純真な野心
「1つ、聞いてもいいかしら?」
ハザクラのその声に応える者は誰もいなかった。
彼女は別に虚空に向かって話しかけたわけではない。
目の前には机に積み上げられた本の山。
そして中央には広げた書物を無心で読み漁る勤勉少女がいた。
「すごい集中力ね……」
ハザクラが感心するように頷く。
例に漏れず、その独り言も少女には届かない。
「セルティアちゃん」
さっきよりも少しだけ声量を上げハザクラは少女の名前を呼んだ。
さすがの少女――セルティアも名前を呼ばれてしまえば現実に引き戻されるしかない。
ぴくり、と驚いたように体を揺らし、ゆっくりと顔をあげる。
「ハザクラさん……? ――ぁ、もしかして閉館の時間ですか?」
「違うわ。安心して」
見当違いな心配をするセルティアにハザクラは呆れたように微笑む。
「図書洞窟に来てからずっと根をつめているように見えたからずっと気になっていたの。隣、いいかしら?」
「え、あ、はい。もちろんです」
どうぞ、とハザクラを受け入れる。
セルティアとしては「どうしてわざわざ隣に座るのだろう?」という疑問もあったがお世話になっている相手なので口にはしない。
「ありがとう」
長椅子にセルティアとハザクラが並ぶ。
「それで?」
「え?」
「セルティアちゃんはここでなんのお勉強をしているのかしら」
机に肘を突いて頬杖をつくハザクラ。
笑ってはいるがその瞳はどこか探るような底の知れない海のような深さがあった。
「貴方たちがアクアリゼルに来てから数日。セルティアちゃんは優秀そうだからすぐに目的の資料を探し出して帰ってしまうのかと思っていたわ。でも実際は来る日も来る日も書物と睨めっこ。本棚をひっくり返す勢いで片っ端から蔵書に目を通しているでしょう?」
「えっと……」
セルティアは答えに窮した。
遠回しに帰れと言われているわけではない。ハザクラはそういう嫌味な女性ではないとセルティアも理解している。だから謝罪の言葉に意味はなく、口にすることはできなかった。
「1人で調べるには限界があるんじゃないかしら。どう? ここは図書洞窟の司書であるお姉さんに頼ってみない?」
「……」
魅力的な提案に聞こえた。
それと同時に無下にもできない提案だった。
資料は膨大で成果は今のところ皆無に等しい。司書であるハザクラに“目的の魔法”について書かれている書物の、そのありかを教えてもらえれば大幅な時間短縮に繋がる。
幻魔退治という依頼はすでに遂行した。アクアリゼルに滞在しているのはセルティア個人の都合によるものだ。
時間だけが過ぎていて、成果らしい知識はまだ得られていない。周囲に迷惑をかけるのはそれこそ時間の問題だった。
(ハザクラさんになら話しても問題はない、か)
こちらの事情をある程度知っているハザクラ。巻き込んでしまった彼女に頼るのは理にかなっている。
セルティアはそう結論付け小さく頷いた。
「ルダージュには内緒にしてくれますか?」
「あら? 彼に関係することなの?」
「……はい」
「深刻なのね。いいわ。ルルくんには内緒の2人だけの秘密にしましょう」
ハザクラは快く承諾した。
セルティアがすんなり打ち明けてくれるとは思っていなかったので若干肩透かし食らった気分だ。
そして――油断した瞬間でもあった。
「私、精霊が大好きなんです」
「……え」
急に愛の告白のような真似をしてきたセルティアに対し、ハザクラの反応が遅れる。彼女を知る友人たちなら「また始まった……」と適当に相槌を打てるのだが、出会って間もないハザクラには荷が重かった。
「……惚気?」
「違います」
あ、違うのねとハザクラは一旦、納得する。
「精霊が好きで、その中でもルダージュとアリアンジュのことが別格で大好きなんです。言葉だけでは言い尽くせないほど」
「……」
やっぱり惚気では?
