24:// 過去を変えるための、1つの魔法
「みんなは運命って信じてる?」
「運命っていうか、そういうものでしょ。」
「そうそう。重力みたいなものだよね。」
神になるために物語を作ろうと言い出したのはこれが初めてではなく、唯は何度も似たようなことを言ってはその都度数日で挫折してきた。
長続きしないことを意味する語に三日坊主という言葉があるが、三日も続いたなら上等だろう。唯は多くの場合、やってみようと決意してから数時間で諦めていたのだから。
致命的といえるほどに人を見る目がない唯が鑑定した才能の有無など今となっては全く信頼に値しないが、自ら天才を称し、それ相応に結果を出してきた唯にとって、自分の力量を正しく見極めることについては絶対的な自信があった。半日も取り組んでみれば、自分がその才能を持っているかどうかくらいは簡単に分かるのだと。
何かができるということはプラスの評価に繋がる一方、何かができないということは直接的に人の商品価値を下げる。しかし、その試験項目に対して結果がどちらなのか分からなければ正確な評価ができないので、シュレディンガーの猫の法則により少なくとも価値が下がることはない。
自分にできる範囲内のことだけをやるというのが唯の処世術の第一原則であり、苦手なこと、やってもできないことには最初からリソースを投下しないというのが自己価値を下げないための秘訣だった。
〈母親〉が唯に要求していた仕様とは、最初から完璧な結果を出し続けること。今はできないけれどいつかはできるようになる、たくさん練習すればきっと上手になるなどといった甘えは許されていない。だからこそ、唯は努力に対して細心の注意を払い、誰も見ていないところで自分の能力を一度だけ試して適性がないと判断すれば二度とその業界には関わらないという戦略を取っていた。
唯の非道さを表す例としてしばしば挙げられる、他人のことを利用すべき資源と見なす思想は当然、自分自身にも向けられていた。むしろ、自分自身を一定の成果を出すための機械と見なす思想が全人類に適用されたものと見たほうが自然だろう。
*
将来とは過去と現在の条件の積み重ねであり、これを突き詰めれば人生というものは生まれた時にはその終わり方まで全て決められていることになる。人には自由意志があるというが、その自由意志を構成するのは過去に得た情報であり、前提条件が同じであれば結果も同じものが出力される。意志の力で運命をねじ曲げるような物語は多くあるが、それは初めからねじ曲げられた後のものこそが用意された運命だったというだけの話だ。
「決定論者だね。」
「そうかもね。でも科学的でしょ?」
「ちょっと古いけどな。」
物語は結末から考えるべき、という話をしていたはずが、いつの間にか人生観の話になった。魔術を修め神になろうという人間が科学的であることを誇らしげに語るのは矛盾も甚だしいが、元々唯は現実主義者だったのだから、むしろこちらの方が本来の姿といえる。
「でも物語の世界って全部決定論じゃん。こっちがエンディング決めてるんだから。」
「確かにそうだが……でも読者の評価で展開変わったりもするぜ?」
「それは単純に作者がバカなだけでしょ。思いついてないなら書くな。」
相変わらず辛辣な評価だが、本当に価値のあるものが無価値なものに埋もれてしまうのを嫌がるというのは唯の過去を鑑みれば十分に共感できるものだったかもしれない。駄作の群れに埋もれる程度の作品だったという見方もできるが。
「ま、決定論で説明するならその展開が変わることも含めて予定調和だから。」
「言われてみりゃそういうことになるのか。」
「ね? 私の言ってること間違ってないでしょ? ほら天才。流石私。」
唯は勝ち誇った表情で自らを賛美してみせた。実際、ボーム理論では量子現象のランダム性は未知の変数によるもので、世界そのものは決定論的だという解釈を取るのだから、あながち古典的な思想ともいえないだろう。
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こうして世界は決定論的であると結論付けられたが、この手の理論には一つ大きな落とし穴がある。いくら世界が刺激に対して反応するだけのものだったとしても、人間の技術ではその反応パターンを完全には計算できない――つまり、世界が決定論であろうとなかろうと、人間の行動という次元では確率論的に振る舞うしかないということだ。
「まあ決定論争はいいからさ。もっと真面目な話しよ。」
「ん? まあいいけど。何だ?」
「いや、どうやったらクリエイターになれるのかなって。あ、定冠詞ない方ね。」
