第13話 第四守護機は、咳を一度も見逃さない
正式調査まで、あと一日。
第四守護機の修復完了予測は、残り一日と九時間だった。
「九時間だけ間に合わないのか」
出勤前、蜂蜜色の識別線が入った輸送容器を確認する。
表示されている数字は、昨夜からほとんど変化していない。
「調査の開始時刻を遅らせてもらいますか?」
セラが尋ねた。
「協会の調査班も準備してるんだ。俺たちの都合だけで変えるのは難しいだろ」
「フィオナなしでも、浅い範囲の調査は可能です」
シエルが空中へ封鎖区画の地図を表示する。
「ただし、未知の攻撃、毒、呪い、環境異常へ対応できる確率は低下します」
「どれくらい?」
「情報不足のため、正確な算出は不可能です」
「シエルが分からないって言うと、余計に怖いな」
「不明であることを正確に報告しています」
シエルはいつもどおり無表情だった。
「マスター。今日、会社を休んでダンジョンへ行きませんか?」
ラヴィが手を挙げる。
「火球をたくさん撃てば、魔力供給が安定してフィオナの修復も早まるかもしれません!」
「平日に勝手にダンジョンへ行けない」
「では、会社の仕事を火球で早く終わらせましょう!」
「会社で魔法を撃ったら、先に俺の雇用が終わる」
「効率はいいと思うんですけど」
「何を燃やすつもりですか」
セラに聞かれ、ラヴィが黙った。
具体的に考えていたらしい。
「今日はなるべく早く帰る。フィオナが起きるまでは、明日の調査でも無理をしない」
「適切な判断です、直人様」
「直人の発言を記録。撤退判断の優先度を上方修正します」
シエルまで記録を始める。
「普通に覚えておくだけでいいぞ」
「記録した方が確実です」
玄関を出る直前、セラが俺のスマートフォンへ触れた。
青い六角形の横に、緑色の小さな点が浮かぶ。
「これは?」
「第四守護機の緊急保護機能へ接続しました」
「まだ起きてないんだろ?」
「人格核は停止中ですが、生命維持機能の一部は使用できます」
「直人様の体調に異常があれば、フィオナへ情報が送られます」
「少し疲れたくらいで起こさないようにしてくれよ」
俺が言うと、セラは数秒間黙った。
「努力します」
「断言できないのか」
「第四守護機の判断基準は、わたしよりも厳格です」
それは少し不安だった。
◇
会社へ着くと、第五資料室の前に資材管理部の主任が立っていた。
「白石。午前中は第三保管庫へ行け」
「今日は資料室の月次報告をまとめる予定ですが」
「後でやればいい。第三保管庫にある古い保存箱を、廃棄区分ごとに分けろ」
「安全確認は終わっていますか?」
以前なら聞かなかった質問だった。
主任が露骨に眉をひそめる。
「箱を運ぶだけだ。何の安全確認が必要なんだ」
「魔石や魔導部品が入っているなら、内容物の漏出確認が必要です」
「お前はいつから安全管理の専門家になった?」
「専門家ではありません。作業する前に確認したいだけです」
「面倒な奴になったな」
主任は舌打ちして、第三保管庫の鍵を押し付けてきた。
「昼までに終わらせろ」
第三保管庫は、本社地下の最も奥にある。
長期間使われておらず、扉の横には古い保存用魔導装置が設置されていた。
鍵を開ける前に、スマートフォンの青い六角形へ触れる。
「セラ。中を確認できるか?」
『扉越しでは、詳細な分析はできません』
「シエルなら?」
『直人。スマートフォンのカメラを、扉横の制御盤へ向けてください』
自宅にいるシエルの声が続く。
言われたとおり、古い制御盤を映す。
『保存魔力濃度、基準値の二・六倍』
「高いのか?」
『通常の保管庫としては異常です。内部で保存容器が破損している可能性、七十四・一パーセント』
『入室を推奨しません』
セラも即座に答えた。
「分かった。安全管理部へ連絡する」
俺が端末を操作しようとした瞬間、背後から声が飛んできた。
「何をやってる」
主任だった。
「内部の保存魔力濃度が高い可能性があります。先に安全管理部へ――」
「また機械の誤作動か?」
「まだ扉は開けていません」
「開けなければ仕事にならないだろ」
主任は俺から鍵を取り上げると、保管庫の扉へ差し込んだ。
「待ってください」
「古い箱を運ぶだけだ」
扉が開く。
白い霧のようなものが、足元から廊下へ流れ出した。
甘く金属臭い匂いがする。
『直人、後退してください』
シエルの声と同時に、スマートフォンが強く震えた。
主任が二度咳き込み、壁へ手をつく。
「何だ、これは……」
「扉から離れてください!」
俺は主任の腕をつかみ、保管庫から引き離した。
だが一度吸い込んだだけで、喉の奥が焼けるように痛む。
視界が少し揺れた。
『保存用魔石の粉塵です』
