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22:// Principle Evangelion

「さてと。そろそろ私の時間も終わるし先に皆の理論をぜんぶ――」

「却下する。」

 一日、また一日と時間が過ぎていく。

 神への道は今どのあたりまで昇れているのかは全く見当もつかないが、空に昇った陽の光は夏の到来を高らかに告げていた。去年と違って今年は梅雨も休むことはなく、太陽を覆い隠す雲間から漂ってくるカビの生えた雨音は七夕ごろの記憶を一ヶ月早く思い出させ、唯の気分をその雲色さながらに落ち込ませた。

「またこの季節だよ。今年はどうなるんだろうねぇ?」

 波打った紙に苛立ちを抑えきれず、隣にいる〈母親〉に八つ当たりしてみる。太陽が昇っている時間でも薄暗い窓の外とは対照的に、蛍光灯の真下だけは白い明るさが保たれていて、しかしそれでも湿った空気が一段、家全体の明るさを下げていた。

「ちゃんと先生の言うこと聞いて誰にも喧嘩売らなきゃ何も起きないでしょ。」

「ふん。そうだといいんだけどね。」

 雨のおかげで暑さは控えめなはずなのに、狭い部屋に閉じ込められているような、かえって暑苦しいような感じがして、どちらの言葉にもあまり感情が乗っていない。去年とはその静けさが違うものの空気の味は同じだった。

「変なこと言ってないでいいからさっさと学校行きなさい。」

「ええ~……雨降ってるのに……?」

「そんな理由で休むとかバカじゃないの?」

 確かに、ここにいてもエアコンはどうせ動かないのだから、夏と冬の間は学校に行って涼しくも温かい部屋で過ごすほうが研究も捗ると言えるかもしれない。しかし、そのために往復一時間以上雨や炎天に晒されるというのは割に合った行為なのだろうかという疑問も湧きあがる。

「……はいはいわかったわかった行きます行きます。」

 雨に濡れたくない一心で座布団から動かないでいると、斜め前の座布団の上から殺気が漂ってきた。今から行けばぎりぎり電車にも間に合うはず。唯は重い腰を上げて着替えと掴むと、しぶしぶ雨に打たれる準備を始めた。


          *


 巫女みこ天使さまがいない六月の学校は無為そのもので、元々退屈だったところに去年の記憶が比較対象として流れ込んできたせいで、より一層自分の惨めさを痛感した。

 去年不登校になっていなければこうして心が痛むこともなかったのか、それともあの事件が一年遅れでやってくるだけだったのか。授業を聞き流して魔術の研究に没頭しているからこそ多少は気が紛れるものの、夏の暑さが近づいてくる気配を感じるごとに、薄れていた記憶が脳裏を鮮やかに跳ね回って仕方がなかった。

(……チッ。自分たちだけ充実した人生送りやがって……なんで私だけが不幸になんなきゃいけねえんだよ……!)

 タロットカードの数字をコピー用紙の裏に書きながらシャーペンの芯を折って、静かに怒りを爆発させる。今唯が感じている虚無感は全て、本来は第一征服者が背負うはずだったもの。唯が今感じているはずだった幸福感や充実感といったものは、あの戦争の賠償として第一征服者が奪い去っていったのだ。

 もちろん幸福追求権は誰もが持っている普遍的な人権なのだから、全ての人間には他者を陥れ、自分の被るべき不幸を押し付け、他者の享受すべき幸福を奪い取ることが許されているのも理解している。理解しているし、それを受け入れてもいる。受け入れているからこそ、復讐をしようと思えるのだ。


 人はいつからか略奪を覚え、それによってしか生存と幸福が得られないことを知ってしまった。誰が始めたのかは分からないが、少なくとも現代を生きる人間は生まれた時から周囲に生きるものによって何かを奪われ、そこに明確な意図があるかはともかく奪い返し、互いに正当な報復を掲げて聖戦を行うようになっていた。この連鎖が終わることはもう二度とないだろう。

 誰か一人を犠牲にすればこの連鎖を終わらせることもできるはずだが、世界中の不幸を全て背負って永遠に生きようと思う人間がいるわけはないのだから。


          *


 運命の七月が訪れて七日が過ぎ、唯は炎天下の歩道を歩くのとは別の憂鬱を抱えていた。今年は四月から学校が始まったので、順当に数えれば教師たちが唯を拒絶するのは五月であり、今さら去年と全く同じ状況を懸念するのは的外れではあったが、七月十日に追放されたという数字が唯の心の最深部を独り歩きしていたなら致し方のないことでもあっただろう。

