アリアンジュの1日 勤勉精霊の日中
アリアンジュは学園に来て以来、日課にしていることがあった。
「……ぁ、先輩。ここの文字ってなんて書いてあるんですか?」
「どれ……これは“剣”だな。ちょうどウチの学園長――勇者アルスと大召喚士ノイシスが出会ったシーンか」
「はい……ってことはこれが“刀”でこっちの単語は“仲間”に“武器”っと。ありがとうございます」
セルティアが授業中、手持ち無沙汰なアリアンジュは先輩精霊のルダージュに倣い異世界文字の読み書きを勉強することにしていた。
今日はルダージュと共にセルティアの席から離れ、他の生徒の邪魔にならないように教室の端へ移動。そこで絵本『精霊王の冒険』を日本語に翻訳してノートに文字だけを書き写す、という作業を行っていた。
「……頑張ってるな」
「生徒会長のセルティアちゃんの召喚獣として恥ずかしくないようにしないといけませんから。あと先輩の後輩としても」
「俺はついでか」
隣にいるルダージュはアリアンジュの勉強の面倒を見つつ授業の内容を板書し、こちらも間接的に異世界文字の勉強をしていた。
アリアンジュが試しに授業に目を向けてみると、立派な白髭を貯えた老人魔法使いが四属性魔法と二属性魔法の違いと対属性の復習、そこから精霊の属性と霊力の相互関係について語っている。魔法使いでもなんでもない元女子高生のアリアンジュには珍紛漢紛な授業内容だった。
(ん~……さっぱりわかんない。先輩はこれを聞きながら板書して文字の勉強をしてるんだ)
頑張って追いつこう、と思いつつ最近聞き覚えのあったタイムリーな単語について少し考える。
(霊力。精霊が持つ力のランク。私も測る必要があったみたいだけど特別に免除してもらった。……先輩が測定器を壊したという前科のおかげで)
セルティアから聞いていた。
ルダージュの霊力測定は魔導具が壊れたことで有耶無耶になったという話を。
測定中、最初は魔導具も無反応だったらしい。
(私たちは精霊じゃないから当然よね。霊力なんてあるわけないし)
だが、幸か不幸かその魔導具が突然自壊してしまったことで“膨大な霊力を有しているため計測不可能”という言い訳が出来上がった。測定器もただではないため2台目まで壊されては敵わん、という話の流れになり、アリアンジュは特例としてルダージュと同じ霊力という扱いになったのだった。もちろん全ての事情を把握している学園長が手回ししているため円滑に事は進んだ。
(魔力は測ってみたけど先輩と同じで数値は2。下から数えた方が早くて召喚獣としてはドベに近い。先輩はそのせいでトラブルに巻き込まれたみたいだけど、私の時は事情を知っている人しかいなかったから喜ぶ余裕すらあった。……だって魔力があれば魔法が使えるってことだし、興味ある)
アリアンジュは頬杖をつき、ルダージュの横顔を眺めた。
真剣な眼差しで黒板を見つめる彼の隣で「まつ毛長いなー……」とかどうでもいいことを考えながら物思いに耽る。
アリアンジュにとって魔導都市学園は過ごしやすい環境だった。
衣食住に不自由せず、セルティアの精霊――召喚獣として我が物顔で生活することができる。本当は異世界人であるという秘密を隠すだけで、周囲の生徒たちは人型精霊というだけでアリアンジュを信頼してくれる。
それもこれも全て先輩が嘘をつきながらも頑張っていたおかげ、嘘以外の行動で信頼を勝ち得てきたからこそ環境が整っているのだ。
合宿では生徒たちを護るために一人で幻魔に立ち向かった。王都ではお姫様を護衛し幻魔教を退いた。そして魔導都市では――
(私を救ってくれた。たった数ヶ月で何人守るんですかーって感じ)
灰騎士の名は伊達ではない。
大学生になるはずだった普通の青年が異世界で召喚獣として生活し、精霊だと嘘を吐きながら本物の騎士として活躍する。
その陰の努力と葛藤を知る者はほとんどいない。ましてや戦いとは無縁の世界から来たなど想像すらできないだろう。
(私だけは……先輩と同じ世界にいた私だけが、先輩に寄り添える。……って考えはおこがましい、かな?)
アリアンジュは覚えている。
最初の異世界――今では魔界と呼んでいる世界にいた時。最後の化け物以外にも苦戦する戦闘があったこと。ルダージュが率先して戦い傷つきながらも勝利し、「怪我はないか?」と自分を心配してくれたこと。
そして、少しだけその手が震えていたことを、アリアンジュは今も覚えている。
(強くなりすぎて慣れちゃったのか、今ではそんな面影すらないけど……先輩の弱い部分もちゃんと覚えておきますからね)
思い出に浸りすぎたのか、アリアンジュは無性にルダージュに触れたくなってしまった。
「……どうした?」
欲望に従い頭を撫でると、手を止めたルダージュが訝しむような視線を送ってきた。
「いいえ? 別にぃ? 先輩は頑張ってて偉いなぁって思ったからいい子いい子してあげてるだけですよ?」
手を撥ね除けられるまではもみくちゃにしてやろうと意気込み、適当な言い訳を口にしながら撫で回す。
座っていると身長差も気にしなくていいので、タイミングも位置も丁度いい塩梅だった。
「それなら――」
「……!」
突然、お返しとばかりにルダージュがアリアンジュの頭を撫で始めた。
余裕ぶっていたアリアンジュもこれには動揺を隠せず撫でていた手を止めてしまう。
「……なぜ?」
「頑張ってるから?」
疑問を口にしたら疑問で返されてしまった。
(なにこれ……って、あれ? もしかして催促したと思われた?)
