図書洞窟の主
朝食を済ませたルダージュたちは人魚の案内人に連れられて都市の外れを歩いていた。
じゃばじゃばじゃば、と水に逆らう足音が重なり合うように響いている。
「私は今日から一日中書庫に籠って勉強をするつもりです。3人の予定を伺ってもいいですか?」
セルティアが振り返り顔色を伺うような視線をよこす。
真っ先に答えたのは彼女の後ろを歩いていたティーユだった。
「探検してくる」
「……探検」
「グレンラタンと一緒に水中都市を色々見て回る」
「それを言うなら観光では?」
セルティアの指摘にウサ耳少女は首を振った。
「探検であってる」
こだわりがあるのだろう。
ティーユは頑として譲らなかった。
セルティアも間違いを指摘したつもりではなく疑問を口にしただけなので「なるほど、では気をつけて行ってきてくださいね」と素直に引き下がる。
「シルヴィエ先生のご予定は?」
『読書』
ティーユが答えている間に書いたのだろう。
筆談用の携帯型黒板には簡潔に単語だけ一言。
そして「一緒にいてもいいかな?」と確認するようにシルヴィエが小さく首を傾げた。
「読書なら私と同じようなものですね。何かわからないことがあったら質問してもいいですか?」
『任せなさい』
セルティアが頷き、シルヴィエがそれ以上に頷き返す。教師として頼られたのが嬉しいのだろう。
「ルダージュはどうしますか?」
「俺はハザクラさんと昨日の話の続き、かな。書庫で落ち合ってそこからはハザクラさん次第だ」
「続き……というと、今朝の話のほかに何かあったんですか?」
「んー詳しくは教えてもらってないんだけど俺がもっと強くなるための方法をハザクラさんは知っているらしい。だからそれをご教授願おうかなって」
「ルダージュを強くする方法ですか……ちょっと見当もつかないですね」
「お兄ちゃんはすでに最強の騎士」
『聖刀剣を継承した次代の勇者』
「持ち上げすぎだよ」
騎士やら勇者やらと肩書きの多い自分に呆れつつ、ルダージュはシルヴィエが書いた『聖刀剣』の文字を見つめた。
巫女姉妹との特訓で剣技の腕はそれなりに上達し、武器を振っても様になるまで成長した。だが、伝説の聖剣と聖刀を扱うにはまだまだ未熟であり、使いこなせていないのも事実だった。
(そもそも聖刀剣は許可が下りないと握ることすらできない――っていう建前という名の約束があるからおいそれと頼れない。それに現段階だと俺の場合は鎧殻を纏った方が安全で強い)
魔法を弾く魔装の鎧である鎧殻と魔法で身体強化を施す聖刀剣。どちらも強力ではあるが相性はあまりよろしくない。
(その問題をクリアする画期的な策はみんなで考えたし一応テストも済ませている。だけど実戦で試す機会がないんだよな)
シルヴィエがわざわざ『聖刀剣』を文字に起こしたのはアピールだ。
“ルダージュは私たちの勇者で、聖刀剣も彼の力の一部である”と主張している。聖刀剣の巫女として活躍の場がないことへの不安がその一文には秘められていた。
(魔装でも剣や刀は模造することはできる。それを差し置いて2人に……オリヴィエとシルヴィエに頼らなければならない状況なんてあるのだろうか)
武器として頼ることに気が引けているルダージュと、どんな形であれ頼られたいシルヴィエと同じ想いの姉。3人の胸懐が水面下で錯綜する中、一行は目的地へとたどり着いた。
「ここが水中都市の書庫――通称『図書洞窟』の入り口になります」
案内人の人魚が手のひらで指し示した先には水の壁があった。
「……滝?」
勢いよく流れ落ちる水流を見上げ、ルダージュが呟く。
洞窟の入り口らしき空洞は見当たらない。
「もしかして滝の裏に入り口が?」
「精霊様のお察しの通りでございます。出入り口はこちらにしかないため滝の下を潜ることになります」
「これから本を読みに行くのに濡れ鼠にならないといけないのか」
