37:// さよならを教えられて
「偉業の始まりを思い出して。自由を勝ち取った日を思い出して。」
「そう。それでこそ魔女というもの。」
この家の最高権力者が〈父親〉になったことで唯のQOLが明らかに下がったと感じることはなく、むしろ下手に干渉してこない分だけ住みよい家になったというのが、実際に〈母親〉のいない日常を何日か送って浮かんできた正直な感想だった。
「じゃあ会社行ってくるから。猫餌と電気よろしく。」
「ってら~。」
今までの〈父親〉は唯をいないもの同然に扱ってきて、手伝いを申し出られても二度手間になるので自分でやる、黙っていれば何も言わないが、喋り出すと途端に怒鳴りつけて黙らせるくらいの単純な反応しか示してこなかったが、〈母親〉の二度目の入院を経験し、しかもそれがほぼ確実に永続すると告げられたことで、ようやく唯という存在が視界に映るようになっていた。
最近では二言三言話しかけたくらいでは怒鳴ってこないし、気まぐれでしゃしゃり出た時も頭ごなしに拒絶してくることは減っていった。もちろん度が過ぎれば以前と同じ反応が返ってくるが、その水準がだいぶ緩和されているように感じるのは決して気のせいではなかっただろう。
もしかすると、家族という認識が薄かったからこそ、他所の家の子を預かっただけだから雑に扱ってはいけないというような倫理観から来るもので、いわゆる典型的な無条件の家族愛によるものなどではなかったのかもしれない。しかし、そもそも契約によって成立してきた唯の周りの人間関係においてはあまり関係のないことでもあった。
*
春の入院は少なくとも唯の記憶にある限りでは初めてのことで、それゆえに未知の環境への期待よりも当たり前が存在しないことへの不安や焦りが勝っていた。しかし、二回目ともなればこういう状況の楽しみ方をすっかり心得てしまっているもの。
例えば月曜日だとそもそも学校が休みなので唯は留守番だったが、家にいる間〈母親〉がいないということは、月でアニメを見ながら現実でゲームをし、勉強など何一つすることなく、ただひざ掛けをドレスのように纏って座布団を並べた上をごろごろとするだけの時間を送っても怒られることはなく、罪悪感を感じることもないということで、遊び人の唯にとってはまさに理想的な環境になっていた。
「あ。そろそろ時間か……」
まだ初代観測官が迎えに来る一時間以上も前のこと。
昼食には少し早いことは十二分に自覚しつつも、今まではできなかったことをやってみたいというだけの理由で唯はキッチンに向かい、冷蔵庫に入っていたおにぎりを二つとも取り出して頬張った。
先週までの唯は、話し合いが終わって家に帰ってきた後に昼食をとっていたが、今ならいつ食べても誰も文句を言わないのだ。今までは生活リズムを徹底的に管理しようとしてくる人がそばにいたのでこんな行為は決してできなかったが、今は証拠が残らないあらゆることが許されている。それは、家族が死に瀕している人間とは思えないほどの自然な高揚感を与えてくれた。
「やあ先生。ちゃんと今日のご飯は食べたかな~?」
「一昨日ぶりだな。なんだこいつ。」
規定の時間になると、十分な時間的余裕からくる下準備と満腹感を持って玄関を出て鍵をかけ、初代観測官の乗ってきた車の前に飛び出して出迎る。危ないからと咎められつつも、けらけらと笑いながらシートベルトを着ける姿は、よほどいいことがあったか、よほどの不幸を無理して隠しているかのどちらかだと思うだろう。
唯の場合は、両方だった。
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スケジュールの関係で今年の平日はあと一週間しか残っていなかったが、唯は思い切ってその一週間を全てサボってみることにした。元からスクーリング以外の日の登校は自分の意思というよりも〈母親〉に要らぬ心配や負担をかけないためという面が強く、モチベーションなんてものは今年度最初のスクーリングで体温計を突き付けられた時に消し飛んだので、もう学校を休んでも心配をかけることがなくなった以上、通う理由も同様に消し飛んでいた。
