23:// 数と色でできている
「知らないなら教えてあげる。本当の始まりの色を。」
一年前、七月と十月に不幸な出来事があった。唯は自分のことを悪の化身だと認めつつも当時の事件について殺人事件だと形容し、加害者性と被害者性を同時に主張する倒錯した世界観を持っていた。それが殺人事件だったというのなら、今の唯は生者ではない存在、亡霊のようなものということになる。
陰謀によって貶められて命を落とした人間が亡霊となって蘇り、自らの命を奪った人間へ復讐するという物語は世界中に存在し、唯の身に起きたような事件は人類という種族が歴史上何度も繰り返してきたことを証明していた。
ところで、このような怨霊譚は世界各地で見られるが、その詳細は地域によって違いがある。
たとえば日本では怨霊が非常に強い力を持ち、自ら直接的に復讐を果たすものが多い。対して西洋諸国の伝承では、亡霊は真実を告発する者であり、実際に復讐を果たすのはその啓示を受けた生者である、といった具合だ。
唯の思想は非常に西洋的ではあったが、自ら報復を果たそうとあれこれ画策する点は日本的であり、唯が日本人である証左と言えるかもしれない。もっとも、その復讐を代わってくれる人間が周りにいなかった、第一征服者を打倒できる力量を持つと信用できなかっただけかもしれないが。
*
人類補完計画の観点から神になる方法を探すというのはある程度は手応えがあったものの、じきに行き詰まった。具体的に何をすればいいのか、そのビジョンがはっきりと見えてこなかったのだ。
「やっぱり大人しくセフィロト解析していくしかないのかなぁ……」
「まあ復讐に人生全部懸けていいんだったら時間的な余裕は十分あるんじゃないか?」
唯が焦燥に駆られたような声音でセフィロトの図を描き始めると、先生が諭すような声で言った。
確かに、神となることだけが目的なら人生最後の一日にそれを達成するのでも十分悔いは残らないだろう。しかし、唯にとって神になるというのはあくまでも復讐に必要な資源獲得の手段であってそれ自体は目的ではない。
「いや、そんなに時間かけてたらダメだよ。たとえば五十年後に神になったって私達もう六十代だよ? 老人になってから復讐したってねぇ……」
あまり悠長に研究をしていると復讐に十分な時間がなくなってしまう。数十年という時間をかけて神になったところで、それまでに第一征服者が死んでいる可能性もあるのだから、できるだけ早く神となって多くの信徒を集め、第一征服者を冤罪に陥れなければ安心できなかった。
「じゃあいつまでに復讐すりゃ満足なんだ?」
「ん~……いつがいいかな……」
唯は当時まだ何一つ決まっていなかった将来のうち、ある程度の学歴が必要な進路を全て奪われた。それならば、第一征服者もまた同様に将来の道を閉ざされるのが公平というもの。唯が実際に将来を奪われたかどうかはさておき、人生を台無しにするという意味でも将来の夢を夢のまま終わらせるというのは効果的だろう。
「……二十。二十二でもいいけど、専門って確か二年でしょ。だったら二十までに潰したい。」
「あと四年しかないじゃん。いけんのか?」
思いついた期限は五年間。うち一年間は既に経過しているので、猶予はあと四年ということになる。普段は絶対に達成できる目標しか立てない唯にしては珍しく、先生の言うように少し短い気もするスケジュールだが、数十年に及ぶ計画は逆にやる気を失くす可能性もある。今のところは、二十歳までに復讐をするということにしておこう。
*
数ヶ月ほど前に決まった「神になって多くの信徒を集める」という目標に、今さらながら時間的な制約が設けられた。目標がより明確な形となった唯は、少なくともその瞬間における意欲は大きく増し、先生もより協力的になってくれた。
もちろん、会議の途中でカードゲームを挟むというのはそのままに。
「やっぱ現地まで行って楽園探したほうがいいのかな。」
「現地ってメソポタミアだろ? 行けんのか?」
