第2話 人は変わらない
大体、猫が死にそうって時に猫じゃなくて、自分がやったことがバレそうなことを心配してることが、当時の自分の異常性を表している。
過去の出来事をこうやって観察してるくせに、今は自分は猫派で猫が可愛いと思っているのだから、到底自分を善人と呼ぶことはできない。
防衛本能のせいか、ばあちゃんが家に帰ってきて、鈴の前で手を合わせて、それからの記憶は曖昧でよく覚えていない。ただ、小学校から帰ってきて、ばあちゃんが児童相談所に電話をしていたことは覚えている。
あれから、僕は中学校の間に勉強に励み、地元の少し難しい高校に進学することができた。そして、善悪の判断ができるような人格を手に入れた。「暴力」をふるったことはあの日から一度もない。高校には友人と呼べるような人もそれなりにいるし、行事にも参加している。
まるで普通の人間のように。
勉強をするたびに外側の仮面が厚くなっていくような気がして、無心で問題を解くことができた。最大の誤算は大きくなった理解力が自分の過去を理解しようとすることだった。
あのことを知っているのは家族だけであり、家族内では禁句になっている。必ずしも家族に恨まれているわけではなく、勉強を頑張って不良少年から見違える程の成長を果たした息子に感心しているくらいだ。僕にとって中学校の成績は免罪符と言える。
偽造された免罪符は過去を観察する権利書ではないのに、僕は愚かな人間だから過去を観察してしまう。
勉強を始めてから、先生や親からも「人が変わった」と言われることが増えたけど、それは間違っていると思う。なぜなら、あの時の僕はまだ心の中にいるのだから。変わったのではなく、「人格が増えた」と表現するべきだ。
人格とは降り積もる雪のようなもので、それぞれが別物であり、同じところにいる集合体とも考えることができる。ただ、下に積もった雪は解けるることはなく、まだあの日の寒さを覚えていた。
クラスのいじめはなくなり、学校でのストレスは根本的になくなった。しかし、中途半端に頭が良くなったせいで、母との会話に新たなストレスを感じていることに気が付いてしまった。
今考えてみると、家族との会話でストレスが蓄積されるようになったのは最近の話ではない。
多分、小4の頃からだったんだと思う。あの時はいじめのストレスの方が大きすぎて、それに気付けなかった。
普段の会話でいきなり殴りかかるようなことは当然ないが、日常の取捨選択を過保護に「管理」しようとしてくる母に、僕はストレスを感じていた。「管理」という言葉には親としての意義があるように見えるが、その実態は「精神的な侵食」で、そんな日々があの日から始まった。
母は僕を愛しているのではない。自分の所有物として「正常な完成品」に仕立て上げたいだけだ。失敗した陶芸品は溶かされて「完成品」として焼かれる。母は昔の僕を溶かして、いびつな「壺」として焼いた。
──僕の雪はまだ、形を保っている。
前は「暴力」があったからこんなに重く感じることはなかった。今度は何で対処すればいいのか。僕は自分の感情を完全に無視できる自信がない。1年くらいなら問題はない。5年以上続いたことが問題だった。
僕は自分の感情を無視することにして、何事もなく今まで耐えてきた。だけど、僕の自制心は完璧なものではなくて、何回か母を殺してやりたいほどに恨んだ事もあった。「暴力」だけでは全然足りない。
僕はうるさい母の首が妙に気になっていた。




