20:// アルカナ・アルカディア
「まあここから冬まではのんびり行ってもいいよね。」
「ああ。平和な日々は魔女性の欠如の証だな。」
この学校の時間割は毎週変わることがなく、同じ一週間を三年間繰り返す。だからこそ、唯たち生徒は最初のカウンセリングの日に時間割表を渡されていた。早くルーチンを覚えて順応しろということだろう。
時間割が固定されていて変更がないというのも珍しいが、それよりも変わっていたのはその内容。ほぼ全てのマス目が上下の二段に分かれていて、国語や数学といった馴染みのある単語の隣に、「ルービックキューブ」「テーブルゲーム」といったおよそ授業とは思えない文言が同居していた。逆転時計が欲しくなってくる時間割だが、後者は部活動のようなものだろうか。
「ねえ。これってどれ受ければいい?」
考えるのが面倒になった唯は〈母親〉に判断を丸投げすることにした。
「好きなの受ければいいんじゃない?」
それが面倒だから選択権を放棄したというのに、なんて適当な返事だ。唯はここで余計なリスクは負いたくないのだから、本当に好きな時間割を選ぶとすれば、そもそも通うことすらない。卒業資格のために通うのはスクーリングと試験だけでよく、毎日通っていては通信制の意味がなくなってしまう。
しかし、それが〈母親〉の望みではないことくらいは唯の人間観察力でも理解できた。家に爆弾を抱えておきたい人間などいるはずもなく、唯のような邪魔者にはできるだけ長く制服を着て学校内に留まっていてほしいのだ。
邪魔者。自覚すると肺を刺されたような感覚が襲ってくる言葉だが、実際に唯を形容するなら的を射た表現でもあった。将来の生産性がない唯を家に置いておくメリットはほとんどないのだから。
(……まあ行ってから決めればいっか。)
結局唯は当日まで判断を先延ばしにした。最適解を導き出すにはまだ情報が足りない。
*
寝る場所と食事を失わないために、唯は毎日電車に乗って学校に向かう。毎日会社に行って働いている人間も、日々こういう気分で通勤しているに違いない。
最寄り駅までは徒歩で二十五分。昔は三十分かかっていたが、背が伸びたおかげで少しだけ早く着くようになっていた。道路と線路の間を歩いてタイミングを合わせ、できるだけホームで待つ時間が少なくなるように歩幅を調整。第一征服者の信者がどこにいるか分からない以上、突き落とされないように気をつけなくてはいけない。
黒く汚れた階段を上りきる手前で待っていると、閑散とした四両編成の電車が入ってくる。月の彼方を走っているものの半分以下の長さのくせにがら空きだなんて、やはりここは非文明国で間違いない。
そんな確信をしながら椅子に座ると、電車が揺れて緑色が流れていく。二十分ほど景色を眺めていると隣町の駅に到着し、その頃には人もそこそこ増えていた。唯は身勝手な西日本人に押し流されないように気をつけながら電車と階段を降り、改札を抜けて外に出る。
外に出たらあとはもう悩むことはない。信号無視して突っ込んでくる非常識な車両と、何もしていないのに言いがかりをつけてくる人間にだけ気をつけながらまっすぐ正面の通りを十分ほど歩けば校舎のビルが見えてくる。毎日往復二時間なんてとんでもない時間のロスだが、寝床を失うのと比較すれば損失は小さいと言えるだろう。税金のようなものだ。
「おはよう。今日もよく来たね。」
「自ら望んで来てるように見えてるなら転職したほうがいいんじゃないか?」
のんびりとした声の青二才が腹立たしい。
さて、今日からどうやって時間を潰すのがいいだろうか。
*
最初の一週間は様子見ということで、唯は全ての部屋をうろついて回ることにした。
