39:// ウィッチズカーテン
「では、ここからは私が引き継がせていただきます。」
「よろしく~。」
朝の電話で聞いたとおり、唯が月の彼方に取り残していった、あるいはその逆の家族はちょうど陽が沈んだ頃になって宴会場に到着した。
「なんで黙って逝きやがったんだ、ちくしょう……!」
「ああ、こんなになってねぇ……ううっ……」
〈母親〉の実の両親たる二人の老人はその白い棺の中に納められた骸の前に跪いて大声で泣き叫び、遠く離れた地で娘が死に向かってることに今日まで微塵も気が付かなかった自分自身に対する怒りで顔を歪めていた。家族、特に血の繋がった者の死にはこのくらい動揺して感情を爆発させるのが自然体なのかもしれない。その隣では〈父方の祖父母〉が対照的に、まったくの他人の死がニュースで流れているのを聞かされたような無感動な表情で〈父親〉と今後について話していた。
「少年、お前も本当は悲しいんだろ? 辛かったら泣いていいんだぞ。」
「そうだよぉ、無理しないでいいんだよ。」
「……うん。でもいつまでも泣いてたらママも悲しむから。私は平気。」
心配そうに抱きしめる二人の腕の中で、唯をにやりと笑いつつ半分震えた声を上げた。いつだって〈母親〉と一緒にいたことは〈祖父母〉も当然知っていたので、それを失ったショックは相当大きいと思っていて、そんな姿を求めているのだろう。求められれば望まれた仮面を纏うのが唯という生き物だった。
「ああ、そう……だな。本当に、少年は強い子だなぁ。」
〈祖父〉はその声音から自らに都合のいい「唯」というものを思い浮かべ、感心したように頷いてみせるとそっと頭を撫でた。こんなにも簡単に騙されてしまうなんて。
「うん。だから二人も元気出して。」
「そうだねえ。唯は優しい子だねぇ。」
〈祖母〉も同様に、その優しさに触れていたく感動したようで唯の表面を褒めだした。嘘と演技と勘違いで作られた世界が暗く重々しい空気の中で温かい光を放っている。
3783年4月3日の夜。遠く離れた西日本の地に唯の家族全員が集まるのはこれが初めてのことで、そして、明日で最後になる。
*
西日本人というものを敵視し、たった二人の例外を除いて誰とも友好関係を築かなかった唯とは違い、常に会社と家を往復するばかりで誰と交友を深めることもしなかった〈父親〉とは違い、〈母親〉には東日本人、西日本人を問わず多くの友人や知り合いがいて、彼女たちは連絡を受けた日の夜にはこの宴会場に集まってきていた。
「そう。そんなことがねえ……」
「唯くんは大丈夫?」
「辛かったらいつでも言っていいからね。」
「おお、唯くん久しぶり。お母さんの件は残念だったね……」
「あの二人なら何とかやっていくでしょ。」
多くの人間の靴が広間の玄関部に揃えられ、がやがやという声を響かせて〈母親〉の最期の姿を見やり、その場に集まった友人同士で話し合い、ときどき気が向いたら唯や〈父親〉に話しかけるのを繰り返す。唯は全て無視してしまおうとも思ったが、〈父親〉がその一つ一つに丁寧に応対しているのを見て、結局唯も客への応対をすることにした。
「はい。平気です。」
「本当に大丈夫? もし何かあったら――」
「ご心配なく。」
「ええ。理解しています。」
相手の顔も見ずに、俯きがちに淡々とした返事を方々に向けて繰り返す。普段なら冷たい人間にも見えただろうが、今の状況で唯が微塵も悲しんでいないという可能性は誰も考えなかったのか、全員が「この子はひどく傷ついているようだから今はそっとしておこう」として次第に唯から離れていった。
そうして何人もの人々が押しかけてきては去っていき、やがて空には月と星だけが浮かぶ暗闇が訪れた。駐車場のほかには何もないような場所だからこそ、見上げただけで光が降り注ぐ。これが月の彼方であれば、もっと地上に近いところに星空があったというのに。