才能がないからといって何度も諦めた道だが、それが神になるために避けて通れない道ならと、唯は今までとは全く違う向き合い方で再びその世界に立ち入ろうとしていた。
才能がないことを理由にここから逃げるのは簡単だし、合理的な観点からは正しいことだ。しかし、それでは唯は第一征服者への復讐を成し遂げられず、このままでは東日本人が西日本人よりも劣った存在であることを自ら証明してしまうことになる。唯はそれだけは絶対に避けなければならなかった。
「クリエイターねえ。何になりたいとかはあんの?」
先生は進路指導でもするかのような口調で訊いてきた。正直に言えば、クリエイターになるのは神になるための踏み台であって、その資格が得られるなら内容は何でもいい。ただ、数年前はゲームクリエイターを目指そうかと思っていた時期も僅かながらに存在するので、せっかくなら子供の頃の希望を叶えてみるのもいいかもしれない。
「じゃあゲーム。ドラクエとかモンハンみたいなやつ。」
「いいじゃん。でも唯ってどうせ一人で全部やりたいって言いだすんだろ。」
「当然よ。誰かと一緒に作ってたら私が神になれないじゃん。功績霞むし。」
清々しいほどに自己中心的な発想だが、人に作らせて手柄だけ奪えばいいと言わなかっただけまだ良心的ともいえる。
「あのなぁ……ドラクエレベルのものを一人で作るって何年かかると思ってんだ?」
先生は現実を見ろと言わんばかりの声色で間接的に却下した。実際の制作工程など考えたこともないが、スタッフロールの長さ分は人手を使ったということだから数年では済まないだろう。とても四年という期限には間に合わない。
「じゃあゲーム以外で。アニメでもいいよ。」
「お前それわざと言ってるだろ。」
「じゃあ他になんかある?」
「この前みたいに小説書けばいいじゃん。」
数ヶ月前、なろう系主人公とそのストーリー展開は実際の冤罪被害者からすると不快でしかないと散々批判した時のことだろう。あの時も少しだけ書いてみたが、経験の不足と才能のなさが明るみに出るだけで終わっていた。
「え~……でもなろう系って頭悪くてセンスないぼっちがやるもんでしょ……? それはちょっと……」
唯は嫌悪感を隠すこともなく言い放った。外から投げつけた石でも、そのうち二つが真っ先に自分自身に当たったのは滑稽なことだ。
*
最も優れた文明国の出身であること。
神に選ばれた天才であること。
自らに価値がある根拠として常にこの二つを掲げてきたが、逆に言うとこれ以外に自分を肯定できる要素を持っていなかった。故郷もなく、家族も紛い物で、世界の理以外の何も知らず、ただ求められた価値を自分のできる範囲で与えてきただけ。そんな生き方をしてきたからこそ、無能で無価値な人間と同じ土俵に立つなど到底許されない。
……はずだった。
それを成長とは呼ぶかはさておき、唯は神になる上で手段を選ぶことを捨て去り始めていた。一度神になってしまえば、その過去も、未来も、全てが神聖なものとして崇拝されるのだから、一時の恥は大した損失ではないと考えたのかもしれない。
「……ま、ちょっと字を書くだけで神になれるなら安いか。」
「言うてそこまで簡単でもないとは思うけどな。」
一人で完結させられる、という意味では絵画や音楽も候補としては考えられたはずだが、不思議なことに唯の脳内では候補に入ってすらいなかった。カバラにおいて神は二十二の文字を使って世界を創造したとされるから、自分が神になるときも文字を媒介にしようと考えたのかもしれない。
「まあ小説なんて体使うもんじゃないし、ルールさえ覚えれば誰だって書けるでしょ。ましてや私にできないことなんてあるわけないし。」
「まあやってみればいいんじゃね?」
「言われなくてもまあ見てなって。すぐに神になってあいつらの人生ぶっ壊してみせるから。」
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毎年この日は第一征服者とブルドッグら教師陣そして裏切り者への二分間憎悪デーとすると制定されたはずの十月三日は魔術と神話の研究の日々の中でとっくに過ぎていて、ついこの間まで夏だったはずの空は秋色を快速で通過し、いつの間にか冬色で塗りつぶされ始めていた。
もっとも、だからと言って何かが変わるわけでもない。せいぜい先生と出会ってからちょうど一年くらいだというだけで、これと言った記念日もなく、一ヶ月に一回のスクーリングに週一回のカウンセリングと魔術研究の中間報告会議が行われる、完全にルーチン化した七日間が繰り返されていた。
