13:// 非のない所に焔は立たない
「これが、私の最後のメロディ――」
「どっちかって言うと最初だけどね。」
一週間前、フリースクールから家に帰る途中の車内で、職員のおばさんが話かけてきた。普段なら今日の感想を聞いてくるだけなのだが、今回は連絡事項があったようで、当たり障りのないレビューをした後ももう少しだけ会話が続いた。
「稲刈りねぇ……」
「強制参加じゃないから、もしよかったら来ていいよ。お母さんと相談してみて。」
小学生の頃は学校に通ってすらいなかったから一旦置いておいて、中学生だった頃はよく畑仕事をさせられた。プチトマトやピーマン、綿花、その他色々。しかし、水田というのは見たことこそ飽きるほどあるが、実際に立ち入ったことは一度もない。
「これ、案内だからお母さんに渡しておいてね。」
「ふーん……」
家の麓にある駐車場に進入したところで、職員のおばさんが一枚の紙きれを渡してきた。安上がりなデザインで稲刈り体験と書かれている。下に書いてある手書き風の線はおそらく地図だろう。海賊の宝の地図並みにぼんやりしていて、どこにあるのか見当もつかない。
「まあ考えとくよ。」
土や泥にまみれて全身を痛める農作業なんて、本来唯のような文明国の人間がすることではない。自然とのふれあいや農業体験などを謳って体よく無償労働させようという魂胆なのは分かっている。しかし、プリントを受け取った唯はまずそう答えていた。
長い西日本暮らしの中で、西日本、田舎、そういったものには強い拒否反応を示すようになったのが唯という生き物だと知っていれば、こんな非文明国体験イベントをすんなり受け入れた、少なくとも人格ごと否定しなかっただけでも明日の天気を心配するだろう。
*
冷え切った玄米を食べながら、唯は〈母親〉に次の体験授業の案内を渡した。
「はい。そういえばこれ渡してなかったわ。」
「何これ。」
「次のスクーリングのお誘い。」
味噌汁をすすりながら、テーブルの上にひらりと置かれた一枚の紙を〈母親〉が読み進める。いつも唯がごはんとゲームを同時進行させようとすると食べながらほかのことをするなと言うくせに、自分はよそ見をして食事をしてもいいらしい。不公平な話だが、法を制定する人間がその法に縛られないのは当然ともいえる。
「ふぅん。あそこって田んぼも持ってるんだ。」
「みたいだねー。金があるんだかないんだか。いや地主ってことは金はあるか。」
固くなった玄米を口に運びながら、生産性のない話題に花を咲かせようとする。
普段あまり意識したことはないし、意識したところでありがたみを感じるわけでもないが、今こうして唯たちが口に放り込んでいる米も、どこかの誰かが植えたもの。別に工場で作ればいいだけの話ではあるが、〈母親〉のようにハンドメイドが好きな人間からすると、食料品も手作りであることに特別な価値があるのだろうか。
「で、まあこれに行くかどうか早めに決めてってさ。どうする?」
皿が空になったところで思考を巻き戻して本筋に戻る。この程度のことは自分の独断で決めてもいいのかもしれないが、あとから文句を言われないようにする意味でも許可取りは大切だ。
「三日でしょ? 特に予定もないし、唯が行きたいならいいんじゃない?」
形式的な質問に対して、適当な回答が返ってきた。管理人なら一から十まで指示を出すべきな気もするが、文脈的には「行け」という意味に判断していいだろう。
「あいわかった。んじゃそう言っとく。」
*
内容がどうあれ、日常の中に適度な刺激はあったほうがいい。唯は周囲の人間よりも日常と非日常の境界線が曖昧で、この田舎に引っ越してからはその非日常的な刺激が人生を滅茶苦茶にしてきたパターンばかりだが、それでも、昨日と全く同じ明日が永遠に訪れるというのは退屈なものだった。
