12:// 永遠のアレセイア
「まだ時間余ってるけど、もう終わる感じ?」
これまでの唯にとって最も簡単だったストレス発散法はレトロゲーム内で敵を倒し続けること。
それも、極限までやりこんでレベルもステータスもスキルも上限に到達しているような集団を連れて、ラスボス級の敵を瞬殺することだった。しかし、唯が実際の陰謀に巻き込まれると、一瞬のうちに敗北して学校を追放されてしまったのだから皮肉なものだ。
ゲームの世界ではたとえ魔王と戦っている時に全滅しても、所持金の半分を失うだけで特に露骨なペナルティを課されることはない。一方で現実世界では一度の敗北や挫折が直接的に人生の終わりを意味していて、その後の人生は死刑執行を待つだけの虚無である。
(……のはずなんだけどなぁ。)
しかし、今の唯を取り囲んでいる状況だけ見ると、ペナルティどころかボーナスステージ、ゲームオーバーとは思えないほど明るい世界だった。
家で巫女みこ天使さまから借りた本を読んでいる間。
プリヴォルヴァでアニメを見ている間。
フリースクールでチーター先輩と会話している間。
それは唯にとって束の間の休息であって、わざわざ悪魔の仮面を被らなくてもいい数少ない時間でもあった。悪魔の仮面の下にあったのが唯の素顔なのかどうかは、もう本人にすら分からない。おそらく何か別の仮面をつけていたのだろう。
*
どれだけ平和な日々を送っていても、今の唯にとって最も重要なものはこれまでと変わらず復讐だった。
あの邪知暴虐の第一征服者とその信奉者、それらと思想を同じくする者は地上を生きていいものではなく、唯はその真理に辿り着いた人間として、彼女たちを一人残らず駆逐する使命がある。
「唯、これからどうするつもりなの?」
家の外ではまだ太陽がぎらぎらと睨みつけてきていて、秋が近づいていると言ってもまだ夏は終わっていないと主張してくる中、〈母親〉も唯をじろりと見つめていた。
「これからって?」
「高校はあそこ行くんでしょ。その先はどうするのかって聞いてんの。」
半年後のことならまだしも、三年後にどうなっているかなんて決まっていることのほうが少ないだろう。古典物理学では生まれた時には人生の全てが決まっているはずだが、人間にそれを知る技術はない。
「……まだ復讐終わってないし。それ終わったら考える。」
「は? そんなことよりも将来のほうが大事でしょ。」
毎朝起きてから寝るまでの間、第一征服者への憎悪を声高に叫んでいたころは、二秒と悩むことなくそれを確信できていた。それなのに、チーター先輩と同じフリースクールに通うようになった今では、結論こそ変わらないとはいえ、その回答がほんの少し遅れるようになり始めていた。
学校を追放されて未来を失った絶望と第一征服者への憎悪から解放されつつあるといえば聞こえはよく、喜ぶべきことのように感じられる。
しかし、夏休みの間じゅう復讐のことだけを考えて、その計画をいくつもノートに纏めて鬱憤を晴らしていた本人からすると、あの日の誓いを忘却することは自らに深く刻まれた烙印と傷を無価値なものと否定することに等しかった。復讐を放棄するということは第一征服者のこれまでの悪行の数々を許すという事であり、それは過去の自分への冒涜に他ならない。
*
二ヶ月前に役目を終えた授業ノートに書かれた恨み言を読み返してみると、第一征服者が打倒すべき敵であることが再確認できた。
「あんのクソが……絶対殺してやる……!」
あの日どんなことがあって、その時どう思ったか。書きなぐられた読みにくい文字列を解読していくと、消えかけていた鮮明な記憶が蘇る。もちろん、怒りのままに書かれているのでここに書かれていることが全て寸分の狂いもない保証はないが、少なくとも、読み返した唯の記憶との間に相違はなかった。
きっと第一征服者も、自分がどれだけ酷い虐めを受けたかという記録くらいは書いているだろう。そこに書いてあるのは全てが嘘と妄想だけ。それでも唯の言葉には誰も耳を貸さず、第一征服者の被害妄想だけを信じるに値するものとしているのだ。
「ああムカつく……! なんでこんなクソ田舎の集落がいまだに存続してんださっさと滅びやがれ!」