人と関わらなければトラブルは起きず、トラブルが起きなければ追放されることもないのだから、唯はできるだけ人のいない講義を受ければいいのだ。どの講義を受けるか生徒が選べるということは、人が集まっていないというのはその講義の人気がない、言ってみれば講義が退屈で面白くないということでもあるが、背に腹は代えられない。下手に高校生活を楽しもうとしてまた追放されようものなら、それこそ家を、最悪命まで失う結果になる。
(ちょっと多いな……ここはやめとくか……。)
唯は授業が始まってからそっとドアを開け、何人集まっているかを数えることにした。人が多かったり、生徒同士の会話があるような講義は唯に適しているとは言えない。何気ない会話から生まれた関係は、同じくらい何気ない一言で簡単に瓦解する。唯に相応しいのは、もっと明確な契約で繋がった関係だ。
「なんでこんなに階段上んなきゃいけねえんだ……!」
唯は片方の講義を不適格と見切りをつけると、もう片方の視察に向かう。講義がある教室は一階と五階の二か所で、エレベーターは来客用だから、唯は狭い階段を上り下りする羽目になっていた。なぜこんな構造にしたのか全く意味が分からない。
予想通りといえばその通りだが、授業と部活動の二択ならやはり後者の方が人気があるらしく、授業にあたる内容をやっている教室は誰もいないか、いたとしても無口そうな人間が一人、多くて二人といったところだった。見たところ、彼らが積極的に発言をしている様子もない。総じて、学校にいる間は授業を受けていたほうがリスクが低いと言えるだろう。
どうせ授業を受けることになるなら、もっとレベルの高いところに行って、誰とも話さないまま三年間過ごすというのでもよかった気がするが、あれこれ考えても仕方がない。
*
通っている生徒が少ないという点を除けば、ここは普通の学校と何ら変わらない。厄介払いとして毎日通学することを命じられた唯のような人間は特にそれを感じていた。ましてや、唯の場合は中学時代に生徒が二人しかいないクラスを経験していたため、その少人数ということさえもありふれたものに感じてしまうのも無理からぬ話だ。
しかし、一、二週間も観察を続けていると、とても普通とは呼べない点も多くあるのが見えてきた。
やはりカウンセラーと教師を兼任するような人材を使っていると弊害もあるようで、ついこの間のスクーリングと同様に、日々の講義も決してレベルが高いというわけでもなく、外部から講師を雇っていた科目はきちんと専門家が教えていたのでまだマシだったが、自社で抱えている教師が担当する教科だと、これで金がとれるのかと言いたくなるようなものもあった。
やはり多くのジャンルをカバーしようとすると各ジャンル単体としてはどれも中途半端になるらしい。
たとえば、数学の授業では、復習と称して出された問題が小学生でも解けるようなものだったり、世界史の授業は近現代の中国大陸にしか触れなかったりと、まるで本人が喋りたいことを喋っているだけとしか思えないようなものもあった。
もしかすると、それぞれが教えられることしか教えない、生徒に無理強いをさせないのと同じように教師にも無理強いをしないという方針なのかもしれない。
(……なんだ。こんなの誰でもできるじゃん。私も将来ここに就職しよっかな。)
心優しい人間が見れば、顧客だけでなく社員の能力も考慮した素晴らしくホワイトな企業に見えたかもしれない。ただ、唯はそういう優しい見方ができるほど心根がまっすぐではなかった。
落ちこぼれの大人が落ちこぼれの子供にものを教え、話を聞き、傷を舐め合う――なんて退廃的な世界なのだと、そういう見方しかできなかった。
*
