17:// 失われた未来を諦めて
「冬っていいよね。」
「まあ夏と違って綺麗だもんね。」
「秋より冬が好きって言わないの?」
人々の信頼を得るという至極まともだったはずの目標は、いつしか盲目的な信徒を得るというものに変わっていき、ついには自らが神にならんとする大それたものへと変わっていった。一年前まで邪神、悪の化身と呼ばれていた唯にこれほど似合う野望もないだろう。
唯自身、善性の神になろうとは思っていなかったし、目的が達成できるなら邪神であれ大悪魔であれその称号に大したこだわりはない。
しかし、多くのRPGに登場するような魔王や悪の神々と違い、唯に与えられた力は普通の人間よりも少し優秀なくらいで、全ての存在を蹂躙できるほどのものではなかった。この程度の力では、到底神に相応しくない。
そもそも、悪の化身という異名を賜るほどに人望がなかった唯では、仮に神性を得たとしても信徒を集めることはできないと容易に想像がつく。信頼を得るという一見すると誰にでもできるようなことが、唯にとってはこれ以上なく困難なことでもあった。
(やっぱここじゃ無理だよなぁ……う~ん……)
唯は自身の悪評の数々を、自身の肉体にかけられた呪詛のようなものだと解釈していた。というよりも、生まれつき人間の嫌悪や憎悪を一手に引き受けるという性質であると仮定してしまうと、計画そのものが成り立たなくなる。こうなると全ての思考が無意味になってしまうので、唯はその可能性を無意識に排除していた。
そして、唯の考え付く限り、このおぞましい呪いから逃れる術はただ一つ。完全に正体不明の神格として君臨することだった。
幸い、この世界にはインターネットやアストラル界といった、正体を秘匿したまま活動できる領域が存在する。唯の目的を考えると、アストラル界のほうが適していると言える。
*
月を統べる神になるために日々妄想を広げていると、右斜め前の席から横槍が入り込んでくる。ここ最近、突き刺さる槍の形は全て同じ。どれも「そろそろ進路を考えなさい」という形だった。
「いちいちうるさいなぁ。」
「じゃあ何? 本気で行かないつもりなの?」
唯が突き刺さったものを抜き取ろうとすると、追加で槍の雨が降ってくる。屋内にいるのに槍が降ってくるこの家のなんと住みにくいことか。やはり西日本の家屋は人の住んでいいところではない。
「……別に行かないとは言ってないけど。でも行ったってどうせ退学させられるんだから時間も金も無駄になるじゃん。」
正論と言えば正論だった。実際、唯は小学校、中学校共に学校側の事情で不登校になった実績がある。二度あることは三度あるのだから、高校でも大学でも唯は不登校になる。誰が何と言おうとそうなるのだ。
「それはあんたが普通にしてればいいだけのことでしょ。それとも何? 死ぬまでずっと家で遊んでる気?」
〈母親〉は最悪の未来を想定したのか、自分自身の決断を責めるような口調で唯を睨みつけた。
「そうだよ。入学しても途中からそうなるんだから最初っから行かなくても一緒じゃん。」
否定はしない。過程はどうあれ、結果が同じならその誹りを受け入れる義務がある。
「はぁ? バカじゃないの? なんのためにここまで育ててきたと思ってんの?」
唯が開き直ったせいか、〈母親〉も苛立ちを隠さなくなって声を張り上げた。どのみち漏れ出ていたのだから大して変わらない。多少声量が大きくなっただけだ。
「投資に失敗しただけでしょ。期待外れだったなら十五年前に捨てときゃよかったんだよ。」
「そんなことできるわけないでしょ! 法律で決まってんのよ!」
まったく、なんて不自由な法律だろう。親にだって要らなくなった子供を捨てる権利くらいあるだろうに。そうやって親に全責任を負わせているから幸福度も出生率も下がる一方なのだ。子供なんて所詮親の所有物なのだから、要らなくなったらメルカリで売買できるようにしたほうがいい。
*
アストラル界を経由して神になると決めた唯にとって厄介だったのは、その潔癖症ともいえる完璧主義と、その割には乏しいクリエイティブの才能だった。
才能があるのかないのかすら分からない以上、成果の出ない無駄なことに時間を使うかもしれない。一度始めたらなかなかやめられない性分の唯にとって、それは人生の無駄になるかもしれない危険なもので、しかしやってみないと才能のあるなしすら確かめられない。ノートに少しだけ書いてみて上手くいかなかったからといって人生の最重要目標の達成に必要なことを放棄するわけにもいかない。