こみ上げた怒りのあまり、唯はノートをばちんと閉じて床に放り出した。自分で読み返しておいてそんなことをするのは不思議に思えるが、第一征服者への憎しみを取り戻すという目的は十分に達成できたと言えるだろう。これでまた、復讐に向けてより一層邁進できるというわけだ。
「そんなに嫌いなら無視すればいいじゃん。なんで復讐だのなんだの言って関わろうとするの?」
「……じゃあうちにゴキブリ出ても無視するんだ。殺さないんだ。ふーん。あっそ。」
この壁の中に住み始めてからというもの、唯の西日本人嫌いは悪化の一途をたどっていて、それはただの憎悪というだけではなく、アイデンティティの一部になっていた。巫女みこ天使さまや友人K、チーター先輩のような例外は確かに存在したが、それが例外的なものであることには変わらない。実際、大人たちの中には唯に対して好意的な西日本人は存在しない。
この村のほぼ全員が仲良く東日本人の唯を嫌っているなら、唯が西日本人を憎むのも正当な権利のはずだ。
*
元をただせば自分たちが始めたこととはいえ、明らかに自分たちのことを嫌っている人間と友達になろうという思考は感情的には理解しがたい。よほどの偽善者なのか、はたまた競争回避戦略をとる性格なのか。
巫女みこ天使さまやチーター先輩がそんな打算的に動いているかは分からないが、いずれにせよ唯は本当の意味で孤独にはなりきれなかった。孤高であることをブランドと認識していた唯にとっては忌まわしくもあり、けれど同時にかけがえのない大切なものでもあった。
「やあ先輩。生きてましたかー?」
「オレってそんな死んでるように見える?」
フリースクールの時間は毎回、唯が軽口を叩くところから始まる。教室でいくら騒いでいても大して怒られないからと調子に乗った唯は、その境界線を見極めながらも日々ハイテンションに自由な生活を満喫していた。
「いや別にー? ただの挨拶っすよ。」
同じような台詞から始まり、リアクションが気に入った話を何度も繰り返し、気に入らない話題はすぐにばっさりと切り上げる。まさに暴君そのものといった所業だが不思議と咎められることはなく、ごく一部の友人に限った話とはいえ、唯はその横暴さも含めて受け入れられていた。
「先輩さー、将来の夢って普通今頃から決まってるもん?」
「さあ? オレは店継ぐつもりだけど。」
全く参考にならない。もっとも、ここにいる人間は既に普通からは外れている存在なのだから、一般論を訊いたところであまり意味はないのかもしれない。しかし、チーター先輩のように、親から何か明確な形でレールの位置を示されている場合は黙ってその上を歩けばいいだけだが、唯にはどんな形のレールが敷かれているのだろうか。
*
ふいに巫女みこ天使さまから借りたマンガたちのことを思い出した唯は、畳の上に寝転がってそれらを読み耽っていた。机の上には問題集が置かれているが、〈母親〉が何も言ってこないのをいいことに放置されている。
(……いつ続き借りに行こっかな~。)
今読み進めている巻から数えると、最終巻まではあと少し。次借りに行けば全巻読み終えることができるだろう。しかし、続きが気になるからといってそんな簡単に借り終えてしまっていいものだろうか。
巫女みこ天使さまとはクラスメイトだったが、それは数ヶ月前の話だ。今はマンガを貸す、借りるの関係でしかない。六月の時点でなら、一シリーズを最終巻まで借りたところで同級生や友達として関係を続けられたはず。しかし、もう学校で会うことができない以上、約ネバの最終巻を返却したら巫女みこ天使さまとの関係は終わってしまう。
せっかく敵対的ではない、むしろ友好的とさえ言ってもいい態度で接してくれているのに、二十冊の本をやり取りしたあとには何も残らない。もしかしたら他にもおすすめの本を貸してくれるかもしれないが、どこにもそんな保証はない。
普通に考えれば、今学校にいるクラスメイトに貸したほうが有益なのだから、もう唯に何かを貸すことはない、仮にあったとしてもその優先順位は今までよりもずっと下になるだろう。
逆にこのまま返さないでおけば、唯の好きなタイミングで巫女みこ天使さまに会うことができる。もちろんそれはあと二回だけになる可能性が高いが、それでも手札を持っておけるのは大きい。