四月が終わるとゴールデンウィークに入り、退屈な学校はもちろん、魔術研究所と化しつつある洋館も祝日ということで休みになった。家にいたところで全然心が休まらない唯にとってはむしろ、大型連休どころか大型連勤と言ったほうが合っているかもしれない。
もっとも、それはどの家族も同じなのかもしれないが。
この平和的で、しかしどこか乾燥した空気から逃げるためにも、唯は最近忙しくて見れていなかったアニメを見る時間に充てることにした。アストラル界の深い所へと潜ってしまえば、〈母親〉の心配も、泥棒猫のじゃれ合いも、そのほとんどを聞かなくて済む。
「……ふう。やっぱここだわな。」
プリヴォルヴァの喧騒。アニメが大量に置かれているブースは常に人で満ち溢れていて、特に休日になるとより多くの人間でごった返すようになる。唯は本来〈母親〉の怒鳴り声やこういう人混みが一番嫌いなはずだったが、リアルの肉体とは違うものを介して聞いているからか、それとも、もっと他の理由があるのか。いずれにせよ、唯はこの街の空気として受け入れていた。これもきっと、この世界の持つ不思議な力の一つなのだろう。
「……はいはい。今日もまあ大して面白くない、と。」
いつも通りの酷評に一方的な改善案をくっつけて風に乗せる。共感してくれる人間がいるかどうかはさておき、こうやって意見を言うのは唯の自由だろう。
*
無為な日々を送っていると、急に部屋を片付けたくなる時がある。期末試験が近づいてくると部屋の整理が捗るのと同じ症状だろう。リビングの左右に立ち並ぶ襖は、片方がキッチンに繋がっていて、もう片方は唯が今まで書いたものや〈母親〉のがらくたが詰め込まれる押し入れとなっていた。
テーブルの周りに散乱している問題集や教科書の中にはもう役目を終えたものもあり、それらは二度と開かれることはない。そんなものがいつまでも自分のそばに置いてあるのは邪魔だということで、唯は久しぶりに整理整頓をすることにした。二度と使わないなら縛って捨ててしまえばいいとは〈父親〉の弁だが、対する〈母親〉の座右の銘の一つが「いつか使うかも」だったせいで、この家に一度招かれたものは生ごみでもない限りは外に出ることを許されなかった。
一度襖を開けて、収容物を置くスペースを確保しようと中にあるものを物色する。
どこかから拾ってきたガラスのチェス。
月の彼方にいた頃から使っていた携帯用オセロ。
襖の中を整理していると、懐かしいものがたくさん出てきてつい手が止まってしまう。いつもの悪い癖だが、気になってしまうのだから仕方がない。
(……ん? こんなのあったっけ……?)
ふと、視界の端に黒い袋が映りこんだ。大きさにして、掌よりも少し大きいくらい。袋の膨らみ具合から見ると、四角いものが入っている。袋を開けてみると、箱に丁寧に収められたタロットカードが現れた。いつからあったのかは分からないが、ちょうどいい。魔術に関連しそうなものは、何であれ重要な資料になる。
*
洋館が再び開かれると、唯はまた多くの思考の軌跡を持ち込んで先生に見せびらかしては、これは何を見ている時に思いついたものかという制作秘話を語りだした。普段の二倍の量があるせいで倍速再生のような早口になる。とはいえ、先生はきちんと頷いているので問題なく聞き取れているのだろう。
「――でさあ、一個面白そうなカードゲーム見つけたんだよね。」
「お? さっき言ってたタロットか?」
「いやそっちじゃなくて。先生XENOって知ってる?」
思いついたことを喋るという点では、唯が批判しまくったあの高校の教師たちと大して変わらない。むしろ、カバラやセフィロトの研究をする場でそれと無関係ではないタロットの話をせず、あえて何も関係のないカードゲームの話をするあたり、唯のほうが悪質と言っていい。