ハザクラは訝しんだ。
「だから私は2人がいた異世界に渡ってみたい。一方的な召喚ではなく転移。それこそ世界と世界を繋いで行ったり来たりをできるようになれば、素敵だなって、そう思うんです」
「……壮大ね。でも、なるほど。そういうことね」
ハザクラはセルティアの言わんとしていることを理解した。
事情を知らない者が聞けば、ただの精霊好きが人間界と精霊界を繋いでみたいと夢物語を語っているだけに過ぎない。
でもハザクラは違う。
彼女はセルティアたちの事情を把握している者の1人だ。
セルティアは言った。
精霊界ではなく、2人がいた世界と繋ぎたい、と。
それはつまり人型精霊と偽っているルダージュとアリアンジュがいた元の世界とこの世界を繋ぎたいということだ。
そこから導き出される結論は1つだ。
「彼を故郷に帰すため、かしら?」
元人間の一般人を元の居場所に帰してあげたい。ハザクラの良心を通してもその感情は理解できる。
だが、
「……私はそこまでいい子ではないんです」
返ってきたのは意外にも否定に似た言葉だった。
セルティアは少しだけ悲しそうに本心を吐露した。
「私は私の精霊が大好きなんです。それこそずっと隣で手を繋いでいたい」
「……」
「私はこの手を放すつもりはありません」
「つまり中途半端な魔法は望んでいないってことね。ルルくんを異世界に送り届ける魔法ではなく、あくまでも一緒に異世界を行き来したいと」
「……我儘でしょうか」
「それを判断するのは私ではないわね」
ハザクラはそれ以上言葉を続けなかった。質問をして深掘りすれば確実にセルティアが傷付くとわかったからだ。
もしここでセルティアに「ルルくんたちだけを元の世界に帰せる魔法を見つけたらどうする?」なんて意地悪で残酷な問いはハザクラにはできない。
そんなもの持て余すに決まっているし、仮定の話で傷つく必要はない。
(とは言っても2人を見ている限り、セルティアちゃんならそんな魔法を見つけたらルルくんに包み隠さず伝えてしまいそうだし、彼は彼でこの世界に残る――セルティアちゃんから離れない選択をしそうね)
出会って間もないハザクラですら確信めいた予感があった。
2人の絆は深まるかもしれないが問題は何も解決していない。
一方通行の召喚では意味がない。
「“世界と世界を繋ぐ魔法”ね」
未知の魔法を編み出すなら、あらゆる魔法書を読む必要がある。
図書洞窟を利用する理由もわかる。
納得の動機だ。
「でも、それならセルティアちゃんが通う学園の図書館の方が有意義な知識を得られそうね。召喚魔法は一時的に世界と他世界に道を作っている、と解釈できるから召喚魔法を紐解いた方が糸口はつかめそう」
魔導学園都市の図書館は広大だ。
生徒会長として優秀な成績を収めるセルティアですら、所蔵されている三割ほどしか読破できていない。
それでも数千冊の本を読み込んでいる計算にはなるのだが、水中都市アクアリゼルの蔵書にまで手を伸ばすのはいささか気が早い。
回り道をしている可能性を考慮すれば順当に学園で調べたほうが効率的である可能性が高い。
「これが“一つ目の魔法”で、他にも知りたい魔法があるのね」
ハザクラの推測にセルティアは静かに頷く。
だが肯定はしたものの言葉を続けようとはしなかった。
彼女にとって“二つ目の魔法”は口にすることを躊躇ってしまうような魔法ということだ。
水中都市アクアリゼル――またの名を人魚の園。
この図書洞窟には人魚の楽園が築き上げた歴史と過去、そして魔法が記された書物が眠っている。
「……幻魔期が幕を閉じる直前、ある一つの部族が窮地に立たされていたわ」
唐突に始まる昔話。
セルティアは戸惑うこともなくハザクラを見つめ返した。
「彼らの村は湖の近くにあったわ。水産物で生活の基盤を築き陸よりも水の上で生活していることが多かった」
ハザクラが本の山から1冊の本を取り出しパラパラとめくる。
「脅威は陸からやってきた。幻魔に村が見つかってしまったの。犠牲は……少なくはなかった、らしいわ」
「抵抗はできた、ということですか?」
「一度目は退けたみたいね。でもその幻魔は小型で群れをなす種類だった。近隣の村も同種の幻魔に襲われ続々と湖の村に避難するように集まった。要するにひとつの場所に追い詰められたのよ」
「一網打尽にするため」
「でも、そうはならなかった」
なぜ?
