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09:// 大図書館と仔羊

「ちょっと思ったんだけど。」

「?」

「これ順番逆じゃない?」

 人は目標があれば努力できるというが、その努力は決して人生の成功を保証してくれるものではない。

 努力量だけなら唯の二倍、三倍と積み上げていた第一征服者が、過去の試験結果において唯に二倍、三倍と差をつけて勝った試しがないのを見れば一目瞭然だ。

 プリヴォルヴァでは、努力と友情を積み重ねた先に成功があるだの、神様から特別な力を貰えれば誰でも簡単に成功できるだのと言われているが、実際にはそんなことはない。

 少なくともリアルでは、努力、才能、そして運の全てがかみ合わないと成功できないのだ。

 例えば、才能のない分野でいくら努力をしたところで、当たり前ではあるが才能があって努力もした人間に勝てるはずがない。人間が努力できる時間は限られているからだ。逆に、いくら才能があったとしても、一切努力しなければそれが花開くことはない。そもそも才能があるかどうかはある程度努力してみなければ分からないのだ。

 さらに理不尽とさえ思えるのは、才能も努力も、結局のところは周囲の環境に影響される部分が多すぎるところだ。誰も認めてくれない世界に置かれるだけで、どんなに才能があったとしてもそれが評価されることはない。そもそも才能が見つかるかどうか、努力できるだけのリソースが与えられるかどうかというのもほとんどが環境、言い換えれば自分にとって有利な環境でゲームを始められるかにかかっている。


「……チッ。ひでえ世界だ。」

 唯は授業ノートの余ったページ、復讐計画を書いていないほうに書き留めながら、苦虫を嚙み潰したような顔で舌打ちをした。第一征服者の場合は才能不足だから自業自得と言えるが、唯の場合はそうではない。西日本人の妨害さえなければもっと成功できる人生を歩めたはずなのだ。考えれば考えるほど怒りがこみ上げてくる。

 しかし、一番気に入らないのは、西日本人に人生を台無しにされたことそのものよりも、この怒りをぶつける相手が目の前にいないからかもしれない。


          *


 夏のピークが過ぎてほんの少しだけ気温が下がると、今までぐったりと扇風機に当たるだけだった人間たちにも体を動かす余裕が生まれるもの。唯は問題集を解くために自分の右手に下敷きを挟まなくていい瞬間が増えたし、〈母親〉は唯の将来を心配してあれこれ指図することが増えた。

「そろそろいい加減に進路とか決めたらどうなの?」

「どうでもいいよ。西日本人に復讐できるとこがいい。」

「はぁ? そんなのあるわけないでしょ。もっと真面目に考えなさい。あと半年しかないのよ?」

 〈母親〉は怒りを通り越して軽蔑するような目を唯に向けた。あと半年と言ったところで、唯に行く場所なんてないのだから考えるまでもない。そもそも存在しない未来については思考するだけ無駄なのだ。

「じゃあ一個聞くけど、私これでも二年は学校行ってたんだよ。」

「だったら何。」

 聞く耳を持っていないのが一発で分かる質問の仕方。言っても無駄だとは思うが、説教されるだけなのは気に入らないので最後まで言ってもいいだろう。

「いい? それで三年目になった途端にこれなんだよ。どうせ別の学校行ったところで三年目に学校追い出されて卒業できないんだよ。卒業できないなら行く意味ないじゃん。友だちも作れないんだし。」

「そんなの分かんないでしょ。」

「分かんない? ああそうだね、未来なんて誰にだって分かんないさ! でもこの村にいる限りどこにも居場所がないってのは分かるね!」


          *


 思えば、唯の人生において、昔からその中心にあったものは月の彼方よりも「敵」だった。白亜の檻に囲まれたこの場所に唯の味方など存在しなかったのだから仕方ないとも言える。

「なんで自分で自分の人生壊そうとするの? それじゃあいつらの思うつぼじゃない!」

 〈母親〉が悲痛そうな声を作って叫んだ。もう何度繰り返したかも分からない話し合いは、もはや議論にすらなっていない言い争いになっていたが、だからこそいつまでも決着がつかなかった。お互いの心を削り合って先に折れた方が負けという、そういうゲームに変わっていた。

