18:// 歓ノ少女
「そう、これこそが、私を魔女へと導いた神の聲――」
「神の聲(ほぼ空耳)」
「私の話のネタ奪らないでね?」
適当に選んで決めたものとはいえ、唯の未来が自分の予測できる範囲に収まったのは〈母親〉にとっては十分な安心材料になったようで、今までと比べて深く干渉してくることは減っていった。
今まで事あるごとに説教をしてきた人間が急に温厚になるというのは快適である一方、会話に費やす時間という観点ではむしろ扱いが雑になったともいえる。普通の人間なら純粋に喜べたであろうその変化を、唯は素直に喜べていなかった。
耳元で説教を叩きつけられるうちは、〈母親〉なんて一生黙っておけばいいと思っていたはずなのに、いざ何も言われなくなると、もう少しくらい説教をしてくれてもいいのにという思考が芽生えてくる。
「暇なんだけど。何かない?」
ゲームをやりながら、相手の目を見ることもなく話しかけてみる。
無言。
独り言だと思ったのだろうか。今までなら唯が話しかけなかったとしても、勉強しなさい、進路を決めなさい、将来を考えなさいと何本もの言葉で突き刺されたというのに、えらい変わりようだ。
「ねえ。」
「……なに?」
かぎ針を動かす手をぴたりと止めて、その代わりに二段ほど下がったトーンでようやく返事が返ってきた。この声は爆発寸前、よくない傾向だ。
「いや。やっぱ何でもない。」
唯はこれ以上踏み込むのは危険だと判断して撤退した。たとえ意思や感情のようなものが搭載されているが、結局のところ唯とは〈母親〉に作られた人形にすぎない。その自由意志や自己決定権は唯のものではなく、主人である〈母親〉の命令コストを削減するためのものだ。
*
暇を持て余した唯のマイブームは、物語を書くこと。しかし、それは誰かを楽しませるためのものでもなければ、自分が書いていて楽しいからでもなかった。どこまで行っても第一征服者への報復のことしか考えられなくなっている唯にとっては、復讐の完遂にこじつけられなければ素直に楽しむことすらもできないのだ。
物語を書くというのは、言ってみれば自分自身を神話上の存在にしてしまうということ。現実に生きている唯の言葉は太陽神の呪いによって一切の信用を得られなくなってしまったが、神話化された唯の言葉という形に翻訳すれば誰か一人くらいは信用してくれるかもしれない、という半ばやけくそなプランだった。
自らの存在や信念をねじ曲げて架空の存在に堕としてまで第一征服者に一矢報いてやろうというどこかずれた熱意は、〈母親〉やブルドッグのような下世話な人間からは「本当は第一征服者のことが好きなのだ」と揶揄われることもあるが、侮辱も甚だしい。
*
少し前までは、学校に刃物を持っていって第一征服者とブルドッグ、その他教師陣の多くを刺殺する計画やら、村の上空に核兵器を投下する計画やら、西日本人だけに感染する殺人ウイルスを作って地域全体にばらまく計画やら、現実的なものと空想的なものが混ざり合っていたが、神になるという途方もない夢物語を描くようになってからは、その目的のための計画そのものは驚くほど穏便なものになっていった。
東日本人として西日本を文明化し、原住民を同化するという民族的な使命は一旦置いておいて、唯個人の問題としてのみ取り扱うと、唯のやりたいことはこう整理できる。
一、安全な場所から攻撃できること。唯に一切のリスクがないこと。
二、冤罪であること。物的証拠のない罪状であること。
三、第一征服者から奪い取ったものを唯が利益として享受できること。
「……ふうん。そうなるんだ。」
「いやこれはお前の計画だが? 俺が考えたみたいに言うな。」
