死に最も近くて最も遠い場所
「降ろしますよ」
「ええ、ありがとう」
抱き上げていたハザクラを床に降ろし、ルダージュは周囲を見回した。
薄暗い洞窟の道とは打って変わって床や壁が整備されている空間に辿り着いた。照明が等間隔で設置されているため細長い通路のような場所にいることがわかる。
「とりあえず侵入成功ね。帰りもあそこから帰る予定だから蓋は開けたままにしておきましょう」
ハザクラが天井を見上げ、ルダージュがその視線を追う。自分たちが元いた場所には重い金属の蓋がぶら下がり静かに揺れていた。
「……なんとなく覚悟はしていましたけど、これって不法侵入では?」
ルダージュの魔装を利用し、無事に地面へと降り立った2人。
スパイ映画さながらの移動ルートを振り返りながらルダージュが核心を突く。
「……てへ」
流し目を送りながらわざとらしく戯けるハザクラ。訂正して言い返すことはできないらしい。
「可愛らしく誤魔化しても駄目ですよ」
「あら? また可愛いって言ってくれるのね。ぎゃっぷもえ〜?」
「違います。話を逸らさないでください」
「ふふ、ルルくんはすぐに褒めてくれるから調子に乗ってしまうわね」
「よく言いますよ……」
ルダージュからしてみればハザクラは調子に乗っているというより本調子に戻っただけでしかない。
ただそれは有難い話でもある。
昨夜の一件を経ても彼女が変わらずに接してくれているという証明でもあるからだ。
心配をしていたわけではなかったが安心感は込み上げてくる。
「でも、ここから先はあまり大きな声を出してはダメよ?」
「それはいいですけど……そろそろはっきりと教えてくれてもいいんじゃないですか? 俺たちが今どこに向かっているのか」
「目的地はすぐそこよ。進みながら教えるわ」
ハザクラはそう言ってルダージュを促すように進み始めた。
「ルルくんが褒めてくれたこの服、私のお気に入りなの」
「……? そうだったんですね」
唐突に何の話だ、と思わなくもなかったが相槌を打つ。
「人魚の服は特殊な加工がしてあって水を弾くようにできていたり渇きやすかったりするの。この服もゆったりとした生地に見えるかもしれないけど、このまま泳いでも問題ないくらい防水に優れているのよ」
「はぁ……」
思わず気のない返事をしてしまうほど話題が逸れているように思えた。
だが、ハザクラは気にも留めず言葉を続けた。
「でも臭いまで防ぐことはできないわ。水が汚れていたら服も汚れるし、臭いがキツイものが近くにあるとその臭いも移ってしまう。だから――」
ハザクラは手に持っていたランタンを掲げた。
「この魔導具は刺激臭を感知してその臭いを遮る効果があるの。つまり魔導具の近くにいれば不快な臭いを嗅ぐ必要もないし、服とかに移る心配もいらない」
「……」
ルダージュが人知れず鼻を鳴らす。
確かにハザクラの近くにいると何の匂いも感じない。洞窟特有のニオイがあるのかどうか彼にはわからなかったが、少なくともここに来て一度も不快な臭いを嗅いだ記憶はなかった。
「私の言いたいことがわかるかしら?」
ハザクラの試すような視線を受け、ルダージュが慎重に口を開いた。
「……これから先、臭いがキツイ場所に着くからハザクラさんの側を離れるな――ってことですか?」
「正解。そしてここが貴方が求めていた答えよ」
すぐそこという言葉通り、ハザクラとルダージュは目的地の目の前――固く閉ざされた金属の扉の前に辿り着いた。時間にして1分も経っていない。
なんの変哲もない扉。
ここがハザクラの言う、
「“死に最も近くて最も遠い場所”か」
「ふふ、明言を避けるために遠回しに表現してみたけど格好をつけすぎたかしら。改めて言われると恥ずかしいわね」
「今更照れないでくださいよ。……じゃあ、本当はなんて言うんですか?」
ルダージュの問いかけにハザクラは静かに口を開く。
「ここはただの“拷問部屋”よ」
±
罪人や捕らえた賊を痛めつけ、有益な情報を得るための取調室。
俗にいう拷問部屋。