もちろん、思想矯正施設に一日預けられるような何の面白味もないものは嫌いだ。しかし、今回は内容こそ非文明的で唯に相応しくないものの、貴重な友人が参加するというだけで十二分に面白味のあるイベントに早変わりする。もしもイベント自体がつまらないなら、稲刈りを放り出して雑談だけしていればいい。
「早く来週なんないかな~。」
「ぼーっとするくらいなら勉強してなさい。」
畳に両手をついて蛍光灯を見上げていると、その怠惰な姿勢に呆れ果てた〈母親〉からの叱責が飛んできた。しかし、かくいう〈母親〉も、いつも編み上げた帽子を完成寸前で糸玉に戻しているのだから、あまり説得力はない。
「はいはい。それじゃアニメでも見ますかね……」
「いや勉強は?」
水が低いところに流れるくらい自然な動作でデバイスに手を伸ばすと、間髪入れずに〈母親〉のツッコミが返ってきた。
「いや、勉強する前に一回休憩っていうか、気になっちゃうものは先に済ませた方がいいでしょ?」
「何言ってんの? どうせそのまま勉強なんてしないんでしょ。分かってんのよ。」
こういう口論も、唯の家では普通のコミュニケーションになれる。最近はこんなに穏やかな説教はほとんどなかったことを考えると、居心地のいい環境がどれほど重要か分かるというものだ。
衣食住という言葉のせいで勘違いしそうになるが、これは右から順番に重要ということなのだろう。「衣」は最悪なくても生きていけるが、「食」がなければ数日で死んでしまう。そんな食事よりも重要というのだから、「住」はある意味で人間の命そのものといえるかもしれない。
*
インドアかアウトドアかの二択で考えれば、唯は間違いなくインドア派だろう。家の中にいたほうが文明的な暮らしができるのだから当然だ。しかし、唯にとってインドアの定義は「家の中」というよりも「安全圏の中」と言ったほうが近いものだった。
だからこそ、巫女みこ天使さまの家に遊びに行って玄関先で何時間も立ち話するのは好きだったし、フリースクールでチーター先輩を雑談に付き合わせるのが嫌いなわけがなかった。
平日の午後はフリースクールに通うことになっていたので、午前中はそれを心待ちにして過ごす。そして迎えが来そうな気配がすると玄関まで駆け出していって、勢いよくドアを閉めて送迎の車に乗り込む。まだ一ヶ月も経っていないが、唯の中では既に日常に組み込まれた動作だった。
「おはよう、唯君。」
「そんなのいいから早く車出しな。」
麓まで駆け降りたせいで息が上がっているまま、かちりとシートベルトをつけて命令を一つ。その傍若無人さがどこから来るものかはさておき、表に出る態度の大きさだけなら巫女みこ天使さまよりも「貴族」らしいかもしれない。
「あーそうだ。この前言ってた稲刈りのやつ、たぶん行けると思う。」
送迎の途中、唯は珍しく明るい口調で職員のおばさんに話しかけた。普段は鼻をつまんで座っているだけなことを考えると珍しいことだ。
「そう? よかった。それじゃあ待ってるからね。」
「遅れるわけないだろ。こう見えて遅刻とかしたことないし。」
唯は当日が楽しみでしかたないという風に微笑んで見せた。もっとも、稲刈り自体が楽しみだったのではなく、土曜日の午前中から遊んでいられるというのが最大の魅力だっただけなのだが。
*
別にイベントだからといっても唯の目的は変わらず、自分の居場所を守りたい、ただそれだけ。それでも、授業前日ともなると少しは気分も上がってくるようで、その日のフリースクールは一段と落ち着きがなかった。
「ねーねー、先輩って明日のイベントちゃんと来るんすよね?」
「イベントじゃなくて授業な。」
