07:// 鬱ゲーみたいな村に住んでる追放系主人公はどうすりゃいいですか?
「夏と冬ならどっちが好き?」
「冬かなぁ?」
「冬だね。」
「冬ですね~。」
「冬だな。」
「冬でしょ!」
「冬以外ある?」
背中を向いて画面の反対側を見ると、畳の真ん中に敷かれた鉄板の上で泥棒猫がぐったりと寝そべっている。あまりの暑さに熱中症にでもなったのか、片割れを追い回したり〈母親〉に媚びて餌をねだり続ける気力も湧かないらしい。毎年同じ姿を見ているとはいえ、いつもの騒々しさがないと流石に少し心配したくもなる。
とはいえ、その暑さは唯自身にも等しく降り注いでいて、何も猫だけがバテているというわけでもない。この家にある冷房設備といえば扇風機が一台だけで、その首が左右に振られるたび、唯と〈母親〉が交互にぐったりと萎れる。
「ぁっぃ……」
「うるさい。喋るから暑いんでしょ。」
〈母親〉も唯に小言を言うほど気力が残っていない。蝉の声がやかましいのでイヤーマフでもつけたいところだが、これ以上何か身に着ける気にはならない。
「なんでこんな暑いんだよ……地球温暖化は嘘だったんじゃないのかよ……」
半年前の地球は寒冷化していたはずなのに、夏になった途端に手のひら返して温暖化するなんて理不尽にもほどがある。逆なら住みやすくなるからよかったのに。
唯は床の周りに散らばったものの中からアストラル接続用のデバイスを掴み取ると、
「……また? そもそもそれ私のなんだけど。いい加減にしなさい。」
当然、〈母親〉に遮られた。この前の試験成績が少なくとも低くはなかったが故に、その優秀な部分だけでも維持したいということだろうか。成績なんて学校内でしか使い道のない評価だというのに、よく分からない拘りだ。
「……暑くて勉強なんてやってられるかっての。ほら、じゃあ扇風機使ってていいから。」
唯はデバイスに繋がれると、〈母親〉の苛立ちが爆発するまでの束の間の休息に旅立った。どうせすぐに呼び戻されるが、その時はほとぼりが冷めるまでゲームをすればいい。なんて有意義な時間の使い方だろうか。
*
光を通さない漆黒の服。目深に被ったフードには小さくはねた角が二つ付いていて、背中側では悪魔の尻尾が揺れている。アクセントにピンク色の桔梗をあしらっているその姿は、現実の道端にいたら奇妙に見られたかもしれないが、ソムニアではむしろ地味で目立たない格好だった。
「今日は何しよっかな……」
プリヴォルヴァの地表をあてもなく彷徨う。ソムニアという場所の特性もあって、唯は驚くべき早さでソムニアの空気に順応した。本来唯は自身に敵対的ではない環境に対する適応能力は普通かそれ以上であり、特にこれといった自我もないので、周囲の環境に溶け込むのは得意なほうだ。
唯は巫女みこ天使さまから勧められたアニメ版を一通り見て、ついでにこの近くで人気を博しているものにも手を出しはじめた。中には友人Kが去年話していたものもあり、また一つ普通の人間に近づけた実感があった。
しかし、同じジャンルばかり見ていると流石に見慣れてきてしまう。同じアニメを何度も見ること自体はできるが、初見のときよりも集中していない自覚があった。あまりよくない傾向だ。ここは一旦少し別の場所を見て、忘れた頃にまた戻ってくるのでもいいかもしれない。
「……なんか他に面白いのないかな……」
唯は再びプリヴォルヴァを彷徨い始めた。今は何が見たいだろうか。平和な日常を見て「人間」になれた気分を体験するのもいい。だが今の唯が求めているのは平和ではなかった。
復讐だ。
合理性の欠片もなく、虚偽の被害報告で同情を誘い、自分の欲望のために他者を操って人を貶めた第一征服者に対する復讐。そして、本来公平であるべき立場にもかかわらず、そんな第一征服者の言葉を盲目的に信仰して、ろくに話も聞かずに唯から日常生活の機会を剥奪したブルドッグら教師への復讐だ。
*
プリヴォルヴァを彷徨う中で唯はふと目を止めた。そこはマンガではなくライトノベルを原作にしたアニメのコーナーで、異世界、転移、転生、ハーレムといった言葉の中に混じって、「追放」というまさに今の唯にぴったりなものが聞こえてきた。無意識にその単語が聞こえたほうへと足が動く。