「だったら最初っから学校行かせてくれればよかったじゃん。謹慎だか何だか知らないけど、そんなの無視して私に行かせてくれりゃよかったじゃん。何を今さら。」

「あのときはあんたが殺す殺す言ってたからでしょ! 誰がそんな人殺しを学校行かせるわけ?」

「じゃあやっぱり大人しく人生ゲームオーバーのまま泣き寝入りすればいいっての? 嫌だよそんなの!」

 復讐するのが生きる意味になった唯と、復讐なんて無意味だと言い張る〈母親〉。二人は平行線のまま、分かり合うことはない。もちろんどちらかが折れれば分かり合えるのだが、お互いに負けず嫌いなので、相手を言い負かすまで戦いが終わることもない。

「いいから黙って言うこと聞いてればいいの! ちょっと我慢するだけで来年から普通に生きられるのに、なんでそんなくだらないことで人生棒に振ろうとするわけ?」

「ああ分かったよ! そんなに気に入らないなら私を捨てて新しいの拾ってくりゃいじゃん! もっと従順で可愛い人形を!」

「一人じゃ何もできないくせによくそんなこと言えるわね! どうやって生きていくつもりなの?」

「復讐できないなら生きてたってしょうがない!」


          *


 苛立ちを抑えきれないときはソムニアの空気を吸うのが一番だ。もちろん巫女みこ天使さまから借りたマンガを読み耽るのでもいいが、怒りのはけ口にするならどうでもいい人間がたくさんうろついているソムニアに若干の分がある。

 日々何かしらの説教を聞かされる唯はプリヴォルヴァの街並みを歩き回り、その怒りをぶつける先を探していた。

「……ったく、別にどんな生き方したって私の勝手だろが。」

 唯が下を向きながらぶつぶつと呟いていると、正義を掲げて街や人を燃やしたり、爆破したりするいつもの集団にぶつかった。

 見ているだけでイライラする。

 普段ならスルーしてもよかったが、今の唯はどうしようもなくイライラしていて、冷静にスルーできるような状態ではなかった。

「……チッ。何が搾取だよ。それはお前らだろ。個人的に気に入らないからって人の作ったものぶち壊して何が正義だこの寄生虫ども。ああそうだ。お前みたいに無意識で人を殺してる連中が一番質が悪い!」

 唯は目の前にいる敵に殺意のこもった蹴りを入れた。こういう人間はリアルのほうで第一征服者の真似事をしているに決まっている。唯はそれだけでは飽き足らず、取り出した狙撃銃の銃床で殴りつけた。しばらくの間散何度も殴りつけてようやく気分が晴れてくると、唯はようやくその場を立ち去った。


          *


 唯と〈母親〉は毎日のように怒鳴り合っていたが、その様子をよく観察してみると、ただ感情に任せて罵倒し合っているだけではなく、ある程度は暗黙の了解がいくつかあるようでもあった。

 例えば、〈母親〉は唯の分の食事を作らないことで餓死させる戦い方もできるはずだが、そういう行為をしたことはない。冷静に考えると非合理的だ。

 逆に、唯のほうも「片付けをしろ」「風呂に入れ」といった日常生活に関する命令に対してまでは反発せず、案外素直に服従していた。本当に反発したいのならどんな命令でも突っぱねていてもおかしくない。

 要するに、二人ともごく限られた話題でのみ冷静さを欠いて言い争い、それ以外の部分では今まで通りの家族のままなのだ。もっとも、その「今まで通り」自体が他の家族と比べて仲がよかったと断言できるものではなかったのだが。


          *


 初めのうちは、現実世界、厳密には月の彼方にある自分たちの家こそが唯一の故郷だと思っていた。しかし、ほんの数週間プリヴォルヴァで過ごしているうち、唯の中にはソムニアを第二の故郷と呼べるほどの愛着、一種の愛国心のようなものが芽生えていた。

 ソムニアの裏半球、想像と混沌の国であるプリヴォルヴァは現実世界のどこよりも自由で、同時に争いが絶えなかった。

 唯はプリヴォルヴァに戻ってくると、さっそくストレスのはけ口を探し出す。まずはアニメ。眺めるだけで怒りが鎮まるならそれに越したことはない。アニメだけでは満足できないときは、ゲームにも手を出してみる。ドット絵の数字が増減していくだけのコンシューマーと違い、ソムニアでなら本当に自分が主人公になれる。ここにいる敵を第一征服者やブルドッグ、説教モードの〈母親〉だと思い込んでから痛い目に遭わせたときは最高に気分がいい。復讐を果たしたかのような気分になれる。