人魚族が使用するその部屋は広さが学校の教室ほどで正方形に近い形をしていた。室内は砂で満たされ地上の砂浜を想起させる。下半身が魚である人魚たちのために動きやすい環境を整えたのだろう。
足元は特殊だがそこまではただの陰気で薄暗い普通の部屋だ。
「……」
ルダージュは言葉と共に息を呑む。
部屋の中央に人がいた。
力なく項垂れる様子から顔はわからないが、髪の長さ、体格、佇まいから男だということはわかる。
男は椅子に縛り付けられていた。肘掛けに両腕を固定され、椅子の脚と男の足が足枷で繋がっている。
よくよく見ると男が座っている場所には段差があった。掘り炬燵ほど深くはないが、ルダージュたちの足場から一段程度低い位置に椅子が設置されている。
まるで液体が漏れ出ることを防ぐシャワー室みたいな段差だな、とルダージュはふと思いそこから先は考えないようにした。
「戸惑うのも無理はないわ。私自身初めてここに連れて来られた時は怖くて泣いてしまったもの」
「……どうして俺をこんなところに? ハザクラさんが言っていた俺の弱点になんの関係が?」
男を見る。
拷問が終わった後なのか服はボロボロで全身が血で汚れていた。
目を背けたくなるような光景だ。
少し見ただけでも爪を剥がされた形跡や殴打による内出血の痕が目に付く。
あまり気持ちのいいようなものではないため視線を逸らすと、今度は壁際に並んだ拷問器具が視界に入ってしまい辟易する。
ルダージュはハザクラの意図がまるで読めなかった。
「ごめんなさい。やっぱり貴方には刺激が強すぎたようね。でもここしかなかったの。貴方の弱点を自覚し克服するために実行に移せる場所は」
「実行って……俺に拷問でもやらせるつもりですか?」
「違うわ」
ハザクラはルダージュの言葉を否定し、真剣な顔で向き直った。
「この場所そのものはルルくんの弱点とは無関係なの。ルルくん、あの男を見て。何か気づくことはないかしら?」
「そう言われても……俯いていて顔すらわからないし」
「あの男は昨日、貴方が捕まえた湖賊の1人よ」
「え……?」
ハザクラに告げられルダージュは改めて男を見た。
気絶しているのか相変わらず項垂れたままで顔を見ることはできない。ただ湖賊の1人だと知った後だとなんとなく昨日見た賊の服装に見えなくもなかった。
(どういうことだ? 俺が昨日捕まえたから男が酷い目にあってるって言いたいのか? ……いや、ハザクラさんに限ってそんな嫌味なことを言うはずがないし理由もないはず)
「貴方が湖賊たちを倒してくれたおかげで私たちは短時間で色々な情報を得ることができた。数も多かったから信憑性も高い。もちろんこれから精査もしないといけないからまだまだ他の情報源から取り調べは続けないと駄目だけど」
「それは……良かったです。お力になれたようで」
ハザクラの言葉の端々に皮肉や嫌味などは込められておらず、純粋な感謝のみが込められていた。
だが、雲行きが怪しくなったのはすぐ後のことだ。
「全て、生け捕りにしてくれた貴方のおかげよ」
「……」
感謝されているはずなのにルダージュはなぜか責められているような感覚を覚えた。
「普通はもっと死傷者が出てしまうものよ。相手はこちらを殺す気で襲ってくるし、私たちもまた殺すつもりで対処しなければならないわ。ねえ、ルルくん?」
「……なん、ですか?」
口の中が嫌に乾く。
ルダージュはハザクラの言わんとする自分の弱点に察しがついてしまった。
「貴方、人を殺したことがないわね」
「――っ!」
「それも殺そうと思ったことすらないのでしょう?」
ルダージュは今度こそ黙り込んでしまった。
考えないようにしていた。
いつか直面するだろう、とは薄々と思っていたがまさかこんなところで指摘されるとは思ってもみなかったからだ。
「俺は、その――」
「目の前の男、罪状から死刑は確定しているの。ルルくんの手で殺していいわよ。弱点克服のために」
「そ、れは……」
ルダージュは思い出していた。
幻魔教と人間と対峙した時、倒そうとはしても殺そうとはしていなかったこと。肝心な時にその経験がなくて選択肢として浮かばなかったこと。浮かんでも一手遅かったこと。