先程、控えめながら勉強頑張ってますよアピールをしたばかりだ。アリアンジュの一連の行動が誤解を生んだ可能性は高かった。
(よしよししてって勘違いされたってこと? 私が、遠回しに、おねだりしたって先輩は思ったの?)
身から出た錆のようなものなので口では言い返せなかった。
だが、
「やめれ……」
状況が状況なだけに顔からは火が出るほど恥ずかしいのも事実だった。
(勘違いするのはまだいいけど素直に実行する先輩も先輩ですよ……)
一言物申したい気持ちとたまにはいいかという本音に挟まれ、頭の上に乗った手を邪険に扱うことはできなかった。
そんな葛藤の中、アリアンジュは誰かに見られているような感覚に襲われた。
「……ぁ」
なんとなく予想はできたので視線の主はすぐに見つかった。
「先輩、セルティアちゃんに見られてますよ、私たち」
「ん? あ、本当だ」
召喚獣二柱で召喚士を見つめ返すと、肩越しに振り返っていたセルティアが両手をわきわきと開閉させる謎のジェスチャーで反応を示した。
「……あの動きはなに?」
「あれは多分――」
ルダージュはそう言って言葉を切り、全てを察したように苦笑して顔をほころばせた。
「――授業が終わったらすぐにわかるさ」
その笑顔は妬けるほど憎たらしかった。
通じ合っている姿を見せつけられた気分だ。アリアンジュの立場としては面白くない。召喚獣としても後輩としても、取り残されたという情感が訴えかけてくる。
(あ~あぁ……わかり合ってますみたいな顔しちゃってさぁー。嫉妬するなってほうが無理な話だよ。この文字の勉強だって異世界に順応するためでしょ?)
側から見れば否応無しに理解してしまう。
ルダージュの行動の全てがセルティアを中心に回っているということを。
(恩人だし、可愛いし、強くて優しい最高の召喚士ちゃんだから気持ちはわかるよ? でも嫉妬しちゃうよ、やっぱり)
そして聞かなくてもわかる。
一連の行動からルダージュは元の世界に帰るつもりがないということを。
(先輩から直接聞いたわけじゃない。むしろ意図的に話題にすることを避けてる気がする。召喚士のセルティアちゃんに配慮しているのか、それとも……)
セルティアと毎晩同じベッドで寝ているアリアンジュ。
寝るまでの間のガールズトークは二人にとっての日課となっており、そこでアリアンジュはセルティアから「異世界に渡る方法は今の所ない」と早い段階で聞いてはいた。
そもそも異世界人である自分たちを召喚獣として扱わないといけない時点で、アリアストラでは精霊界以外の異世界の存在は周知されていないと推測はしていた。
それは帰る方法がないって結論にも繋がる。
(とっくに私は現実を突きつけられている。でも、もし、元の世界に帰れることになったら……私は――)
ルダージュのようなセルティアの召喚獣としての覚悟があるのかわからず、自信を持てない自分に嫌気がさしてしまう。
割り切ることはできない。
異世界言語の勉強にしてもルダージュの後を追っているだけに過ぎない。
いっそのことルダージュから「ここで一緒に暮らそう」と口説かれてしまえば話は早いのに、とさえ思ってしまう。
(……って、それはそれで色ボケすぎるでしょ。ダメよアリアンジュ。依存はダメ)
慌てて首を振ると「悪い悪い」とルダージュの手がアリアンジュの頭から離れた。どうやらアリアンジュの内なる葛藤を拒絶と勘違いしたらしい。
「あ……」
思わず名残惜しい目で追ってしまったが、当の本人は気にした様子もなく勉強を再開していた。
「……もう」
そもそも元の世界に帰れたらという仮定の話で何を一喜一憂しているのかと嘆息する。
悩むのなら帰れる方法を発見してからでも遅くはないし、覚悟が足りない自分に気落ちするのは時期尚早とも言えた。
(ゆっくり、ゆっくりでいいよ。時間はたっぷりあるし生き急ぐようなことはしなくていい。今はこの生活を楽しむことだけを考えて――って、まだセルティアちゃんわきわきさせてる)
セルティアと目が合い思わず笑みが溢れる。
(もう! なんで真顔なの? ジェスチャーの意味もわからないしホント可愛いんだから……!)
その後、授業が終わると同時にセルティアが二人の元へと襲来した。
どうやらジェスチャーの意味は「私も後で撫でます」と伝えたかったようで、アリアンジュとルダージュはこれでもかというほどセルティアにもみくちゃくされた。
全てを諦め無抵抗のまま撫でられるルダージュと、彼の隣でくすぐったそうに身を捩るアリアンジュ。
自分の召喚獣のことが好きすぎるセルティアには誰も敵わないのだと理解されてしまう。
苦笑するルダージュの横でアリアンジュは自分も先輩のようになんだかんだ絆されてここから離れられなくなってしまうんだろうなと、そう予感めいたものを感じてしまうのだった。
続きの短編をもう一つ追加予定。時期は未定。