「唯。そろそろ帰るよ。」
〈父親〉に命じられ、唯は一旦家に帰ることになった。〈祖父母〉四人は今日はこの宴会場に泊まるらしい。うち二人は単純にホテルを予約するのが面倒だからだったろうが、もう二人のほうは、明日その身体が燃やされてしまう前に、最後の夜を過ごしたい故ということだろう。
*
「じゃあそろそろ支度して。」
「いー。服はどれ? 黒いのがいいんだっけ?」
「制服。」
翌朝、味のしない朝食を終えた唯はしばらくの間無心に歯を磨いていたが、時計を見て今日が何の日かを思い出すとすぐに支度を始めた。
一年前にこの制服を買ったのは、これから三年間毎日学校に通うためだった。最初の一年間は見事その役目を果たしたブレザーとズボンの上下は二年生になったときに使われなくなり、今日がこの服を着る最後の日となるのだ。唯を学校へ送り出すための衣装が、唯が誰かを送り出すための衣装として使われるとはなんと皮肉なことか。
「ういっけー。じゃ行きますかぁ。」
「最後にママの顔見てあげなね。」
山奥の葬儀場へ向かう道中、ラジオのニュースをかけるのもどこか気が引けてか、あまり意味のない雑談や昨日どんな人間が来たかなどを話し合った。今までは唯の声が聞くに堪えないからといって会話も拒否していたのに、〈母親〉が入院してからは向こう側から話しかけてくることも増えていて、それは顔や言葉遣いには出てこない明確な変化だった。もしかしたら、この〈父親〉にも寂しさのようなものがあるのかもしれない。
「おはよう、じいじ、ばあば。体調とか大丈夫?」
「ああ唯、おはよう。」
「少年、もう起きてたのか。」
当たり前のことではあるが〈祖父母〉は既に起きていて、ただの義務感でのみこの場に滞在している〈父方の祖父母〉は座布団の上でくつろいでいたものの、母方の二人はまだ〈母親〉の遺体を前に嘆き悲しんでいるようだった。いい年した大人が何を引きずっているのかと言いたいが、ここで責めて心証を悪くするのは得策ではない。
「少年もほら、ちゃーんと顔見とけ。数時間もすりゃ……真っ白い骨に……なあ。」
「うん。今日は……大事な日、だもんね……」
〈祖父〉の命令に従って、棺の中の〈母親〉の表情をじっと見つめてみる。入院生活が始まってから一ヶ月も変わり映えのしない表情を見ているのだから流石に飽きてくるが、こういう時には俯いて綺麗事を並べるのが効果的なのを知っていた。
「唯。そろそろ皆来る頃だけど、失礼なこと言わないようにね。」
「別に大丈夫でしょ。黙ってればいいんだから。」
*
昨日は「明日の葬儀には参列できないからせめて通夜だけでも」と多くの友人や唯の関係者がこの宴会場を訪れ、亡き〈母親〉に多くの言葉を捧げていった。そのうち何人が本心からその死を悼み、何人が明確な打算あるいは職務上の義務感で馳せ参じたのかまでは分からなかったものの、少なくとも本人の自覚としてはそうだっただろう。
「おはようございます。」
「おはよー唯。元気してるー?」
「はい。」
一日が経過した今日は昨日ほどの参列者はいない。それでも数人の親友は昨日に引き続き今日もやってきて、葬儀に参列してくれた。家族と友人で合わせて十人ばかりが机を取り囲むようにして待っていると、やがて葬式の時間になり、田舎臭い格好をした僧侶が一人、部屋に入ってきた。
「え~、それでは、これより葬儀を――」
全身黒ずくめの反動的衣装を纏った中で一人だけ紺色の学生服というのは違和感ばかりでどうにも気まずさを感じさせるが、正座をしているまま正面を向いていれば誰に気付かれることもない。この手の儀式は前にいる人間の真似をしていれば少なくとも失敗することはない。