唯が完全に遊びに行く気満々なのを察してか、チーター先輩はやれやれと目を伏せた。二人の立ち位置はその時の気分によって切り替わる。二人の背格好は似ているから、状況によってはどちらが「先輩」なのか紛らわしいこともあるだろう。実際、中学時代はブルドッグがよくそれをネタにしていた。
「それにしても先輩はラッキーですねぇ。私という友人に再会できるなんて。」
「まあね。でもオレここに進学するなんて言ったっけか?」
「いや全く。だからラッキーなんじゃないっすか。ほんとに偶然だったんだから。」
しかし、本当に偶然と考えると唯にとって都合がよすぎる話でもある。もしかしたら誰かの作為があったのかもしれない。
たとえば〈母親〉はチーター先輩の高校を知っていたとか。
(いやそれはないか……)
そういえば、〈母親〉は最初ここに来たとき、誰かの紹介であるようなことを言っていた気もする。
だとすればその紹介者が黒幕だろうか。黒幕という言葉が一番似合うのはかの憎き第一征服者だが、あれが唯に有利な環境を作るとは思えない。
他にそういう根回しができそうな権力者といえば、いつも口先だけで何もしてくれないでおなじみのガリガリ梅くらいだろう。今回だけは仕事をしたのかもしれない。もしそうだとすれば、次会ったときは一言くらいなら感謝をしてもいい。
*
781年1月15日。集合時刻よりも早めに着くと、動きやすい格好をした生徒たちがマイクロバスの前に集まっているところだった。集合場所は前回と同じで、駅前ビルの駐車場。停まっているバスの形も同じだった。
「おはようございます……まあ、すごく気合入ってるんですね。」
唯が〈母親〉の作業着を着てきたせいか、職員の一人が感心したような声を上げた。
「別に。いつも着てるやつ汚したくないだけでしょ。」
この服は〈母親〉が唯に貸したものであって、唯がそれを着ることを望んだわけではない。唯としても、普段来ている服が汚れたり穴が空いたりするのが嫌だったから言われるままに借りているだけであって、こんな非文明的でカッコ悪い服を自分から進んで着ようと思うわけがないのだ。
「お、唯おはよー。何そのカッコ。」
「あ~先輩また寝坊っすか~? 新幹線行っちゃったよぉ~、ぷわぁ~ん……っ!」
周囲を見回すと、チーター先輩が家を飛び出して集合場所に走ってくるのが見えた。向こうからも唯の姿は見えたようで、まっすぐ唯の方に向かってくると、唯はさっそくブルドッグの真似をし、自分で言ったことに吹き出しながら迎えた。
「大丈夫かお前。」
「いやまあなんとか。うん平気平気。」
「じゃあ行ってらっしゃい。あんまり迷惑かけないようにね。」
「分かってるって。」
心配性の〈母親〉に軽く手を振ってマイクロバスに乗り込む。稲刈りなどという体力仕事はやりたくないらしく、前回のお絵描き会の時と違って一緒に参加はしなかった。監視の目はないほうがいいので、これはむしろありがたいことだ。
〈母親〉に見送られながら、バスは唸り声を上げて市街地を走り出した。流石田舎村というべきか、すぐに通りの脇にある建物がまばらになって、その代わり、白亜の檻が見えなくなるほどの森が広がる。森を見ていても何一つ面白くないので、唯はすぐにチーター先輩のほうに向き直った。
「さてと。畑? 着くまで暇だから何かして遊びません?」
「いいよ。でも何するの?」
バスの中だからといって黙っていては面白くない。
「――そろそろ着きますからね。」
バスガイドの真似をしている職員に言われてふと窓の外を見ると、森が開けたところに一面金色の世界が広がっていた。
*
今日唯たちが作業をさせられる田んぼはバスが停まった広場から少し歩いたところにあって、唯が想像していたよりも広かった。金色の野の真ん中で、区別野郎を含めた教師たちが鎌を渡しながら注意事項を説明していく。
「以上。それでは全員、怪我しないように気をつけながら始めてください。」