とはセルティアは口にしない。
ただハザクラの次の言葉を静かに待つ。
「村に籠城しても蹂躙される。村の外へ逃げようにも幻魔の群れがいつどこで襲ってくるかわからない状況。すでに陸に逃げ場はない」
ぴちゃん、とハザクラの尾が跳ね水を弾く。
「だから私たちの先祖は魔法で体を作り変え湖へと身を投げた。幻魔のいない安息の地、新天地を目指すために」
ハザクラが語っていた昔話は彼女たち人魚の成り立ちだ。簡潔に語られたそれは水中都市アクアリゼルを発見するまでの過程でもある。
そして人によっては顔をしかめてもおかしくない歴史の一部でもあった。
「話を戻しましょうか。人間の足を魚にする魔法は私たち人魚の根源。当然、この図書洞窟には資料が残っているし、他では手に入らない情報でもある。セルティアちゃんは私たちのことを知りたいのかしら?」
「……」
セルティアは頷かない。
否定も肯定もできなかった。
「水上ではそんな魔法のことを“禁呪”と呼ぶそうね?」
事実である。
地上では体を作り変える――代償を伴うような魔法は禁呪とされている。
「ここでは違うんですか?」
セルティアの疑問にハザクラは「どうかしら」と言葉を濁した。
「貴女はここに禁呪を、体を作り変える魔法を調べにきた。それが“二つ目の魔法”ってところかしら」
ハザクラが核心をつく。
セルティアはただ彼女のことを真っ直ぐと見つめ返すことしかできない。
「……ふふ」
破顔したのはハザクラの方だった。
「セルティアちゃんは人魚になりたいのかしら? ルルくんはなんだか人魚に興味津々のようだし、私と2人で湖の底に引きずり込んでしまうのも面白いわね」
湖の底とはつまりは水中都市のことである。
一種の誘い文句。ハザクラの本気とも取れる冗談にセルティアは釣られるように笑うしかなかった。
しかも二つ目の魔法もルダージュが関わっている――とは一言も口にはしていないが、どうやら話の流れでバレてしまっているらしい。
なら隠す必要もないか、と開き直るしかない。
「それも素敵かもしれませんね。でも、私が求めている魔法は人魚になる魔法じゃありません」
「あら? そうなの? じゃあ、どんな魔法を貴女は望んでいるのかしら」
「不老不死」
セルティアは間髪入れずそう答えた。
「もしくは“不老長寿”。精霊のように老いることなく精霊のように長く生きる。人族を精霊のように作り変える魔法を、禁呪を、私は探しにきました」
±
「……正直、驚いているわ。もう少し曖昧な言葉で明言を避けると思っていたから。でも、随分とはっきり口にするのね」
「ほとんどバレていたようなので」
「もしかして切羽詰まってる?」
「できれば2、3年以内に発見したいです」
「具体的ね。それについては……皆目見当もつかないわ。理由を聞いてもいいかしら」
性急だとセルティアもそう思っている。
ただそれ以上は待っていられない事情があった。
「……それを過ぎてしまうとルダージュの肉体年齢を超えてしまって、私がお姉さんになってしまうんです」
「……」
「何か、言ってください」
「乙女なのねー」
「っ……!」
恥ずかしくなったのかセルティアが顔を伏せた。
意外な内容にハザクラの反応も鈍い。
「聖刀剣の巫女オリヴィエ様にこっそりルダージュの魔力を見てもらったことがあるんです」
「オリヴィエ様……盲目のエルフ。マナを感知して周囲を“見る”ことができるという聖刀の守護者。こちらにいらしているシルヴィエ様の姉君のことね」
「皮膚が老化するように、マナを扱う力にも老化が存在する。オリヴィエ様はその些細な変化も感じ取ることができます」