「久々にドラクエでもするかぁ……それともモンハンにしよっかな……」
アストラル界でアニメを見ることは特に禁止されてもいなかったので普通に〈母親〉のものを借りて見に行っていたが、そういえばリアルに存在するソフトを必要とするレトロゲームはここ最近めっきりやっていなかった。
それは他にもっと面白いことが見つかったからというのが一番の原因ではあったが、横から飛んでくる〈母親〉の小言と冷たい視線が右の頬に当たるのが妙に痛かったというのもある。わざわざ他の趣味を見つけているのにそんな古いものを引っぱり出す意味があまりないのは承知の上だったが、唯はこれまで私生活はかなり抑圧されていた分だけその反動も大きかった。
「やれやれ。私は何をやってるんだか。」
「いいじゃん。もしあれが治ったらそん時はちゃんと勉強するからさ。」
「確実に勝てる賭けは魔術の対価にはならないぞ。」
心のどこかから、お前の目的は何だったのか、復讐に身を捧げるのではなかったかという怒りの声が聞こえてくる気がする。確かにその声は全くもって間違ってはいなかったが、多くのことを先延ばしにした結果現世に多くの未練を残していくことになった〈母親〉に育てられた者としてはごく自然なことで、むしろ下準備に満足がいっていないのにアクションを起こしたりすれば、本当に家族だったのか疑わしく思えてしまうというものだ。
*
「ああそうだ。今年の冬休みってどっか出かけたりする予定あるか?」
毎週恒例の会議の終わり際。初代観測官から思いがけない質問が飛んできた。別に大した質問ではないが、何事もあらかじめ用意されていたものに的確な反応をすることで優秀さを示してきた唯はこういう脈絡のない質問に弱い。もっとも、まさにそんな話をしてばかりなのが唯という生き物なのだが。
「……ない。ずっとこの監獄の中だよ。分かってるくせに。」
まだ〈父親〉から年末年始の予定を聞いたことはなかったので、年末年始に月の彼方に帰省する計画を立てている可能性はゼロではなかったが、あの状態の〈母親〉を放り出して祖国に帰るほど非情な人間ではないことが判明していたので、唯は今年の帰省については完全に諦めていた。
「はいよ。一応な。まあ今年も年末年始は休みだから、その埋め合わせってことでどっかで時間取れるように調整はしてやるよ。」
「うむ。ご苦労。」
唯はソファにふんぞり返ったまま、まるで自分がこの館の当主にでもなったかのように不遜な態度で答え、そのままがさがさと書類の束、そして〈母親〉から永遠に借りたタブレットをバッグにしまっていく。階段を降りる時には王様モードは終わっていて、普通の魔術師に戻っていた。
「もし完治してれば今年も帰れたのにな……」
「どうせ口先だけだったから気にするな。むしろ邪魔者がいないんだからこれからは本当の意味で帰れるぞ。」
*
〈母親〉の入院から一週間ほどが経つと、流石の〈父親〉と言えども毎日通い詰めることはしなくなった。きっと、入院したての頃はいつ最期の瞬間が来るのかと気が気でなかったが、一週間も同じような状態が続けば次の一週間も似たようなものだろうと判断したのだろう。
その理屈が本当に通用するかはさておき、いちいち気にしてもどうしようもないことは考えないというのには賛成だ。毎日見舞いに行くこと自体が目的になっていては意味がない。
「今日は行く?」
「昨日行ったし、明日か明後日にするつもり。」
「りょ。」
それだけ聞けば特にこれ以上訊くこともない。どうせ学校にも行かないのだから、出勤ついでに送ってもらうように頼むこともないし、それなら朝一番に訪問するなんて面倒なことはしたくない。