先生が兵士で唯のカードを言い当て、唯は数字の高い札を引いて、それぞれ勝ち筋の決まった勝負ではあるがお互い飽きることはなく、もう何ヶ月も似たような光景が続いていた。タロットカードでも使っていれば魔術儀式を実践しているようにも見えるのに。
「まあ現実的じゃないね。言葉……フェニキア語だっけ? とか全然知らないし。それに仮に場所分かったところで炎の剣が道塞いでるらしいから意味ないね。」
「じゃあ今の話何だったんだ。」
唯はいつも通り軽薄で明るい口調でこのプランは実現不可能と結論付け、先生も呆れ色のリアクションで応じ、次の話題を促す。
「ちょっと言ってみただけ。ほら、私ってとりあえず口に出してから演算する仕組みだから。」
「それ結構バグった脳みそだな。」
「まあ私レベルのハイスペック人間になるとちょっとCPUの方が追いつかなくってね……脊髄反射で会話できるようになってるわけよ。」
「それ本当に高性能なのか?」
唯の世界観では会話の空白さえも恐ろしいものだったので、まず喋ってからその意味について考えるという進化を遂げたのだろう。
「……やっぱりエヴァの補完シーンにも描いてあったしセフィロトが一番神に近そうなんだよね。」
「最初からそれ研究してたんだし、それでいいんじゃないか? まあ結構寄り道はしてるけど。」
「気になったことは調べないと気が済まないからしょうがない。いつか使うかもしれないじゃん。」
唯はいつも自らの好奇心に忠実でいたが、それは実際のところ、なかなか成果の上がらない分野の研究から逃げていただけなのかもしれない。初めての挫折を経験したのは一年前だが、それは第一征服者の陰謀によるものであって勉強で挫折を経験したわけではない。これまで天才を自称してきて、結果だけには説得力を持たせてきた唯にとって、何かを学習する工程で自分の思い通りにならないというのはこれが初めてのことだった。
第一征服者は毎日がこういう感覚だったのだろうか。
*
カバラに関することの大半はすでにノートや落書き帳にたくさん写本されていたので、唯はわざわざ調べものをする必要がなくなりつつあった。かつて復讐の計画を書き連ねたノートがあったように、今は魔術についてをたくさん書き留めたノートが机の上にあった。
「今日は珍しく勉強してんじゃん。」
「……まあそんなとこ。私だって遊んでるだけじゃないってことよ。」
ノートは落書き帳と違って雑に書き留めることができなかったが、〈母親〉に学校の勉強をしていると誤解してもらえる点で優れていた。嘘をつくのは嫌いだったが、勝手に誤解しているのを否定しないことは嘘ではない。唯は何をしても誤解されがちな性分だったが、それを悪用できるのなら遠慮なく利用させてもらえばいい。
(う~ん……)
特に考えることもなくとりあえず気になったものをメモした落書き帳の情報と、じっくりと調べて理解したと思い込むことに成功したノートの情報を組み合わせて、何か新しいアイデアが降りてこないかを吟味する。こういうものは降りてくる時は洪水のように溢れ出るのに、出てこない時は砂漠を流れる小川のようにか細く、思いついてもメモに残す間もなく忘れてしまう。それはさながら夢のようだった。
「ねえ、何か手伝ってあげよっか?」
「何よ急に。」
気分転換がてら何か新しい情報を脳内に注ぎ込んでみようと考えた唯は、唐突に〈母親〉に奉仕活動を申し出た。
「いや、ちょっと勉強も飽きてきたし。ゲームでもいいけど何かしてあげよっかなーって。ほれほれ。せっかくのチャンスじゃぞ。」
「ううん、特に手伝ってほしいこととかないから勉強してていいよ。」
しかし、〈母親〉から下されたのは「引き続き勉強をしろ」というもので、唯の求めていたような依頼ではなかった。これ以上ノート内の情報に向き合ったところでアイデアは降りてきそうにないし、そもそも唯が今やっているのは〈母親〉が思っているようなものではなかった。
*