「いやそれ知らねえわ。どんなの?」
「気になってルール調べたから今からやろうよ。トランプあればできるから。」
唯はそう言ってボードゲーム置き場から一束のトランプを持ってくると、そのうち十八枚だけを抜き取ってシャッフルした。
「じゃあ今からルール言うから一発で覚えること。」
唯は切り離された落書き帳をテーブルの端に寄せると、最近知ったばかりのルールを説明し始めた。ゲームの進め方、数字ごとのカードの効果、その他雑談。ルールに関係のある話と関係ない話を交互にすることも作戦の内ということだろうか。だとすると卑怯な戦法だ。
「――って感じ。分かった?」
「なんか途中全然関係ない話あった気もするけど、まあ大体は。やりながら覚えるから始めていいよ。」
物わかりのいい人は手間がかからなくていい。唯の気まぐれについてこれて、さらに唯と対等に話すこともできるなんて、あの学校にいる教師全員を束にしても敵わないだろう。
*
山札が十五枚しかないのに毎ターン二枚ずつ減っていくから、モノポリーやカタンと違ってゲームはすぐに終わる。それに場所も取らないので、この応接室で話し合いながら遊ぶにはぴったりなゲームだった。
「じゃあ私からね。」
ルール説明が終わって気が済んだのか、唯はこれ以上XENOの話題を出すことはなく、むしろ気を散らすためにも積極的に魔術の話を始めた。しかし、奇抜なアイデアを持ってくる能力を除けば唯よりもはるかに優秀な先生がその程度のことで記憶を失ったり集中できなくなるわけもない。
「七。」
「五。」
本来は世界観を示す絵が描かれているが、トランプで代用しているせいでどうにも味気ない。しかし機能としては十分で、二人の間には気まずくない静寂が落ちていた。唯は他のことに集中しながら雑談できるほど器用ではないので、本気を出すと無言にならざるを得ない。
「二。」
「……な~んだ?」
「九。」
「……クーデターだ! 反逆者!」
勝負がついた瞬間、唯が悔しそうに叫んだ。皇帝を温存しておけば勝てると思っていたのに、あと少しのところで兵士に暗殺されるとは。
「あーあ。あと一ターン耐えられればなぁ。なんで分かった?」
「なんでっていうか、途中からずっと分かりやすかったぞ。」
そういえばそうだった。先生は唯の支離滅裂な話でもその内容をかなり的確にくみ取れる人間なのだから、今手に持っているカードを予測することくらいはできて当然だ。
「まあいいや。本題本題。」
「なんだ? もう一回やんないのか?」
ここ最近は遊戯の神、特にサイコロの神を敵に回して惨敗続きだったせいか、先生も上機嫌といった様子だ。煽られているような気がする。
「いや、なんかまた負けそうだからやめとく。研究の続きしなきゃね。」
唯はそう言って落書き帳の紙片を呼び戻すと、手書きのセフィラとパスの中に逃げ込んだ。
高校生になってもその身勝手さは何一つ変わっていない。月の彼方にいた頃も似たようなものだったことを考えると、これが唯の本来の気質なのだろう。
*
「じゃあ今日は勝つから。」
「上等だ。また刺してやるよ。」
一週間が経って、唯は再び先生に勝負を挑んだ。今回はきちんとルールや戦い方も勉強してきたし、無表情の練習もしてきたから暗殺されることもない。手札運の強さなら唯の方が上なのだから、先生が「二」を無駄撃ちしてくれれば唯はそれだけで勝てるのだ。あるいは「六」で決戦に挑んでもいい。
「じゃあ今日はそっちからでいいよ。情報渡したくないし。」
「あいよ。」
先生が無難な一手を出してきた。先の発言から唯が兵士を持っているとでも解釈したのだろうか。
「じゃあ次私ね……ごめん勝ったわ。」