「私がルルくんの弱点に気がついたのは最初に出会った時。鎧殻……だったかしら? 灰を纏って獣を模していた貴方から殺気を感じることができなかった」
答えられないルダージュの横でハザクラが語る。
「野生の獣ですら殺気を放つのにこの灰色の獣はどうしてこんなにも真っ白なのかしら、そう思ったわ。そしてすぐに精霊だと気付いたわ。精霊ならまだ人を殺した経験がないかもしれないから。……まあ実際は当たらずとも遠からずってところね」
「そんなに、わかりやすかったのか」
会話をするためではなく、過去を思い出すように独り言を呟く。
ルダージュは確かに湖賊たちを倒すつもりで動いていた。
魔装の力をフルで扱えるようになり全盛期の力を取り戻した自分には不可能ではない、とそう思っていたし実際に誰一人として逃すことはしなかった。
ただ、殺そうとは考えもしなかった。
「もちろん私は――いいえ、私たちアクアリゼルの民は貴方に感謝しているわ。ここだけは勘違いして欲しくないのだけれどルルくんの協力のおかげで私たちは莫大で有益な情報を得ることができたし、これからもっと手に入れられる。誰も貴方を責めてはいない。でも――」
ハザクラがルダージュを見上げ気遣うように小さく笑う。
「大変じゃない? 手加減をしながら戦うのは」
「……俺は本気で戦ってましたよ」
「知っているわ。相手を殺さないように本気で手加減をしながら戦っていたのでしょう?」
「……」
「私たちの言葉に嘘はないわ。でもそれって結局は力を抑えて戦っているのと同じことよ。頭のいいルルくんならここまで伝えなくても自分でわかっているんじゃないかしら」
ハザクラの指摘通りだ。
ルダージュは自分が力をセーブして戦っていたことを自覚させられた。
人を殺せない。あるいは殺そうと思えない。
この弱点が自分にとってどのような不利益をもたらすかは少なからず身に染みている。
克服できれば自分に限界がないこともわかっている。
「幻魔を相手にした時、あれが本当のルルくんの強さなんだって思い知らされたわ」
昨日のルダージュは湖賊を倒した後に幻魔を討伐している。両方を間近で観ていたハザクラにとって力の差は歴然だったのだろう。
「幻魔に対する殺気、あの容赦の無さを人に向けることができれば貴方に隙は無くなる。逆に克服できなければいつかそのしわ寄せが訪れるわ」
「否定できないですね」
「……伝えれば動揺すると思っていたけど意外と冷静なのね」
「いつか向き合うことになる問題かも、とは思ってましたけど頭の片隅に押し込んで考えないようにしていたことですから」
「……余計なお世話だったかしら」
ハザクラが不安げにルダージュの顔色を伺う。彼女は自分が出しゃばったことをしているという自覚はある。自覚はあるが自制をしなかっただけだ。
ルダージュはそんなハザクラを見つめ返し、諦めたように苦笑いを返した。
「時が来たんだな、と。ただそれだけですよ」
「……正直、私たちとは文字通り住む世界が違うから……貴方が敵を殺すことを躊躇う理由がわからないわ」
「人ではなく敵、ですか。そこは文化や歴史の違い――教育の影響もあるんでしょうね」
「教育、ね。ルルくんは私が泣いてしまったという話を覚えているかしら?」
ハザクラに問われ一瞬迷う。
だがすぐにルダージュは答えを思い出した。
「ここに初めて連れてこられた時に泣いたって話でしたよね。聞いてましたよ」
「そう、せっかく私が話題を提供したのに貴方が見事にスルーしたぎゃっぷもえ〜な話よ」
「ははは、拾えなくてすいません」
冗談だとはわかっているのでルダージュも軽くいなす。
「謝るなら今度はしっかりと拾って。貴方に向けて転がした私の幼い時の記憶なんだから」
「わかりましたよ……――って幼い?」
「ふふ、そうそう。ちゃんと拾えてるわ。やっぱりとっかかりは必要よね。気になる? 私が何歳でここに連れられたのか」
「……想像もできないです」
「正解は私が5歳の時よ」