 七日。

 八日。

 九日。

 細心の注意を払って誰とも余計な会話をせずに日々を過ごしたからか、金曜日になっても一年前のような凄惨な事件は起きなかった。それは間違いなく歓迎すべきことなはずなのだが、何のトラブルも起きない日々に飽き飽きしている人格が心のどこかに潜んでいたらしく、ほんの少しの物足りなさを感じてもいた。

 おそらく唯にとって小学生時代から続く西日本人との抗争とは不幸の源泉というだけでなく、存在しないことが不自然なほど日常の一部であり、人生のスパイスでもあったのだろう。ここまで来ると一種の中毒症状にも見える。

「じゃあ前期のカウンセリングはこれで最後だから。何か気になることあったら電話していいからね。」

 毎度おなじみの取り調べ中、青二才がそんなことを言ってきた。まだ夏休みまではもう少しあるが、休日やスクーリングが重なった都合で面談はないということだろう。別にこの時間を必要と感じていなかった唯にとってはどうでもいいことだ。

「……私が理解できない難題がお前に理解できるとは思えないがね。」

「それで、試験の日程が決まったら僕の方からお母さんに連絡しようと思ってるんだけど、それでいい?」

「あぁ?」

 唯はいつものように無感動な人間を装っていたが、青二才の提案に思わず素の怒りが表まで滲んできた。〈母親〉は電話が、それも学校からかかってくる電話が大嫌いなのだ。理由が何であれ、高校から電話がかかってきた事実は夏休み中の唯の立場に悪影響を及ぼすのは間違いない。

「いいわけないだろ。いいか。絶対に連絡を寄越すな。試験のことは次のスクーリングで聞いてやる。」

 唯はいつもの冷たさはどこにもない、威圧を込めた声で警告した。こういう態度が教師の心証を悪化させる最たる要因な気もするが、異民族に対してへりくだってはいけないことを唯は知りすぎていた。


          *


「最近暑くなってきたけど熱中症大丈夫か?」

「さあ? まあ死ぬことはないだろうし大丈夫でしょ。」

 エアコンは高いからと言って扇風機でやせ我慢をしている家はともかく、洋館の応接室には常時稼働しているエアコンがあるから全く心配は要らない。一年前に唯の人生を根底から覆した忌々しい日付は今年は唯に牙を剥くことはなく、嫌になるほどの太陽の熱を除けば特に不便もないまま唯は日常を送っていた。

「そういえばさぁ、今年の夏休みって何するのがいいと思う?」

「……ん? これ研究するんじゃないのか?」

 もっともな指摘だ。唯は一刻も早く神となって世界を我が物とし、第一征服者を見つけ出してその人生を徹底的に破壊しなければならないのだ。しかし、人生の全てを懸けて第一征服者を破滅させたとしても、それまでの間人生を楽しんでおかなければこの準備時間分が不良債権になってしまう。

「そりゃもちろんそれもあるけどさ、最近ふともっと人生楽しまないとダメだって思ったんだよね~。」

「お前もう熱中症なってないか?」

「失礼なやつだな! 私が人生楽しんだらダメなのか?」

「いやいいよ。じゃあまたエヴァでも見ればいいんじゃない? 今見たら新しい発見もあるかもよ。」

 唯が最後に見たのはもう四ヶ月も前のこと。その頃は聖書にもセフィロトにも明るくなかったから何を言っているのかさっぱり分からなかったが、今は使徒の名前がどの天使に由来するか分かる程度には詳しくなった。確かに、ここで一度学び直すというのも悪くない。


          *


 夏休み前に渡された試験日程表はプリント一枚だけ。細かい字で詰め込まれて読みにくい紙には試験範囲と試験に必要なものが書かれていて、その中にはこんな一文があった。


 『応用問題あり 必要:教科書』


 A∴A∴の入団試験はテキストの持ち込みが許されていたというが、学校の定期試験でテキストを持ち込んで何か意味があるのだろうか。

 唯はこの文言を見つけた時、一切の試験勉強を放棄し、その時間を全て魔術研究とアニメ観賞の時間にあてようと決めた。あの学校は優しい人間の仮面を被っておきながら、結局は多くの思想矯正施設と同じように生徒を無知で無力な存在として見下しているのだ。

 あのレポート程度の難度なら一切勉強しなかったとしても十分に解けるに決まっている。なんなら、あえて教科書を持参せずに試験を受けてフルスコアを取り、その天才性を主張するのも悪くない。