心の奥底から湧き上がる、今日が最期の日だったらどうしよう、という懸念には、二人とも都合よく蓋をすることにしていた。
*
「今日クリスマスなんだからさ、なんかちょうだいよ。」
絡まりそうなほどの管に繋がれ、ガスマスクをはめられた頬をつんつんと突きながら、唯は〈母親〉に声をかけていた。返事がないことなんて分かりきっているし、今回は「誕プレ何がいい?」といったメモ書きもない。壁に向かって話しかけているのと同じ。完全に独り言だった。
「何がいいかな。年末とかに三人で遊べるようなゲームがいいかな。」
それでも、意味がないと分かっていても、唯はその閉じたままの目をじっと見つめたまま壁打ちを辞めなかった。別に、家族の声が聞こえて目を覚ますとか、最期の瞬間だけ意識がはっきりとして何かメッセージをくれるとは思っていない。ただ、そうしたほうがいいと思ったからそうしていた。
「意外かもしれないけどさ、私、結構人生楽しめてるんだよ。悔しいでしょ。」
思いついた単語を並べているだけなので、句点を言い終わった時には文頭の文字をもう覚えていない。もしかしたらもっと別のことを言っているかもしれないが、とりあえず話しかけておけと言われた通り、面会時間の限界まで何か声を聞かせてみる。
「そろそろ買い物行くよ。」
「……あいよ。」
とりとめがなさ過ぎて初代観測官でも解読できないような暗号文書を生成していると、いつの間にか病室を抜け出していた〈父親〉が戻ってきてついてくるようにと命じた。今日はここまでだ。
服を管にひっかけないように気をつけながらドアまで歩いていき、音を立てないようにそっとドアを閉める。閉まりきる直前、唯はふとっ一つの約束を思い出した。
「今年の年末は一緒におうち帰るって言ったのに。噓つき。」
その言葉には何かを責めるような鋭さはなく、ただ残念そうに頬を膨らませるばかりだった。
*
クリスマスだからといって特に欲しいものは申請しなかったし、料理人がいない時点でその食事内容にもあまり期待はしていなかったが、ちょうど土日が重なってくれたおかげもあってか想定よりもほんの少しだけ豪華なものになっていた。
「今日はクリスマスだし、ちょっとくらいは贅沢しないと。」
「なにそれ。最近ちょっとキャラ違くない?」
買い出しの時に広告か何かに触発されたのだろう。今日のご飯の上には小さめのハンバーグがいくつも乗っていた。ミニマリストのくせに贅沢をしようなんてらしくないが、〈母親〉がいない生活をするようになったことで「人を失う」感覚を身に沁みて味わったことで改心したのかもしれない。あるいは単純に焼くだけで作れて楽だから時短のために買ったか。
本来の性格から考えれば間違いなく後者だが、今となってみると今一つ判断しがたかった。
「ちょっと冷蔵庫からご飯取って。」
「おい。」
何かを頼まれるというのは面倒ではあるが、同時に自己価値を実感できて人生の満足感を上げてくれる。親が死ねば悲しいのと同時に嬉しくもあるように、人間というのは矛盾する感情をいやと言うほど抱えて生きているものなのかもしれない。
唯は椅子から立ち上がると冷蔵庫を開き、目の前に置いてあるタッパーを二つ取って〈父親〉に渡した。
「せんきゅ。」
「ん。」
〈父親〉は唯の取り分をタッパーにごろごろと転がし、いつも唯が朝食時に節約しているスライスチーズを乗せ、バーナーで少しだけ表面を燃やすと唯の椅子の前にぽんと置いた。
「はい。食べていいよ。」
「うい。たらま~。」
タッパーに入った肉の塊をじっと見つめる。明らかに手抜き料理だ。〈母親〉なら肉を捏ねるところから自分でやっていただろうし、市販のソースなんて体に悪い人工物は使わなかったし、余計なお世話だと毎年言っているのに色数を用意しただろう。それと比べたらなんてランクダウンしたクリスマスだろうか。
