間話 夜食
「お嬢様、お夜食をお持ちしました」
聞き慣れた声と聞き覚えのない呼び名。
書物と睨めっこをしていたセルティアが釣られるように顔を上げる。
「……ふふ、学園祭の続きですか? 私の執事さん」
訪問者の正体を視界に捉え、セルティアの表情が緩む。先程まで難しい顔で調べ物をしていた人物とは思えないほどの落差だ。「私の執事」と呼んだ彼への信頼が窺える。
「なんとなく言いたくなっただけだよ。それよりも休憩にしないか? 軽くつまめるものを作ってきたんだ」
「あ! 私が食べ損ねたルダージュの手料理!!」
「うっ、昨日のこと根に持ってるのか?」
執事もどき――改めルダージュが机の上に皿を並べると、セルティアが珍しく愚痴るような物言いを溢した。
それもそのはず、ルダージュが夜食作りを最初に始めたのはつい昨日のこと。ティーユとシルヴィエに相談に乗ってもらったルダージュは感謝の意味も込めて故郷の料理を2人に振舞ったのだが、目算を誤ってしまい材料を使い切ってしまった。
夜も更けていたためルームサービスで材料の補充――なんてできるわけもなく。途方に暮れているタイミングで図書洞窟からセルティアが帰還。
ルダージュお手製の夜食を食べられず仲間はずれのような形になってしまったセルティアが拗ねてしまったのは言うまでもない。
薔薇にも棘があるように、セルティアもトゲのある一言で刺したい時もある。
それが気心の知れた相手なら尚更だ。ついでに言えばセルティアの夜食を作り忘れてあたふたしているルダージュを眺めることができるのは今だけなのだ。そのチャンスを逃すセルティアではない。
「冗談ですよ。根に持ってないですし怒ってもいません」
「そ、そうか? ならよかっ――」
「私はただちょっとだけイジワルをしてルダージュの困った顔を見たかっただけなんですから」
「それはそれでタチが悪くないか?」
「でもルダージュなら許してくれますよ」
断言である。ルダージュなら大目に見てくれると確信しているようだ。
「……まったく、ずるい子だ」
あまりの清々しさにルダージュは笑うしかない。
もしここが生徒会室で目の前に副会長のロイがいたら「目障りだからイチャイチャするな」と釘を刺したことだろう。
生憎とここは他の利用者がいない図書洞窟の中。
ツッコミ役は不在だ。
「昨日は久しぶりにルダージュと添い寝もできたのでいいこと尽くめですね」
添い寝はセルティアからの要求――もといお願いだった。
ベッドに寝転んだセルティアが無言の圧と共に自分の隣を手でポンポンと叩く。そんな姿を見ようものなら召喚獣としては拒絶できないし、拒否する理由もなかった。
「あれがお詫びになるセルティアのチョロさを心配すればいいのか、策士な召喚士様を褒め称えればいいのか、判断に迷うな」
「惑って思案げなルダージュも素敵です」
「オーケー俺の負けだ。この話はやめよう」
所詮は戯れ。
最初から誰も怒ってなどいないのだから許す許さないの二択に拘る必要もない。
「寒くないか?」
ルダージュが魔装で椅子を作りセルティアの隣に座る。いつぞやと同じように魔装でケープ型の防寒具を作り、セルティアの肩へとかけた。
「ありがとうございます。なんだか大森林での合宿を思い出しますね」
「あの時はセルティアがお茶を用意してくれたんだよな。今回は立場が逆になったな」
それほど昔のことでもないが懐かしいという気持ちが湧き上がる。
それはセルティアも同じだったのか隣り合った椅子をさらに引っ付けて思い出を再現する。
「近すぎると食べづらくなるぞ」
「構いませんよ。その時はルダージュに食べさせてもらいますから」
「……なんだかいつもより甘えてない?」
「どうでしょう?」
「……」
「……」
2人はそれっきり黙ってしまう。
ちょっとした疑問を口にしただけだったのだが微妙な空気になってしまった。いつものセルティアなら「私はルダージュの召喚士ですからね」と言い切ってもおかしくない流れだった。
とぼけられてしまうのは予想外だ。
「あーっと、そういえば足元の水が暖かいのは何かの魔法か?」
空気を変えるために気になっていたことを口にする。図書洞窟の内部も一面に水が広がっているのは周知の事実ではあったが、セルティアの足元だけ水が暖かい。それこそお湯といって差し支えのない水温を保っている。
「足元を覗いてみてください。赤い円盤状の道具が見えますか? これは魔導具の一種でお風呂などに設置する湯沸かし器と同じ物です」