「つまり、幻魔の肉を食べて超常の存在となったルルくんはやっぱり歳をとっていなかった――不老になっていた、と」
セルティアが頷く。
「あらあら。私はてっきり彼が年下好きなのかと思って焦ってしまったわ」
「……焦る? それはどういう――」
「気にしないで。ただの言葉の綾よ」
言い訳に納得できなかったのかセルティアが訝しげな表情を見せた。
ハザクラのいたずら心を刺激する顔だ。
だが揶揄うのはまた別の機会に残すことにした。
「でもそれならもっと手っ取り早い方法があるわね。優秀な貴女ならとっくに気がついているはず」
「……幻魔の肉のことですか」
「そう。幻魔の肉を食べて彼と同じ存在になればいい。魔装という便利な能力も手に入るし」
私ならそうするわ。
そんな幻聴が聞こえてきそうなほどハザクラは雄弁に語る。
もちろんセルティアも考えなかったわけではない。
「不確定要素はできるだけ排除したいからです」
「……何か心配事でも?」
「幻魔の肉を食べれば確かに彼と同じ存在になれます。でも魔装の力は魔法を打ち消す力。私は召喚士、そして魔法使いとして、私の目的を阻害してしまうような力を得るわけにはいきません。異世界を繋ぐ魔法は私が発見して、私が発動します」
「ふふ、優秀すぎるというのも考え物ね。できることが多すぎると逆に不器用になってしまうのかしら」
「私はただ欲深いだけですよ」
セルティアの冷めたような自己分析。まるで業突く張りな自分に嫌気がさしているような言い草だ。
それでもやめようとしないのが彼女の彼女たる所以なのだろう。
「でも残念ね。ここでは禁呪に関する文献は取り扱っていないの」
「……禁書は別の場所に保管しているってことですか?」
「蔵書はここにしか置いてないわ。私はただ貴女から揚げ足を取っただけ。さっきセルティアちゃんは聞いたわね? ここ水中都市では禁呪と呼ばないのかって。逆に聞かせて、どうしてあなたたちは禁呪と呼んでしまうの?」
「それは――」
「勇者アルスでさえ魔法と姉で作られた聖刀剣で幻魔から世界を護ったというのに」
「な!? どうして知って――」
セルティアたちでさえ最近知ったばかりの秘密。歴史の裏の事情だ。
それが水中都市のような辺境の住人が把握しているという事実。
セルティアは驚きで目を丸くすることしかできない。
「本人を前にすれば私たち人魚は気づいてしまうわ。でも私たちは誰も気に留めない。なぜなら彼女たち巫女を含め私たち人魚はただ魔法を使って姿を変えただけだからよ」
「禁忌を犯しているという認識がない、とそういう話ですか?」
「近いけど遠いわね。魔法とは一律であり禁忌の魔法なんてそもそも存在しないのよ」
「……でも禁呪には代償が必要です」
代償。
それはシルヴィエの声、オリヴィエの視覚、人魚たちの足。
マナの消費だけではなく体の一部を犠牲にすることで禁呪という魔法は成り立っている。
それが世間一般の禁呪の認識だ。
「それは間違いよ」
だが人魚であるハザクラは地上の常識を一蹴する。
「”代償”ではなくあくまで”結果”。この体も魔法によって得られた効果でしかない」
「……」
ハザクラの主張を反芻するためかセルティアは口を閉ざし、
「呪文の基礎【三節詠唱】」
ゆっくりと言葉を並べる。
「呪文は『事象』『過程』『結果』の3つの節に分けられ、それらを唱えることで発動することができる。ハザクラさんが口にする“結果”とは第三節の『結果』のことですね」
「ご明察。さすがは学園の生徒会長。聡明ね。解説する手間が省けて嬉しいわ」
ただ、とハザクラは話を続ける。
