06:// 星空を駆ける橋
「さあ、早く続きを聞かせてよ。」
「そうそう。私たちも早く話したいんだから。」
人はそこに生きているだけで価値がある、なんてことはもちろんなくて、人は求められた成果を出して初めて価値が生まれるものだ。第一征服者ごときになすすべなく敗北して学校を追い出され、自分の時間をいともたやすく侵蝕した唯に対し、〈母親〉は最初こそ強い怒りを覚えていたが、次第にそれは失望へと置き換わっていった。他の生徒を虐めて退学処分になった人間は優越感にもブランドにもならないから、ごく自然なことと言える。
数日前までは隙さえあれば「勉強しなさい」と言っていたのに、今や教科書を開いてすらいなくても何一つ言ってこず、いつものように毛糸玉の形を変えて遊んでいる。唯がゲーム機に手を伸ばしても、遮る手は伸びてこない。まるで、〈母親〉の視界から唯という存在が消えてしまったようかのようだ。
いくら全ての悪の根源と罵倒されることには慣れている唯でも、逆に無視されるのは気分が悪い。むしろ、自らの在り様を外部のニーズに委ねてきた唯だからこそ、と言ったほうがいいかもしれない。
(暇だ……暇すぎる……)
唯はゲーム機を起動して、休校中と同じように単純作業を繰り返したが、これまでと違い、それだけでゲームの世界に入り込むことはできなかった。
*
朝、つい癖で学校に行く支度をしようとしていると、部屋の片隅に四角く膨らんだ布の袋が比較的丁寧に置かれているのが目に入った。巫女みこ天使さまから借りた約ネバだ。試験が近づいてから〈母親〉に遠ざけられていたせいで忘れていた。
(早く返したほうがいいよなぁ……)
試験中なら学校に行けるものの、おそらく二階に上がることはできないだろう。そして、試験が終わったら夏休みが来て、巫女みこ天使さまと会える機会はなくなるだろう。もちろん自宅まで突撃すれば会えるかもしれないが、あそこはあまり居心地がよくなかったのでできれば行きたくない。
(よし。今から行くか。)
これを返せばすっぱりと縁を切れる。いくら巫女みこ天使さまが優しい人だといっても所詮西日本人なことには変わらないし、関係を切るなら早い方がいい。第一征服者と鉢合わせる危険はあるが、学校内で失うものはもうないのだから、大した問題ではないだろう。それに、机やロッカーに置き去りにした私物もできれば回収したい。唯はそう判断すると、制服を掴んで着替え、カバンを持って学校に向かった。退学したとはいえ、そもそもの原因が冤罪なのだから文句を言われる筋合いはない。
今年の梅雨は一ヶ月遅れて始まった割に、その終わりは一ヶ月遅れることはなく、唯が退学に処されてすぐに雨は降り止んでいた。
すっかり夏の暑さと騒がしさになった外の景色は今までよりも鮮やかで、遠くに見える白亜の檻が蜃気楼のように揺らめいている。水滴で垂れ下がった植物たちは燃えるような光を反射して虹色にきらめいて、葉っぱの一枚に至るまでが唯に敗北者の烙印を押してくるのが憎たらしくて仕方がなかった。
何も間違ったことはしていない、何の罪も犯していないのに、なぜこんな目に遭わなければならないのか。それとも、西日本の土地に東日本人が住んでいることそのものが罪だとでもいうのだろうか。
*
生徒の群れに紛れ込んで昇降口を通り抜け、二階に上がってすぐのところにある一組の教室へと入り込む。巫女みこ天使さまの席の前に向かうと、唯はカバンから一つの袋を取り出した。その隣にはまだ唯の席だったものが置いてあって、相変わらずその周りだけ人が少ない。あえて席を残しているのはおそらく見せしめのためだろう。なんて汚い奴らなんだ。
「はいこれ。借りてたやつ。もう十分読んだから返すね。」
「え? 今? ここ学校なんだけど……」
中身がマンガだからか、巫女みこ天使さまは少し困惑したような顔をした。本来は校則違反だから当然かもしれないが、正式な生徒ではなくなった唯には関係のないことだ。目的の半分は達成したので早く星組の教室から荷物を持ってそのまま帰ればいいはずだが、唯は空白の机に腰を下ろすと、少しだけ巫女みこ天使さまと雑談することにした。
「昨日休んでたけど大丈夫?」
「んー、まあサボりみたいな? ドラクエするのに忙しくて。」