 しかし、現実に戻ってくると気分も元に戻ってしまうようで、せっかく解消したはずの怒りが自己嫌悪と一緒になって再び湧き上がってくる。根本的な原因は何一つ解消されていないのだから当然だ。

「あ~イライラする……」

「それこっちの台詞なんだけど。いつまで引きずる気? まさか一生こんなこと言って生きてくわけ?」

 戻ってきて早々、〈母親〉がかぎ針を折りそうな声で話しかけてきた。

 いったい何を言っているのだろうか。過去の結果が現在で、現在の結果が未来になるのだから、そもそも復讐に限らず人は過去に囚われているし、それを引きずって生きていると言って差し支えないだろう。仮に過去を克服して真逆の生き方をしたとしても、それは過去への反発なのだから、過去に囚われているのと同じではないか。


          *


 唯の不満は落ち着き始めた気温を補うように熱く燃え上がり、そんな怒りの火の隣に座っている〈母親〉にも延焼していった。もっとも、この言い争いは唯が復讐を誓った七月からずっと続いていたもので、あまりの暑さにお互い夏バテしていた期間だけ休戦していた、と言ったほうが正確かもしれない。

 流石に一ヶ月も同じ話題で話を続けていればネタ切れになるのは当然で、いつしか二人は壊れたスピーカーのように同じ話を繰り返すだけになっていた。

「……何回言ったら分かるわけ? 勉強していい大学に入るとか、もっと自分が幸せになる方が復讐になるでしょって言ってんの!」

「そっくりそのまま返してやるよ! 私が! 自分の手で! あいつらの人生をぶち壊さなきゃ意味ないだろって言ってんの! 私は人生壊されてんだよ! 私だけ幸せになってはいおしまいだったら追放され損じゃん!」

「それであんたが不幸になってたらそれこそ本末転倒だってなんで分かんないの!」

「私はこれ以上不幸になれないくらい今まさに不幸だよ!」

 口論は終わることなく、喉が枯れるまで続く。泥棒猫たちは部屋に充満する憎しみに怯えて、縁側の隅に仲良く縮こまっていた。少し前までは泥棒猫の鳴き声が部屋を埋めていたというのに、今では仲の悪い家族が怒鳴り合う声しか聞こえてこない。


          *


 人間が本気で怒り狂っていられる時間はそう長くない。いくら根に持つ性格の唯とはいえ、感じた痛みや屈辱は少しずつ記憶から薄れていくものだ。

 本来はそうして記憶から薄れていくことで許せるようになるはずなのだが、唯は自らの人生の中心に「敵」を位置づけた人間であり、何でもいいから敵がいないと自分を存在を維持できないという、なんとも因果な性分でもあった。唯は自分という存在を維持するために、無意識のうちに敵対者を求めていたのだろう。

 よく考えてみれば、唯は居場所を失うことは特に嫌がるが、それ以外のことに関して本気で怒り狂ったことはない。ただ嫌悪感を抱き、その性格故に完全に忘れるまでの間いつまでもネチネチと話題に出すだけだ。

 もっと言えば、ほとんどの人間は自分が世界の中心であることを望みながら、何かの中心を回っているだけの存在でありたいとも願っている。

 世界の中心であれば大きな優越感を得られるが、その代償は決して軽くなく、世界のあらゆることが自分の責任になってしまう。人間はそんな重みに耐えられるように作られてはいないのだ。逆に言えば、自分の中心を誰か他人に押し付けてしまえば、少なくとも自分だけは十字架を背負わずに生きていける。

 そういう意味では、世界の中心を自分の周りにいる「敵」に求め続けた唯は、異常なように見えて誰よりも普通の性格だったのかもしれない。


          *


 永遠に続くかのように思えた暑さも少しずつ穏やかになって、夏休みが終わりを迎えようとしていた。とはいえ、今年に夏休みがあったと言う者はいないだろう。

 ほとんどの生徒は夏休み返上で学校に通わされて自由に遊ぶ時間はほとんどなく、幸運にも自由時間を奪われずに済んだ生徒は学校に通う資格そのものを永久的に失っていた。どちらがいいかなんて言うまでもない。第一征服者をはじめとする普通の生徒には二学期が待っているが、唯には来ないのだ。


 唯は朝一番から、巫女みこ天使さまに借りた約ネバを読んでいた。もう内容は頭に入っているから、半分は時間を潰すために惰性でページをめくっているだけ。そういえば今日は週末。ちょうど夏休みも終わるし、巫女みこ天使さまが二学期に入る前に約ネバを更新してもいいかもしれない。