「それはまた……英才教育だったんですね」
複雑な表情でそんな感想を漏らすルダージュに、ハザクラは優しく微笑みかける。
「この世界ではそれが普通のことよ。私が泣いた理由だって命乞いする罪人の表情が怖かったから、なんて可愛げのあるものだったし」
「内容は可愛くないですけど」
「でも……殺すことに躊躇いはなかったわ」
「……」
「昔、近所に初老の夫婦がいたの。幼い私によくしてくれておやつをくれたり父と喧嘩した時はほとぼりが冷めるまで匿って遊んでくれたわ」
ルダージュは口を挟めなかった。
ハザクラが語るのは全てが過去形。そして話の流れ的に夫婦がどういった未来をたどってしまうのか予想がついてしまったから。
「ある日、湖の底で男女の死体が発見されたわ。流れで察しがつくと思うけど、私がお世話になっていた夫婦の遺体だったの。彼らは遊泳中に運悪く湖賊に捕まって……鱗を全部剥がされて殺されたらしいわ」
「鱗を? どうしてそんな……」
「ルルくんの感覚じゃ理解不能ってところかしら? 地上では人魚の鱗は希少で美しく、装飾品として利用するそうよ。彼らはもう若くなかったけど鱗に関しては年齢に関係なく色艶が良かったりするから」
ハザクラが語る地上とは帝国がある北の大地のことだ。人魚を使った加工品の類はアリアデュラン王国などでは法律で禁止されているため表立って売買することはできない。
「若かったらそのまま攫われて……良くて貴族の観賞用の水槽行きか悪くて欲に飢えた人間たちの慰み者か。ここから先はあまり語っても意味はないわね」
「……ええ、そうしてくれると助かります。聞いていて気持ちのいい話じゃないので」
ハザクラがルダージュに振り返り、申し訳なさそうに笑みをこぼす。
「ごめんなさい。つまらない自分語りを聞かせてしまって」
「いえ」
「でもそれがあったからこそ私は殺せたわ。あの時拷問部屋にいたのは大切な隣人を藻屑に変えた賊の1人だった。敵討ちという意志と、恨みという感情が、私に槍を握らせ、肉に刃を沈み込ませる力を与えた」
ルダージュの常識からは考えられない常軌を逸した内容だった。
ハザクラの話をまとめると彼女は5歳の時点で手を血に染めたということになる。それがこの異世界の常識ということだ。
「想像してみて」
ハザクラが淡々と語る。
「貴方の大切な人が攫われ、穢されようとしていた時、ルルくんはそれでも殺意を抱かずにいられるか。憎悪することなんて――」
「ハザクラさん」
ルダージュにとって一番堪える状況。それはセルティアをはじめとした大切な人たちが辛い目に遭うことだ。
似たようなことはすでに起きている。
セルティアはルダージュを召喚したことで幻魔教に目をつけられ攫われた。アリアンジュも彼の預かり知らぬところで記憶を封じられ利用されていた。
頭がおかしくなりそうな経験はもう二度とごめんだった。あんなことがまた起きるくらいなら自分は――
「想像する必要すらありませんよ。俺にとって大切な人をこの手で守れるのならそれだけでいい。それが全てなんですよ」
元の世界で大学に通おうとしていた自分はもういない。ここにいるのは人型精霊だと世界に嘘をつき続けることを誓ったルダージュという召喚獣なのだ。
アリアストラで生きると覚悟したルダージュに人間であった過去を惜しむ心はない。
古い常識なんて簡単に押し殺せてしまう。
「……意外に決断が早かったわね。私の見立てではもう少し悩むと思っていたのだけれど」
「俺は自分勝手なんですよ。大切な人は自分で守りたいし幸せになってほしい。障害が俺の手で潰せるのなら喜んでこの手を差し出しますよ」
剣ダコが目立つだけの綺麗な手だ。
ハザクラは彼の手を一瞥して余計な感想を抱いた。
「ルルくんのこと見誤っていたのかしら? 本当はもう少しお話しして説得してみようかと思っていたのだけれど予定が狂ってしまったわ」
「ちなみにどんな話をするつもりだったんですか?」
「殺しにも種類があって恨みか慈悲かという選択肢もあるの。生きていることと死んでいること、どちらが辛いかわかるかしら?」