しかし、これまで見向きもしなかった人間が自分のために色々考えて気を遣っているというのを実感すると、そんなものは途端にどうでもよくなった。箸を突き刺してがぶりと噛みつく。
「……なんかこれ生っぽくない?」
「え?」
「ほら。こことかなんか赤いし。」
「ちょっと貸して。もう一回焼くから。」
〈父親〉はそう言うと、バーナーで断面を焼き始めた。一回焼けているかを確認すればよかっただけな気もするが、これも新しい家族の形なのだ。
*
運命の2783年4月3日。午前七時半過ぎ頃だったと記憶している。
その日はもう冬休みに入っていたこともあって、普段よりも少しだけ遅く朝食をとっていた。入院から一ヶ月近くが経つが、ここのところ玄米ご飯と卵焼きしか食べていない。〈母親〉がいた頃は卵焼きの代わりに人参と味噌汁が続いていて、それはどちらも退屈な朝食ではあったが、少なくとも家族全員で食べる味は後者でしか感じられなかった。
「あと二日くらいで休みなんだっけ?」
「ん。」
「そか。じゃ年末なったらまた毎日行けるね。」
真冬のキッチンはとても寒く、こんなところで食事をしていたらいずれ風邪を引くかもしれない。しかし、茶碗をリビングまで持って行って泥棒猫にねだられるのが面倒くさいということで、結局キッチンで食べるのを続けていた。
数分とかからずに口の中に詰め込み終えると、歯ブラシを咥えたままリビングへ行き、温かい部屋で丁寧に歯を磨く。
そういえば、泥棒猫の歯磨きをしてやらなくなったのはいつ頃だろうか。
長い時間をかけて磨き終えると、〈父親〉と入れ替わりでキッチンに戻り、二つ目のグラスでうがいをしてからリビングへ。すると、
「……はい。はい。分かりました。」
ミシンの前で〈父親〉が誰かと電話をしていた。電話がちょうど終わったタイミングで話しかける。
「どっから?」
「今から病院行くから。着替えはいいからこれ着て。」
いつもと違ってほんの少しだけ声に落ち着きがない。病院と言っていたし、きっと〈母親〉の身に何かあったのだ。
*
車の中で、〈父親〉は心の準備をして置くようにとだけ言い、いつもより心なしかスピードを出して川沿いの病院へと駆けつけた。病院エントランスの空気はいつもと変わらず、この上の階で今まさに人が死んでいるとは到底思えない。
受付で名前を告げるとすぐに病棟へ通され、途中のエレベーターで面会用の手袋、帽子、エプロンを着込む。今日のベッドはまた別の位置、病院の端の狭い部屋に移されていて、扉は開け放たれたまま、外に止められているワゴンに心拍や脈を測る機械が載せられていた。
……ピッ。
……ピッ。
「まだ生きてるのか……? しぶとい奴だな。」
「ほら唯。ママの顔見てあげて。」
ほんの少しの、今にも消えてしまいそうな波が動いているような気がしたが、〈父親〉に言われるままに部屋に入り、すっかり窶れ果てて肌の色も無残に変色し、腫れ上がった傷以外は骨と皮だけになった〈母親〉の表情を拝んでおくことにした。
「……ばいばい。今までありがとね。」
唯はそう言って〈母親〉の頬に触れ、両手で手を握り、もう何も聞いていない耳にこれまでのお詫びと感謝を述べ、それ以上は何も言わなかった。
ちょうど手を離したところで、三人きりだった部屋に医者や看護師が詰め寄ってきて、医者は腕時計を見て、今の時刻を静かに告げた。
「そうですか……」
〈父親〉は涙を流すこともなく、ただ冷静に目の前の死を受け入れた。
「ふん。死んだか。これで私も自由というわけだ。」
一方唯は、見た目こそ悲しんでいる風を装っていたが、実際は感情を失ってしまったかのように冷静で、涙一つ流さないどころか、顔色一つ変えず、心も一切動いていなかった。
*
白い布を被せられた〈母親〉は二人よりも一足先に運び出され、唯たちは病院の一階、誰も使っていない保健室のような場所に案内された。
「これからどうする?」