「……まあ試しに見てみるか……」
一番手前にあったものに意識を向ける。タイトルが長くて読む気にもならないが、「追放」と書いてあるのだけは読み取れた。きっと唯とよく似た境遇の人間が出てくるのだろう。何か復讐の参考になるかもしれない。
それからというもの、唯は巫女みこ天使さまから紹介された区画に行くことはなくなり、代わりに追放系主人公のいる世界に入り浸るようになった。
この世界ではたとえ追放されてもすぐに誰かが助けてくれて、追放した無能な人間は失脚して、最後には主人公が必ず勝利する。もしそうなればどんなにいいことか。もちろんそれはフィクションに過ぎないのかもしれないが、唯の周りにいる人を思い浮かべてみれば、案外多くの共通点がある。
例えば、唯は当然、主人公。才能ある者が追放されるという構図といい、完全に一致しているといえる。
敵になるのは第一征服者と学校関係者、そして全ての西日本人が相応しい。無能なくせに傲慢で、私利私欲に塗れていて、自分のことしか考えていないのはまさに第一征服者そのものだ。
ヒロイン役は当てはまる人間がいないので悩ましいが、巫女みこ天使さまを割り当てておけばいい。
東日本を現代世界、西日本を異世界とすれば、唯は異世界転生者ということになる。異世界の文明が現代よりも遅れているのはまさに、西日本の文明の遅れであり、東日本の優越性を示しているに違いない。
「なるほど……そういうことか……」
これまでブルドッグに悪の化身と呼ばれ続けた唯は自分のことを魔王のような存在だと思っていたが、どうやら一般的な見方だと違うようだ。危うく西日本人の卑劣なプロパガンダに騙されるところだった。
*
自分が主人公なのだという優越感をリアルに持ち帰ると、どうしようもない熱気に襲われた。果たしてこれは夏の暑さなのか、それとも唯の復讐心なのか。
固定された扇風機を叩いてボタンを押すとゆっくりと扇風機の首が回り、オーバーヒート寸前の唯を冷やしていく。
「あ~ぁ~生き返る~」
「ちょっと、壊れるでしょ!」
唯が両手で扇風機を固定していると、〈母親〉の叱責が飛んできた。机の上には毛糸玉とゲーム機が折り重なって寝転がっている。こんな暑い日によく毛糸なんてものを触っていられるものだ。
「はい。一旦返す。」
「ちゃんと充電器挿しときなさい。」
泥棒猫の運動で傷だらけになった畳の上を這って進み、指示された通りにコンセントに挿す。そのまま逆再生のように元の座布団の上に戻ると、ばたりと背中側に倒れ込んだ。
〈母親〉はいつものようにネットショップで何かを買うと、扇風機を持ち上げてキッチンへの襖を開けた。どうやらもう食事の時間らしい。
「――それでさあ、最近見てるアニメで私にそっくりの主人公がいてさ。」
「ふうん。ていうか風来なくて邪魔なんだけど。」
コードが届くのは毛糸倉庫とキッチンのちょうど間までで、〈母親〉の立っているコンロ前まではあまり風が届かない。その上扇風機の前を唯が占領しているから、ほとんど風は届いていない。しかし、唯もここにいなければ暑さで倒れてしまうのだから譲れない。リビングに戻って泥棒猫の鉄板に貼りついてもいいが、すぐにぬるくなってしまうだろう。
「で、やっぱあいつら絶対許せないって思ってさ。やっぱ学校行って復讐しないと――」
「そんなこと言ってるのに行かせるわけないでしょ! バカじゃないの?」
油の跳ねる音に混じって急に怒鳴り声が聞こえ、唯は一瞬縮こまった。不登校の子供に学校に行くよう強要するならまだ理解できるが、なぜ登校の意志がある子供が学校に行くのを禁止するのか。
「じゃあ学校に爆弾仕掛けるとか。毒ガスとか。」
「は? 何それ本気で言ってんの? 私犯罪者の親になんてなりたくないんだけど。」
「さあね。どうだか。でもあいつらが生きるに値しない命なのは確かじゃん。私みたいな冤罪を防ぐために誰かがやらないと――」
「あんたが将来そんなことするんなら今ここで殺してやるわ! 死ね!」