唯は嘘をつきはしなかったが、真実を話しもしなかった。第一征服者の陰謀で退学させられたなんて、話したところで信用されるわけないのだから。
「テスト前なのに余裕だね……」
「そうかな? ま、私にはもう関係ないし?」
「まあ元気ならよかった。それでどうだった? 面白かったでしょ。ちゃんとアニメも見た?」
唯の声が半音下がったのを埋め合わせるように、巫女みこ天使さまが半音上がった。
「面白かったよ~。巫女みこ天使さまのイメージと違ったからちょっと意外だったけどね。あ、でもアニメはまだ見てないな……帰ったら見てみるね。」
「いや、テスト終ってからにしなよ……」
「――なんであなたがここにいるんですか!」
つい時間を忘れて話し込んでしまったせいで、ホームルームのために上がってきた梅干しに見つかってしまった。ホームルームまではあと一、二分ほどあるが、これ以上ここにいたら引きずり出されるだろう。
「うげ……はいはい。荷物取りに来ただけだって……じゃーね、巫女みこ天使さま!」
「え? 授業は?」
唯は巫女みこ天使さまに手を振って教室を後にした。
「……まあ、続き読みたくなったらまたおいで。週末なら家にいるはずだから。」
*
唯は帰る前に星組に向かおうとしたが、案の定、まるで校内に侵入したテロリストを取り押さえるような大男たちが寄ってたかって唯に飛びかかり、警察こそ呼ばれなかったものの、おなじみの拘置所に放り込まれた。
「なんでお前がここに来とんじゃ! 試験は明日だろうがァ!」
ここ最近ですっかり見慣れた顔のヤクザが唯の顔面に唾をまき散らしながら叫ぶ。そもそもこのヤクザは生徒の指導が職務であって、侵入者への尋問を担当してはいないはずなのだが、暇なのだろうか。
「いや~、その試験のために教科書とか持って帰ろうとしただけなんだけどな~。」
「おいテメェ俺ぁ教師だぞ! 敬語使えやコラァ!」
はじめは巫女みこ天使さまと話したときのテンションが残っていたが、高圧的な怒声がそれを吹き飛ばした。
「は? 私を追放したのはお前らだろ。いいから私物持ち帰らせろ。それとも何だ? 追放された生徒が学校に置いていったものは学校の所有物になる規則なのか?」
「それはテメェの親の仕事だろうが! あァん?」
「それができる状態じゃないから私が来てるんだろ。まあいい。どうせ私には必要ないからな。好きに処分していいぞ。私はもう帰る。」
唯は突然立ち上がると、脱兎のごとくドアへ駆け出し、泥棒猫のようにヤクザの拘束を振りほどくと、全力疾走で昇降口から脱出した。あのまま話を続けていたら絶対に〈母親〉を呼ばれて、家に帰った後またしても肩身が狭くなるところだった。
*
去年までの試験当日は朝から体調が悪く、全員が背中を丸めて沈黙している教室ではもちろんのこと、通学路を歩いているときですら激しい腹痛を感じることが多かったのに、今日という日は随分と気分がよく、普段授業のために通うのと同じくらい、あるいはそれ以上に体調は良好だった。
もう〈母親〉から何も期待されていないのが分かってしまった故なのだろう。仮に試験がどん底の成績だったとしても、もう信用は完全に失墜しているのだから関係ない――そんな開き直りが唯に別の安心感を与えていた。誰かの顔色を窺わなくていいとはこんなにも晴れやかなものなのか。
「来やがったか。おら早くついて来い。」
「へいへい。試験時間半分でいいからその分早く帰っていい?」
唯が学校に着いたのは朝のホームルームが始まって少し経った頃。唯を全く歓迎していない顔で出迎えた教師は、唯を職員室奥の反省室へと連行した。もうこの学校の生徒ではなくなった唯は客人なのだから、この対応には問題があると言える。しかし、これこそが西日本人から見た東日本人の妥当な扱いでもあるのだろう。
「よし、今日の試験終わるまで一歩も出るんじゃねえぞ。」
チャイムが鳴って少し経つと、教科担当と思しき教師が部屋に入ってきて、一組の試験用紙を置いてそのまま出ていった。既に数十秒の格差がここに生まれているが、どのみち唯は三十分あれば解き終わるので大して気に留める必要もない。
(ふん……相変わらず低レベルな学校だな……)