 しかし、いちいち教科書を開いてから答案に書きこむのは面倒くさいと思ったのか、それとも〈母親〉に勉強をしているパフォーマンスを求められたからか、結局はほんの少しだけ勉強することになった。

 それでも、中学生時代の半分もなかったが。


          *


 通信制の学校では正式な夏休みというものは存在しないらしく、夏休みは「学校に来て部屋を利用してもよいが、講義はない」期間として定義されていた。講義も部活動もないのに学校に来る人間がいるはずないので、実質休みということだろう。

 いくら唯の存在が邪魔だとはいえ、流石に何も授業がない学校に行かせるのは電車代の無駄だと思ったらしく、この期間中は通学しなくてもいいと〈母親〉からお達しがあった。これで唯は無事に夏休みに入れたことになる。

「暑い。エアコン。」

「まだ要らないでしょ? もうちょっと暑くなったらね。」

 しかし、家にいたからと言って必ずしも快適というわけではない。こんな山の上の廃屋に片足を突っ込んだような建物にもエアコンが存在することは驚くべきことだが、浪費家の〈母親〉によってそのリモコンが封印されていたので実質存在しないも同然だった。

「わかったよ。じゃあ扇風機一台もらうから。あとこれも。」

 唯は〈母親〉の暴政へのささやかな抵抗として扇風機の首振りをオフにし、インターネットではなくアストラル界へと繋がるデバイスをすっと掴み取ると、弾圧の声が聞こえるよりも早く意識の奥底へと潜っていった。


 七月ということで夏アニメもいくつか始まっていたが、唯はあまり興味を示さなかった。どうせ大して面白くないだろうというのがタイトルだけで分かったから。そんなものよりも、先生のアドバイスに従ってエヴァをもう一度見直したほうが魔術人生のためになるだろう。


          *


 新世紀エヴァンゲリオンを面白くないと評する人間はすべからく愚かであると言っていい。唯自身がそうであったように、これを楽しめないのは哲学や心理学への教養と興味のなさが原因なのだから。

「よって、エヴァを最高に面白いと感じられる私は間違いなく教養のある人間であり、神となるに相応しい」と証明の最終行を締めくくり、唯はさっそく考察を始めた。

 エヴァのストーリーは人類と使徒の戦いという面を切り取られているために誤解されがちだが、その本質は「どちらが神の座を手にすることができるのか」という戦いを描いたものであり、まさに神になることを目指して日々魔術の研究をしている唯にはぴったりな内容だ。そんな作品にも度々セフィロトが描かれる、何ならOPで毎回流れてくるのだから、セフィロトを辿れば神になれるというのは間違いなく人類共通の認識だろう。

「……で、問題はこっからなんだよなぁ……」

 創世記の三章でも、生命の実と知恵の実を両方手にした存在は神になれることが示唆されている。人類である唯は当然知恵の実を持っているはずなので、あとは生命の実をどこかから獲得すれば神になれるということだ。しかし、同じく創世記の記述を紐解けば、生命の木へ繋がる道は愚民政策を推し進める独裁的な神によって閉ざされてしまったともある。

 その閉ざされた道を強引に開いてでも神のいる楽園へと回帰するのが人類補完計画であり、唯の研究している魔術だと言えるだろう。しかし、残念ながらこの世界の箱根や南極にはアダムもリリスもおらず、ロンギヌスの槍も見つかっていないので、エヴァに書いてあることをそのまま実行することはできない。唯が本気で神になろうというのなら、そこに描かれているものの真意をくみ取って、現実でも実行可能な形で再現しなければならないのだ。


          *


 夏休みに入ったからといって洋館が閉ざされることはなく、いつもと変わらない時間と場所に送迎車両はやってくる。唯にとっては土日祝日にゲームやアニメに興じているよりも重要な日だった。

「もう夏休み入ったのか?」

「ん~? まあね。だからエヴァ見直してきたよ。相変わらず長いよねぇ。」

 先生がいれば別に洋館の応接室でなくとも議論はできるということで、車が走っているうちから雑談は始まるのが常で、洋館の前で減速を始めた車のドアをタイミングよく開けて入り口の正面に降り立つところまでがおなじみの流れだった。そこから唯が先行して今日のゲームを選び、涼しい応接室を占領するのだ。