ルダージュが机の下を覗くとセルティアのスラリとした白い足が最初に目に映った。その足の指先から30センチほど離れた所に赤い影が水に沈んでいる。
あれのことかとルダージュが頷く。
「どおりで暖かいわけだ。魔法の許可を貰うって話だったけど魔導具を借りられたんだな」
「許可自体も得られましたよ。飛行魔法に関して、ですけど」
「飛行魔法? なんでまた?」
「足を冷たい水に晒さず尚且つ高いところに手が届きます」
「合理的だ」
箒に腰掛け本を探す魔法使い。
まさにお伽話の魔女のような光景だ。裸足というのも風情があっていいかもしれない。
――なんて妙な感動を抱きつつ、ルダージュは気まずそうにセルティアから視線を外した。
「ルダージュ?」
「ごめん」
ルダージュは別に変な妄想を抱いて後ろめたくなったから謝っているわけではない。
「我ながら気が利かなかったよ。俺なら魔装で足場を作ることもできたし、もっとセルティアが勉強しやすいようにサポートすればよかった」
この発露は後悔というよりは召喚獣としての願望のようなものだ。
セルティアの勉強の妨げになってはいけないと余計なことはしないつもりだった。1人の方が勉強も捗るだろうとルダージュなりに気を遣ったつもりだ。
空回り――とまではいかないが、
(余裕がない――ってことなんだろうな。自分が思っている以上に)
だが、そんなルダージュをセルティアは軽く一蹴する。
「思い詰めた顔をするから何かと思えば、そんなことですか。ルダージュは過保護ですね」
「そこまで深刻な顔は、してない」
つい昨日の出来事を思い出してしまっていたので無自覚に顔に出ていたかも知れない。そう考えると歯切れの悪い否定しかできなかった。
「過保護は否定しないんですね」
ルダージュは聞こえないふりをした。
「足場があれば便利なのは間違いありませんが必要はありません。洞窟中に魔装の床を張り巡らせるわけにもいきませんから」
「それも……そうか。他に利用者がいたら邪魔になるよな」
「利用者は私1人しかいないみたいですけどね」
「そうなのか?」
「図書館というより書庫としての意味合いが強いのでしょう。基本的には倉庫なのでハザクラさんが顔を見せるくらいで他の方は一度も」
セルティアが机の上に広げていた本を片付けていく。
「昔から自分でやれることは自分でやってきました。ルダージュたちを召喚した後もそれは変わりません」
「……ん? 最近、朝はアリアンジュに起こしてもらうのがデフォ――」
「てい!」
「あいた」
セルティアの頭突きがルダージュの肩を襲う。咄嗟に痛いと口にはしたが、威力は微々たるもので不意の衝撃に驚いただけだった。
「揚げ足を取るの禁止」
「ごめんごめん」
「よろしい。私は自分でやれることは自分でやりますし、甘えたいと思った時はめいいっぱい甘えます」
言い直した――とは指摘しない。
また頭突きされるのがオチだ。
「そしてもし“助けてほしい”とそう思ったら……その時はちゃんと相談しますよ」
「助け、か。セルティアは優秀だから頼ってくれなさそうだ」
「ルダージュは私のことを買い被りすぎですよ」
「そんなことないと思うけど……今だってこれぐらいしか力になれてないし」
ルダージュがセルティアの前に夜食の載った皿を置いた。
「私にとって夜食はルダージュに“甘え”ていただけなんですけど……」
明け透けに語りつつ目の前に鎮座する三角形の物体をまじまじと眺めるセルティア。
「小さくて可愛らしい料理ですね」
くすり、と静かに笑う。
「これはなんて名前なんですか?」
「おにぎりっていうんだ」
「オニギリ」
「お、珍しく発音がそのまま伝わってる。同じような食べ物があるのかな?」
翻訳魔法の影響でイントネーションが変に伝わるのはいつものこと。その現象が起きないということは似たような物があり共通認識が可能という意味でもある。
「米が名産の国で似た食べ物があるのかもしれません。ですが……この黒い紙みたいな包みはなんですか?」
「俺がおにぎりを作ろうと思ったきっかけ、かな。俺がいた世界では海苔っていうんだ」
「ノリ、ですか?」
「本当は海で育てて作る食べ物……のはずだけど、水中都市に来たときに干物と一緒に干されてる海藻が目に入ったんだ」
ルダージュの知っている海苔はその名の通り海で養殖する食べ物だ。そしてここは水中都市があるリューゼル湖。海ではない。
「だから俺が知っている食べ物とは全く別物かもしれない」
湖で養殖できないこともないが水中都市でも同じ手法で生産しているとは限らない。