区別野郎の話が終わると生徒たちが鎌を持って動き出し、田んぼの端から稲穂たちが次々と刈られていく。唯は最初こそ全く乗り気ではなかったが、左手で稲穂を掴み上げ、右絵に持った鎌でさくさくと手際よく刈り取っていくうち、まるで自分が死神にでもなったような気がしてだんだんと手を動かすのが早くなっていった。
最初は金色だった地面も、唯の中に飽きがちらつき始めた頃には半分くらいが茶色になっていて、今まで見えなかった生き物が姿を見せるようになった。
「せんぱーい。」
「んー? どうかした?」
「ほれ。カエル。」
「うぷ! 何すんだお前!」
唯の手に収まっていた一匹の蛙が、ぴょんと跳ねてチーター先輩の顔に貼りついた。チーター先輩は蛙を掴んで近くの用水路に放り投げると唯に文句を言ったが、その表情は決して怒っているわけではなかった。
「いや、なんか私たちのところだけハイパーハイスピードだから多少サボってもいいかなって。」
「オレにとっては一応授業なんだけど。」
「まあそれはそうかもだけど。じゃあ中学の時みたいに超綺麗な泥団子でも作ります?」
半分遊びながら稲刈りを続け、太陽が真上に辿り着いたころ。ようやく全員分の作業が終わって、あれだけ金色だった地面はすっかり地味な茶色になった。地面には茎の破片がぱらぱらと散らばっているだけ。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな、か。」
稲穂は米を実らせるとその重みで茎が垂れ下がり、それを見た人間に刈りどきだと判断されてざくりと刈り取られてしまう。人間も同じだ。力のつけた者が格の低い者に慈悲を与えようとへりくだると、周囲の人間に好機と見られて刈り取られてしまうのだ。
人間の場合は、刈り取られることがなければもっと実ることができるかもしれないのに。
まだ刈り取れる今のうちに刈り取っておこうと思っている人間はどこにでもいるのだから、やはり力のある者が生き残るには弱者に寄り添ってはいけないのだ。
*
刈り終わった稲は大人たちがどうにかするようで、唯たち生徒はバスの停まっている広場まで戻って昼休憩となった。支給された鎌を返却して長靴を脱いで、一、二列になってぞろぞろと広場まで歩く。もちろん静かに黙って行進するわけもなく、特に唯は周囲の人間なんてお構いなしといったテンションで喋っていた。
「つっかれた~! 早く帰ってごはん食べなきゃ死んじゃいそ。」
「今日も持ってきてないんだ。」
「そりゃそうだ。だって邪魔じゃん。」
用水路の端を平均台のようにして歩きながら、ふわふわと中身のない会話をする。ガードレールすらないような田舎村の道では、一度バランスを崩せば汚水の中にひっくり返って溺れてしまう。しかし、唯はそんなヘマをするほど自分を馬鹿ではないと信じていたし、実際、体力こそないものの不器用というわけでもなかった。
平均台を渡り終えてもう少しだけ雑談をしていると、最初に停まった広場のような場所が見えてくる。
職員のおばさんが「お昼ごはんは手を洗ってから食べるように」と当然のことを伝えると、生徒たちが蜘蛛の子を散らすように駆け出して昼休憩が始まった。手を洗えそうな公衆トイレがとても清潔といえる外観ではなかったが、いったいどこで手を洗うつもりなのだろうか。
「あ、そうだ。オレの半分あげようか?」
「いや要らない。なんか怪しいし。」
唯が不思議そうにトイレを眺めていると、チーター先輩がまたおにぎりを持って話しかけてきた。
「即答かよ。しかも怪しいって何だよ怪しいって。」
「じゃあ宗教上の理由ってことで。外で飯食ったら戒律違反ってね。」
チーター先輩がおにぎりを頬張る周りを蠅のように飛び回りながら、あれやこれやと他愛もない話をして時間を潰す。唯にとってはこれで十分栄養になった。