「とりあえず人類補完計画をSEELEの代わりに私がやれば私が神になれるってことよね。」

「ユイじゃなくてゲンドウじゃねえか。」

 先週改めて全話を視聴した感想を一言で総括すると、いつもと同じ、落書き帳の破片を敷いたテーブルを挟んで議論を重ね、そのついでにカードゲームをプレイする時間が始まった。初めてこの部屋を見た人間はこの空間が何をしている場所なのかよく分からないに違いない。それくらい混沌としている空間になっていた。

「――だから生命の実を得るっていうのは生命の樹を理解するってことでいいんじゃない?」

「じゃあLCLとかその辺の解釈は?」

「あれはどっちかって言うと人類の統治に関することでしょ。まあ敢えて言うなら、人類を思想的に単一の存在にしたとき、その指導者は神として扱われる、みたいなことなんじゃない?」

 LCLやA.T.フィールドの研究は唯の技術力ではやりようがないので、このあたりはどこかの秘密結社にお願いするほかない。しかし、少なくとも唯の脳内では、人類の補完という話が夢物語ではなくなりつつあった。それが実現できるかどうかはおいておいて。


          *


 エヴァを再履修するならということで、次いで唯は旧約聖書、特に創世記を熱心に読むようになった。今存在する神への信心など欠片もない、むしろ神を「人が政治のために創り出したもの」であると位置づけている人間が天地創造などの神話を熟読しているのは冒涜的と言えるのだろうか。

 唯に言わせれば、たとえ神が存在してもしなくても、聖書の記述が正しくても間違っていても、使えるなら何でもいいのだろう。実際、現代において聖書の価値はただのファンタジー小説以外にないという人間は多く存在するのだから。

 唯が創世記を読んで真っ先に理解したのは楽園追放のエピソードで、その意味するところは次のようなものであると結論付けた。


 神、すなわち楽園の統治者は人間が知恵を持たないことを望んでいた。よって、知恵の実を食す前の人間、たとえば第一征服者のように無知蒙昧な人間はいつまでも神の寵愛を受けられ、知恵の実を食した唯のような知識人は迫害されて最後は楽園、言わば祖国を追われてしまう――この世界には「知は力なり」などという言葉が存在するが、それは教育を尊ぶ意味ではなく、知的なものは暴力的なものと同じくらい危険だと説いているのだ。知識は体制を変革する原動力になりえるので、国家の統治者は神がそうしたように国民から知恵の実を排除すべきである。


 どれほどの人間がこの解釈を支持するかは分からない。たぶん、誰も支持しないだろう。しかし、優秀な人間から順に排斥される世界を生きた唯にとって、この解釈は世界の真理であり、秩序維持の理想形でもあった。


          *


「――やっぱり凡人ってのは生きるに値しないね。天才だけが組織運営に関わるべきなんだよ。」

「なんだ? 今度は誰だ? ポルポトか? それともレーニンか?」

 唯が創世記の解釈を話して聞かせると、先生はまたかといった顔で元ネタを訊いてきた。唯は自由主義的進歩史観のど真ん中であり原始共産制とは真っ向から反対する立場だと言ってやりたくもなったが、先生が言っているのはむしろ体制派がポルポト派だということだろう。

「まあそんなとこ?」

「唯ってたまに恐ろしいこと言い出すよな。いつかテロリストになるって予言した先生の気持ちもわからんでもないわ。」

「おいそりゃどういう意味だ。あんなブルドッグに共感なんかするなこの背教者め。」

 世界をゼロサムゲームだと解釈し、ゆえに人は互いに奪い合い、屠り合うべきだという個人主義の極致のような価値観は全ての社会主義者と対立しそうな発想ではあるが、確かに唯のエリート至上主義はある種前衛主義とも一致するかもしれない。

 もっとも、唯に明確なイデオロギーが形成されるのはもう少し先の話なのだが。


          *


 九月に入って一週間が経つと、一学期の試験日がやってきた。レポートやスクーリングの内容から予想すればその難易度は大したレベルではなく、片目くらいなら目を瞑っていても解けるだろうと確信していたが、だからと言ってサボるわけにはいかなかった。成績が〈母親〉の納得するレベルでなければ厳しい説教が待っていることは明白だから。

「おはよう。どう? 今日の試験自信ある?」

「当然だろ。バカにしてんのか?」

「じゃあ今日は頑張ってね。」

「ふん。教科書を書き写すのを頑張れってか? あん?」

 玄関先の階段で待ち構えていた青二才の挨拶に、唯は食い気味に返事をした。テキスト持ち込み可であれば誰だって満点を取れるだろう。

 いちいち突っかかってくる唯に返事するのが面倒くさくなったのか、青二才は試験会場の教室へ行くように指示すると唯のそばから離れていった。いつもストーカーのように付き纏ってきて非常に鬱陶しいものが自ら離れていくなんて珍しいものだ。ずっとそうしてくれればなおいい。