「ご安心を。図書洞窟に所蔵されている全ての書物には防水魔法がかけられております。濡れていたところで問題なく閲覧可能です」
「あはは」
文化の違いに乾いた笑いを返すしかない。
そもそも体や服を濡らしたくない――というニュアンスだったのだが伝わらない。
人魚たちも図書洞窟に他の人種を招くのは初めての経験だったのだろう。
気の回し方が微妙にズレていた。
「確認したいんだけどいいですか?」
「どうされました?」
「この図書洞窟に入るには滝に打たれないと入ってはいけない――なんて決まりとかありますか? 水で体を清めるとかそんなしきたりがあるとか」
「? いいえ? 水の壁により虫の侵入を防ぐ目的もありますが、利用者に対しては特にこれといった理由はありません」
人魚だから水に濡れのは当たり前なので質問の意図すら理解していないようだった。
ルダージュは「なるほど」と小さく頷き、滝に向けて手をかざした。
「じゃあ遠慮なく割らせてもらおうかな」
「いったい何を……っ!?」
人魚が見上げた瞬間、滝が二股に別れて洞窟の入り口が顔を出した。
流水を引き裂くように割ったのは、ルダージュの魔装によって作られた巨大な屋根だった。
「ほら、セルティアたちは先に通って」
「ありがとうございます、ルダージュ」
「やっぱり魔装は便利」
「……!」
ルダージュが促すと、セルティアがお礼を言ってティーユが小さな感想を漏らし、シルヴィエが静かに頭を下げた。
エレベータで『開』ボタンを押した時と同じ感覚に陥り、なんとも変なところで懐かしさを感じてしまうルダージュだった。
「えっと、人魚のお姉さんは洞窟には入らないんですか?」
「――あ、すいません呆けてしまって。さすが精霊様ですね、そんな入り方があったとは。こちらのことはお構いなく」
しきりに頷いた後「さて」と切り替える。
「これから別のお仕事があるのでここで失礼させていただきます。中ではきっと司書隊長が埋まっているはずなのでわからないことがあれば彼女に聞いてください」
では、と案内役を務めた人魚が踵を返し、近場にあった水面に向かってダイブした。そこは水深が深い場所だったのか彼女が浮かび上がってくることはなかった。
潜水で移動できる人魚専用の水路である。
「潜っちゃった……落ちないように気をつけないと」
水面を覗き込みながら独り言ちる。
ただ落ちないようにとは言ったものの人族の足でも歩ける道と人魚専用の水路には石で境界線が敷かれているため一目瞭然だ。余所見をしない限り落ちることはないだろう。
「人魚でも急に深いところには落ちたくはないってことか」
勝手に納得していると滝の落ち口からセルティアの声が響いた。
「ルダージュ! こっちですよー!」
「ああ! 今行く……!」
雨宿りならぬ滝宿りを潜り抜ける。
「意外と入り口は広いんだな。魔導具の明かりもあるし迷うことはなさそうだ」
「ガイドさんはどちらに?」
「別の仕事があるって。ここからは司書隊長――たぶんハザクラさんのことでいいと思うんだけど、彼女が待ってるってさ」
「いよいよ司書隊長という肩書きの謎が解き明かされるのですね。ワクワクしてきました」
「読んで字の如く、だと思うけどね」
シルヴィエが書いた達筆な『司書隊長』の文字を横目に見ながらルダージュは苦笑する。
「早く、いこ」
ティーユに催促され洞窟の中を歩き進む。
そうすると1分も経たないうちに開けた場所へと出ることができた。
「ここが『図書洞窟』ですか……」
「……おー」
「その名の通りだったな」
『きれい』
4人が感嘆の息を漏らす。
図書洞窟とは文字通り洞窟を書庫として利用している空間のことだ。洞窟内部に本棚をずらりと並べ、アクアリゼルの住民たちが記録または収集した書物を保管する。
人魚の歴史そのものとも言える場所だ。
周囲は淡く光る鉱石で埋め尽くされており、照明器具を必要としないほど明るい。