僧侶の読経がぶつぶつと聞こえる中、目の前に広がるのは豪華な花々に飾られた棺と仏壇だけ。
「では順番に……まずは喪主の方から。」
「はい。」
まず〈父親〉が立ち上がり、焼香の儀式をこなしていく。唯はじっとそのプロセスを見つめ、次に自分のターンが回ってきた時にミスをしないようにと暗記する。〈父親〉が座布団に座ったところで唯の番になり、全く同じ動作で儀式をこなす。
「今までありがとう。」
心の中に浮かんだ建前を誰にも気づかれないように呟くと、唯は元の席に戻った。その後も順番に立ち上がって前に出て、手を合わせたあとで元の位置に座るのを繰り返し、また催眠術のような声を聞かされ、こんなに長いならしばらく寝てしまおうかと思ったところでようやく最後の呪文が読み上げられた。
「では皆さん、最後にお花を。」
最後の儀式として花を渡され、全員で棺の隙間に花を敷き詰め満たしていく。〈母親〉のからだじゅうが花になったところで棺が閉じられ、その姿はもう二度と見えなくなった。次に会うときは既に骨だけになっているのだ。
*
葬儀場と火葬場は少し距離が離れていて、唯たちは霊柩車の後を追ってさらに山奥へと車を走らせた。火葬にはしばらく時間がかかるらしく、待合室で待機するようと指示されたので、親友たちを含めてた大勢が狭い和室の中で雑談をする運びとなった。
「じゃあお二人の思い出話でも……」
「そうですね……」
酒を飲んでいるわけでもないのに、まるで居酒屋の座敷にでもいるかのような気分だ。〈両親〉の過去に何があったかなんて興味はない。唯は昨日から多くの人間に囲まれてもう既に十分疲れていたので、早く家に帰ってぐっすり眠り、ただ怠惰な年末年始を送りたかった。
一時間ほど経っただろうか。ようやく火葬が終わったとのことで、全員は別室、燃やしたあとのものが取り出されている部屋へと案内された。
「ああ……こんな……」
「これがママの……」
「ではこれより収骨を行います。まずは――」
どの骨がの部位の骨なのかの解説を聞きながら、やけに長くて角ばった箸で一本ずつ、一人ずつ順番に骨壺に納めていく。全員が一本拾うごとに何か一言声をかけたので無駄に長い時間がかかったが、頭骨を壷に収容したことでようやく長い葬式のプロセスがすべて完了した。これで〈母親〉の魂とやらも安心して眠りにつけたのだろうか。
「じゃあ私たちはこれで。」
「そんじゃ俺らも帰るとするかね。」
骨壺を持って帰る大役は唯に任されたので両手で大事そうに抱えたまま、〈母親〉の親友たちと〈父方の祖父母〉を見送った。残された四人は、ただその場にしばらく立ち尽くしていた。
*
この癌が完治したら月の彼方に帰って年末年始を過ごすという約束は、その年末に〈母親〉が死亡したことによって半分だけ叶えられた。〈母方の祖父母〉は何を思ったのか、年末年始の一週間を唯の家で過ごすことにしたらしい。
「ようこそ今の私の家へ。歓迎します。」
「ああ、お邪魔しますねぇ。」
「前来たときと変わってないな。きなとごまは元気か。」
〈祖父母〉は家に着いて早々、これまで自分の娘が何年も統治してきた国を視察して回った。エアコンの稼働状況、猫の体調、高校の様子、最近の生活はどうだったか――口を開くたびに質問攻めだ。ただでさえ疲れている身体には負担の大きい質疑応答だが、だからといってぞんざいに扱ったり無視したりすることはできなかった。
唯は高校卒業後は月の彼方に帰る予定で、それにはこの孫煩悩な二人は利用すべき資源として認識されていた。今のままであれば何でも願いを叶えてくれそうなので、その安定した精神状態をと期待を維持しなければならないと。
「うん。きなちゃんもごまちゃんも元気だよ。今はちょっとビビって出てきてないけどね。」
「そうか。元気ならいいんだ。」