シエルが早口で分析する。
『短時間の吸入で生命への危険はありません。ただし、魔力経路へ一時的な障害を起こします』
「安全管理部へ……連絡を」
主任を壁際へ座らせ、社内端末の緊急通報を押す。
その間にも、胸の奥にある魔力が不規則に揺れていた。
『直人様、呼吸を浅くしてください』
セラの声が聞こえる。
『現在、体内魔力の経路調整を行っています』
「俺より主任を……」
『主任の生命反応は安定しています。直人様の方が危険です』
「俺は立ってるぞ」
『圧縮魔力が乱れています』
胸ポケットから緑色の光が漏れた。
スマートフォンに浮かんでいた小さな点が、急速に広がっていく。
『契約者の呼吸器異常を確認』
柔らかな女性の声が聞こえた。
セラでも、ラヴィでも、シエルでもない。
『第四守護機、生命維持機能を強制起動』
薄い緑色の膜が、俺の口元と胸を包んだ。
喉の痛みが和らぐ。
吸い込んだ粉塵が、淡い光の粒となって吐き出されていく。
『直人様。呼吸を続けてください』
「フィオナ……?」
『はい。まだ、起きられませんが』
声は穏やかだった。
『お身体は、こちらでお守りします』
数分後、安全管理部の社員たちが到着した。
保管庫の周囲は封鎖され、主任と俺は医務室へ運ばれた。
診断結果は、二人とも軽度の魔力粉塵吸入。
主任は午後まで安静。
俺は、体内から粉塵がほとんど除去されているため、異常なしと判断された。
「白石さんだけ、回復が異常に早いですね」
医務室の担当者が首を傾げる。
「魔導補助機が処置してくれました」
「登録された古代人形ですか?」
「まだ起動していない四号機です」
「起動していないのに?」
「俺にも、よく分かりません」
スマートフォンの緑色の光は、既に消えていた。
だが画面には、フィオナから一件の記録が届いている。
『本日の勤務継続を禁止します』
その下に、会社の医務室が発行したものより厳しい安静指示が並んでいた。
帰宅。
入浴禁止。
刺激物禁止。
八時間以上の睡眠。
翌日の外出は再検査後に判断。
「明日はダンジョンの調査なんだけどな」
独り言のつもりだった。
スマートフォンの緑色の点が、一度だけ光る。
『却下します』
「聞こえてるのか」
◇
安全管理部の指示により、その日は早退することになった。
第三保管庫は、保存用魔導容器の劣化による粉塵漏れ。
作業前の安全確認を行わず扉を開けた主任にも、正式な聞き取りが行われるらしい。
以前なら、俺が保管庫を開けて事故を起こしたことにされていたかもしれない。
今回は通信記録と緊急通報の時刻が残っている。
少なくとも、俺の責任にはできない。
帰宅して玄関を開けると、セラ、ラヴィ、シエルが並んでいた。
「直人様」
「マスター!」
「直人。症状を確認します」
「もう大丈夫だ」
三人が同時に近づいてくる。
セラが胸元へ手を当て、シエルが瞳に数値を浮かべる。
ラヴィは何をすればいいか分からなかったのか、俺の鞄を受け取った。
「危険な魔物がいたんですか?」
「古い保管庫の粉塵だ」
「火球で焼けば――」
「粉塵爆発の危険があります」
シエルが止める。
「では、爆発しないように焼きます!」
「会社で魔法は禁止だ」
靴を脱いで部屋へ上がる。
蜂蜜色の識別線が入った輸送容器から、緑色の光が漏れていた。
修復予測を確認する。
一日と九時間。
五時間。
一時間。
数字は今も減り続けている。
「生命維持機能を無理に動かしたことで、フィオナの人格核まで起動が進んでいます」
セラが説明する。
「無理をさせたのか?」
「直人様を守るという判断は、フィオナ自身が行いました」
残り十分。
輸送容器の中で、蜂蜜色の長い髪が淡い緑色の光に包まれている。
『第四守護機、人格核再起動』
『契約者の健康状態を最優先に設定』
蓋がゆっくりと開いた。
柔らかな金髪を上品にまとめた少女が、緑色の瞳を開く。
「第四守護機です」
穏やかな声だった。
フィオナは輸送容器から降りると、真っすぐ俺の前へ歩いてきた。
両手で俺の頬を包み、額をそっと近づける。
「軽い咳。呼吸器の炎症は、ほぼ治癒済み。ですが、精神的疲労と睡眠不足があります」
「明日の朝には治ると思う」
「いいえ」
フィオナは優しく微笑んだ。
「直人さんは、明日の調査をお休みします」
「いや、もう協会と約束が――」
「大丈夫ですよ」
笑顔は穏やかなままなのに、俺の身体がまったく動かなくなった。
「少し眠っていただくだけです」
第四守護機が目を覚ました最初の仕事は。
俺を強制的に寝かせることだった。
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