*
昼休憩が終わったらそのまま帰り、という流れもまた前回の時と同じなようで、五時間目というものは存在しないらしい。ただ、今回はせっかく遠くまで来たからか、帰る前に自由時間が与えられた。こういう時間は思想矯正施設でもよく設けられていたが、なぜこんな無駄な時間を用意するのだろうか。
しかし、今の唯にとっては都合のいい制度でもあった。矯正施設では狭い部屋に閉じ込められて騒がしい園児たちの騒音を聞かされる時間でしかないが、このフリースクールでならチーター先輩と雑談して過ごす時間に使うことができる。自分の声を騒々しいとは思わないので問題ない。
「それで、うちってどう?」
チーター先輩が用水路を眺めながら、今思いついたことのように尋ねてきた。
「ん~、まあいいとこなんじゃない? 少なくとも先輩いる間は退屈しないし。」
唯は用水路に石を投げ込みながら答えた。他の高校を知らないのだからそこまで厳密に比較した評価はできない。正直に言えば、チーター先輩がいなかったらこのフリースクールにも通っていないだろう。
「でも意外だよなぁ。唯って頭だけはいいからもっといい高校行くもんかと思ってたけど。」
「だけってなんだよ。」
自己中心的で自分とゲーム以外にはろくに興味を示さないチーター先輩にしては珍しく、唯の過去に踏み込んできた。もちろんここで適当にはぐらかしてもいいが、あと二年は付き合うことになる友人に対して嘘八百を並べると、途中で会話が破綻する可能性がある。そう考えた唯は、思い切って正直に全てを語ることにした。
「ほら、ゆいなぴーっていたじゃん。あの偽善者の。まあ前からずっとやってたことではあるんだけど、今年もまたあいつが喧嘩売ってきてさ……」
唯はぽつりぽつりと、ここ数ヶ月分の身の上話を始めた。
先に被害者の称号を得ることができた方が勝利するルールなら、この世界は先手必勝ということになる。中学では後手に回ったせいで学校を追放される結果になってしまったが、ここでは唯が先手を取れた。チーター先輩を味方につければ、唯の復讐も一歩前進することだろう。
「それで私が勉強教えてあげようとしたらそんなの要らないって言ってさ。まあこれはどうでもいいんだけど、問題はそのあとだよ。あいつ、自分が虐められたって嘘ついて学校に通報しやがってんだよ。あり得なくね? マジであいつ頭どうかしてんだろ……!」
「ふんふん。それで?」
チーター先輩は半分よそ見をしながら聞いている。もっと真面目に聞けと言いたいところだが、こんな話を食い入るように身を乗り出して聞かれても気分がいいものではない。自分のペースで話せるからこのほうが楽ということで許してやろう。
「まあ去年までだったら道徳のときに散々言い合って私が言い負かしてたじゃん。でも今年あいつ学校サボって登校しなくてさ。私が学校行ったらあのブルドッグが『お前が虐めたせいで学校来れなくなった』みたいに言ってんの。もちろん言い返したよ? けどあのババァ私の話なんて聞く耳持たなくてさ、証拠もないくせに『本人がそう言ったなら傷ついたんだ』の一点張りで。それで親呼びつけて学校から追放しやがって……どう思うよこれ?」
唯が鼻息荒く当時の状況を再現して見せると、チーター先輩は深く考え込むようにため息をついた。
「いや、どう思うって言われても……唯にもなんか問題あったんじゃねえの?」
「……は?」
瞬間、空気が凍り付いた。
*
凍り付いた世界の中で、唯の怒りがふつふつと沸き上がってきた。友人の話を信用しないとでも言うつもりなのか。いったい今の話のどこに、唯が責められなければならない部分があったというのか。