つまりハザクラあたりに確認を取れば1発で疑問が解消するはずだ。
「でもこれが本当に海苔かどうかは問題じゃない」
「どうでもいいと?」
「米があって海苔みたいなものがある。そこが重要なんだ。これでおにぎりが作れる――ってね」
「不都合な真実で水を差されたくなかった。そういうことですね?」
「さすがセルティア。理解が早い」
「これでもルダージュの召喚士ですからね」
ふふん、と得意げに胸を張るセルティアだったが、そのまま探るような上目遣いでルダージュを見つめる。
「味は確認済み。俺が知っている海苔と同じ――と言っても過言ではないね」
「……なんだかいつもより興奮してます?」
「え? はは、どうだろう?」
わざととぼけた。
先程セルティアにとぼけられたお返しのようなものだ。
「ちなみに私は待ち望んでいましたよ」
「準備万端だなーとは思った」
「ルダージュの手料理、期待してたので」
書物によって占拠されていた机は、一角だけあからさまにスペースが空けられていた。だからルダージュは本をどかすことなく配膳することができたのだ。
「じゃあ期待に応えることにしますか。お茶も用意してるから冷める前に食べちゃおう」
ルダージュが木製のコップを2個取り出してお茶を注ぐ。
「作っておいてなんだけど夜に食べ過ぎるものよくないから用意したのはほんとこれだけ」
「お茶とお漬物に、メインのおにぎりですね」
「おにぎりも実は小さめに握って量を少なくしたんだ。大きいのが2個より小さいのが3個ぐらいあったほうが楽しめると思って」
それでも多かったら残していいから、と最初に断っておく。セルティアは放っておくとルダージュの手料理であれば量が多くとも味が好みでなくとも無理して食べるのが目に見えている。布石を打っておくことも彼女の召喚獣の大事な務めだ。
「小さくて可愛らしいのはルダージュの気遣いの形だったんですね」
「そんな大層なものじゃないよ」
「でも“握る”というのはどういう意味ですか?」
「あー……それは、ね」
セルティアに問われルダージュが気まずそうに顔を背ける。正直、ルダージュにとっては答えづらい質問だ。だからといって黙ったままという訳にもいかない。
「おにぎりの作り方と名前の由来、かな。こうやって炊いた米を握って作るからおにぎりって言うんだ」
ルダージュがエアおにぎりを握って実演する。
「面白い名前だと思ってました。作り方から来ていたんですね……なるほど?」
興味深そうにセルティアが頷き、納得しながら首を傾げる。この内容のどこにルダージュが気まずくなる要素があったのかわからなかったのだ。
仕方がない、とルダージュは説明を続ける。
「だからこう……人が握った食べ物がおにぎりなんだ」
「……? はい、聞きました」
ピンとこないのかセルティアの目がルダージュに続きを促す。
その純粋な瞳に根負けし、ルダージュはさらに言葉を噛み砕いた。
「セルティアはさ、他人が握った食べ物ってどう思う?」
「他人が握った?」
「そう。自分以外の人間が握った食べ物」
口に含める?
と、まではさすがに聞かない。
そこまで気がかりなら最初から夜食におにぎりをチョイスするな、という話になるからだ。
「自分以外……手料理や外食についてどう思うか、ですか?」
セルティアの実家が食堂を営んでいるからか意味合いが広くなってしまった。
ルダージュもまさかこんなところで異文化の説明の難しさを痛感するとは思ってもみなかった。文化祭の時のメイド喫茶とどっちが厳しかったか、と問われれば当然メイド喫茶に軍配が上がるのであの時と比べれば訳は無い。
「ちょっと違うな。例えばオムライスを作ったことがあっただろ? 形を整えるときに調理器具を使ったけど、おにぎりは手で形を整えるんだ」
「手で……」
セルティアの視線がルダージュの手に吸い込まれる。そして得心が行ったのか大きく首を縦に振った。
「ルダージュの言わんとすることがやっと理解できました。もしかしてルダージュの故郷ではおにぎりは人に振る舞うような食べ物ではなかったのですか?」
「そういうわけでも無いんだけど、普段は機械――魔導具みたいな便利な道具で作られたおにぎりを店で買うことが多いと思う」
「魔導具で形を……? 手で握ってないならおにぎりではないのでは?」
身も蓋もない指摘にルダージュは苦笑することしかできなかった。
「あとは家族や近しい人が作り置きやお弁当に詰めたり、なんてイメージがあるな」