後ろ暗いことなど何もない、と証明するような絢爛な光だった。
「予想はしていたけど中も水没してるんだな」
湖が真上にある、という立地が関係しているのか、天井や壁からは水が流れ落ちていた。
「あそこの壁際の本棚。上から流水に打たれて水没していますね」
「見て、この水たまり。本が沈んでる。おだぶつ」
一見、めちゃくちゃだ。
めちゃくちゃだが、不思議と説得力がある。
「さすがは人魚の図書館ってところか」
水と紙。
相性最悪の両者だが、”人魚の図書館”というだけで謎の調和が生み出されていた。
「ティーユ。その水の中にある本、試しにとってみてくれないか?」
「サルベージ!」
ウサ耳少女が近くにあった水溜まりに腕を突っ込み「とったどー」と掴んだ本を掲げた。そしてそのまま流れるようにルダージュへと手渡す。
テンションは高いが顔はほとんど無表情だ。
「ありがとう。……っと、冷た」
本に触れて「冷たい」なんて感想を抱いたのはルダージュにとって初めての経験だった。そして水浸しになった紙の束をめくるのも初めての体験だ。
「防水魔法か。本当に水を弾いてる」
ページをめくる手は濡れていくのに、紙にはシワひとつない。
ルダージュはその不思議な感覚に身を任せて数ページほど読み進めた。異世界言語で書かれているため内容はほとんど理解できなかった。
「洞窟の水だから水温が低いな」
「本の感想じゃないんですね」
思いがけないルダージュの指摘にセルティアがくすりと笑う。
「まだまだ勉強が足りなかったみたいだ――っと、そんなことよりセルティアはここの本を読みながら勉強をするつもりなんだろ? それだと指先が冷えて勉強どころじゃないぞ」
「あー……そうですね。でも大丈夫ですよ。ハザクラさんにお願いして熱源になるような魔導具、もしくは魔法の使用許可を貰うので」
「それがいいと思う。あとは……ちょっと手を出してくれるか?」
「こうですか?」
セルティアがルダージュに向けて両手を差し出した。理由を聞くことすらしない。
「じっとしてて」
その手を取り、ルダージュが意識を集中させるとセルティアの手が灰色に染まり始めた。
「これは……魔装の手袋、ですか?」
指先からジリジリと魔装の膜が覆い隠していく。その侵食がセルティアの前腕部まで達するとルダージュは「こんなもんか?」と彼女の手を放した。
「直接触るよりマシだろ?」
ゴム手袋のない世界だ。手袋の類いは水に濡れてしまえば乾かすしかない。その点、魔装で作られた手袋なら水の侵入を防ぐことができるので冷水に手を晒すということもなくなる。
「ありがとうございます、ルダージュ。相変わらず器用ですね」
「どういたしまして。邪魔になったら脱いでもらって大丈夫だから」
「ふふふ、これで私も灰騎士の1人ですね!」
セルティアが謎のポーズをとる。
当然、ルダージュは今までにそんなポーズをとった覚えはない。
「鎧殻のような防御力は無いけどな。……ん?」
ふと、視線を感じ振り返る。
「ティーユ……?」
そこにはじっとルダージュを見上げるティーユの姿があり、2人は自然と見つめ合う形となった。
ルダージュの真後ろにティーユが立っていたので距離も近い。
「……」
「……」
無言で見つめ合うこと数秒。
先に焦れたのはルダージュだった。
「ティーユも、着けてみるか?」
「んーん」
意外にもルダージュの提案は拒否られてしまった。
ノリのいいティーユなら二つ返事で食いついてもおかしくはない誘惑のはずだった。
だが何か思うところがあったのか小さく首を横に振ると「それだと意味がないから」と独り言のようにつぶやいた。
「意味がない……? ここで勉強するわけじゃないからいらないってことか」
「……」
ティーユは肯定も否定もしなかった。
その代わり謎のポーズをとることで応えた。
セルティアの真似だろうか?