何か変わったことを強いて挙げるとすれば、唯の研究する神への道が物語を作るという非常に平和的な形で言語化され、傍から見れば魔術というよりも作家を目指しているように見えるようになったことくらいだろうか。周囲の人間は唯を勝手に悪魔だと呼び、ようやく改心したのかと称賛する。しかし、唯は生まれてこの方自らの意志で「心を入れ替える」などしたことがなかった。
自分でも気付かないうちに勝手に精神構造が環境に適応し、最適化されていただけのことだ。いつからが何人目の唯なのか、おそらく誰も知らない。
*
小説を書くにあたり、端からオリジナルで何かを創るつもりはなかったので、最初に着手したのは原典の選定だった。一言で言えば、より神に近い場所にありそうな物語をパクればその分だけ自分も神になれる確率は上がるし、時間短縮にもつながるだろうという発想。倫理観よりも合理性と効率性を重んじるのは実に唯らしいと言える。
エヴァの原作がライトノベルであればそのまま全文引用されるところだったが、アニメの内容を文字に起こしていてはオリジナルで作っているのとその手間は大して変わらない。よって、はじめから小説という形式で書かれていることがまず第一の条件だった。
第二の条件は当然、エヴァやカバラの世界観と合致すること。そもそもこれを満たせなければ丸パクりしてまで執筆する意味がないのだからこちらも必須と言える。他にも、唯の独自解釈をねじ込む余地が残されている程度には世界観の設定が緻密過ぎないことなども挙げられた。
「どう? なんかいい感じに参考にできそうなのない?」
「参考ねぇ……」
先生は唯の魂胆を見透かすような目で呟くと、
「普通に聖書でいいんじゃね?」
何の面白味もない返答が返ってきた。
面白くはないが、言っていることは至極まともでもある。二千年も前に作られたものであればいくらパクっても誰にも文句は言われないし、エヴァが創世記をモチーフにしているなら、それに最も近い小説は旧約聖書になるだろう。
「まあそうなるか。できればもっと目新しいものがいいんだけどなぁ……」
そう言いつつ、オリジナルで作ろうとは考えもしなかったくせに独創性は欲しいなどというのが虫のよすぎる話だというのは唯も理解していた。
*
日本はキリスト教国ではないが、徹底した拡大主義を採用するキリスト教の聖典ともなれば日本語版が存在しないわけもなく、物質的な本として、インターネット上の資料として、アストラル界の物語として、あらゆる形で読むことができた。
(……あぁ? なんだこれ?)
当たり前のことではあるが、翻訳版ということはその内容に若干のずれがある。普通の人間なら、ましてや丸パクりしてやろうと考えるような人間ならその程度の表記揺れは大して気にも留めなかったのだろうが、そういう小さいところが無性に気になって作業が進まないのが唯という人間だった。
「形がなかったのか混沌だったのかはっきりしろや。真逆じゃねえか。」
創世記第一章第二節。唯はさっそくそのニュアンスに文句をつけ始めた。続く神の霊が水の面にあったという部分にも、覆っていたのか動いていたのかどっちなんだと言い出し、じきに唯これは思考停止で引用されるに堪えないと判断せざるを得なかった。
(あーアホくさ。結局全部自分で書けってことかよ。ふざけんな。)
どうやら神様とやらは唯にまだまだ苦労をしてほしいらしい。本来ならそんな指令は願い下げだが、神といえば唯の目指すところでもあり、これからその地位を禅譲していただく相手でもある。今だけは耐え忍んでもいいだろう。
*
今までは魔術の理論についての議論がなされていた応接室も、ここ最近は少しだけ議論の内容が変わっていた。それが唯の摩訶不思議な野望のための議論であることには変わりなかったが、一月前と比べて幾分かは普通の人間が盗み聞きしてもその意味を理解できただろう。
「じゃあ丸パクり作戦は上手くいかなかったと。」
「気にしなきゃいいことだとは思うんだけどね。でも気になっちゃうものは気になっちゃうじゃない。」
失敗したとは言わなかったが、結局完コピを断念しているのだから似たようなものだ。
「まあそれはそれでよかったんじゃない?」
「どこがよ。」
「いや、パクってたら絶対ああだこうだ言われるって。」
これから復讐として何人もの人間を地獄に突き落とそうとしている人間に倫理や法意識を説いたところでさほど意味はないが、なるほど一般的にはそうなのかもしれない。
「で、ここからが問題よ。ほぼゼロから作るとしたら何か文章以外のもので勝負するしかないわけだけど、例えば私の人生そのままのノンフィクションで勝てると思う?」
核心に迫る質問。この答えがNO一択であるなら物語を通じて神になるという計画は考え直さなければならない。
「う~ん……言うて唯の人生がほぼフィクション、なろう系そのまんまみたいなもんだからなぁ。ざまあ要素ないけど。」