(……いや。もうちょい後でにしよ……)
唯は結局、もう少しだけ借りておくことにした。あまりにも長く借りていると信用を失くして最終巻を借りられなくなるかもしれなかったが、今の唯はその可能性を頭から追い出していた。
*
将来のことをいくら考えてみても、やはり復讐以外のものは思いつかなかった。それ以外の道を行こうとすれば、外国人として迫害され、無能力者として見下された過去の自分が亡霊のように手を伸ばして考え直すようにと諭してくる。
〈母親〉は常々、どうでもいい人間に復讐するよりも自分が幸せになるほうが大事だと説くが、そんな亡霊たちが唯に取りついている以上、復讐を果たせない人生では唯は幸福を感じられないだろう。自分自身を裏切るようなことはできない。
復讐ノートをめくると、どうやって第一征服者に復讐するか、どうやってこの村を焼き尽くすかといったことがぐちゃぐちゃに書かれている。そのほとんどは冷静になって読むと計画というよりも願望に近かったが、内容がどうあれ、それは将来の夢といって差し支えないだろう。
(……まあ絶対文句言われるんだろうけどな……)
唯がぱらぱらとページをめくっていると、復讐とは関係のない用語がたくさん書かれたページに行きついた。どうやら授業ノートだったころに使われたページのようだ。
この時はどんな将来を思い描いていたのだろうか。それとも何も考えていなかったのだろうか。
「将来、か。」
少しだけ、数十年後の自分がどうなっていたら復讐を達成できていると言えるかを考えてみる。
唯の放った言葉が無条件に信用される姿。
第一征服者とその一味が冤罪で逮捕される姿。処刑される姿。
「……っ、ふん。ざまあみやがれ。」
「なに気持ち悪い笑い方して。変なもの食べた?」
隣の座布団から〈母親〉が嫌悪感をむき出しにした声で唯を制した。
ある日、第一征服者が日常を送っていると、唯がでっち上げた被害届で加害者扱いされる。何が起きているのか分からないまま拘留され、唯に冤罪ではめられたと気づく。それが嘘だと暴こうとしても、世界の誰も第一征服者の言葉を信じなくて、この地上のどこにも居場所がなくなってしまう――なんて愉快なんだ。まさにこういうことをしてやりたい。
*
何をしたいのかを明確にしたところで、その光景を現実にするために何をすればいいのかまでは分からない。なぜ第一征服者があれだけの信頼を得られたのか――唯はそれすらもよく分かっていなかったのだから。
「あ~あ、これが才能ってやつなんかねえ……」
唯は自嘲するように呟いた。もし人に信頼されることが第一征服者の才能であり、かつ唯にはその才能がないとすれば、唯は一生かけても復讐を遂げられないということになってしまう。そうなれば、唯の人生にいったい何の意味があるというのだろうか。
「ねえ。」
「何?」
「信頼って何すれば手に入んの?」
唯はとりあえず〈母親〉に訊いてみた。対して有益な回答が得られるとは思えないが、唯よりも原住民の友人が多いのも確か。才能のなさを補うためにはもっと効率よく努力をしなければならない。サンプルに使える人間がいないので実証実験はできないが、参考程度にはなるかもしれない。
「そんなの、唯のほうが西日本人がどうこう言って嫌ってるから信頼されないんでしょ。」
「じゃあ何? 西日本人の奴隷になれば信頼されるってこと?」
「だからなんで奴隷とかひれ伏すとかそういう話になるわけ? もっと普通にできないの?」
〈母親〉は久しぶりにキレる寸前の表情で金切り声を上げた。どうやら余計な質問をしてしまったらしい。
「どうせ私は普通じゃないですよーだ。なんせ義務教育のはずの学校を追放されてるくらいだからねえ。」
唯は嫌味をたっぷり込めて返事をすると、それ以上追及することはしなかった。信頼を得る方法を訊こうとして信頼を失うなんて本末転倒だ。〈母親〉ですら唯を信頼していないのだから、全く赤の他人を信頼させて従順にさせるなど夢のまた夢だろう。
「……クソっ、なんでいつも私だけこうなんだよ……!」
「自業自得でしょ。」
「はいはいそうだね。もういいよ黙ってて。」
信頼を得られないとすれば、いったいどうやって復讐をすればいいというのか。