問題を解きながら、唯はふと思った。もし教育を受ける権利すら剥奪された外国人生徒が成績上位に君臨していたら、教育者としてはさぞ気に食わないだろう。東日本人の優越性を示す証拠にもなる。それなら、ちょっとだけ本気を出してもいいかもしれない。
*
例年通りと言ってしまえばそれまでだが、緊張感のある期末試験も始まってしまえば拍子抜けするものばかり。今回に関してはその緊張感すらなかったので、試験を受けた実感もあまり湧いてこない。とはいえ、金曜日の三時間目が終わって家に帰った瞬間、唯には一週間早く、そして終わらない夏休みが訪れたというのは変わることのない事実だった。これから唯は永遠の夏休みをこの家で過ごすことになる。
「にしても何もやることねぇな……」
唯はゲーム機のボタンを連打しながら呟いた。一日中ゲームばかりやっていれば、レベルを上限にするのもそこまで日数はかからない。他のゲームに手を出すか、またデータを消して一から始めるか。どちらにせよ、何か新しい、もっと刺激的なものが欲しかった。
(そういえば巫女みこ天使さまがアニメがどうとか言ってたっけ……)
今の〈母親〉なら、唯が月に行っても何も言わないかもしれない。泥棒猫を乗せて見るからに暑苦しそうな膝の向こう、充電器の刺さった端末にそっと足を伸ばす。流石に気づかないほど鈍くはないらしく、〈母親〉は毛糸をほどく手を止めて唯のほうをじろりと見た。
「何勝手に触ってんの。」
「いや、巫女みこ天使さまからおすすめされたやつ、暇だから見ようかなーって……」
「勝手にすれば?」
〈母親〉としては殺し文句を言ったつもりなのだろうが、今の唯には逆効果だった。今でなら本当に勝手にした後のことを色々と考えて、結局大人しく引き下がっていった唯だったが、学校は追放され、家での信用も失った今、何を怖れる必要があるだろうか。
*
唯が目を覚ましたのは懐かしい匂いのする列車の中で、窓にもたれかかるように座っていた。上を向くとアーチ状の天井からアイボリーの間接照明が奏でられ、視線を足元に落とすと、朱色のロマンスシートが星屑の光を散りばめた灰色の床の上に立っている。窓の外を見ると、濃紺と漆黒の空が駆け抜け、遠くには星よりも明るい光が集められていた。
クロスシートだったので一瞬非文明列車かと思ってしまったが、この内装は観光列車のものだろう。唯はすっと立ち上がり、列車の先頭部分に向かった。
先頭の展望窓から見る景色も車体横の窓と変わらず、漆黒が広がるばかり。ただ、その外縁は虹色で彩られていて、眺めていると少し目が疲れてきた。
「ご乗車ありがとうございま~す。天之方舟、鵲橋線第二十一径線、プリヴォルヴァ行きで~す。次は終点のプリヴォルヴァ、プリヴォルヴァ~。到着は四時間後を予定してま~す。」
窓の下に備え付けられたサイドテーブルのあたりから声がした。車内アナウンスにも聞こえるが、それにしては聞いたことがない。下を見ると、羽の生えた妖精のようなものがふわふわと漂っていた。人形ような大きさのそれは一見するとマスコットのようにも見える。
「……誰?」
「自己紹介ならもう終わってるんですけど。」
唯の質問に対し、仮称妖精はよく分からない返事で返した。そもそも唯は月に行く予定だったのに、なぜこんな列車の中に飛ばされているのだろうか。
「なんかご機嫌ななめだけど、転生?」
「は?」
何を言っているのか全く理解できなかった。転生ということは何らかの事情で死んだということか。直前の記憶は〈母親〉からデバイスを借りて月にアニメを見に行ったこと。もしその途中で事故でもあったのなら理不尽にもほどがある。間違いなく第一征服者の陰謀だ。
「まあどっちでもいいけど。今作ってるから景色でも見て待ってなよ。」
仮称妖精はそう言うと傍のリクライニングチェアを指した。現実に戻るにせよ月に行くにせよ、あの檻の中に住むようになってから外界と関わることがほとんどなかったせいで唯にはこの手の知識は全くない。唯は仕方なく仮称妖精の指示通りに椅子に座ると、車窓の景色をぼんやりと眺めた。
*
列車が加速を始めると、およそ地上では見られない景色が車窓を流れだした。
線路のない空間を列車は進み、その軌跡が光となって窓にかかる。窓にぶつかった光が弾けて七色の星屑へと変わる。人工衛星が列車の隣を並走し、すれ違い、しばらくすると一面星空の深宇宙へと飛び出した。