唯の手札は六と十が並んでいる。ルール上負けることができない配置だ。唯は二枚を同時にテーブルに投げ出すと勝利を宣言した。
「はい私の勝ち~。やった~」
「その割にはあんま嬉しくなさそうだけど。」
「だってこれ誰だって勝てるじゃん! 私はもっと天才っぽい勝ち方がしたいの!」
持ち前の運の良さを使って勝った、運も実力の内、そういう考え方もある。しかし唯は自分のことをとてつもなく運の悪い人間と評していたので、こんな運頼みで勝っても嬉しくはなれない。
「じゃあもう一回するか?」
「あたぼうよ! 勝つまでやってやらあ!」
唯が急に口調を変えてソファに座り直すと、魔術研究をそっちのけで身を乗り出した。できれば天才らしく、兵士でピン刺しを決めてスマートに勝ってみたいものだ。
「……二。」
先生が初手で必殺技を使った。これはチャンスだ。最強のカードをこんな序盤で使わなければいけない状況は限られている。どうせ当てられない唯ならともかく、先生ほどに使いこなせるなら今使うのは合理的ではない。
(六、八、十か。三分の一で勝てるな……)
「二。」
「え?」
「いやだから唯のそれ。二でしょ。」
先生が淡々とした声で即答した。あてずっぽうや直感で言ったというよりも、きちんとした根拠がありそうな声だ。
「にゃあああん!」
唯は大事に持っていた銀の弾丸をテーブルに叩きつけた。
もしかしたら、この人は本物の読心術の使い手、あるいは種族が人間ではなくて悟り妖怪なのかもしれない。巫女みこ天使さまも投げたボールの軌道を後から変えられる異能を持っていたし、あり得ないとも言い切れない。
「……ちなみにそっちのもう片方は?」
「これ。」
「……え? なんで?」
先生が持っていたのは少年。明らかに出す順番が違う。
*
先生の元に兵士が渡った時点で負けということが分かったところで、唯はふてくされ気味に本題に移った。そもそもここに来ているのは第一征服者に復讐するためであって、そのために必要な手札を作るためだ。カードゲームで遊ぶのは楽しいが、最優先ですることではない。
「この前新しいセフィロト作るって言ったでしょ。」
「ああ、なんか思いついたのか?」
話題を切り替える時のスキルなら二人とも一級品。どちらも仕事柄、刻々と変わる状況に対応するのは得意だった。もっとも、唯が得意としていたのは状況対応というよりもその逆、状況をぶち壊すほうだったが。
「思いついたっていうか今から作るっていうか……ほら、万能理論ってあるじゃん。」
「そりゃあるけどあれ物理だぞ。魔術とは真逆の理論じゃん。」
「あれの魔術版っていうか、とにかく、今まで考えてたもの全部説明できるようなのにしたいなって。」
流石の先生でもここまで抽象的だと理解できなかったのか、その意図を測りかねるように首を傾げた。一番重要なものなのだから正確に理解してくれないと困るのに。
「なんていうのかな……今まで調べたこと全部詰め込んでみるって感じ?」
「ああ、そういうこと。絶対途中で矛盾だらけになるぞ。」
ごもっともな反論をありがとうございます。しかし、元から何通りもの解釈があって、それこそ物理学とは違って本人の感性によるものが大きいのなら、多少遊びや作りの荒い部分があっても問題ないだろう。
極端な話、自分さえ全てを理解できれば唯は神になれるのだから、そのあとに残った理論を誰がどう使って、その結果どこに辿り着こうと唯の知ったことではない。
*
さらに一週間が経って、珍しく唯の研究は難航していた。一歩たりとも進んでいないのが日常茶飯事だった唯の研究に難航も何もないのだが、先週の終わりに提示された課題に合ったテーマのアイデアが思ったほど降りてこなかったことは問題だ。
(ん?)