〈母親〉はシンク下から包丁を取り出して唯のほうに振りかぶった。犯罪者の親にはなりたくないが自分がなる分には構わないということか。
「じゃあ西日本人にやられっぱなしでいいってこと? 悔しくないわけ?」
「ああもう、うるさいったらうるさい! なんであんたはいっつもそうなわけ? 仲良くしようとか考えないの?」
「ない! あいつらは全員敵だ!」
「だったらあんたが死ねばいいでしょ!」
まだ温まりきっていない味噌汁が投げつけられた。理不尽だ。許せない。なぜ天才の唯がこんな目に遭わなければならないのか。どれもこれも第一征服者のせい、西日本人のせいだ。なぜ東日本人というだけでここまで嫌われないといけないのか。
*
アストラルがリアルよりも充実しているのは間違いないが、唯がソムニアに潜れるのは〈母親〉から許可を得られたときだけ。具体的には〈母親〉の機嫌がいいか、もしくはたまたま端末が使われていない時だけだ。〈母親〉は基本的に一日中ソムニアと繋がっているので後者はごく僅かにすぎず、前者はいつ訪れるか分からない。
リアル側でも娯楽の幅を増やしておく必要がある――そう考えた唯は約ネバの続きを借りに、巫女みこ天使さまの家に向かうことにした。
巫女みこ天使さまの家はいつ見ても庶民がむやみに立ち入ってはいけないというオーラを放っていて、たとえ来てもいいと言われていても、一切遠慮なく訪ねられるような場所ではなかった。何も買うつもりがないのに店に行くのは気が引けるし、直接家に行ったとしても、インターホンを押して話の通じない人間が出てくるのは困る。
さて、いったいどうしたものか。
「お。唯くん何してるの? もしかして続き?」
唯が巫女みこ天使さま家の店と自宅の間の正面通路を右往左往していると、巫女みこ天使さま本人が話しかけてきた。普段から巫女服を着ているイメージがあるし、この前もバレーボールの軌道をあり得ない方向にねじ曲げたりと、何か呪術のような力を持っているのかもしれない。
「まあそんなとこ。家でゴロゴロするのも暇でさ~! アニメばっかりも飽きるし、ちょっとマンガでも貸してくれないかなーって。」
「いいよいいよ! 今持ってくるからちょっと待ってて!」
巫女みこ天使さまは玄関の内側に戻ると、ぱたぱたと足音を響かせて自室へ戻り、数冊の単行本を持って玄関に戻ってきた。
「はい! ここから新しいパートだから!」
「ありがとー! あ、そうそう、この前学校で言ってたアニメ版も見てきたよ~。」
「え、ほんと? どうだった?」
それからしばらく、唯と巫女みこ天使さまは漫画原作のアニメについて玄関先で話し合った。唯の理屈では巫女みこ天使さまも生粋の西日本人であり、仲良く談笑するなんて許されることではないはずだが、唯は都合よく気付かないふりをしていた。
「……あ。そろそろお昼だけど。唯くん、ごはん大丈夫?」
「んー、確かにそろそろ帰った方がいいかも。それじゃ、また週末? 読み終わったら返しにくるねー! ばいばーい!」
これであと数日は暇で死ぬことはないだろう。誰とも話す機会のない、実質的な幽閉生活の中では、こんな立ち話一つですら貴重だった。
*
学校を追放されたことで余暇の時間が手に入ったというのは皮肉なことだ。巫女みこ天使さまも第一征服者も、今年はコロナで春休みが増えた代わりに夏休みがなくなっていて、両方を手に入れたのは唯だけだった。もっとも、学生生活とその後の人生全てと引き換えの休暇なのだから、全く割に合っていない。
巫女みこ天使さまから借りた約ネバは、唯の想定とは少し違う形で役に立った。巫女みこ天使さまの敬虔な信徒である〈母親〉に効果覿面だったのだ。唯としては自分が読むために借りてきたのだが、唯の読書スピードが速すぎるせいで、実際には〈母親〉のほうが熱心に読んでいるように見える。
(……ま、いっか。読んだには読んだし。)
〈母親〉が紙の本に集中しているということは、唯がソムニアに行ける時間が増えたということでもある。巫女みこ天使さまが貸してくれたものを囮のように使うのは少し申し訳なくもあるが、別になおざりにされているわけでもないのだから問題ないだろう。布教という意味では十分に成功しているのだから。