「生きていることですね」
ルダージュは即答する。
特に難しいとは思わなかった。
「あら? その心は?」
「生きているから辛いと感じる。逆に死んでしまったら辛いと感じることもできない。善し悪しの話ではなく辛いという感情を持てるか持てないかの話ですよね?」
「……これは別に一般論というわけではなかったのだけれど、ほぼ正解よ」
ルダージュが当ててくるとは思わなかったのかハザクラが意外そうに呟き、少しだけ顔を曇らせた。
「ルルくんにもそういう経験があったのかしら?」
「それは――秘密ってことで」
ふと最初の異世界での死闘を思い出したが、それはただの過去でしかない。
「ごめんなさい。野暮だったわ」
ルダージュはこれ以上語るつもりはなかったし、ハザクラもそれを察してすぐに引き下がった。
「話を戻しましょう。……恨みで生かすか殺すか、それとも慈悲で生かすか殺すか。あそこで拷問を受け続けて生かされ続ける――はたしてそれは彼にとって生きていることと死ぬこと、どちらが辛くて、どちらが楽なのかしら?」
ちなみにあの男は早く殺してくれと叫んだこともあるわ、とハザクラは締めくくる。
人を恨みで殺すことができないなら慈悲で殺すこともできる。ハザクラがルダージュに教えたのはそんなにべもない選択肢だった。
「どちらにしろこっちとしてはヤルことに変わりはないですよね」
「重要なのは心の持ちようってことよ。自分の気が楽になれる方を選ぶといいわ。ということで……」
ハザクラが壁にかけてあった槍を掴む。そのまま慣れたようにくるりと回転させて両手で持ち直し、ルダージュが掴みやすいように柄の部分を掲げた。
「弱点と向き合ってみる?」
要約するとこの槍で囚人を殺せ、と言っているのだ。
ルダージュは無言で槍とハザクラを交互に見比べた。
本気で克服させるつもりなのだろう。冗談ではないと彼女の目が物語っている。
だがルダージュは彼女の視線から逃れるように静かに目を閉じて、深く息をはいた。
そして、
「遠慮しておきます」
ルダージュから出た言葉は拒絶だ。
「……完全にヤル流れだと思っていたのだけれど、私の勘違いだったのかしら。尻込みしてしまうのも無理はないけど、いずれ直面する――」
「躊躇っている。それは否定しません」
ハザクラがわざとらしく焚き付けようとするが、ルダージュがそれを遮る。
「覚悟を決めるにはもう少し時間が必要です。でもそんなことよりもまず実行に移す前に確かめなければいけない大事なことがあります」
「なにかしら?」
異世界人からしてみれば敵を殺せないのは弱さであり甘えだ。平和な世界からやってきたというルダージュが躊躇するだろうとは読めていた。
しかし、ルダージュのもったいぶった言い草が気になるのも事実。
いったい何を確かめるというのか。
「法です」
「……はい?」
「だから法律ですよ、法律。精霊の俺が罪人であれ人を殺す――なんて法が許してくれるのか。調べないと安心できません。しかも別の都市の住人に唆されて、なんて不用意ですよ」
「……」
ハザクラは驚きのあまり口を閉じてしまった。
感情が追いつかないからできない――ではなく、法に抵触していないか不安だからできない――とくるとは思ってもみなかったからだ。
「――ぁ、言い方が悪くてすいません。でも客観的に見ても唆されているとしか思えなくて……」
黙っていたからだろう。ルダージュの言い草にハザクラが怒っている、とそんな勘違いをしたルダージュが正直な感想を述べる。
(嘘でもいいから取り繕えばいいのに)
真面目なのか嘘をこれ以上つきたくないのか。たぶん前者なのだろうがハザクラにはまだわからなかった。
「怒ってはいないわ。ただ貴方の回答が面白くて笑っていただけよ」
「普通に真顔だったような……」
「ふふ、気のせいじゃないかしら」
ハザクラが見せつけるように笑う。
「そんなことより法律ね。ルルくんは意外と……というより見た目通り抜け目がないのね」
