アリアンジュの1日 抱き枕が迎えた朝
『紅騎士』のアリアンジュと名付けられた高牧悠乃の一日は己の召喚士の可愛らしい寝顔を眺めるところから始まる。
「おはよう、セルティー」
「――」
どうやら彼女の召喚士様はまだまだご就寝のようだ。
返事の代わりに返ってきたのは小さな寝息と身動ぎのみ。まるで小鳥のヒナが温もりを求めるようにアリアンジュの胸に顔を埋め抱き着いてくる。
(私の召喚士様は可愛すぎか~1人っ子だったから妹とか欲しかったんだよねー)
自分を地獄から救い出してくれた召喚士――セルティア・アンヴリューの金糸のように美しい髪を梳かすように撫でる。色々と遠回りをしたアリアンジュだったが、今はセルティアが借りている学生寮の一室で一緒に暮らしている。同じベッドで寝ているのはアリアンジュとセルティアの仲が良好――という理由もあるが、そもそも3つ目のベッドを置けるようなスペースがない、といった現実的な問題によるところが大きい。
そしてもう一つのベッドは先住猫ならぬ先住精霊によって占拠されているため、必然とセルティアと2人で寝ることがアンジュの日常として定着していた。
「セルティアはまだ起きそうにないか?」
先住精霊のルダージュが学園制服にエプロンという衣装を着こなし、アリアンジュたちを覗き込んでいた。その手にはフライ返しを握っており、現在進行形で朝食を作っていることが見受けられる。
「ぐっすりですよ。起きる気配ないです、私の召喚士ちゃん」
そう言ってアリアンジュはセルティアの頬をつんつんと指で触れる。起こさない程度に優しく触れているためセルティアからの反応は無かったが、その代わり柔らかい肌の感触を存分に楽しむ。
「俺たちの召喚士な」
「あーなに妬いてるんですかぁ、せんぱ~い。もしかしてセルティーを独占できなくて拗ねてます?」
これ見よがしにセルティアに抱き着くと、ルダージュは呆れるようにため息を吐いた。
「そもそも独占していた覚えなんてないが……まあいい。朝食までまだ時間はある。最近また遅くまで勉強をしているみたいだから寝かせておこう。アンジュも二度寝したいならまだ寝てていいぞ」
「優しすぎてキモーイ。昔だったら叩き起こしてきたのにー」
「キモい言うな。状況に環境、世界が違えば態度も変わるさ」
確かにアリアンジュたちの状況は一変した。
悠乃の記憶を取り戻したアリアンジュにとってこの異世界の生活は驚きの連続だ。魔界という異世界にいた頃は化物にしか出会えなかったが、ここでは小説や映画などで聞いたことがあるエルフや獣人など様々な人種に出会える。魔法や精霊などのファンタジーが現実のものとなり、自分を取り巻く環境はまったく異なるものとなっていた。
しかも、自分がそのファンタジーの1つである“精霊”の一員になっているのだ。笑うしかない。そして、そうやって笑うことを許してくれた召喚士には感謝しかできなかった。彼女の召喚士としての能力がなければ、先輩も自分も地獄に囚われたままだったのだから。
「ゲテモノ肉を生で食べさせられた過去が懐かしいですねー。まさか先輩に料理ができたなんて知りませんでしたしー」
そんな言葉で胸中を誤魔化しながら、アリアンジュはまたセルティアの頭を撫でた。
「あっちでは調理する余裕なんてなかったからな。知らないのも無理はない」
「……様になっている姿がムカつきます」
「なんでだよ」
「や、他意はありません。おかまいなく」
ルダージュが自分の姿を見下ろし「ムカつく……?」と困惑したよう呟く横で、アリアンジュは独り心の中でため息を吐く。
(妬いてるのはどっちなんだか……)
自分の与り知らぬところで新たな一面を垣間見せていた先輩。そんな彼を眺めているとアリアンジュは改めて自覚してしまう。
自分は焼き餅に似た感情を抱いているのだ、と。