唯は先生が紙に書きだした項目を見て、まるで他人事のように頷いた。自分で喋っている時はもっと腹の底から怒りが湧き上がって、第一征服者の頭上に雷霆でも落として殺せるのではと言うほどの恨みが渦巻いていたが、いざ先生から「あなたの為すべきことはこれです」とばかりに明文化されると、大したことでもないような気がしてしまう。
(……いやいや、落ち着け私。)
これはいけない。唯は死の瞬間まで西日本への憎悪を忘れてはならないのだ。
先生には語る必要がないことだから言っていないが、唯が西日本人から受けた仕打ちはもっとひどいものがたくさんある。これはあくまで第一征服者用の報復計画であって、いずれはそれ以前の迫害者にも復讐をしなければならない。
理性によって憎しみを維持しなければならないというのは不可解なことこの上ないが、これこそが唯の厄介なところ。冷静さを欠いている時は当然キレているため手がつけられないが、落ち着いたら落ち着いたで結局同じことしか言わないのだから。
*
六角形のタイルを組み合わせた島が海の上に作られ、創造主の二人が村を作ってその上に降り立つ。ゲームの時間だ。
「それじゃ始めよっか。先生からでいいよ。」
先生がサイコロを振って資源を採掘し、まずは新しい村を建てに向かう。唯のターンが回ってくると、灰色の天上から振られたサイコロ以上にその舌が回り始めた。
「やっぱストーリーって最初から作っちゃダメだと思う。」
「つまり?」
「例えばなろう系でも最初はそこそこ面白いんだよ。でも途中から急につまんなくなるだよね。だから理由を考えてみたんだけど、たぶん最初に考えてたストーリーを使い切ってるのに無理やり続き作ってるからそうなるんだと思うわけよ。思いつきで適当に作ったっていうか。結末決まってないまま作られた奴がクソつまんないんだよきっと。」
たった今思いついたような持論を長々と語るうちにもゲームは進み、村が少しずつ都市へと発展していく。先生も順調に村を作りながら、唯の演説に返事をしていく。ここではそういうマルチタスクが要求されるのだ。
「なろう系なんて所詮素人が深夜テンションで作ったものなんだからその辺はしょうがないだろ。大して考えてないって。」
「いや素人が関わっちゃダメでしょ。もっと専門的なノウハウ持ってるプロが作るべきなんだって。だから最近のアニメ全般劣化してるんだよ。」
唯はサイコロを振って盗賊を投げつけながら、ここ最近のアストラル界に対する不満も一緒に投げつける。唯の原則は適材適所。当然、才能のない人間が業界に関わることは許さない。
これを突き詰めると唯はこの世のどこにも居場所がなくなるというのは、おそらく本人も気づいていないのだろう。
*
春は出会いと別れの季節。実質的に友人のいない唯にも、人生を変えてくれる出会いがあった。
もっとも、唯にとって別れの季節は夏だが。
「唯。卒業式くらいは普通にしてるのよ?」
「分かってるって。あいつがいなければね。」
去年は三ヶ月間という長い春休みに巻き込まれて卒業式はなくなってしなったと聞く。しかし、唯たちの番である今年は、例年よりも小規模ながら執り行うことになっていた。去年と同じでなくなってしまえばよかったのに。
唯は恨みがましい目で制服を睨みつけ、〈母親〉にも同じ目を向けた。半年以上前に追放された学校の卒業式に参加したところで何の意味があるというのだろうか。〈母親〉が学校まで証書を取りに行くだけでいいはずなのに。
しかし、それが望みだというのなら拒否権はない。唯はゴミ捨て場にあった古着を洗濯しないまま袖を通すような表情で着替えを済ませると、〈母親〉に監視されながら学校までの一本道を歩きだした。
段取りは何も知らされていなかったものの、ただ体育館に並べられたパイプ椅子に座って独裁者たちの演説を聞くだけで終わり、コロナの名残のようなものを感じさせた。
(……クソどもが。お前ら西日本人さえいなけりゃ私は人間のまま生きられたんだぞ……!)