唯はプリヴォルヴァに来ると、いつものようにアニメを見に行った。
学校に行きさえすれば復讐ができるかもしれないのに、〈母親〉のせいでそれすらもできないなんて――そう言いながら、復讐の方法を探して歩いていく。これだけ大きな世界ならアニメ以外の情報もあるだろう。追放系主人公たちの無双を見て鬱憤を晴らすのもいいが、今はそれよりも何か行動を起こしてやりたい。どうせまともな人生を送れないなら、大量殺人で死刑になったところで結果は同じだ。
「……なんかないのかよ……使えねえな!」
不満を隠しもせずに大股で歩いていると、遠くから何かを壊す音が聞こえてきた。ソムニアでは意識が重要な意味を持つようだから、唯を支配する破壊衝動のようなものがこういう地域に連れてきたのかもしれない。唯が慎重に近づいてみると、いつもプリヴォルヴァで見かける七色の人影に混じって、見たことのない格好をした人が街に火を放っていた。
*
その奇妙な人物は右手に炎を纏っていて、怒りに震える声で呪いの言葉を呟きながら街の一角に炎を叩きつけていた。周囲の人間の反応は様々で、逃げ惑う者、一瞥したあとで素通りする者、冷静に観察する者、そして止めに入る者。
止めに入る者が現れると、放火犯はそれに対しても炎を投げつけた。右手に纏った炎がくるくると回転しながら制止者に襲い掛かる。
炎が制止者にぶつかって、その身体を焼き尽くそうと舐め回す。しかし制止者が焼け死ぬことはなく、逆にその炎を掴むと放火犯に投げ返した。放火犯に炎が投げ返されると放火犯の怒りがさらに燃え上がって、その手に持ったモロトフの炎が一段強くなった。
二人が互いに炎を投げ合っているうち、いつしかその周囲には人が集まりはじめていた。確かに、見世物としては面白い。見ていてわくわくする何かがある。きっと周囲の人間もそう思ったのだろう。二人を囲むように立って騒ぎ立て、中には自ら火炎瓶を取り出して投げつける者も出始めた。集団が二つに割れ、大勢で炎を投げつけ合うゲームが始まる。
もはやどちらが先に火を放ったのかよく分からない。しかし、参加者は互いに火炎瓶を取り出して相手に投げつけ、炎を浴びた側はそれを掴んで相手に投げ返す。幾度となく繰り返されるうち、飽きたのかその場を離れていった者もいれば、新たに加わった者もいた。偶然通りかかり、声援代わりに炎をぶつけて去っていく者もいた。
プリヴォルヴァの一角で上がった火の手はだんだんと広がっていったが、しばらくすると中心人物の一人が乱闘から一抜けして消え去った。きっとリアルに用事ができたのだろう。人々はもうしばらく祭りの余熱に浮かされていたが、じきに興味を失ったのか、スコールのように去っていった。
*
「楽しそう。」
放火事件の跡地に立っていた唯は真っ先にそう呟いた。現実ではめったに見られない景色は、一度始まれば誰も止めに入らない。あの中に入って投げ合っていたらどれほどの興奮が得られただろうか。友人Kと格ゲーは何度かやったことがあるが、そのどれもが平べったい画面の中の出来事で、決して本物ではなかった。しかし、今見た光景には確かな殺意と重みがあった。
「……殺意、か。」
あんな騒動が地上の街で起きていたら普通は警察か軍が駆けつけるだろう。モロトフを投げつけられて無事な人間なんているわけがない。プリヴォルヴァではあんなゲームすらも可能だというのか。〈母親〉が毎晩深夜まで二階に来ないわけだ。ただでさえアニメが見放題だというのに、運が良ければもっと面白いものが見られるなんて。
焼け跡を見てみると小火程度で、結構な量の火炎瓶が使われた割にはあまり被害は大きくないように見える。もっと多くのモロトフが使われていたら街の全てを燃やせるほどの炎にもなるのだろうか。この綺麗な街が炎に包まれるのは望まないが、どんな地獄でも想像するのは個々の自由だ。
欲しかった刺激を充分に摂取した唯は、心なしか目が大きく開かれていた。いつもの場所に戻ると、その平穏さが巧妙に隠された嘘のようで、唯はそれを見て再び冷たくなった。