「なんでママは私たちになんも言ってくんなかったのかねぇ。まだ元気なうちに言ってくれりゃあすぐにでも来たってのにさぁ……」
泥棒の猫の話をしていたはずが、いつの間にか〈母親〉の死に関する話題に戻っていた。大事に抱えた骨壺を〈父親〉に返し、仏壇代わりのカラーボックスに置かれるのを眺めながら正直に答える。
「……心配かけたくないって。そう言ってた。変に心配させて体調悪くなってほしくないって。」
*
大切な家族が二人増えての冬休みはいつもの二倍楽しくもあり、要求してくる人物像が三倍になったことでその負担は三倍になっていた。
「おっはよーさん! 今日は何してあーそーぶー?」
「おはよう。唯は早起きだねぇ。いい子だ。」
普段の朝であれば挨拶からは始まらない。〈両親〉から何か言われたところで適当な返事をするしかしてこなかったが、唯をまだ魔女でも魔術師でもない人間として見ることを望んでいる〈祖父母〉の前では、今まで以上に分厚い猫の皮を被っていた。
「せっかくだからもっと明るい話しよ。ね? ほら一緒にこれやろうよ。」
いつまでも塞ぎ込まれたままであることそのものには何の問題もない。しかし、このまま〈母親〉の死を悼んで落ち込んでいなければならないという気圧は息苦しく、ずっと前に〈母親〉との別れを済ませて吹っ切れている唯にとって、その悲しみを演じ続けるのは本心がばれるリスクが高いと判断された。
今回こうしてモノポリーを押し入れから引っ張り出したのもそれが理由。少しでも気分の晴れることをして、唯がぼろを出しても不自然にならないようにするのが目的だった。
「でも私たち別に上手くないし……頭いい唯の相手にはなれないから……」
「もう! そういうのはいいから! じゃあ一回だけ、一回だけやろうよ!」
「はっはっは。そうだなあ、少年。俺たちもいつまでもこうしててもいけねえよなあ。」
「うん! じゃあパパも参加するよね?」
「え……めんどくさ。」
唯にとって、コミュニケーションの手段といえばボードゲームだった。初代観測官から教わった、他人と自然に話すための魔術を使うための魔法陣。その上を、今日は四つの駒が歩き回って術式を構築していく。
*
今まで料理担当だった〈母親〉が入院したせいでこの家の食事のクオリティは一、二段下がっていたが、〈祖母〉がその料理人を代行してくれたため、冬休み期間中だけは一段の半分ほどは料理の質が戻っていた。
「わお。なんかご飯に味噌汁って懐かしい。」
「唯はいつもこういう質素なの食べてたの、覚えてるよぉ。」
「けど少年、男ならもっとガッチリした体つきになんなきゃダメだぞう。もっと運動しないとな。」
どうやら〈祖父〉は唯にアスリートのような体格になってほしいらしい。だったら男じゃなくても結構だと言ってやりたかったし、そうして反動思想を矯正してやることも使命の一つではあったが、今は面倒ごとを避ける方を優先して何も言わないでおいた。どうせあと数日なら、この間くらいは譲歩してもいいだろう。
「今日の夜ごはんは何がいい?」
大晦日の朝食終わり、数時間ほど気の早い質問が飛んできた。
「ん~、何でもいいけど……まあ大晦日だし年越しそばとか?」
「年越しそばだって。」
「はいよ。」
なんだか適当な一言で勝手に決まってしまったが、まあいいだろう。人を自由に動かせるというのは全能感、つまり快楽を与えてくれる。
唯が期待して待っていると、その夜は異様にトッピングの多いそばが出てきた。エビフライ、天かす、その他野菜や揚げ物色々。はっきり言って多すぎる。どうやら人を動かすときはかなり細かく指示しないといけないらしい。
*
正月料理はどれもめでたい意味を持って縁起がいいものばかりだが、家族の死から一週間と経っていないこの家には少し不似合いな料理たちだったと言える。