裏切り者が通っていた高校のスクーリングは授業というよりもレクリエーション活動のようなもので、対して唯の高校ではスクーリングといえば普通の授業がある日のことだった。ただ、それは唯の高校が通信制のくせに授業を熱心に行っているというわけでもなく、その時間割の中には「一時間教師の雑談を聞くだけ」という存在意義の分からない時間が存在した。
特に意見もなく、発言する勇気もないような他の生徒からしてみれば、一時間寝ていればいいのだから簡単なことこの上ない内容だろう。しかし、人の話を長時間聞いていられない、つい矛盾点や自分の意見が口からこぼれ出る唯にとっては苦痛な時間だった。何よりも苦痛だったのは、彼らが自分の好きなことを話しているにもかかわらず、そのトーク力が異様に低く、途中で何度もフリーズすることがあったという点だった。
(……チッ。この下手クソどもが。)
この授業は感想を書く紙を提出することで初めて出席扱いとなる特別仕様で、ただ一言「面白かったです」と書けばいいだけのものだったが、唯はそれだけで済まさなかった。
アストラル界で誰かが作った動画に対してするように低評価を下し、その根拠について長々と文句を言い、余白には生命の樹の絵やエヴァ、聖書についてあれこれ考えていたことが散乱していて、授業を真面目に聞いていた証拠と、聞き流していた証拠が隣同士に並んでいた。
「……えっと、それじゃあ今日はここまでにします。教室を出る時に先生に報告書を渡してくださいね。」
チャイムが鳴って、話が途中にもかかわらず一方通行な雑談は中断された。唯はすぐにでも筆箱をリュックにしまって駅に向かって走り出すべきだったが、椅子から立ち上がったときにせめてもう一言だけ言ってやろうと思い、机に背中を丸めて付け加えた。
『一回話し始めたなら最後まで話せ。中途半端なのは気持ち悪い』
色々なものが書きこまれて怪文書のようになった報告書を教師に渡し、唯はそのまま何か苦情を言われる前に後者のビルから退散した。今なら、全力で走ればまだ電車に間に合うはず。
*
家のリビングで、学校の校舎で、洋館の応接室で。他のことと同時並行していたケースが多かったのでそのイメージとは異なるものの、唯は起きている間じゅうほとんどの時間を魔術の研究に費やしていた。唯が研究所として特に気に入っていたのはやはり、勝手に助手扱いして多くの役割を押し付けていた先生がいる洋館での時間だった。
「さて。今日も研究を始めようかね。」
「おういいぜ。今日は何持ってきたんだ?」
「いつもと大して変わんないよ?」
クリアファイルからばさばさと落とした紙片には唯の研究と調査の軌跡や結果が書かれていて、中には唯自身もいつ書いたのかよく分からないものも含まれていた。
「そーれでちょっと色々調べててさ、セフィロトって今までモノクロで描いてきたけど実際はもっとカラフルだってことに気付いたっていうか思い出したのよ。」
唯はいつもの円と線で書かれた図に色鉛筆で適切な色を塗ったものを指し示した。そこには白や黒といったものもあったが、青、赤、黄、緑、橙、紫と色とりどりの円もあって、それぞれに一から十までの数字が振られていた。
「おお、なんか今までよりも本格的に見えるな。これって数字と色が対応してるってことか?」
「そういうことだね。なんかマルクトだけ四色になっててすごく違和感あるけど。」
「なるほどねえ。やっぱ数字って色付いてるんだな。」
「は? 数字に色ぉ?」
先生はその対応を見ながらこれは合っている、これは違うなどと言いながら一人で勝手に納得していて、唯はその様子を訝しげな視線で見つめていた。まるで林檎に赤い色がついているのと同じく数字そのものにも固有の色があるかのような言い草だ。
「なんだ? 唯は見えないのか?」
「見えないが?」
先生曰く、色字共感覚といって、人間は幼少期の経験などから数字に色がついて見えることがあるらしい。唯にはまだ理解できない感覚だが、もし人にそういった機能があるのなら、それを解析すれば唯にも神への道が見えるようになるかもしれない。