話が終わるまでの間、その一言一言に反論しながら時間が過ぎるのを待ち、やがて解放の時が訪れる。唯はもうここの生徒ではないので教師の指示を無視して入り口に向かい、さっと靴に履き替えて〈母親〉と合流し、帰ろうとする。
「もう終わったの?」
「ん。だからさっさと帰るよ。」
〈母親〉はブルドッグと最後の雑談をしていて、吐き気を催すその笑顔を見れば、唯の悪行の歴史を語っていることがすぐに分かった。昇降口では顔も名前も知らない同級生たちが騒ぎ始めている。この場にいる人間の中で一人だけ部外者というのはなんて居心地が悪いことか。
「はいはい。わかったから。もういいのね?」
「いいって何が?」
この学校にいい思い出は一つもない。別れを惜しむ要素がどこにあるというのだろうか。〈母親〉はしばしば唯が西日本人であるかのような頓珍漢なことを言うが、そんなことはあり得ない。唯は死ぬまで東日本人なのだ。
「天使さまとはもう話した?」
「……いい。もうクラスメイトじゃないし。」
唯は一瞬だけ悩んだものの、すぐにばっさりと割り切った。借りた本はいつか返さないといけないが、それは今度店にでも置いてくればいいだろう。今誰かの記憶に残るのは得策じゃない。
*
何一つ心の動かない卒業式を終え、晴れて学校を中退することに成功した唯は、今日もボードゲームの館に入り浸ってカタンと雑談に興じている。
「で? 今日は何か思いついたのか?」
盤面を用意しながら、先生が今日のテーマを訊いてきた。これまでの雑談によって、唯の話は真面目に聞くだけの価値があると信用されたのだろう。
「今日は何にしよっかな~……」
誰かに自分のことを話すのが好きな性格もあって、唯は毎週新しい話の種を持ってくるのにさほどくろうはしなかった。むしろ、先生雑談をするほどに新しい話題が実っていき、とても収穫を終えられそうにない。
「じゃあ私の物語のエンディングでも考えるか。」
最近のお気に入りの話題はストーリーテリングに偏っていて、それは文法や修辞がどうという話ではなく、全て世界観の設定をいかに緻密に作るかというゲームになっていた。巫女みこ天使さまに紹介されたマンガたちがどれもそういった要素を持っていたからだろう。
「それで? 今日はどんなの考えてきたんだ?」
唯の考えるアイデアは毎回微妙につながっていなかったり、それぞれ矛盾していたりするので、先生はそれを修正していくのが仕事になっていた。より厳密には、話しているうちに唯が勝手にその役を押し付けていた。
「今回のはちょっとメタいんだけど、これまでずっと劇中劇みたいな感じで作って、最後の部分だけ現実にするっていうか、想像の世界と現実の世界が融合する感じにすれば私の復讐にも繋がるかなって。なんて言えばいいのかな……?」
「……。」
唯がいい表現を思いつかずにぼんやりとしたイメージだけを伝えると、先生は脳内のビッグデータから何かを分析するように顎に手を当てて考え込んだ。唯の知る限り世界で最も性能が高い翻訳機がすぐに返事を返してこないなんて珍しい。
「どしたん?」
「いや、ちょっとな。唯ってこの間のシンエヴァ見てきたか?」
*
唯が首を傾げていると、先生はゲームの手を止めて解説をしてくれた。別に手を止める必要はなかった気もするが、それだけ重要なことか、あるいは先生にとっては負荷の高い処理だったのかもしれない。
簡潔に言えば、つい最近完結した映画のエンディングと、今唯が話したエンディングのアイデアがよく似ているという事らしい。
「――だから唯もシンエヴァ見てきたのかなって思ったってわけ。そんだけ。」
「にゃるほどねぇ。でもすまんのぉ、ちっとも知らんかったわい。」
先生の話が一段落したところで、唯は両手をひらひらさせて中身のない謝罪をした。そんな軽薄な態度に突き動かされてか、すぐにゲームが再開される。やはり同じ時間に二つ以上のことをしていたほうが効率のいい人生を送っているような気分になれていい。
「で、何? パクリだって言いたいわけ?」
喧嘩腰にしか聞こえない声色で唯が尋ねる。別に非難されたところで心が痛むわけではないが、だからといって気分が悪くならないというわけでもない。
「いや、むしろ見てないのに思いついたならすげえなって素直に思っただけだよ。」
「おえぇ気持ち悪。」
先生に褒められて、唯は大げさに嫌がってみせた。信用している人間からのものであったとしても、やはり聞き慣れない言葉を聞くと鳥肌が立つ。
(エヴァねえ……)