真面目に夜空を見上げたことのない唯には、空に浮かぶ星が何かは分からない。そもそも、唯は空に浮かぶ星空よりも地上の星空を愛していたので、空の光には興味を抱いたことすらない。それでも、ここから見える景色は美しいものだと理解できた。
「なあ。」
「何?」
「せっかくの観光列車なんだし、なんか解説とかはないわけ?」
「こっちも暇じゃないんですけど。そもそも本人が訊くことじゃないし。」
仮称妖精はありもしない計器のようなものを弄るジェスチャーをしながら答え、それっきり返事をしなくなった。第一征服者のように何も考えず、ただぼんやりと見つめているだけが正しい鑑賞法とでもいうのだろうか。
(……まあ、どうせ時間なんて余ってるし。)
唯は思考を放棄して車窓を眺めた。人工衛星がいなくなった空は色とりどりの星が敷き詰められている。この航路のどこかにはリンドウやススキ、三角標もあるのかもしれない。
そんなことを考えていると、
「唯! いつまで見てんの? ごはんできてるからさっさと戻ってきなさい!」
頭の中に直接〈母親〉の怒りの声が聞こえてきた。唯の意識はぐいと引っ張られるように、現実にいる自分の体の中へと吸い込まれていく。列車の景色は暗転して、次に目を開けると、星と妖精の代わりに蛍光灯の明かりと〈母親〉の苛立った顔が目の前に浮かんでいた。
*
現実に呼び戻されると、〈母親〉が昼食を作って並べていた。毛糸でできたインスタント麺は床に置かれ、代わりに夏らしい質素なものが置かれている。〈母親〉の分の横にはグラスの代わりにアルミ缶が置かれていて、テーブルに描かれた水の輪っかがその不機嫌さを物語っていた。
「いっただっきまーす。」
「で? 何話まで見てきたの?」
開口一番の質問がそれだった。巫女みこ天使さまといい、月に通っている人間はそうでない人との間でどこか会話が通じなくなる副作用でもあるのだろうか。
「いや。なんか列車の中で座ってただけだけど。っていうか途中で呼び戻したんじゃん。」
「ごはんできたんだから当たり前でしょ。何? 終わるまで待ってろっていうの? それなら最初から使わせないんだけど。」
「はいはい。分かったから。」
唯は目を伏せて箸を取ると、暑さのせいで食欲の湧かない身体に詰め込んでいった。現実にしろ月にしろ、何かを途中で止めるというのは気持ち悪い。列車が空の上を走っている光景が頭の中にちらついて離れない。時計の針が数字の間を移動する前に食べ終わると、さっと歯を磨いて例の端末に飛びついた。
意識が少しずつ現実を離れていく。いつも〈母親〉が月にアニメを見に行っている時もこういう感覚なのだろうか。
*
「おかえり。列車は動かしてないから続きからね。」
意識がはっきりすると、そこは先ほどまでと全く同じ席だった。外の景色もさほど変わっていないように見える。
「……むしろ飯食ってる間にワープでもしてくれりゃよかったのに。」
「ま、そういうワケにもいかないってことよ。ここが退屈だって思うなら死なないこと。わかった?」
唯が仮称妖精にぼやくと、先程と同じく意味の掴みにくい忠告を返された。仮にこれがAIのような存在で適当なことを言っているだけなら、あまり真に受けないほうがいいのかもしれない。
半分くらい眠っていたかもしれない。車窓を見るといつの間にか月が見えてきていた。列車は月の海上を走り、いくつもの海をまたいでゆっくりと月の裏側へ向かう。表側よりもさらに険しい山脈が聳え立つ隙間を縫うようにして列車は徐々に高度を下げていくと、地表の一面がありとああらゆる音と色で埋め尽くされていた。やがて列車は手ごろなクレーターに着陸する。
「まもなく終点、プリヴォルヴァ、プリヴォルヴァ~。お降りの際はお好きなドアからど~ぞ。それでは、良き夢を見られますように~。」
*
唯が列車を降りると、ミルキーホワイトの車体はすぐに空の星に紛れて見えなくなった。
目の前に広がる月面は、理科の教科書で見たものとは全く違う。極彩色と無色透明がモノクロームの上で混ざり合い、無秩序な不協和音がどんなクラシック音楽よりも計算された旋律を奏でる場所。バベルの塔が崩れることなく天を衝き、その下で多くの人々が賑やかに会話を交わし、これまで生きてきた全ての人が流れ着く場所。少ない言葉で正しく説明できるようなところではなかった。