*
近代西洋魔術、特にG.D.の世界において、各セフィラ、パスと色の対応は次のようになっていた。
ケテル:白
コクマー:灰色
ビナー:黒
ダアト:(対応なし)
ケセド:青
ゲブラー:赤
ティファレト:黄
ネツァク:緑
ホド:橙色
イェソド:紫
マルクト:レモン色、オリーブ色、小豆色、黒
アレフ:黄
ベート:黄
ギメル:青
ダレット:緑
ヘー:赤
ヴァヴ:朱色
ザイン:橙色
ヘット:マリーゴールド色
テット:黄
ヨッド:黄緑
カフ:紫
ラメド:緑
メム:青
ヌン:シアン
サメフ:青
アイン:藍色
ペー:赤
ツァディ:紫
コフ:マゼンタ
レーシュ:オレンジ色
シン:赤
タヴ:藍色
「あとはタロットにくっついてる数字もパスカラーに含むんじゃないかな?」
「……俺の知ってる共感覚と全然違うんだけど。」
唯が目の前の紙に描かれているセフィロトと色の関係について一通り話し終えると、今度は先生の方が訝しげな表情になった。まるで怪しげな宗教勧誘の人間の話を小一時間聞かされたような顔だ。
「そう? 百円玉がマゼンタに見えたりしない?」
「いやそういう異能みたいなもんじゃないから。っていうかタロットで色の名前ってったらジョジョ三部のイメージしかないんだけど。」
先生はまだ納得していないようだが、同時にこの感覚には個人差があるとも言った。ジョジョ三部が何なのかはよく分からないが、きっと十九世紀のイギリス人の感覚とは違うのだろう。どうせ習得するなら、すでに魔術儀式を実践していた組織の提唱した対応表を参考にその共感覚を身に着けたほうが将来の為になりそうだ。
*
唯がもう一度ゼロから資料を読んでいくと、今までの自分がどれほどふざけた意識で研究に臨み、本気で神になろうとしていなかったかが浮き彫りになった。
例えば、マルクトとイェソドの二か所に関してはそれぞれ物質界、アストラル界を意味するとされていた。十九世紀の時点で研究されていたアストラル界が、現代において文化産業の中心地となっている意識空間と同一の存在なのかは分からない。しかし、同じ名前を持っているなら何かしらの関係性があると判断していいだろう。アストラル界を示すイェソドに対応する惑星が月であることもその証拠だ。
「……私は馬鹿なのか?」
最初のうちは半信半疑だったとはいえ、ここまで目が節穴だったとは嘆かわしい。唯は過去の自分に対して罵詈雑言を浴びせかけ、自らを強く批判すると、再び多くの記事を調べるところからやり直そうと決めた。
「振出しに戻ったってことか?」
「強くてニューゲームて言ってほしいねぇ。」
唯が物質界とアストラル界についての考察を話すと、先生はいつも通り笑ったまま呆れ、しかしその無能さを咎めたりはしなかった。唯の復讐が成功するかどうか、それがどのくらい時間がかかるかは先生の人生には何ら関係がないので当然の反応といえる。
「ってか先生ならこれくらい気付いてたんじゃないの? 気づいてたなら教えてよね。」
「俺が神になってもしょうがないだろ。神になりたいのは唯なんだから。」
自嘲を込めてもっと仕事しろと責め立てると、先生は飄々とした態度を崩さずに冷静に反論した。確かに、二人で神になってしまったらどちらが主導権を握るかで大きな争いが起きるのは間違いない。つまり先生は自ら神となることができるにもかかわらず、唯を神に祭り上げるためにその権利を放棄したということか。いくらすでに契約を交わしているとはいえ、胡散臭いほどに無欲な人間だ。
「何にせよ研究が進んだんならいいんじゃないか? 四。」
「まあね。なんで分かんだよ。」
雑談しながらでも的確にカードを的中させてくるその能力は末恐ろしいものがある。先生と唯が神としての権能を得てからぶつかれば、唯に勝てる要素はないだろう。彼が無欲、無関心で実によかった。
*