(ん~……やっぱり文章書くのは無理かな……)
日記のような物語を書きながら、自分の才能の上限を予想してみる。考えたところで意味はないし、そもそもどういうものが書ければ「才能がある」と呼んでよくなるのかも分からないが、何でも定量化して単一の法則下で動く機械として理解するのが好きな唯だからこそ、才能にも何かしらの基準が欲しかった。
誰かに見せてみればいいのかもしれないが、そこで無能と判断されるとまたプライドが引き裂かれてしまう。既に傷だらけの身にこれ以上の傷は致命傷になるような気がして、唯はそんな勇気は出せなかった。
*
洋館の応接室にサイコロを振る音が響く。何度もモノポリーを繰り返した結果、その全てにおいて勝利するという偶然にしてはできすぎな大勝利を達成した唯は急激にモチベーションを失い、競技場は四角形の回廊から六角形の小島に移っていた。
今日の勝負はカタン。
唯は今日初めてルールを知ったが、理解するまでそう時間のかかるものではなく、さっそくゲームが始まった。
「魂ってあると思う?」
始まったのはゲームだけではない。むしろこちらが本来の目的で、盗賊団を先生のもとへ送りつけて資源採掘を妨害するのは雑談だけだと両手が暇だからプレイしているだけである。
「今日は随分ぼんやりしてるっつうか、哲学的? だな。」
「ちょっとね……まあ私は神になるわけだし当然でしょ。」
唯が目指していたのはクリエイターという名の神だったが、せっかくなら本物の神、教祖らしいこともやってみたいもの。そもそも、ただ面白い物語を描くだけなら今の快楽優先のコンテンツ群に生存競争で勝てないので、もっと有意義な物語を作る必要があるだろう。
「ほら、たとえば輪廻転生とかさ、あれって新しく生まれた身体に適当なところから拾ってきた魂をねじ込むってことでしょ。なら全平行宇宙間で魂の総量は同じってことなのかな~、とか。でもそうすると世界に存在する生命の数って宇宙規模でみると増えないことになるよね。」
「魂にも熱力学法則みたいなのがあるってことか? ……ならあれは? 特殊相対性理論の応用で何かと魂が相互変換できるとか。」
「……なるほど。感情の落差みたいなエネルギーが魂とか心みたいな質量に変換される、と。ふむふむ……先生もしかして頭いい?」
しばらく考え込むようなポーズをとって、やがて納得がいったのか唯は顔を上げた。
「むしろ俺今までバカだと思われてたの? これでも中高は結構いいとこ出てんだけど。」
「いやまあゲーム用の頭脳みたいな? そっかー、頭いいんだ~。」
唯の中で、また一つ先生の市場価値が上がっていた。唯の話についてこれるというだけでも充分価値があるが、そこから発展させられるとなると、先生にも天才の資格があるのかもしれない。
*
答えの出ない、単一かつ明確な答えが存在しない問題は好きではない。採点する側の裁量で正解かどうかを決められてしまえるからだ。評価する側の人間の象徴といえる学校教師とことごとく対立していた唯だからこその発想と言えるかもしれない。
文系か理系かでいえば、唯は一応理系ということになっていた。数学どころか算数すら怪しい〈母親〉が、唯は理系であってほしいと命令したことがあるから。しかし、今の唯が目指しているものは理系というよりは文系の仕事だろうし、そもそも一番得意な科目が政治なのだから、本当は文系だったのだろうと考えられる。
もっとも、読解問題で作者や登場人物の心情が全く分からなかったせいで、問題集の問題と解答を丸ごと暗記してから試験に臨んでいたような、人の心の一切分からない唯が文系かと言われればそれはそれで違う気もするが。
いずれにせよ、人の心が理解できない唯という化け物が人間の信徒を得るには長い道のりが必要になるだろう。自分のことを棚に上げて、人が完全に合理性だけで動くと信じているような唯の場合は特に。
*
今それを必要としていなかったとしても、それがいつか必要になるかもしれなくて、かつ、それが今しか手に入れられないものならば、多少無理をしてでも買っておくべきというのは理屈としては理解できる。
どんな人生を歩んでも何かを後悔することから逃れられないのなら、その時間は短いほうがいい。チャンスを逃したことに対する後悔はそれに気づいてから死ぬまでついてくるが、無駄な手札を確保するのに使った時間を後悔する時間は死ぬ瞬間だけ。それなら、買える手札は全部入札しておくのも悪くない。