もっと早く地獄から救われていれば……、幻魔教に目を付けられなければ……、生きることを諦めないほど自分が強ければ……。ずっと彼の側にいることができたのに――と、そんな高望みをしてしまう。それはたぶん心に余裕を持つことができるようになったから生まれた感情だ。生きているから「ああしたい」「こうしたい」という欲求が生まれ、アリアンジュの心からふつふつと湧き上がっているのだ。そしてそれは彼女に生き延びるだけの生活はもう終わったのだと実感させてくれる。
「ん……んふ~ふぅ~あんじゅ~……」
「また寝言が漏れてる……はーい、あなたのアンジュちゃんですよ~」
ただ、嫉妬の対象となり得る相手がこんな調子の恩人であるため、元々存在しない毒気どころか気も抜けてしまう。
「その調子で抱き枕にでもなっておくか?」
「それもいいですね~……でも今日は朝食の準備を手伝いますよ」
セルティアを起こさないように静かにベッドから這い出る。意外にも強く掴まれていなかったのでアリアンジュは難なく脱出することができた。
「寝ててもよかったんだぞ」
「……いいんです」
(たまには2人で一緒に準備したいんですよ!)
とはさすがのアリアンジュも口には出せない。素直すぎるしなにより独占欲が駄々漏れだ。せめて、
「精霊2人で朝食を用意していたらセルティアちゃんが喜ぶだろうな、って」
と本音を本音で隠すことしかできなかった。
「ほう、いいアイディアだ。お前もだいぶ召喚獣としての心構えが板に付いてきたんじゃないか?」
「うわーえらそー」
わざとらしく呆れたように半眼を向けるアリアンジュに、ルダージュは「当たり前だろ?」と前置きして続ける。
「俺はお前の先輩だからな」
「――」
様々なものが時の流れとともに移ろいゆく中で、変わることのない関係がある。その安心感は何ものにも代え難く、それでいて物足りない。
(……やっぱり、もっと――)
ルダージュに近づき無言で彼の顔を見上げる。
「なんだその物欲しそうな眼は……つまみ食いはお行儀が悪ぐうっ」
脇腹を肘で小突くとルダージュはくすぐったそうに身を捩った。
「勝手に食いしん坊キャラにしないでください。はむっ」
アリアンジュは食卓に添えられていたアスパラガスのベーコン巻き――をイメージしたような料理を摘まむ。食材はもちろん異世界産のため似たような食材で再現しているだけなのだが、味は絶品だった。しかも肉にちゃんと火が通っている。素晴らしい。
なにより、
「そう言ってつまみ食いはするのか。別にかまわないが……味はどうだ?」
呆れながらも料理の出来を心配する先輩の姿にアリアンジュは複雑な思いを抱いてしまう。魔界にいた時の彼は、アリアンジュが幻魔の肉を食べるといつも不安な顔をしていた。生きるために嫌々食べていたアリアンジュをずっと気遣っていたからだ。
でも、今はあの時とはまったく表情が違う。
照れくさそうにしながらも、どこか誇らしそうに微笑む。まるで「美味しいだろ?」と暗に聞かれているみたいだ。
(そーやって私の知らない表情をこの世界でしてたんですね)
ならばアリアンジュの感想は同じだ。
「ムカつく」
記憶を取り戻しただけでは足りない。まだまだ彼のことを知らない自分に腹が立つ。もっと知りたい、物足りない。そんな意味を込めて想いを囁いた。
「アンジュさん? ムカつく――なんていう味の感想は初めて聞いたぞ?」
「罰として他の料理も多めに作ってください。私も手伝いますから」
「食い意地まで張って……そんなキャラだったか?」
困惑するルダージュを挑発するように、アリアンジュは人差し指を彼の胸の辺りに突き立てる。
「知らなかったんですか? 私は欲張りなんですよ。だから召喚士だけじゃなくて後輩のこともちゃんと知って覚えておいてくださいね、せ~んぱい」