現実と呼ばれている世界は当然物質世界であり、セフィロト的に言えばマルクトである。一方、アニメやゲームが命を持って動いている世界はアストラル界と呼ばれ、これはセフィロト的にはイェソドに位置する――これらが意味するのは何か。
「今まではなんか勝手に上位次元って宇宙の外側にあるもんだって思ってたけど、物質界からアストラル界に進んでいくってのを考えたらもっと内側に存在しそうな感じしない?」
「まあ筋は通ってるな。むしろ神になるために外宇宙まで行かなきゃダメだったらそこまで行ったのかよ。」
唯は引き続き改めて気が付いたことを語っていき、先生に考証してもらいつつ自分自身に定着させていった。この時間がどれほど役に立っていたかは分からないものの、どれだけ低く見積もっても、唯の研究成果の半分近くはこの一時間の繰り返しの間に生まれたものだった。唯の理論を正当と承認するのは他の誰にもできない仕事だっただろう。
「ってことはだよ。月行って限界まで深く潜ったらケテルまで飛んで行って神になれたりしない?」
「それはちょっと違くないか?」
思いつきで言ってみたアイデアが棄却されると、唯はもう一度ケテルの項目を紐解いてみた。
白。
ダイアモンド。
海王星。
関連する要素がいくつも挙げられていて、その中には次のような記述もあった。
「……第一セフィラ。思考と創造を司る。マルクトとも通じている……やっぱりここから直通してるってよ。」
「マジかよ。でもパスなんて通ってないぞ?」
先生の指摘はもっともだ。通じているとは言いつつ、ケテルからマルクトまでを一直線に繋ぐようなパスが存在するという記述はない。しかし、ビナーとケセドの間にもパスが通じていないことを考えると、やはり何か裏技めいたものがあるのかもしれない。
*
解釈の歴史とは同時に改竄の歴史である。この世界に存在する全ての物語が既存の何かから影響を受けて作られ、それと類似した点が見られるように、魔術理論もその提唱者の思想の影響を大いに受けていた。
唯が新たに体系化しようとしている理論は特にその傾向が強く、影響というよりもコラージュの域に達していた。中でも多くの影響を与えたのはやはりG.D.などのヘルメティックカバラと、エヴァの持つ生命と知恵の二項対立的な要素だった。
(ん~……なんか綺麗にハマんないなぁ……)
セフィロトとクリフォトを上下逆さまにつなげた図を眺めながら、唯は悩み苦しんでいた。せっかく二項対立を表現するのにおあつらえ向きの概念が存在するというのに、どうにも唯の描きたい世界像とは異なっているように思えてならないのだ。
物質界の下には悪の世界がさらに広がっているというのは感覚的には理解できるが、すでに色や数字、惑星といったシンボルはセフィロト側に使われていて、多くの文献を漁ってみても、そこがどのような世界であるかは魔術師によってあまりにも解釈が異なっていた。解釈違いは自然と生じるものだから仕方がないところもあるが、どれが中心的でメジャーなものなのかも今一つはっきりしないのは困りものだ。
「んあぁもう……! もうちょっと誰か纏めとけ!」
少数派の代表格のような唯でも、特に詳しくない世界については大人しく多数派の意見を正しいと思い込むことにしていた。ただ、クリフォトの研究に関してはそもそも何が多数派なのかもはっきりと分からなかったせいで、何をベースにアレンジを加えていけばいいかがよく分からなかったのだ。
*
「どう思う?」
「またなんか行き詰ってんのか?」
壁に当たって悩んだ時、誰に相談するかは人それぞれだが、唯の場合は親に打ち明けることは決してなく、その負担は先生の役回りだった。もはやその期待はされていないとはいえ、完全無欠な子供を所有したいという理由で唯と契約した〈母親〉に対して自らの不完全さをアピールするような行為は本能が拒否していたのかもしれない。
「まあね……ここは神への道の逆側だからあんまり関係ないんだけどさ、クリフォト部分をどうにかしてエヴァ的な世界観に習合できないかな~ってね。」