アニメの世界はいい。主人公になれさえすればある程度の幸福が約束される。それにひきかえ現実はどうか。主人公が一方的に叩きのめされ、逆転の機会すらも奪われ、基本的人権と教えられたものがまやかしだと教えられる。それならば、一生ここで暮らして、現実世界などというディストピアには帰らないほうがいいのかもしれない。
*
「いつまでアニメ見てんの? もうとっくにごはんできてんだけど? いい加減にしなさい!」
久しぶりに〈母親〉の声が響いた。向こう側ではそんなに時間が経ったのか。ソムニアに籠城したらどうなるのか試してみたくはあるが、意識のないうちに〈母親〉にフライパンで殴られでもしたら死んでしまう。第一征服者たちに復讐をした後ならばどうなってもいいが、それを果たさずに死ぬのは嫌だ。唯はしぶしぶ意識を引き上げた。
「ん……いただきます。」
木製のプレートに乗せられた冷え切った玄米とサラダ。お椀に入った味噌汁。朝の残り物をアレンジして作られたいつもの夜ごはんだ。まだ外が暗くなっていないのを見ると、今が夏だというのが伝わってくる。あとこの暑さも。
「あーあ。なんでこうなったんだか。」
唯はわざとらしい大げさなため息をついた。
「は? 何が?」
「去年まではなんだかんだ言って学校行ってたじゃん。それがなんで今年こうなっちゃったかなぁ……って思ってね。あ~あ、もっと追い詰めて自殺させときゃよかったよ……。ほんと、人生大失敗。」
〈母親〉の口調のうち、唯が一番嫌いなものを真似てみる。
「全部あんたが悪いだけでしょ。それに自殺って何? 殺したいの?」
まるで害虫を見るような目だ。とても自分の子供の、それも被害者側に向ける視線ではない。もしかしたら、〈母親〉さえも第一征服者に洗脳されて、唯を悪逆非道な加害者と認識しているのだろうか。仮にそうだとすると、もうこの村に唯の居場所はどこにもないことになる。もっとも、ここも唯の居場所と呼べる代物ではないのだが。
「そんなん当然じゃん。人の人生壊した責任は自分の人生で償うもんでしょ。あの場にいたやつ全員処刑するまで私は許さないよ。」
「……あっそ。もう好きにすれば?」
いつもの殺し文句だ。これを言えば唯が諦めて大人しくなると本気で思っているのだろう。ここで唯が本当に好きにしたらどうなるのだろうか。
*
夏場特有の蒸し暑さと混ざり合った食後の空気は冷え切っていて、外から聞こえる虫の声がかき回した湿気が部屋の低いところに滞留していた。ちょうど正座をした唯と〈母親〉の心臓あたりの高さ。
唯はゲーム画面を前に、〈母親〉に半ば一方的な会話を押し付けていた。
「私さ、去年はゲーム作りたいって言ってじゃん。」
対する〈母親〉は何かの図面が描かれた本を広げ、作りかけの帽子をしおりにして、スマホのスクロールを続けていた。「話を聞く気などない」と指先が雄弁に物語っている。
「あれやめるわ。ゲームなんか作っても何にもならないし。」
無言。また失望モードだ。勝手に連れてきておいて、よくもこんなに無責任になれるものだ。本当に支配欲を満たすための道具としか思っていないのだろう。
「化学兵器と生物兵器だったらどっちが作りやすいんだろうね。」
「何の話?」
流石に気になったのか、それとも新しい説教を思いついたのか。はたまた何かアドバイスをする気にでもなったのか。
「ここにばら撒くものの話に決まってんじゃん。」
「本気でそんなこと思ってんの?」
〈母親〉が悲しさと心配を足して二で割ったような声音で訊ねた。これが本気ではないと思っているならで、唯の受けた屈辱も、失った日常も、東日本人の誇りも、ありとあらゆる絶望を何も理解していないということだ。
「……別にそれ以外で復讐できるならいいけど。他になんかある?」
「復讐、復讐って……なんで普通の考え方ができないの? ねえなんで? 私なんか育て方間違えた?」
そんなもの、「普通」を生きたことがない唯に分かるわけがない。唯は無言のまま、滅びた村のテーマ曲だけが流されていた。
*
ゲームをしていない間、かつ食事や睡眠を取っていない間はアストラルで過ごすことが多くなった唯だが、次第にその意味を見出せなくなってきてもいた。