「巫女みこ天使さまのおうち行ってきていい?」

「は? 今から? 今日の勉強は?」

 〈母親〉はニット帽を編みながら、唯のほうを見ることもなく冷たく言い放った。唯の存在には編み図ほどの価値もないと暗に言っているつもりだろうか。泥棒猫はたとえ懐いていなくても可愛がられるのに唯は期待に応え続けないと価値がなくなるなんて、不公平もいいところだ。

「……まあ、帰ってきてちゃんとやるならいいけど。」

「はいはい分かったって。いちいちうっさいなぁ。」

 付け加えた部分のせいで、〈母親〉の眉間に描かれた線が深くなった。居心地の悪くなった家と距離を置いてほとぼりが冷めるのを待つという意味でも、早く出かけたほうがいいだろう。唯は〈母親〉の管理下にあるクローゼットから着替えを取り出して支度を始めた。


          *


 巫女みこ天使さまの家を訪ねるのも慣れたもので、いつしか唯の中からは遠慮がなくなっていた。巫女みこ天使さまならいつ訪問しても歓迎してくれるに違いないという根拠のない確信がそうさせたのかもしれない。

 インターホンを手頃な回数だけ連打すると、ぱたぱたと軽やかな足音が響いて巫女みこ天使さまが玄関から顔を覗かせた。

「あ、やっぱり。」

「おはよー巫女みこ天使さまー。もう夏休みも終わるし、そろそろこれ返さなきゃって。」

 玄関から一歩外に出た巫女みこ天使さまに借りた約ネバを渡す。マンガたちは手提げ袋から取り出されると、丁寧な動作で玄関の棚の上に置かれた。

「今回のはテイスト違って面白かった~!」

「でしょでしょ? まだ続きあるから楽しみにしてて!」

 まるで自分のことのように嬉しそうだ。唯も学校追放以降はそこそこ多くのアニメを見てきたが、ここまで誰かに強く薦められるほど好きになったものは未だない。

「やっぱりこういう物語を書ける人ってすごいよね。まさに神って感じ!」

「うんうん。私だったら嫌いなものあったらストレートに言っちゃうと思う。」

 二人は玄関先で長々と雑談をした。巫女みこ天使さまは他にもおすすめのマンガやアニメの話を、唯は自分が見ている世界像を。そして、太陽がちょうど真上に昇った頃。

「あ、そうそう。」

「ん?」

「二学期から学校来たら? みんな待ってるよ?」

「……待ってない。」

 あまりにも無知な誘いに、唯はぷっつんとキレそうになった。ここがソムニアだったら巫女みこ天使さまを叩きのめしていたかもしれない。巫女みこ天使さまは唯が登校することを望んでいるのかもしれないが、それ以外の全員、唯の〈母親〉でさえもが望んでいないのだ。それに二ヶ月近くも行ってないような場所に、今さら我が物顔で戻れるわけがない。

「ごめん。巫女みこ天使さまのお願いでもそれはちょっと……」

「……そっか。まあ私は待ってるから。気が向いたらおいで。」

「じゃあ私そろそろ帰るね。巫女みこ天使さまもお昼ごはん食べるでしょ?」

「……うん。続き取ってくるからちょっと待って。」

 巫女みこ天使さまは少し寂しそうな表情をして家の中に戻ると、数冊を抱えて戻ってきた。唯は感謝の言葉を唱えながら手提げバッグに詰め込み、インターホンを押したときよりも少しだけ影が差した表情で帰路についた。


          *


 家に帰ってすぐ、唯は今借りてきた約ネバの続きを取り出した。一番上のものから読み進めていく。

「……んにゃ?」

 数ページを読んで、違和感に気付く。さっき返してきた部分と微妙に話が繋がっていない。適当に描かれたものならいざ知らず、巫女みこ天使さまの絶賛ぶりから察するに、最後までよく作られたストーリーなのだろう。

 唯は一旦本を閉じて、背表紙に振られている数字を確かめた。今回借りてきたブロックはきちんと順番に並べられていて、巫女みこ天使さまの几帳面な性格が表れている。前回借りた分が何巻までだったかは覚えていないが、何巻か借りそびれているのかもしれない。

(今からもう一回行くのめんどくさいなぁ……)