もちろん、力でねじ伏せて第一征服者を迫害するように命令する、という手だってある。なんなら直接第一征服者に力を行使して恐怖を植え付けるのが一番手っ取り早い。
しかし、復讐というからにはただ居場所を奪いだけではなく、その尊厳を徹底的に壊さなければ意味がない。第一征服者が信頼や信仰を武器にしているなら、唯も同じ土俵に立って、言い訳のできない敗北を味わわせなければならないのだ。
*
唯の家はその全てが共用スペースなので、一人になれる場所はほとんどない。その数少ない場所の一つ、夜の風呂場の中で、唯は思考を駆け巡らせていた。二人でいるときは舌が、一人のときは頭がよく回る。
信頼とは結局のところ根拠のない人気に過ぎないと言っていい。合理的な判断ではなく、単純な好き嫌いや周囲の評判で決まるような幻想だ。
――先生がそう言ったから。
――ネットにそう書いてあったから。
そんな言葉は飽きるほど聞いたことがある。この手の言葉は「だから絶対に正しい」というのがついて回るものだ。そう考えると、信頼を得るとは、思考を停止するための根拠、相手の望むものを与えるということだろう。
誰かが一人を祀り上げて、周囲の人間がそれに熱狂する。熱狂して盲信していれば何も考えなくていいし、何の責任も感じなくていいのだから、乗っかっている側の人間はさぞかし楽なのだろう。
両方の話を聞いてから判断するなんて時間のかかることはしたくないから、あらかじめ決めておいた好きな方の陣営を全面的に支持しておく。教師陣はそうやって仕事をサボっていたのだろう。そして、たまたま唯が人柱に選ばれたのだ。
「……チッ。やっぱ民主制ってクソだな。僭主制と一緒じゃねえか。」
*
人気者と聞いて唯の頭に浮かんだのは、巫女みこ天使さまとチーター先輩の二人。巫女みこ天使さまと唯では身分から何まで条件が違いすぎるから、参考にするならチーター先輩の方だろう。参考にできない情報は必要ない。
「先輩ハローっす。今日はちょっと真面目な話していいっすかー?」
「ん? いいよ。なに?」
唯はフリースクールのソファにどっかりと座ると、いつものように真面目とは程遠い口調で話しかけた。〈母親〉の時のような失敗したが、自分の家族以外に怒りを向けることのないチーター先輩となら建設的な議論ができるはずだ。
「ちょっとね、いやほら先輩って人気者でしょ。私も人気者になりたいなあと。なんかコツとかってないかなー? なんてね。」
「人気者? そうかな?」
唯が軽く訊いてみると、チーター先輩は首を傾げた。無自覚らしい。唯が追放系主人公だとすれば、これは鈍感系主人公というやつになるのだろうか。
唯の知る限り、チーター先輩はブルドッグに弄られて遊ばれてはいたが、嫌われてはいなかった。唯と友人関係になった瞬間に庇護を失った友人Kとは違う、人を惹きつける何かがあるのだろう。少なくとも、学校内では第一征服者と似たような立場にいたことを考えると、信頼されていたと言っていい。
「まあ自覚がないならしょうがないっすね。」
「ごめんね力になれなくて。」
「まあそんなにアテにもしてなかったんで。」
チーター先輩は申し訳なさそうに俯き、唯はいつも通りの雰囲気で「気にするな」と返した。チーター先輩の場合はこうして毎日のようにその言動を観察できるのだから、自分でその秘訣を調べることもできるはずだ。手間はかかるが、復讐のためなら仕方ない。せっかくの上質なサンプルなのだ。大事に扱うべきだろう。
*
しかし、一挙手一投足を観察すると言っても、唯には一つ大きな問題があった。
唯はそもそも人を信頼していない、少なくとも担保がない人は信頼していないので、どの行動が信頼を得ることに繋がっているのかが分からないのだ。もっとも、それが分かっているのならすぐにでも実践できるのであって、わざわざ観察する必要自体がないのだが。
いつものように雑談をしながらぼんやりと観察してみるも、やはり見当もつかないこととなると気づきなんてあるわけがない。普通の人間なら特に悩むことなく理解できたのかもしれないが、やはり唯は普通の人間ではないということだろう。もしかしたら人間ですらないのかもしれない。
「いやー、人間って難しいっすねー。」