唯は「高卒の資格を買っておく」という形で〈母親〉の命令を受け入れた。有名な進学校のようなブランド品を買わないのなら、どこの店で買ってもその価値は大して変わらない。適当なところに行って買ってくればいいだろう。
駅を四つ移動して、そこから徒歩で十数分。凍えそうな寒さの中を歩かされる。枯れた街路樹を横目に寂れた商店街を通り、細く入り組んだ通りを何度も曲がる。もう一度駅に戻されて、今と同じ道を通れるかと訊かれれば、かなり怪しいと言える。
足を止めたのは通りの角にあるビルの前で、安っぽい学習塾か体操教室が入っているのがよく似合う外観だった。かん、かんという音を響かせて二階に上がり、勝手口のようなドアを開けると、やはり学校とは思えない風景が広がっている。
生徒ゼロ。
家に引きこもってゲームばかりしていそうな中年の男が一人。
一瞬、誰かの家に間違えて入ってしまったのではないかとすら思う。
「ようこそお越しくださいました。」
「今日はよろしくお願いします。」
グラディウス氏が自分のそばの席を引いてここに座るようにと促すと、唯はようやくこの男が今日の案内役なのだと理解した。
*
グラディウス氏の説明はそこまで長くなく、話を聞いた印象としては、ゲーム好きのための通信制高校と言ったところ。確かに、家に引きこもって学校に行かないような人間には大学進学率などを提示しても大したブランドにならないのだから、ゲームし放題と言ってしまったほうがブランディングになるのかもしれない。
「レトロゲーとアストラルゲーどっちが好き?」
学校の説明が終わったところで、グラディウス氏が尋ねてきた。目の前にはノートパソコンが一台、部屋の隅には高級そうなアストラルベッドが置いてあって、大画面のテレビのそばには今となっては誰も使っていないようなゲーム機が積まれている。
「……ならレトロゲーのほうで。」
唯は特に深く考えることもなく、いつも自分がやっているほうを答えた。グラディウス氏は了解、と言うと、ノートパソコンからプログラミングの練習用のソフトを起動して、その画面を唯に向けた。
「それじゃさっそく作ってみようか。」
「……はい。」
明らかに面倒くさそうな、しかし解釈によっては緊張しているだけにも聞こえるような声で返事をすると、グラディウス氏に指示されるままにマウスを動かしていく。しばらく画面を見つめていると、最低限の機能を持った、しかしゲームとは呼べないほど地味なものが出来上がっていた。
「ふーん。これだけ?」
確かに、ドットが動いているのだから広義ではゲームに含むのかもしれないが、半日もかけずに作ったものだからか面白味は全くない。そもそも、いくら他人に支持されるままに作ったとしても、自分で中身が見えるゲームが面白いわけがない。
「じゃあ僕の一番好きなもの見せていい?」
唯が明らかに不機嫌そうな、およそそれ以外に解釈の余地がない表情をしていると、グラディウス氏は横からノートパソコンを操作して、同じソフトで作られたと思われるゲームを見せてきた。
なるほど、確かにこれは本格的に見える。
「ちょっとやってみてよ。絶対面白いから。」
言われるがままに操作してみると、確かに、何十年も前のゲームといった趣のあるドット絵が画面を飛び回っている。横にはプログラミングのコードのようなものがたくさん置かれていて、かつてゲームはこうやって作られていたのだということをひしひしと感じさせてくれる。
「うん。まあまあいいんじゃない? 知らんけど。」
グラディウス氏の熱意ある解説とは対照的な、適当すぎる返事。途中から何をしに来たのか分からなくなっていたが、クリエイターというものが持つべき資質の一つは見えた気がした。唯にはそれがない、少なくとも別の形でしか持っていないであろうことも。
*
「どうだった?」
帰り際、〈母親〉が歩きながら唯に話しかけてきた。その視線は唯の方には向いていない。唯は〈母親〉の歩いた軌跡をなぞるようにプログラムされているから当然だ。
「まあ悪くないんじゃない? 少なくともあれよりはマシ。」
唯は〈母親〉の背中に向けて、少なくとも否定はしないという方向で評価を下した。ここで酷評したら家に帰った後で唯への罵詈雑言が始まるのは目に見えている。ここは適当な返事で機嫌を取ったほうがいい。