「唯、読む前にお昼の準備しなさい。」

 もう一度屋敷まで借りに行くか悩んでいると、〈母親〉がパスタの盛られた皿を持ってリビングに入ってきた。自分の本なら食べながら読んでもいいが、借り物はもっと丁重にに扱うべきだ。万が一バジルが跳ねたりしたら〈母親〉に何をされるか分からない。唯はさっとマンガをしまって部屋の隅へ追いやった。

(今日はいいや。明日学校行って聞いてみよ……)


          *


 唯は〈母親〉が洗い物をして玄関から遠い位置にいる間にそっと家を抜け出した。重たい音が響いたが、洗剤まみれの手は追いかけてはこなかった。なるべく目立たないように気をつけながら、もう二度と通らないと決めたはずの通学路を早足で進んでいく。

 十五分もしないうちに学校に着くと、靴下のまま二階に上がって一組のドアを開けた。ホームルームの最中だったが、唯にはもう関係のないこと。むしろ、ブルドッグが星組から出てくる前に用事を済ませられる分好都合だ。

「やっと登校してくる気になったんですね。ですが、次はきちんと制服で来てください。」

 梅干しが教壇から話しかけてきた。まるで唯が勝手に不登校になったかのような物言いだ。巫女みこ天使さまの言葉などから総則すると、おそらく一組では唯が突然勝手に不登校になったということにされたのだろう。確かに、事件そのものをなかったことにしたほうが余計な詮索をされない分安全といえる。

 この場で真実を暴露してやりたい衝動に駆られたが、唯は僅かに生き残っていた理性を総動員して踏みとどまると、まっすぐ巫女みこ天使さまの席に向かった。

(……あれ? いない?)

 巫女みこ天使さまの席があった位置に他の生徒が座っていた。まさか、巫女みこ天使さますらも唯を陥れようとしているのか。唯は一瞬戸惑ったが、すぐに平静を取り戻して周囲を見回した。窓側の席に、嬉しさと困惑の混ざったような顔が座っている。

「あ、おはよー巫女みこ天使さまー! いきなりでごめんけど、昨日借りた分何巻か飛んでるっぽくてさ……」

 唯は巫女みこ天使さまの席に駆け寄るとパーソナライズされた笑顔で話しかけた。

「おはよう。ほんとにいきなりだね。」

 巫女みこ天使さまは流石に少し呆れたような表情になった。梅干しが今日の連絡事項を話す中、唯は立ったまま事情を話す。

「明日持ってくるから、ここに取りに来て。」

「え、ここ? ん~……うん。いいよ。じゃあまた明日ね! ばいばーい。」

 巫女みこ天使さまは短い話を聞き終えるとそう約束し、唯はハイテンションなまま教室を出ていった。

 そして、さらに次の日。前日と同じ手口で家を抜け出すと、ほとんど同じ時間に教室に侵入した。なんの警戒もしていないとはなんて怠慢な警備体制だ。これなら第一征服者への報復なんて簡単にできたではないか。

「おはよー巫女みこ天使さまー! どうだった?」

「おはよう。確かに一冊忘れてたみたい。ごめんね。」

 今日の唯は迷うことなく巫女みこ天使さまの前まで一直線に移動する。巫女みこ天使さまは学生カバンから一冊の単行本を取り出すと唯に渡した。流石に明らかにマンガな見た目をしているものを学校には持ってこれないのか、おしゃれなブックカバーがつけられている。

「サンキュー。それじゃまたどっかの週末ね!」


          *


「唯は今でも学校行きたい?」

 いつもは唯のほうから話題を投げかけるのがお約束の、夕食前の料理中。珍しいことに、〈母親〉のほうから話題が渡された。

「は?」

 予想外の展開に、唯は一瞬面食らった。本来ならすぐにでも答えが出るはずだったが、実際に正面から訊かれてみると、ほんの少しだけ思案する過程が挟まった。

 学校を追放されたのは許せない。あそこは決して楽しいところではなかったが、それでもこの村にある数少ない居場所だったことには違いない。

 ただ、それは本当に唯の居場所になっていたのだろうか。試験のたびに第一征服者と口論になり、唯が悪かったという形で終わらせられるのは本当に居場所だったのか。別に学校である必要はなくて、たまたま一番身近にあったものがそれだっただけなのかもしれない。

「ふん。私がなんて答えても関係ないくせに。どうせもう決めてるんでしょ。」

 結局、唯は結論を出しはしなかった。

「まあ、人は変われるからね。」

「いや私たちは何も変わってないでしょ。」

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