「私の話聞いてた? 私は! 何もしてないのに! 罪をでっちあげられて! それで学校追放されてんの! 理不尽だと思うでしょ! 思え! それとも何? 友達だって言ってたのは嘘だったってわけ?」
唯の爆発寸前の憤激から放たれる殺気はすさまじく、いつも飄々とした雰囲気を崩さないチーター先輩でさえも一瞬身じろぎするほどだった。
「いや、そりゃお前のことは友達だと思ってるけどさ、でもあの子もオレにとっては大事な友達なわけで……」
「そうですかそうですか。じゃあ質問を変えましょうか。仮に私たちが先輩の目の前で殺し合いを始めたとして、先輩はどっちの味方をしますか? まさか哀れなお友達を裏切ったりはしないですよねぇ?」
チーター先輩は昔から知り合い全員と仲良くなれると思っているようだったが、現実は残酷で、どうしても価値観の合わない人間というものは存在するし、今回のように、何かのきっかけで自分の友達同士がこうして不俱戴天の天敵同士になることもあるのだ。
「で? 先輩は誰の味方をしてくれるんでしょうかね。」
即答ではなかった。ほんの少しだけ、沈黙がほんの一筋だけ流れるほどの隙間があった。そして、
「……じゃあ、お前と友達でいるの辞めるわ。じゃあな。」
大きなため息をつくと、あっさりと目の前の友人を捨てて他の生徒のもとへと去っていった。
*
しばらく呆然と立ち尽くしていると、ぽつりと水滴を感じた。あのときと同じだ。灰色の空までもが唯の敗北を嘲笑っている。
――外国から来た子だし、話合わないんだよね。
――そもそもいつから友達になったんだろう。
「黙れよ。」
枯れた芝生が茂る地面を見つめたまま、天に命じた。しかし、耳元で響く雑音が消えることはなく、むしろ子供たちのはしゃぐようなノイズが脳内を侵蝕して満たしていく。唯は踵を返してマイクロバスの方へ向かい、早く今日という日が終わるように祈りながら待つことにした。
少しずつ湿り気を帯びていく枯芝を踏み荒らしていくと、靴越しに何かもっと固いものを踏みつけた感覚がした。何かと思って屈んでみると、先程の稲刈りで使った鎌が一つ置き去りにされていた。一つだけカゴに入ることなく遠くの野に捨てられている点は唯とよく似ている。
「……チッ。なんでこんなとこに落ちてんだよちゃんと管理しろやクソ西日本人ども。」
唯は鎌を拾い上げると、先端の輪っかに指を通してくるくると回しながら再び歩き始め、かわいそうな草刈り鎌を本来あるべき場所へ戻そうとカゴのもとへ近寄った。雑に放り込まれたカゴの一番上に鎌を置く。これでよし。
しかし、そのまま立ち去ろうとした時、
「おい! 何勝手に触ってんだ! 今すぐ戻せ!」
区別野郎が怒鳴りつけてきた。今まさにカゴの中に戻したばかりだというのに。
「あぁん? てめえいきなり怒鳴りつけて何だってんだ? え?」
「刃物なんて勝手に持ち出して何するつもりだった!」
どうやら区別野郎は唯が鎌を持ち出して何か悪事に使うつもりだったと解釈したらしい。確かに、どうせ武器を持っているなら、裏切者の首を掻き切ってからでもよかった。
「さあね。これで誰かの命でも刈り取ろうかなって思ったりしたのかな?」
今戻したばかりの鎌を取り出して刃を撫でながら、挑発するように言ってみる。区別野郎の顔が茹で上がっていくのは実に滑稽で愉快だ。
「……とまあ冗談はこんくらいにして、私は先バス戻ってっから。もう稲刈り終わってんだからさっさと家帰せ。いいな。」
「おい待て!」
鎌を置いて車内に戻ろうとした瞬間、区別野郎が掴みかかかってきた。暴力を好みそうな体格をしているだけあって、やはり実際の性格も暴力的のようだ。
「放せよこのクソジジイ!」
「放すわけないだろうが! お前みたいな危険人物を!」