「あのグラディウス? ってやつは面白かったし。」
「そうなんだ。よかったじゃん。」
〈母親〉の返事も唯のものと同じくらい適当だ。入り組んだ道を何度も曲がりながら駅に戻る途中なのもあって、あまり大声で説教することもできないのだろう。外に出るのは好きではないが、外にいれば大っぴらに怒られないので快適かもしれない。
「まあ、それでも三年通えるかって言ったら怪しいけどね。」
「は? 入学したならサボったりしないでちゃんと通いなさいよ。学費だってタダじゃないんだから。」
「そう言われましても。」
結局のところ問題はそこにある。何が原因で追放されるか分からない以上、対策のしようがないのだ。ゲームをしている最中や作っている最中に致命的な事件が起きる可能性なんて、普通に考えれば無視できるほどのものだと思われるが、その奇跡を何度も引いてきたのが唯だった。
*
同じ駅から行ける範囲内にもう一つ候補地があるらしく、唯はまたしても〈母親〉に首輪をつけられて電車に乗せられ、二十分間揺られてまた隣町へとやってきた。この前来たときは細い道ばかりを通ったせいでもう行き方を覚えていなかったが、今回行くところは大通りを真っ直ぐ進んだ途中にあったおかげで、少なくとも迷子にならずに済みそうだ。
「……ここ?」
マンションに挟まれた立地のビル。この地域に進出する通信制の高校はどれもビルの一部を借りたような構造だが、何か規則でもあるのだろうか。
「こんにちは。」
「ええ、よく来てくださいました。」
「ふん。」
唯はスリッパに履き替えて案内役の教頭についていく。どうやらこのビルはこの学校が貸し切っているらしく、他と比べて部屋数自体は多い。しかし、三人の人間が通るには廊下が狭かったりと、少し不便な点もあった。
部屋を見せておきながら特に語ることもないらしく、案内人は学校の説明を続けている。曰く、ここでは誰もが安心して卒業できるとのことだ。怪しいことこの上ないと言わざるを得ない。
「これで以上です。」
「唯はどう思う?」
「さあ。まあいいんじゃね? 知らんけど。」
とはいえ、学校内で堂々と遊んでいいというのはなかなか悪くない。さらりと見回した限り、ここにいる人間はきっと唯と関わろうとすらしなさそうだ。唯はこれまでのトラブルにおいて全てが防衛戦争だったことを考えると、誰からも攻められないなら安全かもしれない。
*
この地域は唯の家があるエリアと比べれば多少栄えていると言っても、駅のホームに立っているとこの地域がいかに非文明的で遅れていて、唯の住むのに相応しくないというのがよく分かる。一時間に一本すらも電車が来ないなんて、月の彼方ではありえないことだ。
「……遅い。」
「しょうがないでしょ? 田舎なんだから。」
立ちっぱなしで足が痛くなってきたのでホームの真ん中の椅子に座ると、数歩分離れたところにいる〈母親〉に聞こえる程度の小声でぶつぶつと文句を垂れ続ける。ここが田舎だと分かっているなら、適当な理由を作って東日本に帰ればいいのに、なぜ頑なにこんな田舎村にい続けるというのだろうか。
「いいから大人しく座ってなさい。」
「はいはい分かってますよーだ。」
唯はふてくされてむっとした返事をしつつ、しばらくの間は大人しく黙って座ることにした。〈母親〉も立っているのに疲れたのか、それとも唯を押さえつけるためか、唯の隣の椅子に座った。
「今日本当はどうだったの?」
「え?」
いきなり何の話かと思ったら、また学校見学の話のようだ。正直言って、何か特筆すべきところがあったわけでもないので、褒めようにも褒められないし、貶そうにも特段貶すところもない。
「……まあ、あの人の言ってることが本当ならいい学校なんじゃない? 本当ならね。」
学校教師の言葉が真実であった試しはない。それは公務員であれ会社員であれ同じことだろう。
*
カタンも結局はサイコロ運ということもあって、最終的に天は唯に味方することが多かった。しかし、モノポリーほど展開が一方的というわけでもなく、交易などによって時々は先生が有利になることもあるのが面白いところでもあった。
「ねえねえ、私がトラックに轢かれたら異世界転生できると思う?」
サイコロを振って海路での貿易を可能にしつつ、そんな話題になる。
「どうだろうな? でもそもそもお前異世界転生とかは嫌いなんじゃないのか?」
「私が嫌いなのはサクセスストーリーだけだよ。鬱展開ならなろう系でも大歓迎さ。」