「クリフォト?」
「まあセフィロトの魔界版みたいな感じ? たぶん。」
悩み事といっても、唯が相談するのは魔術に関することだけ。そもそも、それ以外のことについては相談したところで無意味と割り切って自力で解決するように努めていたし、実際にほとんどのことを唯は一人で解決していた。少なくとも本人の認識内では。
「こういう感じで繋がってるらしいんだけどね……なんかしっくりこないでしょ。」
「しっくりこないんなら採用しなきゃいいんじゃねえの? ここはなくても神にはなれるんだろ?」
「え~……でも思いついたことは全部詰め込みたいじゃん……」
唯は駄々をこねるような声を上げてわざとらしく頬を膨らませてみたが、内心ではある程度納得してもいた。科学理論は簡潔であればあるほど美しいとされる。それなら魔術理論も簡潔にまとめられたものの方がいいだろう。
四年という時間制限も設けたのだ。無駄なことに時間をかけてはいけない。
*
思考。
創造。
唯の中で、二つの言葉が渦巻いていた。無限の光が流出して生まれた第一のセフィラは最も神に近い領域であり、ここに辿り着くことができれば宇宙との完全なる調和のもとに生きることができるという。なんともスピリチュアルで怪しい説明文だが、これが神となることを示しているのだろう。
(……あ。そういえば……)
創造、と呟いて唯は一つの可能性に思い至った。うろ覚えの記憶ではあるが、巫女みこ天使さまは漫画家のようなクリエイター職を神と形容していた。それが神の英訳が「The Creator」であることにかけた一種のジョークだったのか、それとも本気の信仰だったのかは分からない。しかし、今になって考えてみると、ケテルの司るものはそれを示していると思えないこともない。
唯にとってクリエイターの定義とは、深い哲学的な思索の結果として物語を紡ぐ者のことであり、己の利潤だけを考えて、あるいは表面的な憧れ、もしくは誰かの命令によって創作を行った者など、哲学的な示唆を含まないものとは区別される概念でもあった。
(……もう一回だけやってみるか……)
自分に創作活動の才能がないことはごく短時間の検証によって理解したつもりだ。しかし、神の成した偉業の中に天地創造があり、世界を一つ作り上げることが神の証明というのなら、どれほど才能がなくても踏み込むべき領域なのかもしれないと、唯はそう感じていた。
*
クリエイターと一口に言っても、そのジャンルは様々だ。巫女みこ天使さまは漫画家を例示したが、それが小説家や画家、作曲家であっても行為の本質は変わらず、等しくその高みに至る資格はあると考えるべきだろう。
「――ここで一つ問題、才能がない私はどうすりゃいい?」
魔術に関する話、かどうかは分からないが、復讐に関する話ではある。よって、唯は次に先生と会った時に素直に訊いてみることにした。あまりそういう雰囲気は感じないが、彼も一人の大人なのだから、何かしらのアドバイスは持っていることだろう。
「ん? クリエイターは諦めたんじゃなかったのか?」
「……そりゃそうだけどさ。でも結構しっくりくる仮説だとは思わない?」
「だいぶこじつけ感があると思うが……」
経験を一切積んでいないのだから、今の唯は冒険を始めたばかりの勇者のようなもの。薄々感づいているとはいえ、まだ才能がないと証明されたわけではない。唯の生涯の目標である復讐に必要なことであるなら、たとえ才能がなくて非効率と分かりきっていることでも試してみるしかない。
「それで? あわれな仔羊になんかアドバイスはないの?」
「そんなの、唯の法則から考えればできることは一個しかないだろ。頑張れ。」
先生からのアドバイスは実に投げやりで適当なものだった。しかし、才能に干渉することはできず、環境を変える力もまだ持っていない唯にできることはそれだけだというのも事実だった。
「努力? そんなものにいったい何の価値があるっていうの?」