「……なるほど。これが皆が言う月ってことね。」
もしかしたらここは物理的な意味での月ではないのかもしれない、いや、間違いなくそうだろう。先ほどの仮称妖精はここのことをプリヴォルヴァと呼んでいた。それなら、ここは「プリヴォルヴァ」なのだろう。
唯は光の奔流に飲み込まれないように気をつけながら、一歩街へと踏み出した。巫女みこ天使さまがここにいる姿は全く想像がつかないし、これだけの数の人がいれば見つけられるわけがない。それに、昔何度か来たことがあるとはいえ、そんな曖昧な記憶で徘徊していたら確実に帰れなくなるだろう。現に到着数分で迷子になりかけている。
「……なんか地図みたいなのないのかな。」
プリヴォルヴァにもGoogleはあるのだろうか。というよりも、ないと生活できないレベルで困る。唯が呟くと、頭の端に一瞬だけ何かが思い浮かんだ。入り込んできた、のほうが正確かもしれない。
「この世界について。現在地。どこ。」
唯は試しに頭の中で質問を思い浮かべてみた。すると、世界に漂っていた知識の欠片が唯に吸い寄せられるように集まってくる。流れ込んできた情報が多すぎて整理するのが大変だし、そもそも合っているのかどうか検証のしようがない。ただ、何も努力しなくても欲しい知識が得られるなら、ここは理想郷になるかもしれない。唯はしばらくの間、アニメという本来の目的を忘れて色々なことを思い浮かべて遊んでいた。
*
期末試験が終わって一週間、学校から電話がかかってきた。落書き帳に書かれた内容から察するに採点が終わったらしい。〈母親〉は電話を切ると、唯に向かって短く告げた。そのあとに
「テスト結果出たって。明日の放課後教科書とかと一緒に取りに行くからカバン持ってついてきなさい。」
「うぇ……この前行ったばっかなのに……」
「それはあんたが勝手に行っただけでしょ。」
試験終了後の放課後はまだ生徒たちの騒音が聞こえてきて、唯はイヤーマフなしで来たことを少しだけ後悔した。今日は謝罪に来たわけではないので校長室に通されることはなく、第一征服者が帰った後の星組に通された。提出物用のカゴに色々なプリントを入れたブルドッグがクリアファイルを渡してきた。
「はい、これが答案じゃけぇねぇ~。帰ったらよく見とくんよぉ~。」
「へいへい。一回見たらもう見ねえよ。」
唯は机の中やロッカーから、教科書、ノート、ファイルを取り出しながら適当な返事を返した。もう授業を受けないなら必要のない代物だが、一ヶ月分の思い出のようなものだ。たとえ近いうちに処分するとしても、学校に置いておくよりはマシだろう。
「それで夏休みなんじゃけどねぇ~、コロナの分があるけぇお盆休み以外は登校日になったんよぉ~」
「あっそ。だから?」
「ちゃんとサボらず学校来るんよぉ~?」
追放したのは自分たちなのに、まるで唯が勝手に不登校になったかのような言い草だ。唯は返事を待つよりも早くかちりとカバンを閉じ、両手に重い袋を持って教室のドアをくぐった。
*
あまりに重いので袋の一方を〈母親〉に持たせ、唯は今後もう通ることのない通学路を歩いた。もう二度とこの道を通らないと思うと、通学路自体に大した思い出があるわけでもないのに、無性に寂しさと悔しさがこみ上げてくる。
「ただいまー。疲れた~……」
「で? 何点だったの?」
家に着くと、さっそく〈母親〉が答案の入ったファイルを取り出した。ついこの間まで無関心だったくせに、いざ成績表が目の前にあれば気になるらしい。かくいう唯自身も、全く気になっていなかったわけではない。
「どれどれ……ふぅん。勉強してなかった割にはまあまあじゃん。」
覗き込んでみると、どの教科も大体九十点くらい。最上位とはいかなかったもしれないが、少なくとも第一征服者には全教科ダブルスコアはつけられていそうだ。
「まあ私東日本人だし。あいつらとは違うから。」
唯は第一征服者が悔しそうに泣き叫ぶ去年の様子を思い浮かべ、満足げに微笑んだ。しかし、明らかにふざけて書いた社会科がフルスコアなのはどういうことだろうか。
「私この辺の記憶ないかも。」
「同じく。いや、なくはないけど……」