唯は何度もすり抜けようとしたが、騒ぎを聞きつけた職員が寄って集って唯を羽交い絞めにして押さえつけ、最後は薄暗いバスの車内に放り込まれた。ただでさえ稲刈りで疲れて全身が痛いというのに、酷い仕打ちだ。やはり西日本人は東日本人と比べてあらゆる面が劣っている。合理的な判断ができず、対話ができないのがいい証拠だ。
*
「それで? 先輩とは何があったの?」
ぱちん、ぱちんと雫が窓を叩きつける。バスの最後部の席にふんぞり返って座ったまま、唯はフリースクール職員の尋問を受けていた。
「何があった? あいつは私を裏切る道を選んだ。これ以上どう説明すればいい?」
「べつに裏切ったわけじゃないでしょう? 一人で謝るのが難しいなら――」
「謝るだぁ? 誰が? 誰に? 私はあいつが土下座しても許す気はないぞ。」
職員はどうやら唯が何か問題行動を起こした結果、チーター先輩との関係性が悪化したと思っているらしい。逆の可能性を最初から考えていないあたり、実に西日本的といえる。
「あんなに仲良かったのに……」
「けどこれからはそうじゃなくなった。永遠にな。」
チーター先輩との関係性が消滅したとなれば、このフリースクールに通う理由は一つもない。今日帰ったら〈母親〉に言って契約を解除するように言いつける必要がある。いや、今日の出来事を職員たちから聞かされたら、学校の時と同じように金輪際通うことを禁止するだろう。
「そうだ。最後に一つテストをしてやろう。」
「ええ、なに?」
唯はチーター先輩に話して聞かせたものとほとんど同じことを、目の前の西日本人にも話してみた。
「それで? わざわざ話してやったわけだが、君の答えを聞こうじゃないか。」
「……うーん。唯君にそのつもりがなかったとしても、その子が傷ついたなら謝らないとダメだよ。」
「あっそ。じゃあそう思っとけば?」
不合格だ。こんな人間が教師役をやっている学校では、いかに通信制といえども同じような冤罪事件が起こるのは明白。唯が三年間在籍する場所として全く相応しくない。やはり西日本人が主導権を握っている場所は唯の居場所にはなりえないのだろう。いや、そうに決まっている。
*
金色を失った土地を離れて陰鬱とした森を抜け、微かな雨雲のかかった太陽の下を走る間、車窓には重苦しい憎しみだけが流れていた。行きはあんなにも騒がしかったというのに、唯の座席からは何の話し声も聞こえてこない。その代わり、この空気を打ち払うように賑やかな笑い声が他の席から聞こえてくる。
午後三時。バスは予定通りの時間に戻ってきた。出発したのと同じ場所。けれど、何かが決定的に壊れていて、同じ姿で帰っては来なかった。
「おかえり。稲刈りどうだった?」
何も知らない〈母親〉が、朝と変わらない調子で訊いてくる。
「……さっさと帰るよ。」
「はぁ? どういうこと?」
唯が早くこの場を離れようと〈母親〉の腕を引っ張っていると、引率の教師の一人が〈母親〉に会釈し、今日あったことを話しはじめた。ひそひそと耳打ちするような声量なので聞き取れないが、唯が傷害事件を起こそうとしたことを語っているのだけは分かる。
「ほら、もういいでしょ。西日本人と話してると耳が腐るだろ。」
嬉々として話す職員に、深刻そうな顔でその話を聞く〈母親〉。あることないことを吹き込んでいるのが表情だけではっきりと分かる。唯は二人の間に割り込んで強引に引きはがすと、抵抗する〈母親〉を力いっぱい引っ張ってビルの敷地から脱出した。
「何すんのよ。まだ話終わってなかったんだけど。」
「……どんな洗脳されたのかは知らないけど。私からは一個だけ。」
おしゃべりを強引に中断させられて機嫌の悪くなっている〈母親〉に、唯はまっすぐ向き合って結論を告げた。
「ここには、行かない。」
「これで思い出した?」
「まあ……なんとなく。」
「私の記憶と全然違くて草。」
「では次はナブッコが始めてください。」
「りょうか~い。」