「そのための魔術です。」
これから勝てばいいんだろ、と唯は言った。
そして、この報復戦争に勝つために神話が必要な可能性が高いのだ。できればローマ人のようにどこかの神話を丸ごと持ってきて楽をしたいところだが、エヴァをコピーできないなら天才の自分がゼロから世界を構築したほうが自身の理想に近づける気もする。
「まあ高校卒業まではここ来ていいんだから、それまでじっくり考えるんでもいいんじゃねえの?」
「そうだねえ。じゃあとりあえず世界観設定でも作る? できるだけエヴァっぽいやつ。セフィロトとかガンガン出てくるといいね。あとは使徒とか。」
「パクる気満々じゃんか。」
先生はそう言うが、だからと言ってそれを禁じようとはしてこない。唯に都合よくねじ曲げられた、唯のための世界像。そんなもので本当に神になれるのかという疑問はノイズとしてかき消され、マイブームは少しずつ、魔術理論の研究から物語世界の創造へと変わっていきつつあった。
*
物語に力を入れるようになったからといって、これまでの魔術研究が破棄されたわけではなく、これまでと同じように魔術に対する理解を深めようとする努力は継続して行われた。唯にとって物語の本質とは誰かを楽しませるためなどではなく、特定の思想を分かりやすく流布するためのものだったのだから、そこが疎かになれば本末転倒というものだ。
物語を構成する要素は大きく分ければ、キャラクター、ストーリー、そして世界観となる。
唯が作りたいのは自己正当化のための神話なので、キャラクターとストーリーは既に決まっている。残りの世界観については根拠の一切ない自信により完璧なものが作れるという確信があったせいで、唯にとって気がかりなのはこれらを描写する文章だけとなった。
(……ふん。この役立たずどもめが。)
現代文の講義でもっと為になることを教えてくれればよかったのに、どうやらここでは本の読み方しか教えてくれないらしい。読書をするのに何の技術が必要だというのか。元から何事に対しても不満と低評価しか贈ることのない人間性ではあったが、思い通りにいかないことがあるとその性質はより露骨になるもので、普段は無言でいるはずの講義中もぶつぶつと呪詛が漏れ出ていた。
しかし、世界史の授業ではほんの少しだけ進展もあった。中国史しか知らない残念教師の話があまりにも退屈だったので教科書を流し読みしていたら、今の唯がちょうど必要としていそうなものが載っていた。
ダンテ・アリギエーリ著、神曲。トスカナ語で書かれ、中世キリスト教世界観の集大成とされる長編叙事詩。もう少し前の唯になら神学大全のほうが刺さったかもしれないが、今の唯にはこちらの方が興味を引いた。
「ねえ、これってこの学校に置いてある?」
「どれ?」
授業中にもかかわらず、思わず講義中の青二才を呼びつけて蔵書にないかを訊いてみた。仮にあるというのなら、今すぐにでも図書室に読みに行くところだ。
「これこれ。この『しんきょく』ってやつ。」
「……え、それ『かみきょく』じゃないの?」
そうだった、と唯は反省した。近現代の中国史しか語れない世界史教師にイタリア文学の最高峰を訊いたところでまともな返事が返ってくるわけがなかったのだ。
*
世界最高峰の文学ともなれば、たとえ本物が読めなくてもその解説は電脳空間上に漂っているし、アストラル界に行けば本物を体験することもできる。唯は久しぶりに〈母親〉からタブレットを借りて調べものに没頭していた。
(ほえぇ……すげえなこの人。)
純粋な敬意だけからなる感想が浮かんだのはもう何年ぶりになるだろうか。唯はそのあまりにも細かいこだわり方に自分と似た、しかしそれよりも遥かに徹底された特定の数字への執着のようなものを垣間見、いたく感動させられた。
ダンテも政争によってフィレンツェを追われた過去があるので、学校を追放された唯に何か共鳴するものがあったのかもしれない。
「……なんかやけに上機嫌だな。」
「そりゃまあ先週いいことあったからね。」
翌週、唯は嬉々としてつい昨日一昨日に得た知識を語った。
もちろんただの神曲の解説というわけではなく、特に三位一体や天国篇の内容をカバラの世界観にこじつけたもの。
例えば、セフィラが十個であるのは完全数を象徴し、各界に割り当てられたセフィラが三つなのは聖数を象徴し、神曲が3n+1行で構成されるのと同じである、という風に。
「でたよ。唯お得意の微妙に筋の通った屁理屈。」
「筋通ってるなら屁理屈ではないでしょうに。」
