ。余計なことは書かなくていい。経年劣化で停止、再起動で復旧。それだけに直せ」


「でも、記録には――」


「誰が報告を求めたと思ってる?」


 主任は報告書を机へ放り投げた。


「上に面倒な説明をさせるな。お前の評価がさらに下がるぞ」


 俺はしばらく主任を見た。


 これまでも、同じことが何度あったのだろう。


 機器が異常を起こす。


 俺のせいにされる。


 詳しく調べる者はいない。


 俺自身も、魔力値一だから仕方がないと思い込んでいた。


 胸ポケットのスマートフォンが、弱く震えた。


 画面の隅にある青い六角形が光っている。


『直人様』


 セラの声が、俺にだけ聞こえる。


『記録を消す必要はありません』


「ああ」


 俺は机の上から報告書を取り戻した。


「正式な履歴どおりに提出します」


「白石、お前――」


「それで評価が下がるなら、好きにしてください」


 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


 魔力値一。


 何もできない窓際社員。


 その評価を、昨日までの俺は信じていた。


 けれど今は、違う。


 俺の部屋では、修復に三百年以上かかるはずだった少女が目を覚ましている。


 そして彼女は、俺に欠陥はないと言った。


 報告書を持って資料室へ戻る途中、スマートフォンが再び震えた。


『直人様。第二号機の修復速度が上昇しました』


「何かしたか?」


『直人様の精神状態が安定し、魔力供給効率が変化したようです』


「あと何日だ?」


 数秒の沈黙。


 離れた部屋で、セラが演算のために停止している姿が頭に浮かんだ。


『十二日です』


 一日も経たずに、三日以上縮まっている。


『このまま直人様がご自身の魔力を受け入れれば、さらに早まる可能性があります』


 俺が無能ではないと認めること。


 それが、眠っている五人を目覚めさせる最初の条件なのかもしれなかった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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