ティーユを除く他3名で顔を見合わせるが彼女の真意は誰にもわからなかった。
「とりあえずハザクラさんを探しましょうか」
いつものマイペースだろう、ということで納得し空気を変えるようにセルティアが手を打つ。
「じゃあこれも片付け――」
「ん」
ルダージュが手に持った本を元の場所に戻そうとする前にティーユが両手を差し出した。
これは問わなくてもわかる。
自分が片付けるよと言っているのだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
本を手渡す。
受け取ったティーユは近くにあった水溜まりに向けて投げ入れ――るようなことはせずに、ゆっくりと水の中へと本を沈み込ませた。
「リリース……!」
「魚じゃないんだから」
小さなボケにツッコミつつ、一同は改めて図書洞窟を見渡した。
番人である司書隊長の姿はまだ見えない。
無駄話をしている間に迎えにきてくれないかと期待していた者もいたのだが、そううまく事が運ぶこともなかった。
「あからさまなのは正面のアレか」
ルダージュの視界の先には本が山積みになったテーブルがあった。
図書洞窟内は半円状のコンサートホールのような形をしていた。中心部の段差が高くなっていて、まるで観客席の一望するためのステージのようにも見える。
そこに本に埋もれたテーブルが置いてあるのだ。
「“図書”洞窟なので、たぶん受付カウンター的なものかと」
「やっぱりそう思うよな」
セルティアの推測にルダージュが同意する。
高低差の関係もあり、洞窟内を見渡すには絶好の位置である。しかも図書洞窟の出入り口をまっすぐ奥に進めば辿り着ける場所にあるので、一目でわかる。
『行ってみよう』
シルヴィエの言葉に押されゆっくりとした足取りで近づいていく。
近づけば近づくほどわかる本の山。大小合わせても百や二百では利かない冊数だ。
返却済みの本を片付けていないのか、はたまた読み終えた本を積んでいるだけなのか、その逆か。
積み上げた本人を問いたださない限り疑問が解けることはないだろう。
「階段みたいに段差になってるのか。魔装の足場は……必要なさそうだな。ただ、水で濡れてるから足下に気をつけて」
ルダージュが先に上りセルティアの手を取る。階段といっても勾配が緩やかな平階段のようなものなのでそこまで危険ではない。
魔装で足場を作ることも不可能ではないのだが、水中都市の滞在期間を考えれば歩き慣れた方がいいという結論に至り魔装による補助は極力控えている。
「ティーユにシルヴィエも。ここが滑りやすくなってるから手を取って」
そんな背景もあるが、だからといって手助けをしてはいけない、というわけでもない。
「くるしゅうない」
相変わらずのバニー娘と、
「……!」
少し照れ気味のエルフ巫女を順々にエスコートし、4人は図書洞窟の受付らしきカウンターへとたどり着いた。
「本の山、ですね」
「ああ、本の山だな」
山のように積み上がった本を前に、それ以外に形容する言葉が見つからない。
燃やしてお焚き上げでもするのかと勘繰りたくなるほどの物量に圧倒されるが、ここは火気厳禁の図書洞窟。ルダージュの頭をよぎった考えはただの邪推でしかなかった。
「ここがもし本当に受付なら司書の――司書隊長のハザクラさんがいてもおかしくはありませんよね」
「でもどこに……」
ふとルダージュは先程までガイドをしてくれた人魚の言葉を思い出す。
『司書隊長は埋まっているはずなのでわからないことがあれば彼女に聞いてください』
「聞いてくださいって言ってもさ、そもそもその司書隊長の行方がわからないんだけど……埋まってるってまさかそういうこと?」
試しにセルティアが「ハザクラさーん」と呼んでみるが反応はない。
「生きてますかー? 返事してくださーい!」
本物の山ならばやまびこでも返ってきそうな勢いだ。実際は本の山を相手にしているだけなのでスケールも何もかも物足りない。
しかし数秒後、変化は訪れた。
火山が噴火――もとい本の山の麓から人の腕が噴き出したのだ。
それはしなやかな女性の腕だった。
「……もう、うるさいわね」
熱い溶岩ではなく、芯まで冷えるような声が文句を噴出させている。
「誰? 補佐? 昨日はずっと働き詰めで、寝れていないのよ? 報告書だってやっと書き終わって……ふぁっ」
本に埋まっているためかくぐもった声とあくびしか聞こえてこない。
だがその声は忘れるはずもないハザクラのものだった。
「……重い」
彼女は寝起きのせいか力が出ないようで、上に積み上がった本を退かすことを早々に諦めていた。
ルダージュが「手助けしましょうか?」と一声かけようとした瞬間には、唯一露出していた腕も引っ込んでしまった。