「え、唯って人間じゃなかったのか……」
「んー、まあ普通の人間じゃあないんじゃないっすか? 先輩もですけど。」
唯はさらりと言ってのけた。普通の人間は星組で授業は受けないし、冤罪で追放もされない。だから唯は普通の人間ではない。それはあまり認めたくないことではあるが、客観的に見ればそれは間違いのないことで、流石の唯も自分が普通ではないことは受け入れなければならなかった。
しかし、それは唯が大人だからなどではなく、自分が特別な存在であるという優越感によるだけなのかもしれない。
*
家に帰った後、唯はもう一度〈母親〉と話してみることにした。チーター先輩から直接情報が得られるなら必要はなかったが、そうでないならもう一度くらいは話してもいいだろう。例え関係性が悪化したとしても、これまでの行動から考えれば家を叩き出されたりはしないはずだ。せいぜい居心地が悪くなるだけなら、十分払えるコストといえる。
「あんさ、もう一回聞くけど。」
「なに?」
出だしからすでに声が一段低くなっている。これ以上頭の痛くなる話をするなという無言の圧力だ。
「いや、さっき信頼がどうこうって行ったでしょ。西日本云々は一旦置いといて、同じ国の人間同士だったらどうやって信頼を手に入れんのかなって。」
復讐のために必要だから教えてほしいと理由を伝えれば説教こそされても意見はくれないだろう。唯が適当な理由を捏造していると、
「そこまで言うなら、まずはあんたから人を信頼したら?」
案外簡単に喋ってくれた。色々理由を問い詰められるかと思っていたのに、拍子抜けだ。唯はさっそく〈母親〉の言葉を翻訳した。つまり、もし利益を得たいならば交渉する側のほうが先に利益を提示するべきだと言っているのだろう。風呂場での唯の考察とも一致するし、間違いないだろう。
*
九月も下旬になって、夏は徐々に力を弱め、短い秋が顔を覗かせるようになった。
秋といえばただ気温的に住みよいだけでなく、家に出てくる害虫も少しずつ鳴りを潜めていって、大の虫嫌いである〈母親〉が纏うピリついた空気が少しずつ解かれていく季節でもあった。
「やっぱ涼しいっていいね。」
「唯が黙ってれば夏でももう少し涼しいのよ。」
唯が座布団の上でゴロゴロしていると、そんな会話が繰り広げられる。
「じゃあエアコンつければいいじゃん。そうすりゃ年中涼しいんだから。」
「勿体ないでしょ。」
「お金払って快適になるならその方がいいと思うけどな……」
唯がぼそりと呟くと、〈母親〉が説教モードに入った。今度は何が気に食わなかったのだろうか。
「じゃあ将来はちゃんと仕事して毎日エアコンかけられるくらい稼ぎなさい。」
「なんかしょぼい理由だなぁ……それに復讐でどうやって稼ぐんだよ。」
言ってから、ゆいはしまったと思った。せっかく機嫌の悪い季節を抜け出せたのに、自分から爆弾の導火線に火をつけてしまったような感覚。
「は? まだそんなこと……いい加減現実見なさい。受験とか就職の時に、復讐のためだって本気で言うつもりなの?」
「あーはいはい。現実見りゃいいんでしょ。だから勉強してんじゃん。」
「してないじゃん。いつもゴロゴロしてばっかり――」
まったく、〈母親〉は何の心配をしているというのか。天才の唯がそんな空気を読まずにぺらぺらと本心だけで生きるわけがないというのに。もちろん、ときどき仮面が剥がれて本性が見えることはあるのだが。
*
唯の住んでいる山の裏側は田園風景が広がっていて、だいたいこの季節になると稲刈りが行われる。月の彼方には田んぼどころか畑すら珍しいものだったので、ここに引っ越してきた当初は面白がって土いじりをしたがっていたこともある。
しかし、いつしか唯は畑や田んぼといった非文明なものを嫌うようになっていっていた。唯の中で、西日本人や村の閉塞感と結び付けられて否定されるべきものになっていたのだろう。
そして、九月も終わろうとしていたある日のこと。フリースクールの職員のおばさんから、次の体験授業について聞かされた。
「そうそう、来週うちの田んぼで稲刈りがあるんだけど、唯君も来る?」
「それで私が神になってあげたってわけね。」
「それで私が魔女になってあげたってわけね。」