名前だけなら聞いたことはある。有名だということも知っている。ただ、なぜ有名なのか、どんな内容なのかという点については、唯は全く知らなかった。
「唯なら絶対面白いって言うから今度見てみ。」
「ん? ああ、うん。時間あったらそうするよ。」
言葉の意味そのままに返事をする。時間があれば――本来は誘いを断るときに使う言葉だが、唯のカレンダーは土日と祝日以外は存在しない。時間がないわけがないのだ。あとで〈母親〉から端末を借りて見に行くとしよう。
*
(……なんだこれ。)
アニメ版を見始めて数時間。唯は困惑していた。途方に暮れていたといってもいい。
回収されたのかどうかよく分からない伏線。
説明のないまま登場してそれっきりの専門用語。
途中から意味が分からなくなっていくストーリー。
はっきり言って、唯が一度見始めたアニメを途中でやめてもいいと思える人間だったら、半分くらい見たところで現実に戻っていたかもしれない。
(……なんかよく分かんねえ話だな……。)
しかし、そう言いつつ最後まで見るのが唯という人間でもあった。朝からぶっ通しで潜り続け、途中に一度昼食ができたとのことで呼び戻され、食べ終わって歯を磨いたらもう一度潜る。夕方になったころ、唯はようやく現実世界に戻ってきた。
「あー疲れたー。ごはんまだー?」
「あんたアニメ見てただけでしょ。」
遊んで帰ってきてすぐに食事を持ってこいという唯の傍若無人さに〈母親〉は呆れていたが、唯だってアニメ二クール見るのにこんなに頭を使うなんて思ってもみなかった。最近は思考停止で視界の片隅に置いていればそれで充分事足りる程度のものしか見ていなかったから。
「だって意味わかんなかったし、しょうがないじゃん。」
とはいえ、それでは全く面白くなかったかと言われれば、それは違うと直感が物語っていた。何を言っているのかはよく分からなかったが、何か意味のあることを、唯に必要なことを言っているということだけは、おぼろげながら理解できた気がした。
*
幸いなことに、エヴァが意味分からないと思っている人間は唯以外にも大勢いるようで、探してみれば専門用語やストーリーの解説をしている記事や動画はいくらでも転がっていた。
人間は意味が分からないものに対してはとりあえず低評価をつけてそれと関連するものを全て悪いものだとみなし、自分たちの生活圏から遠ざけようとする悪い癖がある生き物だが、本当に面白いものであれば意味が分からなくても受け入れられるということだろうか。常に異常の側に立ってきた唯からすれば、これは耳寄りな情報だ。
世界の誰もが唯を理解することに失敗したというのなら、理解されることを諦めてしまえばいい。凡人に天才を理解することなどできるわけがないのだ。西日本人のように、理性的な判断ができない人間もいるのだから。
エヴァの何が無理解と受容を両立させているのかはまだ分からないが、それを理解した時、唯はまた一歩神へと近づくのだろう。来週からの話題はしばらくこれにするべきだ。
週が明けて早々、唯は洋館の階段を駆け上がるとさっそくボードゲームの箱を一つ取りだし、先生との話し合いに臨んだ。
「とりあえず一回見てきたよ。アニメ版でよかったんだよね?」
「おー、見たのか。どうだった? 面白かったろ。」
さて、ここでどう答えるべきか。正直に意味が分からないと答えて先生よりも劣った存在であることを自白するか、それとも調べて得た知識を駆使して天才を装い続けるか。唯は一瞬だけ迷った末、
「まあね。最初は意味わかんなかったけど、何回か見たら慣れてきたっていうか?」
どっちつかずな答えを先生に解釈させることにした。可能性を残しておけば後からいくらでも言い訳がきく。
*
エヴァそのものというよりも、エヴァという難解な作品を理解できている自分というものに唯は価値を見出した。多くの人間が理解できないものだというのなら、それを理解することは自己価値を高めることに寄与するに違いないという、いつもの唯らしい発想だ。
やる気の出ないこと、必要性を感じないことに対して発揮される唯の才能は皆無といってよく、もし〈母親〉が唯の成績に価値を見出さなければ、言い換えれば、成績の低い唯には価値がないと宣告しなければ、第一征服者の学力でも唯と渡り合えたかもしれない。しかし、一度やる気を出しさえすれば大抵のことはそつなくこなせるという、唯の才能は都合よく目覚めてくれていた。