「すぐ出るから待ちなさい。……もう、どうして私は毎回毎回こうなのかしら」
テーブルの下を潜って這い出てくるつもりなのだろう。生き埋めになっていたことを嘆く声と本を掻き分けるような擦る音が聞こえてくる。
そうして――
「ぷは」
テレビから幽霊が出てくるホラー映画のようにハザクラが本の山から顔を出した。
「待たせたわね。今日も予定が詰まってるからあなた達はいつも通り副隊長の指示に従って動くように」
誰か別の人間――おそらくここまでの案内役を務めた人魚の女性と勘違いしているのだろう。
ハザクラは寝ぼけ眼をこすりながら、カチャカチャと小さな金属音を鳴らした。
「私もこれからルルくん――人型精霊との約束と幻魔討伐の報酬の件で待ち合わせが……」
「あったので来ちゃいました」
「――え?」
見上げたハザクラの瞳と見下ろすセルティアたち一行の視線が絡み合う。
「おはようございますハザクラさん。本日はお世話になりますね」
「セルティア、ちゃん? それにルルくんたちも?」
くたびれた美人――完全オフモードのハザクラが丸渕メガネの奥で目をぱちくりさせる。
彼女は昨日の装いとはまるで真逆の、それこそルダージュが想像する文学少女のような服を着込んでいた。
全体的に地味でゆったりとしており、セーターの上にストールをような物を羽織っている。昨日の踊り子衣装のような露出や派手さは影も形もない。
これが“司書”隊長ハザクラの本来の姿なのだろう。
「おはよう? どうして、ここに?」
状況が飲み込めていないのか寝ぼけているのか。ハザクラは眼鏡がずり落ちそうになっても気にも留めない。
「人魚のおねーさんに連れてきてもらった」
「お姉さん……補佐官のことかしら……。彼女はなんて?」
「……」
ティーユが助けを求めるようにルダージュを仰ぎ見た。案内役の人魚からは『図書洞窟へご案内しますね』と連れてこられただけなのでハザクラが求めているような回答は持ち合わせていない。
ティーユとしては「特に何も聞いてない」としか答えられないのでルダージュにバトンを渡すしかなかった。
「彼女からはハザクラさんはここで埋まってるからわからないことがあれば聞いてくれ、としか……」
「そう、なの、ね……」
気不味そうに顔を背けるハザクラに、昨日の隊長として凛々しさや踊り子としての艶麗さはない。
「……もしかして私、寝過ごした?」
どこか伺うような上目遣い。
「ハザクラさんが図書洞窟まで案内してくれる予定だったのなら……たぶん」
ルダージュとしてはフォローしてもよかったのだが言葉が見つからなかった。周囲にいたセルティアたちも同様でかける言葉が見つからず苦笑で誤魔化した。
「ごめんなさい。連日の疲れと緊張の緩みで油断してしまったみたい」
「お気になさらず。私たちはこうして図書洞窟にお邪魔できていますから問題ありません」
「そうですよ。誰にでもそういうことはありますし、それに昨日は俺も色々と迷惑をかけてしまったから――」
おあいこです、とは口が裂けても言えなかった。
どう考えてもルダージュの迷惑の比重が重く、口にすればイタチごっこのように気を使い合うことが目に見えていたからだ。
だからハザクラも礼儀の範疇を超えてしまうような過度な謝罪は不要だと考えたのだろう。
ふっと表情を和らげて静かにはにかむ。
「ありがとう。そう言ってもらえて気が楽になったわ」
でも、とハザクラは何故か気恥ずかしそうに言葉を続ける。
「非常に申し上げにくいんだけど、挨拶ついでに助けてもらえないかしら」
「助ける?」
「下半身が挟まれて抜け出せないの。だから――」
ハザクラはルダージュに向けてゆっくりと両手を広げ“抱っこして”のポーズをとる。見た目は昨日と異なるが中身はやはりハザクラのままだった。
ただ昨日とは違ってイタズラな笑みを浮かべる余裕はなさそうだ。
「……もしかして、ハザクラさんって意外とポンコツ?」
「くっ」
ルダージュの評価に反論できなかったのかハザクラは悔しそうに顔を歪ませ呻くだけだった。
昨日は父に騙され踊り子同然の服でルダージュたちを出迎え、道中で湖賊たちに捕まった。今日に至っては朝から寝坊し書類の山に埋もれて身動きができない。
言い訳などできるはずもなかった。
「……そんなこと、ないわよ?」
できるはずもないが、認めるのも癪なのでそっぽを向いてやり過ごす。無駄な抵抗だとわかっているからか頬はずっと赤いままだ。
「またひとつハザクラさんのことを理解しましたよ」
「……なにかしら?」
「揶揄われるのは苦手――」
「っ」
「な美人な人魚のお姉さん」
「……よく、わかってるじゃない」
敗北宣言でもするかのようにハザクラが改めて両手を広げた。
