誓約書
「まず、これを読んでください」
ルダージュは目撃者であるハザクラを始末するために彼女の口を塞ぎその首を絞め――なんて展開には勿論ならなかった。
代わりに彼の手から突き出されたのは1枚の書面だ。
「……血だらけね」
色々と言いたいことが山ほどあったハザクラだったが、まとめて引っ括めた途端にそんなどうでもいいような非難の言葉が口を衝いて出た。
人型精霊の秘密を目撃してしまった自分に対し、最初のアクションが1枚の紙切れでいいのか、と。
もっとこう「違うんです!」とか「誤解だ!」とか慌てふためいたり誤魔化したりしてもいいのに、と思ってしまう。
しかも幻魔を手掴みで貪っていたその手で渡してきたので紙が幻魔の血で汚れているのだ。
ドン引きというよりかは困惑が大きくなる。
「あ、大丈夫ですよ。幻魔の血ならすぐに塵のようになって消えるんで汚れも落ちます」
「詳しいのね……って、そういうことじゃないのよ」
どこかズレてるな、と思いつつハザクラはルダージュから紙を受け取った。
ハザクラは極めて冷静だった。
どう考えても知ってはいけない人型精霊の秘密の一端を目撃はしたが、ルダージュ本人が他を害するような存在ではないと理解しているからだ。
この局面で手渡してきた物なら紙切れ1枚でも何かしらの意味はあるのだろうと、手始めにざっと全体を見通し――そして気付く。
「ここの連名と捺印ってアリアデュラン王国の王と勇者アルス?」
「そうです。有事の際の備えとして、俺の秘密がバレた時はそれを相手に見せろと2人が用意してくれたんです」
「有事、ね……」
ルダージュが渡した書面には“ルダージュに関する全ての情報の口外を禁止すること“それと同時に”協力に感謝し報奨金を支払うこと”が明記されていた。
誓約書は今回のような不測の事態を想定し、先手を打つためにマクゼクト王と元勇者アルフォスが用意していた策である。
平和的な解決と交渉をするためだ。
「つまり今の私には強制的に守秘義務が発生していて、尚且つ国王と勇者個人から口止め料が支給されるってことね。わーすごい待遇だわ」
予想外の対応に面食らうハザクラだったが「すみません」と申し訳なさそうな顔をしているルダージュを見て少し嫌味っぽかったかもしれないと反省した。
困らせたいわけではなく、意図的にわざとらしくしたわけでもなかったからだ。
ただ、本当に驚いているだけなのだ。
ルダージュが人型精霊で聖刀剣に選ばれし現代の勇者であることは有名である。
元勇者とも巫女とも懇意にしており国王とも面識があることは周知の事実だ。
その国の重要人物が“幻魔の肉を食う精霊”の秘密を知っていて、さらには隠し通そうと暗躍しているのだ。
驚かないわけがない。
しかも手厚い待遇まで約束している。
書面に書かれている報奨金の参考価格なんて地上で数年は遊んで暮らせる額だ。
絶対に隠し通そうという本気の度合いを感じさせるには十分な内容だった。
「貴方、何者なの?」
「……」
ハザクラの苦笑に紛れた疑問。
ルダージュは一瞬だけ言葉に窮するが、
「俺はセルティア・アンヴリューの召喚獣ルダージュ。それ以上でもそれ以下でもない」
と宣言してまた口を閉じた。
紙に付着していた幻魔の血はいつの間にか綺麗さっぱり消えていた。
「……さすが王宮が用意した紙ね。形も正確で材質も高品質。私はこれに署名をすればいいのかしら?」
「協力してもらえると助かります。お礼……お詫びに俺もできる限りのことはします」
ルダージュが頭を下げた。
「他言はしないわ。というより言いふらした瞬間に国賊扱いになるみたいだから命令には従うわ。アクアリゼルの人魚としても王国と事を構えるつもりもないから」
「巻き込んでしまってすみません。まさか見られてるとは思ってませんでした」
「謝るなら私もよ。貴方が何をするのか気になって後をつけていたんだから。自業自得ってこと」
「なんでそんな……いや、挙動不審だったのか」
一人問答を始めるルダージュをよそにハザクラは「それよりも――」と会話を続ける。
「全部、本当のことなのね」
「……え?」