洋館のゲーム置き場はもう何度も見ていたが、棚の上のところに見慣れないカードが置いてある。容器はかなり薄く、トランプの半分も入ってなさそうだ。
「お、気づいたか。」
唯がカードの入った紙箱を持ち上げたところで、駐車場に車を停めてきた先生が階段を上がってきて、何やら得意げな表情とトーンで話しかけてきた。階段のそばで棒立ちしていたのが邪魔だっただけかもしれないが。
「気づく? ……ぁ。」
「せっかくだからな。買っといたぜ。」
ラピュタかピレネーか、箱に書かれた城に「XENO」の文字。別に買ってくれとは一言も言っていないし、トランプで十二分に楽しんでいたからわざわざ買う必要はどこにもないはずだが、まあ雰囲気を楽しみたいということだろうか。
「……じゃあ今日からは本物でやりますかね。」
「おう。また初手刺ししてやるよ。」
「やめてけれ。」
応接室に入ってソファにどっかりと座り、どの理論なら纏められるかを考察したメモが入ったクリアファイルをテーブルの端に置いて、今日もゲームが始まる。ボードゲームのような大型のものもいいが、こういうコンパクトなものの方が知的な雰囲気が出せている気もする。
*
せっかくなのでもっと多くのものを詰め込んでみようと思った唯は、学校でもノートを広げる代わりに、プリントに重要語句を書き込む代わりに魔術に関するものを書きつくり、思考の整理と称しつつも実態としてはかなり広大な領域に魔の手を伸ばしていた。
「なあ。ここに魔導書とかってないの? ソロモンの鍵とかそういうやつ。」
「ソロモン? 僕はその辺は詳しくないなぁ……」
中華世界に限定された世界史の終わったタイミングで、ふと青二才に訊いてみた。もしこの学校の二階や四階といった唯の入れない場所に魔術の専門書が置いてあるというなら、ぜひとも借りたいものだ。この学校で魔術の知識を一番有効に活用できるのは間違いなく唯なのだから、丸々三年間借りることだって許されるはず。
しかし、歴史教師の青二才から聞かされたのはあまりにもお粗末な回答だった。魔術に明るくないのは仕方ないとしても、せめて実在のソロモン王について解説するくらいの見識は披露してほしかった。
「マジ使えねえ学校だなぁ……もっといろいろ準備しとけよ……」
唯はぶつぶつと文句を言いながら教室のドアを押し開けた。引き戸でないというのは唯にとっては高評価ポイントだが、すでに積み上がったマイナスが大きすぎる。
「じゃあエノク書は? 死海文書でもいいけど。」
苦情を言い終えてドアを閉めようとしたところで、ふと唯はもう一つの線を思いついた。近代西洋の魔導書はなくても、もっと古代のもの、宗教的な資料なら置いてあったりしないだろうか。
「え? 何?」
「だから聖書の偽典! ないの?」
「聖書かぁ……僕も全部知ってるわけじゃないけど、ここにはなかったと思うよ。」
まったく、客引きのためにマンガを置いておくのも結構なことだが、もっと人の為になるものを置いてほしいものだ。
「そんなに読みたいなら隣の図書館にでも行ってくればどう?」
踵を返して人のいない場所へと移動しようとした唯の背中に、そんな言葉がかけられた。言われてみればその通りだ。こんな狭い場所よりももっと大きい場所で探したほうがいい。しかし、この学校はそう簡単に外に出られないような人間のためにあるのではなかったのか。
*
唯の住んでいる村の図書館は非常に小さく、歴史的な資料を除けばろくな蔵書がないという完全に郷土資料館のような代物だったが、電車で二十分だけ月の彼方に近づいた場所にある学校隣の図書館は、少なくともそれよりかは大きな建物だった。
「こんなとこに魔導書なんてあんのかね……」
エントランスに入る前から、唯は建物を見上げて呟いた。建物自体は立派だが、そのうち図書館なのは半分もない。半分は立体駐車場、残ったさらに上半分は誰も使わない会議ホール、さらにその半分くらいが図書館という、知性を軽んじる西日本人の民族性とでもいうべきものが視覚的に現れた建物だ。
あまり期待せずに入ってみると、それでも村のものよりは大きいことが空気の温度から伝わってきた。やはりあの村は文明的要素の欠片もない、すぐにでも帰ったほうがいい村だというのが分かる。
(ん? これあれじゃん! 借りてこ。)
隣の地域同士で比べ合っていると、唯は最近見てハマったアニメの原作小説を見つけだした。これは魔導書よりも先に読んでおいても悪くないだろう。
「ありがとね。便利なもの作ってくれて。」
「ええ。こんなに利用しやすいもの、感謝しかありません。」
「誰も魔術として使ってないじゃん。」