「せっかくだから簡単な例だけは挙げようかしら。例えばそう爆発の魔法を貴女の足に向けて撃ったとしましょう。当然、足は吹き飛ぶ、もしくは大火傷を負って歩けなくなってしまうわね」
エクスプロージョンの詠唱は『爆ぜろ業火』『燃え盛れ大地』『全てを無に化せ』の三節から成る。ここでいう“結果”とは『全てを無に化せ』の部分であり怪我や火傷などを負わせる結果をざっくりとした表現でまとめている。
「では足が魚になる魔法を撃ったとするわ。セルティアちゃんの綺麗な足が消えて地上では歩けなくなってしまうわね。2つの魔法の違いって何かしら?」
「それは……――」
セルティアであればいくらでも答えることができた。
魔法の種類が違うし詠唱の内容も違う。属性も異なり、必要な魔力量や魔法陣の形も違うだろう。
だがそれはハザクラが求めている回答ではない。
「何も違わないわ。どちらも歩けなくなるという結果を招いている。でも足が魚になる魔法は禁忌とされ地上では禁呪と呼ばれてしまう。おかしいとは思わない? 爆発の魔法は一歩間違えれば生命の命すら奪いかねないのに、こっちは禁止どころか魔法使いが覚える魔法の1つとして指導されている」
「魔物を相手に自衛するため――というのはどうでしょう?」
「私たちのご先祖様も幻魔から身を守るために人魚の道を選んだわ」
セルティアは反論をするつもりはなかったが黙ったままというのも気まずかった。だからハザクラが返しやすいような合いの手を入れた。
ハザクラもそれがわかっていたのか口調は常に柔らかいままだった。
「……言い返すことができません」
「でしょ? つまりは禁呪なんて大層な呼び方は使用者にとって都合が悪い魔法を勝手にそう呼び始めただけに過ぎないの。魔法は魔法よ。禁呪なんて最初からどこにもないの」
ハザクラは持っていた書物をセルティアに手渡した。
「その本には人魚になる魔法と体を変化させる魔法の基礎や陣の書き方が記載されているわ」
「っ! こんな近くにあったなんて……」
「私たちにとっては魔法なんてどれも一緒。それは魔法書も同じこと。禁呪にこだわっていると見つけにくい書物だったかもしれないわね」
「……常識だと認識していたものに囚われ過ぎていました」
「事情が事情なだけに他人に頼れないのは理解できる。でもここに司書がいるんだから活用しない手はないんじゃないかしら?」
セルティアが本を開き視線を落とす。
人体変化の魔法理論。実際に使用した魔方陣の縮図。学園では見聞きしたことのない知識の宝庫がそこにあった。
「私が探していた本です」
「そう? お役に立ててよかったわ」
「……ハザクラさんはどうして……その……」
「お節介を焼くのか気になる? もちろん司書としてお仕事をしただけ――と言いたいところだけど今回は下心ね。セルティアちゃんに頼みがあるの」
正直すぎるハザクラにセルティアは苦笑を返すことしかできなかった。
「私にできることであれば」
「じゃあ遠慮なく。貴女の精霊のルルくんを貸し――」
「駄目です」
「……」
「……」
セルティアが笑顔で断り、ハザクラの笑顔が凍った。
気まずい沈黙の後、ハザクラは冷や汗をかきながら慎重に口を開いた。
「失礼……言い方を間違えたわ。ルルくんにクエストの依頼をしたいの。湖賊の本拠地がもうすぐ割れそうで、彼には私たち人魚と一緒に戦ってほしいと考えているわ」
「そういうことだったんですね。私はルダージュの意思を尊重しているので彼が了承すれば私が止める理由はありません」
「彼も似たようなことを言っていたわ。……快諾してもらえたこと感謝します。人型精霊『灰騎士』の一番槍は軍の士気を高めてくれると確信しています」