「見間違いなんかじゃなくて、本当に幻魔を食べていたってことなのね」
ハザクラの問いにルダージュは頷く。
「あまり驚かないんですね」
「まさか! 驚いてはいるわ。なんなの、あれは」
「それは……」
どう答えたものかとルダージュが悩む前にハザクラは矢継ぎ早に質問をする。
「なんで手掴みだったの!?」
「……はい?」
気にするとこ、そこ? と面食らう
「宴会の時は食べづらいからって2本の棒を自前で用意してお行儀よく食事をしてたのに……っ!」
「お箸のこと、かな」
「精霊って不思議な食器を使うのねーって関心していたの。でも幻魔の肉は手掴みで、引き千切って、そのまま齧り付いていたのよ? ワイルドになり過ぎじゃないかしら?」
「なる、ほど……?」
ハザクラの謎の説得力に気圧されて納得しかけるルダージュだったが、彼女の意図を理解し思いとどまる。
(最初にとぼけた質問をして場を明るくしようとしてくれているのか。頭が上がらないな)
であれば話に乗っかるのが礼儀というもの。
「切り分けた幻魔の肉は早く食べないと灰になって消えるんで、それに悠長に焼いてたら今度は灰じゃなくて炭になっちゃいますよ、きっと」
「ふーん」
生返事である。肉だけに――とか返したら叱られそうだな、とルダージュは思った。
ハザクラとしては前振り過ぎないため答えはどうでもいいのだ。それはルダージュも理解している。
本命は次だ。
「――で? ルルくんはどうして幻魔の肉を食べてたの?」
直球である。
誤魔化しも建前もない。
純粋な疑問とハザクラのまっすぐな眼差しがルダージュを貫いた。
「強くなるためです。俺は幻魔を食べると強くなることができます」
だからルダージュは本音で答えた。
嘘偽りのない真実であり、ハザクラに対する誠意でもあった。
だが、彼女は眉をひそめた。
「強く? 私たちが手をこまねくことしかできなかった幻魔を一撃で倒せるのに、まだ強くなりたいの?」
「はい。俺はまだまだ強くなりたい。大切な人をいつまでも守れるぐらい、強くなりたい。そのためならなんでもできますよ」
「ふ~ん、幻魔を食べることで強く、ね。そんな話聞いたこともないわ」
まだ隠していることがあるのね? という意味ありげなハザクラの視線に、ルダージュは苦笑することしかできない。
秘密がバレてしまったからといってすべてを打ち明ける必要はない。
ハザクラはまだ書面にサインをしていないのだ。軽率な行動はこれ以上できなかった。
「……そうね」
ハザクラは何か思案するように口元に手を置き、すぐにルダージュを見上げた。
「貴方が強くなるための別の方法を知っている……って言ったら信じるかしら」
「……」
ルダージュは応えず、次の言葉を待った。
「ルルくんの秘密をすべて教えてくれたら、私も貴方が強くなる――いいえ、貴方の弱点と克服する方法を教えるわ」
誓約書にサインする姿を見せつけ、ルダージュに突き返す。
「秘密は守るわ。ここまできたら一蓮托生なんだからルルくんのことを知ってみたいわ。その見返りとして貴方が気付いていない弱点を指摘してあげる」
「俺が気付いていない弱点、ですか?」
情けない話、ルダージュには見当もつかなかった。
召喚士セルティア・アンヴリューの召喚獣であり、世界の敵である幻魔を倒せる存在。聖刀剣の勇者、伝説の人型精霊ともてはやされ、畏怖の念を抱かれてきた。
ハザクラの言葉はルダージュにとって新鮮だった。
「否定はしないのね」
「自分では気づけないから、弱点なのかもしれません」
「私が嘘をついているとは思わない?」
「こんな時にハザクラさんが嘘をつくとは思えませんね」
「あら?」
「嘘をついているのは俺ですから」
ハザクラが喜ぶのも束の間、ルダージュが意味深な台詞を呟いたことで中断された。
「へぇ? それはどういう意味なのかしら?」
「実は――」
ルダージュはハザクラの提案に乗ることにした。
簡単に今までの身の上話を始めて自分が異世界の元人間で嘘つき精霊であることも話す。
ハザクラという人物の性格や立場を踏まえ、毒を食らわば皿までと判断した。