「……これでもセルティアの人型精霊ですから。彼女に迷惑がかかるようなことはできません」
言いたいことがあったのだろうが、言葉を飲み込んで別の言葉を紡ぐ。その全てが召喚士であるセルティアの話になってしまうのはルダージュのルダージュたる所以と言ってもいいだろう。
「例えばここ水中都市アクアリゼルでは賊は問答無用で死刑ね。執行者は基本的に隊の中から選ばれるわ」
「俺みたいな部外者は当然選ばれるわけもないので本来は何もできないと」
ルダージュの言葉にハザクラはニコリと微笑んだ。
不法侵入している時点で正規の手続きを踏んでいないのはわかりきっている。本来であればここにいてはいけない2人なのだ。
あくまで弱点を自覚することがハザクラとルダージュの目的だ。克服することまでは想定されていないし、そもそも一朝一夕でどうこうできるような弱点でもない。
ようは試されたのだ。
ハザクラの問いに対し、ルダージュがどう答えるのか。
「ちなみにハザクラさん」
「なにかしら?」
「俺がもしその槍を受け取って賊を刺し殺したらどうするつもりだったんですか?」
「別にどうもしないわ。だってここで貴方が何をしようと何も変わらないもの」
「何も変わらないってそんなこと――」
ルダージュはいつまでも目を覚さない賊を見つめ、ハザクラの言葉の真意に気がついた。
「あとは私がメガネを外して黙って掃除をするだけ。ルルくんは人に刃を向ける練習ができて万々歳ってところかしら」
「……趣味が悪いですよ」
「そこは異世界の常識の違いと思って諦めてちょうだい。苦手な食べ物を丸ごと食べるより知らないところで細かく刻まれたものを食べるほうが忌避感は少ないものよ」
「人によりけりだと思いますけどね」
「誤算だったのはルルくんが食事のマナーを気にする性格だったことかしら? 丸ごと食べる覚悟があったことも私としては計算違いだったわね」
「これでも礼儀作法は人並みにあるつもりですよ」
「素手で幻魔を倒して手掴みで肉に齧り付いていたのは誰だったかしら」
「反論できないな……いや、今の例えは微妙に関係ないですよね?」
妙な言い回しが続いてしまったせいか話が脱線気味になってしまっていた。
ハザクラとしても“拷問部屋の賊は最初から死んでいて、ルダージュの練習台としてあてがった”なんて状況を明け透けに口にするのは憚られたということだろう。
「まぁどちらにしろこの場にいる理由は無くなりましたね。戻りますか?」
「そうね。ルルくんには色々と考える時間が必要だろうし、目的も果たしたわ。さっさとみんなのところに帰りましょう」
ルダージュが返事をする前にハザクラは「それに――」と言葉を続ける。
「連れてきておいてなんだけど貴方にここは似合わないわ。長居は無用よ」
「ハザクラさんも別に似合ってはないですよ?」
間髪を入れずに何の気なしにそんな返しをするルダージュ。
おべっかではない本音の言葉だった。
「それはどういう――いえ、やめましょう」
無邪気な彼にハザクラもたじたじだ。
続きがあるのなら聞いてみたいとも思ったが何だか墓穴を掘りそうな気もして慌てて首を振る。
「とりあえず帰りましょう。王国の法律については……優秀な召喚士様に確認を」
「セルティアには相談しませんよ。というかできません」
気を取り直したところに意外な返事が来た。
てっきり召喚士に相談するのかとハザクラは予想していた。だが実際は「できない」と少々穏やかではない。
「なぜ?」
「彼女にもし“そんなことしなくていい”なんてお願いをされたら俺はそのお願いを聞いてしまうからです。逆に“していいよ”と許されてしまったら今度は彼女の言葉を言い訳にして責任を押し付けることになる」
そう言ってルダージュは両手を魔装で覆い、灰色になった手をハザクラに差し出した。
「俺は自らの意思で、自分の手の色を決めます」
「それがルルくんの覚悟ってことね、わかったわ」
剣ダコが目立つだけの綺麗な手だとハザクラは最初は思っていた。だがそこにあったのは無骨な籠手に覆われた灰色の手。大切な人のために世界を騙し続ける人型精霊の手がそこにあった。