今年は随分前に予約していたものが三人前だったこともあって、四人で食べるぶんには少し物足りなくなっていた。もっとも、人参しか食べなくなった人間は実質ゼロなので、二人がいなければ多すぎるという結果だったかもしれず、その点ではある意味丁度よかったのかもしれないが。
「唯は栗きんとん好きだったよねぇ。ちゃんと買ってきたよぉ。」
「あ……うん、ありがと。よく覚えててくれたね。」
唯が甘いもの好きだったのは昔の話であって、今はそんな甘ったるいお菓子よりも普通のご飯が食べたいとさえ思っていたが、ここでそれを言うのはブランドの低下、唯の価値の低下に繋がるとして甘んじて受け入れることにした。先にそれとなく伝えておかなかったのが悪いのだ。
「ん、美味しい。」
「そうだねぇ。これでママも一緒だったらもっとよかったんだけどねぇ。」
また始まった。もう葬式も終わったというのに、同じ話を何度も持ち出して不幸ぶるなんて面倒な老婆だ。鬱陶しい。
「おい、今はそういうこと考えなくてもいいだろ。」
「……そうね。」
「そうだよ! いつまでも悲しんでばっかりだとママも心配しちゃうでしょ?」
今度は素直というよりも少しだけ大人ぶったしっかり者という風を装って、いつまでもネガティブな〈祖母〉に説教を言ってみる。素直ないい子の仮面だけを被るよりも、多少変種を使ったほうがそれらしくなるだろうから。
*
唯は初めてと言っても過言ではないくらい久しぶりにキッチンに立っていた。唯はキッチンにある料理の材料のストックの中から自分でも作れそうなもの、あの二人に適当な意味付けをできるものを探し、一箱のゼラチンパウダーを見つけ出していた。
「……これでいいか。」
「こんなんで喜ぶの?」
「あいつらの馬鹿さなら炭になった卵でも喜んで食べるだろうよ。」
コップに水と粉を入れて作るだけのゼリーなら危なくもなく、途中でミスをする心配もないだろう。唯は丁寧に箱の解説を読むと、分量どおりに律儀に材料を入れていった。
〈父親〉が会社から勝手にもらってきたジュース、使い道のなさそうなゼラチンパウダー、こういった食べたくもないものを押し付けるのにはちょうどいい。
「はいこれ。私からプレゼント。ママが薬飲むときに使ってた残りだけど。」
昼食後、作り始めた理由からは想像もつかないほど純粋な笑顔で四つのグラスをテーブルに置くと、案の定〈祖父母〉の顔がぱあっと輝いた。流れるように出てくる嘘には気が付かないらしい。
「ありがとうねぇ。すごく美味しそうだよ。」
「少年は料理もできるのか。流石俺の自慢の孫だな。」
「まあね~。私天才だからね~。」
ここでは謙遜よりも冗談めかした自慢と自惚れを選択。本気にさせないくらいがちょうどいい。
「うん。美味しい。」
「それならよかった。」
「数年前会った時はまだ子供だったのに、もう大人になったんだな。」
「まあね。色々経験してきてるからね。」
唯がなったのは大人というよりも魔女、怪物と言ったほうが正確な存在ではあったが、二人が常に都合よく勘違いしてくれるのをいいことに、唯もまたその勘違いに乗っかっておくことにした。
*
巫女みこ天使さまから年賀状が届いたとき、初めて〈母親〉の死を本気で恨んだ。
今年のイラストは着物を着た兎といった内容で、巫女服でなかったのは個人的に少し残念だが、半年前から東方にハマっていた唯にはそれがてゐにしか見えなかった。そう言えば、一昨年のは約ネバのエマに似ていた気がするし、去年のは進撃のミカサに似ていたような気がしなくもない。ちょうど唯がハマっていたものに合わせているようなのも、やはり彼女は超常の力の使い手ということだろう。
「ねーねー、今年の年賀状は余りある?」
「今年はないよ。喪中だからね。」