魔術と言っても召喚術や錬金術の類ではなく、ただ神になるための道を探し求めている唯にとってそのストーリーも申し分ないもので、その構成やあらすじも上手いことセフィロト的に解釈がなされていた。こういったこじつけ力、先生の言葉を借りるなら筋の通った屁理屈を並べる力は確かに世界観を形作る上で役に立つ。唯の自信もただの希望的観測ではなく、少なくとも自分のことに関してはきちんと見る目があるのかもしれない。
*
人は自分にとって都合のいい情報しか受け付けないし、都合のいい結論へと導いてくれる解釈しかしない。客観的に判断したなどと言っても、それは結局自分の欲しい結論を示してくれる情報から客観的に考えたという意味であって、本当の意味で中立の情報など存在しない。
ダンテの神曲がそうであったように、現在生まれ続けている多くの物語もまた、作者の憎むものが最後には打ち滅ぼされるように仕組まれている。唯はそんな予定調和を嫌い、もっとリアルで救いのない物語とすることが創作者としてあるべき姿だと豪語していた。
しかし、実際にその意図を考えてみれば、悪しき第一征服者が最後に勝利して終わるというのはリアリティには満ちていて納得感のある結末ではあるが、それが唯を神としてくれるかと言われれば否だというのは明白だった。勝利とは正義の証明なのだから、第一征服者が勝利した結末を描く行為は彼女の陰謀の正当性を支持するものとなり、唯が望む展開で物語を作れば、復讐という目的からは遠ざかる結果となってしまうことが判明した。
(……だめじゃんこれ。)
悲しいことに、唯の好きなジャンルとその目的、人々のニーズは同じ方向を向いてはくれないようだった。これはまさに唯の法則でいう「環境」のスコアが低いことを意味する。
*
レビ記や民数記を読んでいても面白いとは思わないが、創世記や出エジプト記は多くの人々に受け入れられ、異教の神を信仰するような人間からも高く評価されている。
聖書の中で特に人気がある、特に創作の題材となりやすいものとして創世記などは有名だが、それと同じくらいヨハネの黙示録も有名だろう。終末ものの始祖とも呼べるこの外典は新約聖書の中でただ一つ預言書としての性格を持ったもので、多くの神学者や魔術師たちがその虜となってきたが、それは唯も同じだった。いつの時代も壮大なフィクションが好まれるらしい。
唯が特に好んだのは第六章、黙示録の四騎士と呼ばれるものたちが登場する箇所だった。セフィロトには四つの世界があるとされるので、同じ「四」という数字に惹かれたのだろう。
エヴァの信奉者としては七つの目を持つ仔羊を特に取り上げるべきだったはずだが、アニメ版を篤く信仰する唯にとってはあまり刺さらなかったのかもしれない。
何事につけてもカバラ的な解釈しかできない脳みそに作り変えられてしまった唯だが、これだけはなぜか全く違う解釈をした。すなわち、
第一の騎士:帝国主義者
第二の騎士:全体主義者
第三の騎士:人道主義者
といった具合である。
第四の騎士についてはまだこの時点では意味付けが行われることはなかったが、死をもたらすという記述を復讐に重ねたのか、これ以降、唯は自らをこの第四の騎士になぞらえるようになった。
*
かくして世界の半分とまではいかずとも地上の四分の一を支配し、死の病によって人類を殺戮する権限を獲得した唯は、その綴る物語さえも死に彩られるようになっていった。
「なんだよこの人類殲滅って。ちゃんと補完しろよ。」
「いやでも補完されるに値しないやつもいるじゃん。たとえば私を陥れた連中とかさ、あんな奴と一つにさせられるなんてまっぴらごめんだね。死んだほうがマシってもんだよ。」
裏死海文書にどんな契約が書かれていたのか、実際のところは登場しなかったので分からずじまい。ただ、旧劇場版の描写だけ見れば本当に無差別に全人類をLCLに還元したようなので、彼らはきっと皆を平等に補完したのだろう。
しかし、唯の補完計画はもっと大胆かつ過激なものに置き換えられていた。
人は争うことを覚えて以降、物質に限らない資源、たとえば優先順位や主導権といったものを巡っても激しく争ってきた。もちろんそれはリソースが有限であることを前提としているので、何らかの方法でリソースを無限にできれば争いはなくなるのかもしれない。しかし、唯はそんなに甘い考えはしていなかった。
たとえ補完されたとしても人間はその中に不満を見出し、争い合うに決まっている。補完されてしまったあとでは逃げることもできない。家族で遠くに引越すことも、不登校になって家に閉じこもることもできないのだとしたら、それはなんて残酷な世界だろうか。
「だから人類補完計画やる前にごく一部だけ生かしてそれ以外は絶滅させよっかなって。」
「……エレンかな?」
「まあ、私たちがラプラシアンなのは事実ですよね。」
「シオンとか特にね。」
「あれはラプラシアンっていうよりラプラシアニストだけどな。」