「家族、ですか……」
セルティアの頬に朱が差した。
「特別な食べ物のように聞こえます」
「改めて説明すると結構特殊かも。ま、家族が握ったおにぎりでも食べたくないって人もいるぐらいだし」
「……気難しい食べ物なんですね」
セルティアなりに言葉を選んだのだろう。彼女からすれば家族が握ったおにぎりなら何の憂いもなく口にすることができるが、忌避する理由も理解できなくはない。
「それこそラップでもあればまた意見が分かれて食べられる人も増えるんだけどな」
「ラプ?」
無い物強請りだ。その証拠に翻訳魔法がうまく機能していない。
「なんて説明すればいいのやら……こう、透明な膜でご飯を包んで握ることができるんだ。ご飯には直接触れることはないし手もベタつかない。しかもラップは無味無臭」
今度は魔装を使って実演すると、セルティアは興味深そうにラップもどきを目で追った。
「ルダージュの魔装でも同じようなことができそうですね」
「……実はおにぎりを作ろうとした時、一瞬だけその考えが過った」
「でも実行には移さなかったと」
「それこそ俺が口にする食べ物なら問題ないけど振る舞うとなると躊躇う。コップとかならまだいいけどラップみたいなヒラヒラした魔装の操作は難しいしな」
空気に溶ける魔装を眺めながらセルティアは肩にかけられたケープ型の魔装に顔を埋めた。
「セルティア? 何をしてるんだ?」
「……匂いを確かめてます。ルダージュの魔装は無臭なのかどうかを」
「え、大丈夫だと思うけど……結果は?」
「ルダージュの優しい匂いがします」
「なっ!? 臭いするの!?」
「嘘です」
がくっ。
椅子に座っていなければルダージュは膝から崩れ落ちたかもしれない。
「無臭で、少し物足りないかもしれません」
「さいですか」
「……」
「……」
謎の沈黙が訪れ、
「……セルティア、舐めちゃダメだぞ?」
ルダージュが恐る恐る牽制すると、セルティアの目がゆっくりと開き2人の視線が交差した。
「そんなはしたない真似しませんよ」
「そ、そっか……そうだよな。ごめん、変なこと言った」
さて、とセルティアがケープを纏い直し、姿勢を正す。途中で「残念です」と小さな呟きが聞こえた気がしたがルダージュは空耳だと思い込むことにした。
「とりあえずルダージュの不安はただの杞憂です。確かに顔も知らない見ず知らずの他人が握ったご飯は食べるのを躊躇するかもしれません――が、そもそも昨日と同じものが食べたいと注文したのは私ですし、ルダージュが握ったおにぎりならむしろ食べたいです」
「喜んで良いのか判断に迷う宣言だ」
「ルダージュは違うんですか?」
「俺?」
「私が握ったおにぎりは食べたくないですか?」
「……」
嫌とは言えないし思ってもいない。だからと言って素直に「食べたいに決まってるだろ」と口にするのはそれはそれでどうなのか。
「……食べたくないと言えば嘘になる」
葛藤の末、回りくどい本音をこぼした。事実上の敗北宣言だ。
「ね?」
「そんなもんか」
「そんなもんです」
セルティアはそう言って目の前のおにぎりを1つ掴み、「いただきます」と一口。
「――ぁ、中におかずが入ってるんですね」
「塩だけじゃ味気ないからね。それは確か……焼き魚をほぐして入れたおにぎりだったかな」
「美味しいです。食べるまで想像もつきませんでした」
「面白いだろ? おにぎりを食べる時の醍醐味の1つだ」
「他には何を入れてくれたんですか?」
「それは食べてからのお楽しみ」
ルダージュもセルティアに続き自分のおにぎりを頬張る。
「中身は同じ?」
「ん? 俺のはどうやら肉だったみたい。クックトリスかな……甘辛いソースで味付けしてある。これも美味しいよ」
「ルダージュが作ったわけではないんですか?」
「俺が作ったのはセルティアの分だけ。俺のはシルヴィエが作ってくれたんだ」
「……ふ〜ん」
セルティアがなにやら意味深な相槌を打つがルダージュは気づいていない。
「じゃあ残りの1つはティーユが握ったものなんですね」
「いや? こっちもシルヴィエが握ったやつだな。ティーユは「野暮用がある」って言って出かけたから一緒に作らなかった」
「ティーユが? チャンスを不意にしてまで出かけるなんて……」
「チャンス?」
「いえ、こちらの話です」
ルダージュの故郷の味を覚えて振る舞うこともできるチャンス。それをティーユがみすみす見逃すなんてセルティアには想像もできなかった。