「それ見てて楽しいか?」
床の上では熾烈な争いを繰り広げながら、目線の高さでは雑談、ときどき死生観や政治の話が繰り広げられる。先生が本心でどう思っているかはさておき、今のところ、彼は唯の求める役割を見事に完遂していると言っていい。学校教師もこういう人間ばかりだったらよかったのに。
「そもそも異世界ってあんのかな?」
「あんな魔法世界があるとは考えにくいけどなぁ。」
「でも並行世界とかSFだとあるあるじゃん。この宇宙とは全然違う世界があること自体は不自然じゃなくない?」
唯の性格はゼロサムなので、他人の不幸は蜜の味というだ思考だ。だからこそ自分以外の人間の成功譚なんてものは反吐が出るほど嫌いだが、自分の復讐が成功する物語であれば、それが嫌いなわけがない。
普通の人間というものは小説やアニメの主人公と自分を重ねて、彼らが成功することで自分も成功者になれた気分を味わえるのかもしれないが、共感性が抜け落ちている唯にそんな器用なことはできるわけがない。
*
アストラル界で流通している物語の世界は全て非現実であり、私たちが生きている世界だけが現実である――実に夢のない話だ。
現実の定義をどこに置くかをまず議論する必要がある話題ではあるが、唯が好きなのは様相実在論、特に虚構実在論だった。
およそ人間の認知すらもコストとして考える現実主義者らしからぬ嗜好だが、仮にもアニメの世界で生きてきた唯にとって、アストラル界とは現実の一形態であり、そこに存在する全ての物語の世界も、人の意識が具象化したものという意味では、集合意識界と何ら違いのない、対等な世界のように映っていたのかもしれない。
「劇中劇ってあるじゃん。」
第一征服者とは政治論争しかしてこなかったが、先生とならもっと広い議論ができる。先生が話の通じる人間だと分かると、かつてリアルレスバを生きがいにしていた一面が顔を覗かせる。
「あるけど、それがどうした?」
「私さ、たまーに思うんだよ。この世界も何かの劇中劇なんじゃないかって。」
「シミュレーション仮説ってやつか。」
「そうそんな感じ。私たちは三次元に生きてるから、二次元を創作物、フィクションの領域に当ててるけどさ、四次元に住んでる人がいればそれは三次元をフィクションの領域に当てられるんじゃないかなって。」
唯が長々と語りだすと、先生は一本の鉛筆と一枚の裏コピー用紙を持ってきて、層状になったファイルのようなものを描きだした。
「……こういうことか?」
「まあそんな感じ? 特定の次元を構成する軸が存在しないってことはその世界に実在しないってことなんでしょ。知らんけど。でも、その中にいる私たちはその作品世界を現実として認識して生きるのが自然だよね。」
唯がシミュレーション仮説を特に好むようになったのは今年に入ってから。もしかしたら、決定論的なものを信じることで自分に降りかかった事件を受け入れようとしていたのかもしれない。
*
「それで? どっちがよかった?」
〈母親〉の質問は、その二つ以外には候補が存在しないことを物語っていた。ネットを最後のページまで漁ってみても、この家から唯に外出させられる範囲内ではこれ以上見つからなかったということだろう。むしろ、時代に取り残されてしまっていることを誇りだと勘違いしている村の周りに高校を展開している企業が三つもあったことの方が驚きだが。
唯は考える。卒業資格を買える可能性が一番高いのはどこか。
仮にも学校を名乗っている時点で、彼らの間に本質的な違いはないと考えるべきだろう。よって、三社ともサービスの質はどれも同じ。だからこそ、彼らは自社製品に付加価値をつけるのだ。
ゲーマー御用達のほうか、何の特徴もないほうか。
唯はパンフレットをぱらぱらとめくる。結局途中で言いがかりをつけて追い出されるのなら、その時の被害を最小限にできるほうがいい。
(ん、こっち遠いな……)
スクーリングが海外旅行並みに遠いというのは問題だ。親を呼び出されたときの被害額が高くつけば、そのぶんその後の家での立場が悪化するのは明白。それなら、
「じゃあこっち。」
唯はレストランで料理を注文するような口調で〈母親〉にパンフレットを返した。どちらを選んでも後悔が残るなら、大して考えずに選んでもいいだろう。
「メタいなぁ。」
「でも事実ですからね。」
「これって別にシミュレーションではなくない?」