 教室では多くの生徒がすでに席についていて、唯はなるべく下を向いて誰とも目を合わせないようにしながら一番後ろの席に座った。屋外から狙撃されるリスクはあるが、今は誰とも関わらないを達成するほうが重要だ。

 しばらくすると試験官と思しき女教師が入ってきて、一人一人に試験用紙を渡していった。ぱっと見天然そうで何も考えていなそうな雰囲気だが、こんな人間でも教師が務まるのだろうか。


          *


「では試験を始めますので、必要なもの以外は鞄にしまってくださいね。」

 試験開始のアナウンスが鳴ると、唯は問題用紙の誤植を探してやろうと意気込んで問題文を読み始めた。

 大問一、二、三、四はどれもレポートを抜粋して作ったようなものばかりで、手抜きにもほどがある。人件費を抑えるためか知らないが、やはりこの学校は能力に劣る教師を集めて作ったのだろう。唯は作問者への不満を呟きながら問題を解き進め、

(……ん? こんなん試験範囲にあったか?)

 最後の大問。見たことのない問題が出た。

 今回のレポートの範囲は日本の古典だったはず。しかし、そこには明らかに中国古典の問題が並んでいた。完全に予想外の方角からの攻撃に、唯も一瞬思考が止まる。大問番号の下に小さく「応用」と書かれているから、これが応用問題ということなのだろう。

(おいこれ試験範囲外じゃねえか。どんだけ適当に作ったんだこいつ。)

 唯は一瞬試験の不備として告発してやろうと思ったが、すぐに別の可能性を思いついたので手は挙げなかった。

 今の時代、唯の得意技のように丸暗記したところで結局検索してしまえば意味はない。だとすれば、不測の問題に対して的確な検索ができる力の方が記憶力よりも重視されるのは自然なことだ。教科書を持ち込んでいいというのもそういうことだろう。試験範囲外から問題を出すのも革新的なアイデアと言える。

 使う予定のなかった教科書を取り出して、中国古典のページへ。さっと目次に目を通す。

(えっとこれは……あれ? ない?)

 今度は一ページずつめくって丁寧に確認。あと三十分もあれば確認くらいはできるだろう。しかし、唯がどれだけ丁寧に探してみても、該当する検索結果は得られなかった。

 どうやらこれは本当に試験範囲外、そもそも教科書の範囲外から持ってきたオリジナルらしい。いくら満点を防ぐためとはいえ、問題を難しくするのではなく、対策自体をできなくするとは流石西日本人。卑怯にもほどがある。

「しゃあねえな。普通に説くか……」

 結局、中学校の教科書の記憶から適当な答えを引っ張ってくることになった。仮にここを全て落としたとしても他は完璧なのだから、そこまで気にする必要もないだろう。


          *


 試験範囲外から出題するという前代未聞の期末試験はたった二日で終わり、次の週からは二学期が始まった。とはいえ一学期と二学期でやることに変わりがあるわけでもなく、ただ季節が秋に近づいたというだけの話。

 確か去年の今ごろは裏切り者に再会してはしゃいでいたのだったか。今になってみると実に愚かだと言わざるを得ない。


「で? 試験の結果っていつ返ってくんの?」

 週末、一時間目。唯はいつものカウンセリング中に、ふとこの前の試験結果が気になったという風を装って訊いてみることにした。大した意味はないが、好成績な答案を見れば自尊心が満たされる。成績が悪かった場合は〈母親〉の制裁を覚悟しなければならないが、唯はこれまでその成績で致命的な裏切り行為を働いたことはなく、今回もクライアントを充分に納得させられると確信していた。

「え? 返さないとダメ?」

 しかし、取調室の机を挟んで向こう側にいる青二才の返事は試験問題以上に予想外だった。どうやら試験結果は返還されないらしい。

 結果が芳しくないと狂気に陥る第一征服者のような人間がいるのは事実だから、彼女のようなものへの配慮なのかもしれないが、仮にも学校を名乗る組織としてどうなのだろうか。

「ああ、それなら私が完成させておきましたよ。」

「そのせいでどれだけ犠牲が――」

「あなたも似たようなものでしょう?」

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