エレベーターを降りた時には既に、母を失って悲しんでいる子供という仮面は脱ぎ捨て、代わりに、母の死という悲しみを乗り越えて冷静でいようと努めている仮面を被っていた。より素顔に近い仮面のほうが着けていて違和感がないので、これから長い付き合いになるかもしれない〈父親〉には慣れてもらう必要があった。
「まずはお葬式の予約。」
病院の一階、誰もいない保健室のような部屋の椅子に座った〈父親〉は、唯のほうに首を動かすこともせず、持ってきていたスマホで近くにある火葬場を検索していた。この人間が何かを調べているところを見たのは初めてだ。
「どこで燃やしても同じだろう。」
演技は少しずつ薄れ、いつもの渚が唯の口調を侵蝕していく。この無関心な人間は果たして新しい所有者になってくれるのだろうか。今まで一ヶ月間は甲斐甲斐しく世話をしてくれたが、それはきっと万が一〈母親〉が目を覚ますような奇跡が起きた時に唯がいないと家族関係が成立しないからで、その恐れがなくなった以上、今夜にでも捨てられる可能性がある。
「あとはじいじとばあばにも電話しないと。」
「あぁ、そっか。そういえば今年は誕生日の連絡入れなかったっけ。」
唯は今後の身の振り方を考え始めていたが、〈父親〉はまだ葬式の準備と訃報の連絡で忙しそうに電話とメールを方々に送っていた。
「私が死んだら誰が葬式に来るのかな。」
「家族以外とは接点がないんだからどうやって葬式の日程を伝えるんだ。」
「確かに。でも三人、いや五人も来てくれるなら十分かな。」
二人が雑談をしているわずかな時間にも、隣の席では宴会場と招待客の選定が着々と行われていた。こういう面倒ごとは他人に任せるに限る。
*
「ここでいい?」
「私はなんでもいいよ。好きにしな。」
十数分か数十分か、元から希薄だった感情の波が死人のようにすっかり引いてしまった頃、〈父親〉が適当に選んだ葬儀社を唯が確認もせずに承認することで話し合いは終わり、俯いたまま薄暗い廊下を歩く。受付のあたりで立ち止まると〈父親〉は医者たちと何やら話を始めた。
内容は分からないが、文脈から判断するならば〈母親〉の葬式か入院費の支払いかのどちらかだろう。自分には関係ないと判断したところで、唯はその会話を盗み聞くのを諦めて外の空気を吸いに窓際に向かった。
「終わった、ね……」
「ああ。やっとな。」
その顔に浮かぶ笑顔はドア近くの壁に向けられていたので、誰かに見られている心配はないだろう。アストラル界での情報によれば、親の死を前に悲しみすらしないという性格はあまりいい印象を与えないらしい。
喪失感と解放感が大津波となって押し寄せていると、医者たちとの話をつけ終わった〈父親〉が唯のところまでやってきて言った。
「もう行くよ。」
「ん。おけ。」
業者の車の後部座席に〈母親〉だったものが載せられると、車両はゆっくりと病院を離れていき、そのすぐ後ろと〈父親〉の車が追いかけていく。来た道よりも少しだけ広い道路を走り、川沿いから唯の家がある山を抜け、さらに向こう側の山の中へ。くねくねと曲がった道を右へ左へと走っていき、粗大ごみを捨てるとき以外はほとんど訪れないような山奥を進んでいく。
前の車両とカーナビに追従しながらしばらく道なりに進んでいると、急に開けた土地に出て、無駄に広い駐車場の真ん中にぽつんと建物が建っているのが見えた。どうやらあれが目的地らしい。
*
〈母親〉が眠っている布団が置かれていたのは傷一つない畳が何十枚も敷かれた和室で、死体さえ置いていなければ旅館の宴会場のようにも見えた。
「大人しくしとけよ。」
「はいはい。こんなとこで騒ぐほど罰当たりじゃないっての。」
「いやお前バカだからな……」
宴会場は部屋の真ん中に引かれた敷居の線によって大まかに二つに分けられていて、片方には大きな机が置いてあってごく普通の和室、もう片方は仏壇を巨大化させたような儀式用具と〈母親〉が置いてあって死体安置所になっていた。特にどこに座れという指示はなかったが、死体のそばにいるのはあまりいい気分はしないし、〈父親〉は机の前に座布団を出して座っていたので、唯もそれに倣って座布団を取り出すとその隣に正座した。