ルダージュは静かに頷き、図書洞窟の主を抱き上げたのだった。
±
「それにしても図書洞窟から離れてもよかったんですか? ハザクラさんは一応あそこの司書なんですよね?」
「いいのいいの。利用者なんてほとんどいない倉庫みたいなもので司書隊長なんて肩書きもあだ名みたいなものよ」
約束通りルダージュを連れ出したハザクラは肩越しに振り返り苦笑を返す。
図書洞窟でセルティアたちと別れた2人。ハザクラの先導に従い、ルダージュは薄暗い廊下を進んでいた。
そこは図書洞窟とは別の洞窟であり、アヒルの子供のようにハザクラの後ろを付いて歩くルダージュには現在地がどこなのかもわからないほど入り組んだ場所だった。
床板を張ってはいるがそれも最低限。
灯りもハザクラが手に持っている魔導具のランタンのみ。
まるで補装することを途中で諦めてしまったかのような中途半端な道だ。
「ルルくんこそ平気?」
「何がですか?」
「こんな道なき道みたいなところを歩かされて、しかも召喚士と離れ離れになっちゃって問題ないのかしら」
「そりゃ……最初は面食らいましたけどハザクラさんの案内なら疑う理由もないし、それに彼女は……」
ルダージュが足を止める。
「ルルくん?」
それに気がついたハザクラも歩みを止めた。
「セルティアは……俺から隠れて学習していることが多いんですよ。元々1人で勉強をすることは多かったと思うんですけど、ここ最近は特に顕著で……たぶん気を使わせたくないのかなって」
「勉強中に引き離されたのは丁度よかった?」
「ま、そんなところです」
「ふ〜ん」
返事は素っ気ないがハザクラは興味深げな流し目を送った。
「よく見てるのね。セルティアちゃんのこと」
「これでも彼女の召喚獣ですから」
自嘲気味に――ではなく誇る様にルダージュは語る。
「セルティアにどんな思惑があるのかははっきりとはわからないけど、勉強をしている姿を俺に見せたくないのならその気持ちは尊重したいなって。俺がこうやってハザクラさんに付いていくのを彼女が何も言わずに認めてくれたように」
「素敵な関係ね」
「この世界には来たばかりですけど色々ありましたからねぇ」
「精霊と呼ばれるし、幻魔とは戦わないといけないし?」
「人魚のお姉さんと洞窟デートのオマケ付きですよ」
「あら? オマケ扱いはいただけないわね。こんな綺麗な――でも、ないか。今のは忘れて頂戴」
軽口を言い合っていたハザクラが自身の姿を見下ろし口を噤んだ。彼女の服装は図書洞窟から変わっていない文学少女スタイル。使者としてばっちりお洒落していた時とは違って自信がないのだろう。
「俺は好きですけどね。学校の図書室にいそうな落ち着いた感じが可愛いです」
「嘘よ」
「心外だな~ギャップ萌えってやつですよ」
「ぎゃっぷもえ~? 都会の言葉かしら? それとも貴方の世界の言葉?」
「俺がいた世界の、ですね」
「もえ~ね。じゃあ誉め言葉として受け取っておこうかしら」
休憩は終わりだとばかりにハザクラが進みだしルダージュが後を追う。
だが会話は続けたかったのか流れるようにハザクラが口を開く。
「正規ルートじゃないから険しい道のりになってしまったけど目的地までもう少しの辛抱よ」
「それは朗報ですね。さすがの俺もここまで狭苦しくて暗いと気が滅入るので」
慣れていない洞窟歩き。
ランタンの光がなければ真っ暗な道のりで酸素も少ない。それに薄暗い場所を歩き続けると前の異世界を思い出してしまうので面白いものではなかった。
「でも正規ルートっていうのは? そっちの道じゃ駄目だったんですか?」
ハザクラを非難するわけではないがルダージュが疑問を抱くのは当然だった。
正規ルート。
つまりはちゃんとした道が他にあったということだ。
「駄目、と言うわけではないけど……」
ハザクラがルダージュの足を見ながら困ったように笑う。
「水の中に潜らないといけないの。嫌でしょ?」
「そういうことですか……」
道は道でも人魚専用の水中。
泳げるからといって全身ずぶ濡れになりながら水中遊泳――というのはさすがのルダージュも気後れする。なにより人魚であるハザクラを追いかける自信がない。
「どちらにしろ見張り番がいて説得するのが面倒だったから」
「見張り? ……今更ですけどいったい俺をどこに連れていくつもりなんですか?」
ルダージュの弱点を自覚し向き合える場所。
本人はその弱点が何なのかわかっていないので見当もつけられなかった。
「楽しいところではないのは確かね。あえて言葉にするなら――」
勿体ぶる――というより口にするのを憚られる場所を誤魔化すように、ハザクラは告げた。
「死に最も近くて最も遠い場所、かしら」