家でゲームに興じている間はLv99のパーティで裏ボスを数ターンで倒せるし、ソムニアでアニメを見ている間は多くの人に称えられ、受け入れられることができる。前者は第一征服者に見立てればストレス解消にはなるだろうし、後者は主人公に共感すれば自己肯定感を満たせるだろう。しかし、本当に復讐をしたいのなら、こんなところで油を売っていてもいいのだろうか。
「……何やってんだか。」
唯が自らに呆れていると、周囲の景色はまた少し変わっていた。知らないうちに人混みの中へとやってきてしまったらしい。
これも唯の心の投影だというのだろうか。来た道を引き返して新しいアニメを探すかどうか悩んでいると、人混みの奥から少し前と同じ気配が流れてきた。また誰かが放火しているのだろう。今度はもっと間近で、少しくらいは当事者になってもいいかもしれない。
*
人混みをかき分けた先に見たものは、この前の景色とよく似ていたが、モロトフの一本や二本で済むような小さなものではなかった。火炎放射器が黒くて虹色の炎を吐いて街にあった情報の断片を炭になるまで塗りつぶし、周りに置いてあったものを巻き上げて飲み込んでいく。そのそばには別の黒い影が転がっていて、それが人に似た形をしていることに気付くには少なくない時間が必要だった。
周囲の空気は灯油のような臭いで埋め尽くされていて、近づいたものは容赦なく炭塗りにされてしまうだろう。
「なんだあれ……」
毎日のように色が燃やされ、音が埋められ、人が氷に閉ざされる世界。それがプリヴォルヴァの真の姿だった。唯が今まで見てきたもの、おすすめされてきたものはその表側、安全な氷山の一角だけで、裏ではこれ以上のことが起きてもおかしくない。
唯は足早にその場を離れようとしたが、その人影の中に既視感のある気配を感じていた。それはただ怒りに身を任せて暴れるだけの存在ではあったが、その理由には揺るぎない信念のようなものが聞こえてきたように感じた。どこか優しさのようなものもあったかもしれない。
「……似てる。」
それは唯が命に代えても滅ぼすべき敵、その思考の大半を占領している第一征服者のものと、魂の色とでも言うべき何かがよく似ているような気がした。
学校へ行くことを〈母親〉に禁止された唯はもう、第一征服者に直接会ってとどめを刺すことは難しいだろう。しかし、もしこの世界に第一征服者が来ているなら。リアルと同じようにここでも「死」が存在するなら――
まだ、勝てるかもしれない。
*
元から唯の中にあったどす黒いものは幾多の嘆きと絶望によって生まれ、暗い希望によってさらに大きく膨れ上がった。まだ何のめども経ってはいないが、こういうものはあれこれ思案している間が一番楽しい。初めて自分を追い詰めてなす術なく完敗させた人間に一矢報いることができるなんて夢のようだ。
もちろん、実際に可能かどうかなんて分からない。そもそもあの日だって仮病を使って一切表に出てこなかったような奴だ。いくら試験の成績は最下位でも人を貶めることにだけは誰よりも頭が回るなら、そう簡単にやらせてはくれないだろう。
「何? 気持ち悪いんだけど。」
テーブルに突っ伏して落書き帳の切れ端にメモ書きをしていると、〈母親〉から酷い感想が飛んできた。ブルドッグのようなにやけ顔でもしていたのだろうか。
「いや別に。」
すぐに元通りの顔に戻して短い返事。復讐を達成するまではあまり表に出さないほうがいいだろう。
これはゲームだ。互いの一生をかけて、その間に極限の苦痛を与えられるかどうかというゲームなのだ。現実ならば一度でも敗北したらその場でゲームオーバーだが、ゲームならばいくらでも残機を増やせるはずだ。全滅しても五百ゴールド払えば復活できるような甘っちょろい世界なのだから。
あらゆる手段を使って、このゲームを攻略してやろう。
思えば、攻略本も、攻略サイトもなしで何かをプレイするのはこれが初めてかもしれない。
「いやむしろ自我しかないでしょ。」
「私たちも律儀っていうかさ、一途だよねほんと。」
「そう?」