今回も似たようなもので、今まではどこかで名前を聞いたことがある程度で何の興味も示さなかったくせに、自分の役に立ちそうだと直感が訴えだすと、一日中アストラル界に潜り込んで勉強するほどには熱心に取り組んだ。
「今日もエヴァか?」
「もっちろん。ようやく本当の面白さが分かってきたんだから。」
自分の価値が上がっていると思い込めること自体が報酬として成立していた。こういうところは、あの憎たらしい第一征服者と本当によく似ている。
*
唯と先生が普通の人間であったなら、エヴァが面白いから見るように勧め、それを見た感想を述べて終わりだったかもしれない。もしくはその先に仲を深めることがあるくらいか。
しかし、〈母親〉と洋館の主の契約によって結びついているだけの二人の間にそんな友情が芽生えるわけもなく、また、全ての物語は作者の過去の投影であり、そこに描かれているものには必ず何らかの象徴的な意味があると信じている唯にかかれば、エヴァは人類補完計画を推進するように呼びかけるプロパガンダであり、計画発案者の思い描く理想の世界像に違いないという方向に解釈されるのがオチだった。
「――だからさ、人類補完計画を現実に実行するとしたらどうなるのかな~って思うでしょ。」
「まあちょっとは考えるよな。でもあれは流石に無理だろ。」
「確かに全人類LCL化は無理かもしれないけどさ、例えば脳のデータをクラウドにアップロードするとか、そういう感じでなら再現できんじゃないの?」
「それだとどっちかって言うとMAGIっぽくならないか?」
そんな話をずっと続けながら、手だけは変わらずボードゲームに向かっている。このように何の成長も生まない時間は人生の浪費だと、他人の余暇に対してはそう言って批判するのが唯という人間だった。それは唯が誰かと遊ぶ機会が極端に少なかったからこそ生まれた一種の僻みから来る思想でもあったが、こうして充実している今ならどんな批判をするのだろうか。
*
新世紀エヴァンゲリオンとは旧約聖書や心理学の要素を多く含んだ作品なので、ただアニメを見ているだけでは十分な理解はできない。このことに気がついた唯はネットを借りて心理学を調べ、熱心に聖書を読むようになった。それは作品を純粋に楽しんでいるというよりも、一つの研究課題としてみなしていた故ではあったが、実際に考察を趣味としている人間は多くいるのだからそれほどおかしなことでもない。
すでにある程度研究がされている分野であれば、独学で知識を得ることはそこまで難しくない。小学校時代に家で勉強をさせられたときから、唯は誰かに教わったことの方が少ないのだから。
唯は落書き帳やノートに色々と心理学のメモを書いたり、聖書の一節をコピーしたりしながら、その実、特に何か実践的な行動を起こしてはいなかった。しかし、本人の理屈ではこれを解読したら神になることができ、絶対的な信仰の力で第一征服者を冤罪に追いやれるのだから、道にそれているとは考えない。
実際に神になったところでそんな都合よく物事を進められる保証なんてどこにもない。むしろ、痛い目に遭わせたいなら、第一征服者が卒業して居場所がわからなくなる前にとどめを刺しておくべきだったとさえいえる。しかし、唯はいつからかそのような路線を放棄していた。
今となっては、本当に神にならなければ第一征服者の場所すら分からないまま唯の人生が終わってしまうくらいには唯の復讐可能性は狭まっていた。そのことに、唯自身が気づいていない。
人はこうして復讐を忘れていくのかもしれない。
*
唯ははじめのうちは旧約聖書と心理学の研究をしていたはずだったが、飽き性な性格もあってか次第に元いた場所から離れていき、他の宗教や哲学などの知識を得ることを求め始めていた。唯にとって知識は食料品のようなもので、捕食し続けなければ飢えてしまう。極論、何でもいいから何か知識を得ておきたいという一種の強迫観念ともいえるかもしれない。
エヴァに関連するものという縛りの中でネットを彷徨い、アストラル界を徘徊していると、これまでで一番心惹かれるシンボルに出会った。十の円と二十二の線を組み合わせて描かれたそれは、唯の心を一瞬で鷲掴みにした。
カバラ。
セフィロト。
ゾーハル。
アルカナ。
(神の意志の流出……? なにこれ楽しそう……!)
思えば、唯がこうして一瞬のうちに魅入られたのも何かの運命と言えるのかもしれない。先生がたまたまエヴァを勧めてくれたことも含めて。
――A級戦犯もいいところだ。
「こうして魔女は神への道を見つけたのです。めでたしめでたし。」
「いやまだ終わってないから。むしろここからよ。」