「ええ……じゃあ一枚買ってきてよ。べつにお金くれるでもいいけど。」
「だから喪中だっつってんだろ。今年は年賀状書いちゃダメなの。」
人が死んだらメッセージを送ってはいけないなんて、なんという非合理的なシステムだろうか。一年に一回しか連絡を取れない唯にとって、次に巫女みこ天使さまに言い訳ができるのは一年後。しかし、一年もスルーされたら普通は関係自体がなくなるだろう。
「ねえじいじとばあばはどう思う? 酷くない?」
「……でもしょうがないだろ。そういうしきたりなんだから。」
「むぅ……しきたりぃ……」
いつもなら唯を全肯定してくれる〈祖父母〉にも裏切られた。別に旧来の習慣なんてどうでもいいだろうこの反動分子めと一発がつんと言ってやりたくなったが、ここで関係が悪化すると必要な資源が引き出せなくなることを思い出した唯はすんでのところで踏みとどまった。
巫女みこ天使さまには申し訳ないが。来年無事に月の彼方に帰るために今年だけ我慢してもらおう。あれだけ優しい彼女のことだから、来年お詫びすればきっと許してくれるはずだ。
*
一週間が経って、〈祖父母〉が月の彼方へと帰る日になった。レンタルした布団や旅行鞄といった異物がリビングから撤去され、家は再び日常へと形を変える。
二人が乗る新幹線は夕方の便だそうで、午前中は四人で年末年始を過ごし、昼食には最後の一袋から作られたゼリーを押し付け、和気あいあいとした時間を送っていた。来年になればまた会える――そう信じてはいるが、まさに数日前、病状が悪化してから半年と少しで息を引き取った人間を見てしまっているのであまり信用もできない。
「じゃあ俺らは帰るから。二人で協力して頑張れよ、少年。」
「ちゃんとパパの言うこと聞いていい子にするのよ。」
「うん、ちゃんと頑張る!」
「ええ、さようなら。」
玄関で一言ずつ言葉を交わし、〈祖父母〉が玄関を開けて家を出る。
「あ、ちょっと待って。せっかくだし麓のバス停までついてってあげる。荷物一個くらいなら持つよ。」
唯は今がチャンスとばかりに申し出て、〈父親〉の意見を聞くより前に二人を引っ張って階段と斜面を下りていった。階段下のバス停は錆びたパイプ椅子がいくつか置いてあるだけの場所で、文明人には座るに堪えないと思ったのか、立ち話をすることになった。
*
「……ちょっと話があるんだけどさ。」
「どうしたの? 何でも言っていいよ。」
「私ね、高校卒業したらそっち帰ろうかなって思ってるの。」
まだ〈父親〉の承認は得ていないとはいえ、本心からそうしたいと願っている、十年来の願いを告白する。二人の息が一瞬だけ詰まったような音がした。
「帰ってきてくれるのかい? 大歓迎だよぉ。」
「ああ、俺たちは家族だからな。何なら今から新幹線乗って帰るか?」
「何言ってんの。席予約してないでしょ。」
「いや、これはぬいぐるみですーっつって……」
冗談を言い合ってほほえましい雰囲気だ。少なくとも拒絶されている空気ではない。まだあの国は唯の祖国でいてくれているのだ。
「それでさ、まあ一人暮らしでもいいんだけど、しばらくじいじたちの家に住むのとか、だめ……かな……?」
そして本題のお願いをぶつけてみる。この二人なら一人暮らし用の新しい家を買ってくれと言い出しても叶えてくれそうだが、まずは現実的なラインでいいだろう。
「いいに決まってるだろう。俺たちの家は半分は少年の家でもあるんだからな。」
「そうよ。卒業までなんて言わなくても、いつでも来ていいからねぇ。」
なんとあっけない勝利だろうか。最初からこの奪還作戦は唯の勝利が決まっていたのだ。
「家族? 一年後には全てが明らかになるのに?」
「ザラ。今はイシュのターンだ。」
「分かってる。ただ可哀想に思えただけさ。」