「今日のことは私からも黙っているわ」
「ありがとうございます」
「お礼を言われるのは変な感じね」
ハザクラも慈善活動としてルダージュを拷問部屋に招いたわけではない。彼女も彼女なりの思惑があって行動している。
しかもハザクラはこれからルダージュにあるアドバイスを告げようとしていた。その内容を考えると感謝されるというのは居心地が悪さに拍車をかけるだけだった。
「じゃあ法律に関しては貴方が連れてきた巫女様とあの獣人の女の子に聞くことになるのかしら」
「そうなりますね」
「ならついでに2人にも経験があるか聞いてみるといいわ」
「……」
何気ない一言のようにハザクラは告げた。
ルダージュにそう聞こえるように自然に振る舞った。
特別でもなんでもないと理解させるために。
「……教えて、くれますかね?」
何の、とはルダージュも口にしない。今更「何の経験か」なんて明言しなくても通じるからだ。
「ルルくんの態度によるんじゃないかしら。深刻そうな顔で迫られたら誰しも身構えてしまうものよ」
「だからって気軽に聞けるような話でもないんですけど?」
「大丈夫よ。私の勘が正しければ彼女たちはルルくんが頼ってくれれば期待に応えたいって思うはず。それに話したくない内容があったら言葉を濁すだけで、そこをルルくんが察してあげればいいんじゃないかしら」
「……努力はしてみます」
想像がつかないわけではない。
シルヴィエは長寿のエルフであり聖刀剣の巫女。長い人生の中で様々な敵と対峙してきたはずだ。
その手その身で斬り伏せたことは数え切れないほどあるだろう。
ただ、ティーユに関しては予想もできなかった。
どんな答えが返ってきても受け止めるつもりだがその決意はそもそも必要なのかと疑問が残る。
(こうして考えてみると俺はまだ彼女たちのことを全く知らないんだな)
相談うんぬんを抜きにしても折角の機会、親睦を深めるために改めて話をしてみるのもいいのかもしれない。
ルダージュは無意識に小さく頷いた。
「相談が終わって決意が固まった時は私に相談して。ここではない貴方に相応しい場所を提供するわ」
「場所……ですか」
「というより仕事かしら。私たちアクアリゼルの民から人型精霊ルダージュへの追加の救援要請ね」
「もしかしてハザクラさんが親身になってくれるのはそれをこなすためですか? 弱点克服もその一環だったり?」
「否定はしないわ」
勘繰るルダージュの言葉に頷き、
「もうすぐ湖賊たちの本拠地と活動拠点が割れる。私たちは準備が整い次第、信頼のおける冒険者組合に依頼し協力してリューゼル湖の湖賊を一掃するつもりよ。ルルくんには主力として参加してほしい」
「そういうことですか」
ルダージュとしては拒絶する理由はない。むしろ昨夜のお詫びとして借りを返せるのなら望むところだった。
「俺自身は問題ないです。あとは俺の召喚士であるセルティアが許可すれば喜んでやらせてもらいますよ」
「助かるわ。セルティアちゃんには私から話を通しておくわ。それとルルくん」
「はい」
「掃討作戦実行中、湖賊たちの生死は問わないわ」
「なるほど。実戦で克服しろと」
「正義の騎士が悪を殲滅する。素敵な舞台だと思わない? それに利害は一致しているはずよ」
「ハザクラさんは敵を排除できてうまくいけば俺は弱点がなくなる、と」
持ちつ持たれつのウィンウィンな関係というやつだった。ハザクラは長年の宿敵を駆逐することができてルダージュは弱点を克服するための実行場所を確保できたことになる。
最悪、実行しなくてもいい。敵を倒すだけなら湖賊船上でも行っていた。
弱点どう向き合うかはルダージュの選択にかかっている。そこにハザクラの意思は介在しない。
「じっくりと考えるといいわ」
重くなった頭を整理し答えを導くには時間が必要だ。
そして今のルダージュにとってその鍵を握るのはティーユとシルヴィエの2人しかいない。
「戻りましょうか」
ルダージュは彼女たちが待つ図書洞窟へ戻るためハザクラを静かに抱き上げた。