なぜなら彼女はルダージュに好意を抱いている少女の1人だ。野暮用なら後回しにすればいいし、セルティアならそうした。
だが、もし野暮用というのが方便で“今”ルダージュと一緒にいることよりも大事な用事なのだとしたら……。
「セルティア? 熱すぎて飲めないか?」
コップに注がれたお茶――水面に映る自分を覗き込んでいたセルティアが顔を上げる。
「少しだけティーユのことが心配で」
「グレンラタンを連れて出て行ったし本人も強いから心配はないと思うけど……魔装も譲渡したし」
「……」
「無言の圧やめて」
「ルダージュはやっぱり過保護」
しれっと魔装を譲渡しているルダージュに若干の呆れを感じてしまうセルティアだったが、ティーユの身の安全を先に心配するのは彼らしいなとも思ってしまう。
「はて、なんのことやら」
お茶にミルクを注ぎ魔装のスプーンでかき混ぜる。
そして一口、「ん、おいしい」とお茶の感想に専念するが、セルティアはルダージュを見つめたまま微動だにしない。
そんな彼女の視線から逃れるようにルダージュは腕を伸ばした。
手に取ったのはシルヴィエが握った最後のおにぎりだった。
「本当にどこに行ったんだろうな。ティーユのやつ」
±
ホロコ島の岬に放置された湖賊船。
その戦利品の甲板の上で1つの影が夜の闇に紛れ込んでいた。
「不思議な光景ね。まるで世界に溶け込むように灰となり塵へと消えていく」
影の正体はハザクラだった。
ハザクラは目の前の肉塊――幻魔の死骸を眺めながら言葉を紡いでいた。
独り言なので返事をする者は誰もいない。
「昨夜と比べて、また小さくなったわね」
幻魔が活動を停止するとその身体は時間経過とともに幻のように消えてしまう。
幻魔という名前の由来でもある。
そして今のハザクラにとっては“食用としてはやっぱり不向きである”と改めて認識させる現象だ。
「ルルくんが食べていた痕も……消えてる」
幻魔の肉は今もなお消え続けている。
ルダージュが肉を引き裂いた痕跡は自然消滅していた。
それはつまり”他の誰かがこの場所を訪れても、幻魔の肉が食べられているとは気づかないし証拠も残らない”ということだ。
「魔装――幻魔を食べることで得られる人型精霊の力の正体。空に浮くこともできる便利な力」
ハザクラは悩んでいた。
それは誰にも打ち明けることができない悩みであり、葛藤と言っても過言ではない。
討伐した幻魔の様子を見に来たのはその答えを出すためだ。
司書隊長という立場を利用し、ホロコ島には近づかないように同族たちに命じた。人払いは済ませ立ち入りも禁止している。
この場にはハザクラしかいない。
「相談もせずにこんなこと……私は間違っているのかしら。でも――」
人の良い人型精霊の顔をハザクラは思い浮かべた。
仮に相談したとして、理解は得られないだろう。
ルダージュの立場からすればハザクラがこれから行おうとしているのはただの蛮行でしかないのだから。
(彼ならきっと必死に止めようとする。でも私はそれを求めてはいない)
ハザクラが幻魔の亡骸に触れた。
しっとりとした肉の感触が手のひらに伝わる。それと同時に指の隙間から灰色の粒子が流れ落ち空気に溶けていく。
いつまでも悩んでいる暇はないとタイムリミットを示しているかのようだ。
「今頃、彼も夜食を食べているのかしら……っ!? 誰!?」
答えはもう決まっていた。そう覚悟を決めた時――ハザクラは背後から気配を感じ慌てて振り返った。
「――あなたは」
予想外の闖入者に目を丸くする。
闖入者もまさか先客がいるとは思ってもみなかったのか驚いたように目を見開いた。
「まさか……あなたも?」
「!?」
ハザクラの言葉で全てを察したのか、口数の少ない闖入者はハザクラの隣に座りいそいそと支度をととのえ始めた。
持参した袋からある物を取り出し、ハザクラへと手渡す。
「これを、私に?」
「ん」
「お米を固めて、海苔で巻いたのね。なるほど、これが噂のルルくんの故郷の食べ物」
歪な形をしているのでルダージュではなく闖入者の手作りなのだろう。
「ありがとう頂くわ。お口直しにはちょうどいいかもしれないわね」
闖入者に感謝を告げたがハザクラはその食べ物に手をつけようとはしなかった。
言葉通り後で食べるつもりなのだろう。
『……』
沈黙が訪れた。
2つの影に言葉は不要だった。
交差していた視線はどちらともなく外れる。
その2つの口はただ静かに夜を食らった。
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