何より弱点を指摘できるという甘言に揺れた。
召喚獣として、騎士として、強くなるためには手段を選んではいられない。
「――以上です」
「……ありがとう。想像していた範疇を軽く超える内容だったわ」
ルダージュの秘密を聞き終えたハザクラが何かに納得したようにうんうんと頷いている。
「でもこれでわかったわ。貴方がなぜその弱点を持ったままなのかとその裏付けも、ね。明日、時間はある? 付き合ってほしい場所があるの」
「セルティアが書庫で勉強をする予定なので、その間なら」
「じゃあ、その時に教えるわ」
「随分ともったいぶるんですね。俺としてはすぐ教えてほしいんですけど」
「安心して約束はちゃんと守るわ。明日は弱点を克服できる場所にいくつもりなの。実感できた方が説得力もあると思うし、貴方が覚悟を決めればその場で強くなれるわ」
「……わかりました。明日、楽しみにしてます」
ハザクラは気まずそうに笑い、口を開く。
「少し、心が痛むわね。きっと楽しいことにはならないもの」
±
「あら? もう帰るの?」
ハザクラが目を丸くする。
内談が終わって早々にルダージュが帰り支度を始めたのだ。水を差した張本人としては気が気ではない。
「もしかして私が邪魔をしてしまったから?」
「え? あ〜……いや、そういうわけじゃなくてですね」
歯切れが悪い。
本音を言うか迷っているような顔だ。
「私がいて気が散るというのならすぐに席を外すわ。安心して。ここは本来立ち入り禁止区域だから他の人魚に見られる心配はもうない。なんなら貴方の食事が済むまで私が周囲を見張ってもいいわよ? それくらいはお詫びに協力させて」
有無を言わせぬ早口だった。
元人間が精霊と偽りながらも約束を守るために戦っている。
人魚としては同族意識のようなものを覚えてしまう境遇だ。そんなルダージュの事情を知ってしまった今、自分が原因で彼の覚悟の妨げになっているという現状は我慢ならない。
「幻魔を食べている時、辛そうな顔をしていたわ。本当はもう食べたくないのでしょう?」
「……よく、わかりましたね」
やっぱり、とハザクラは心の中で納得する。
ルダージュは幻魔を食べたくない。でも、それでも強くなるために人目を忍んでホロコ島へと足を運んだ。
その覚悟を自分は邪魔してしまったのだと、ハザクラは後悔していた。
そんな高尚な勘違いをしていた。
「実はもうお腹いっぱいだったんですよね」
「そうよね。幻魔を食べる姿なんて見られたくないわよね。大丈夫、私が力になるから貴方はお腹いっぱい食べることに……え?」
「んん?」
会話が噛み合わずお互いに首を傾げた。
「お腹いっぱい……ってどういう意味?」
「え? どういう意味も何も、もう食べられないよってことですけど」
「……」
「……」
頭の悪そうな会話の後、沈黙が降りた。
「……食べている時、辛そうな顔をしていたわ」
「食べ過ぎのせいですね。お腹が苦しくて」
「嘘よ! 最初から辛そうにしてたわ……!」
「宴の料理が美味しかったんで調子に乗り過ぎました。おかげで幻魔を食べることを失念しててこの有様です」
「な……! じゃ、じゃあ、幻魔の肉を食べることに悲観してるわけじゃなくて……?」
「肉を食べるのはもう開き直ってるんで今更ですね」
「えぇ……?」
絶句である。
顔を歪ませながら幻魔の肉を食べていたルダージュ。ハザクラはそんな彼に興味を抱いたのに、まさか宴の料理を食べ過ぎて肉が喉を通らなくなっていた、なんて思いもしなかった。
もはや詐欺だ。
さきほどの憂いを返してほしい。
「……もう、なによそれ」
ハザクラとしてはもう笑うしかない。
「お腹がいっぱいで食べれないって……子どもみたい」
「……笑わないでください」
「可愛いのね。貴方って」
「またからかってる。言わなきゃよかった」
わかりやすく不貞腐れるルダージュ。
人型精霊の秘密を打ち明けた時よりも後悔している。その事実に、ハザクラは腹を抱えることしかできなかった。
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