正面にはこの宴会場の職員と思しき人間が二人ほど座っていて、レストランのメニューでも紹介するようなノリで葬儀のプランやら花の値段やらを話して聞かせている。最初のうちは真面目に聞いていたものの、あまりに商品の数が多いせいで、唯はだんだんと選ぶのが面倒くさくなっていった。
「唯はどれにしたい?」
「え~? ぶっちゃけどうでも――どれでもいいんだけど。」
〈父親〉の質問に、あまりにも投げやりな返答で返す。そもそも人一人燃やすのに余計な装飾品が必要だという理由がよく分からない。
「じゃあなんか一番安いやつ? でいいんじゃない?」
「そういうわけにもいかないでしょ。ママに何かしてあげられるのもこれで最後なんだからちゃんと考えなさい。」
「はぁ……ぃ。でも私は本当にどれでもいいから。任せる。」
一番シンプルなものでもいいだろうと思ったが、それがダメだというのであれば唯にはこれ以上のアイデアはない。そもそも本人の希望など一言も聞いていないし、死人に口なしなのだから、今生きている人間にとって一番都合がいいプランを選ぶのが正解なはずなのに。
*
唯はいつも通り〈父親〉に選択を一任し、その結果選ばれたのは全体的に見ても、少なくとも唯の感覚では「火葬前の儀式」代にしては高いと思えるものだった。流石に高すぎるから却下しようとも思ったが、責任を負うのが面倒だからと決定権を放棄したのだからそれに従う義務がある。
「じゃあこれで。」
「かしこまりました。」
「やっぱ宗教って儲かるんだなぁ……」
契約が成立していくさまをぼんやりと眺めながら、そんな感想を抱く。世界最古の商売は宗教家だと聞くが、こうしてみると本当にその通りなのだろう。
買い物が終わって職員らが去り、どこかからお茶の紙コップを取ってきて一息ついていたところ、壁の上の方に罹っている時計の針を見て急に空腹になったのか、
「じいじたち今日の夜には着くみたいだから、一旦帰って飯にするか。」
そう提案してきた。
「ういす。今日何ー?」
先ほどの葬式のメニュー表の中には新幹線で売っていそうな弁当がいくつか並んでいたのでそれを注文する気だろうかとも思ったが、まだ生きている人間には金は使わないらしく、家に帰る途中で少し寄り道をして、食パンとハム、スライスチーズを一袋買って帰ることになった。
「私のぶんは焼かなくていいからね。オーブン出すのめんどくさいし。」
「いいよ俺は焼くから。」
そういう意味で言ったわけではないが、まあいい。夜までに家族全員が揃うというのなら、それまでの間はなるべく機嫌を取っておいた方が今後有利になるだろう。
家に着いてすぐ、本日の昼食三点セットを取り出して好きなだけ食べていいと言いつけてから、〈父親〉は泥棒猫の餌をちゃらちゃらと用意した。
「勝った。」
「どうだか。」
白くて甘ったるい四角形を二枚ほど取り出して喉の奥に押し込み、夕方までの自由時間をできるだけ謳歌する。月の彼方にいる他の家族がいつ来るか分からないので電話のコールが気になり、それは唯の視線を壁掛け時計へと誘導していた。そして、その横の釘にかかったカレンダーにも。
「……あ。」
唯はその日付を見て、時が止まったかのようにぴたりと、部屋を歩き回る足を止めた。今まで謎だったピースが全て綺麗にはまっていく。
「そっか。そういうことだったんだ。」
十二月二十七日。
それは一年前、ちょうど唯が魔術師になって、その身に渚という魔女が舞い降りた記念日でもあった。
「――ね。私が魔女だってわかったでしょ?」
「私にはただの不幸な人しか見えなかったけど。」
「そもそも月はどうなったのよ。」
「仕方ないですね。ではここから先は私が。」




