第8話 2冊目の観察記
日記帳をなくした。
母に「日記帳ってどこにあるか知ってる?」なんて聞くわけにはいかない。それは、母に日記帳の存在を自白するようなものだ。
どこに日記帳がある?
どうすれば日記帳を探し出せる?
僕は昼過ぎの曇った空を見る。
雪は降っていない。
母は今買い物に行っている。
コンコン
扉の方から音がして、振り向く。
分かっている──「今の」音は幻聴だ。
でも、日記帳を探す方法を教えてくれた。
誰がノックしたかなんてどうでもいい。僕は自分の部屋を出て、母の部屋の前に立つ。
最後に母の部屋に入ったので随分と前のことで、ドアノブを握って扉を開ける。
ベッド、クローゼット、机、この中に日記帳があるはずだ。絶対にあるはずだ。
──なければならない。
なければ、母を──
視線が一点で止まる。
ここにあるのか。
見慣れた表紙の日記帳が……祖母の仏壇にあった。
僕は仏壇に手を伸ばし、日記帳の表紙を撫でる。そうだ、指先に伝わるこのザラザラとした感覚だ。もう少しで母が返ってくる。
ここで、振り返らずに部屋を出るべきだった。
僕は机の隅に置いてある分厚いノートが目に入った。
──そして、僕はそのノートをめくった。
【律の観察記】
1月12日
律が学校でいじめられているらしい。小学校でいじめなんてよくあることだ。続くようであれば学校の先生に一度連絡してみよう。
2月22日
最近、律が好き嫌いをするようになった。前はブロッコリーだって、よく食べていたのに。
3月23日
律が家であまり笑わなくなった。律が元気じゃないと、私まで気分が下がる。
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8月7日
律が私を叩くようになった。一人しかいない子供の相手は慣れないことばかりだ。
8月15日
律がばあちゃん家に遊びに行きたいと言って、家族全員ですき焼きを食べることにした。黒猫の鈴が「ニャーニャー」と鳴いていて、少しうるさいと思った。
9月5日
担任の先生にいじめの件について電話をかけた。返ってきた言葉は「友達との関係が最近上手くいっていないので、様子を見ています」という内容だった。いじめはいつから始まったのだろうか。
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10月16日
律が昔と変わらない足取りで高校に行った。今日の夕食は焼き魚と卵焼きで、どちらも上手く焼けた。
10月22日
20時30分に帰宅
律が指に何かを巻いている。聞いてみると、部活で使っているテーピングらしい。見慣れないものを巻いている律は、普段と変わらず生活している。ただ、「指の感覚が薄れるから本当はしたくない」と言っていた。
分厚いノートの最初と最後の方のページに目を通して、僕の視界は雪山に埋まったように真っ暗になる。
──母はまだ僕を「管理」していたのか。
「いつまで経ってもっ!母さんはっ!!」
母の「観察記」の最後の1ページめくると、母の文字が最後の行まで書かれていた。
「……まさか、……そんなことがあったら僕は、ぼくは……っ!」
僕は「日記帳」の最後の方のページを開く。
そこには──
11月30日
あと少しで律が誕生日を迎える。今まで何回も祝ってきたけど、この先もずっと祝いたい。
僕の日記帳が「観察記」になっていた。