「私からも彼に話を通しておきますね」
セルティアが破顔する。付き合いの短いハザクラですらわかるほど先ほどの笑顔とは大違いだ。
「ありがとう。……断られた瞬間は肝が冷えたわ」
「ふふ、すいません。精霊のことになるとどうしても熱くなってしまってそれがルダージュやアリアンジュのこととなるとどうしても……」
続きが気になるのかセルティアはそう言ってまた本に視線を落とした。
切羽詰まっている――とまではいかなくとも余裕はあまりなさそうだ。
「セルティアちゃんの望む二つの魔法も、案外ルダージュくんたちを頼れば思わぬ光明がさすかもしれないわね。私が貴女たちを頼るように」
「……できればギリギリまで伝えたくはありません。期待させておいて転移する方法が見つからなかった、なんて嫌ですから。それに発見できたとしてもそれが数年先かあるいは数十年先か、目処は立っていません」
「“二つ目の魔法”を望む本当の理由はそれ?」
異世界転移魔法を実現するために長寿の道を望むのか。
「……」
ハザクラの疑問をセルティアはあえて無視して言葉を続けた。
「仮に100年後にルダージュとアリアンジュが元の世界に帰郷できたとして、それが彼らにとって意味があるのか。私にはわかりません」
馬鹿正直に「わからない」と答えるより「必ず連れて行きます」と言い切った方が遥かに楽だ。
召喚士としての使命感とかではない。
これでは自己満足のために二つの魔法を望んでいると答えているようなものだ。
「難儀で健気、そして不器用な子なのね、貴女って」
「……かもしれませんね」
やれやれとハザクラは首を振り、目の前の山から一冊の本を救い出す。
「あまり1人で抱え込まないことね。話し相手ぐらいならここにいる間は私がなってあげるわ。独り言を言いたいならその時は聞き流してあげる」
「放っておいてくれてもいいですよ?」
「私は司書隊長で、ここは図書洞窟よ? それは出来ない相談だわ」
まあ、でもとハザクラは続ける。
「吐き出せないなら後はもう気分転換をするしかないわね。幸いにもここにはたくさんの本がある。魔法書はもちろん娯楽本も取り揃えて保管しているわ」
薄くて平べったい本をセルティアに手渡す。
「これは……」
見覚えのある題名に見覚えのある表紙絵。
いつの間に本の山に紛れていたのだろうか。
「昔からここに所蔵してある本よ。召喚士なら一度くらい目を通したことがあるんじゃないかしら。初心に帰る――ってわけじゃないけれど、いい息抜きにはなると思うわ」
ハザクラはただ召喚士のセルティアが親近感を覚えるような本を手渡して言葉通り息抜きをしてほしかっただけだ。
だがその本は――その絵本にはセルティアが今まで感じた事のない得体の知れない魔力が宿っているように思えた。
それこそ禁書よりも危うく、図書洞窟の他のどの蔵書よりも蠱惑的な何かを秘めているようにさえ感じる。
なぜ、そんなあやふやな感覚に陥るのか。
それはこの絵本があまりにも年季の入った有様だったからかもしれない。
「精霊王の冒険……」
著者不明の絵本。
大召喚士ノイシスと彼女を取り巻く仲間たち、精霊王との恋を描いた物語。
「……その、原本?」
確証は無い。
だがセルティアにはこの出会いがどうしても運命めいたものを感じずにはいられなかった。
「原本? え、どうなのかしら……『精霊王の冒険』は昔から一冊しかないから比べようもなかったし、そんな発想もなかったけど……」
戸惑うハザクラを他所にセルティアが冒険の書を開く。
そこにはただ精霊を愛した少女の行く末が描かれていた。




