53.魔王が好む人間
「騙すための嘘。
誰かを陥れようとする思考――
それは、雑音のような……
酷く、醜い音として聴こえてくる。
だから、そういう人間は苦手だ」
ゾクリ、と背筋を冷たいものが走った。
まるで、心の奥を覗かれたまま、そのまま値踏みされたような感覚。
――やっぱり、この人は魔王だ。
そう実感した、その瞬間。
「ははっ!」
突然、魔王が声を上げて笑った。
低く、だが楽しそうな笑い声。
空気に張りついていた緊張が、一気に弾ける。
「……え?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
魔王は、俺の反応を見て、さらに笑みを深くする。
「そんな顔をするな。
今のは、少し言い方が悪かったな」
そう言って、片手を軽く振った。
「すまなかった。
お前が、そこまで緊張するとは思わなかった」
……いや。
今の流れで緊張しない人間がいたら、そいつはもう人間じゃないと思う。
だが、魔王はどうやら本気で、そう思っていなかったらしい。
俺の表情を一瞥すると、ふっと息を吐き、声の調子を落とした。
「安心しろ」
赤い瞳が、穏やかに細められる。
「お前のことは――
好いている」
「──へ?」
完全に、思考が止まった。
優しく微笑まれ、そんな言葉を、何の躊躇もなく告げられる。
顔面が良すぎる男に、真正面から、穏やかな笑みを向けられながら。
「好いている」
……いや、待て。
情報量が多すぎる。
頭が追いつくより先に、顔が、かあっと熱くなるのが分かった。
耳まで熱い。
絶対、今、赤い。
「な、なに言って……」
言葉が、うまく出てこない。
だが魔王は、そんな俺の反応など気にも留めず、続ける。
「誤解するな。
人間が言うところの、恋情ではない」
……少し、ほっとしたような。
それでいて、なぜか残念なような。
複雑な気持ちになった自分に、内心でツッコミを入れる。
「俺が言っているのは――信頼に近いものだ」
魔王は、ワイングラスを持ち上げ、その中身を静かに揺らす。
「お前の心には、曇りがない」
その言葉は、静かだった。
だが、不思議と、重みがあった。
「欲はある。
迷いもある。
恐れも、弱さもある」
一つひとつ、確かめるように言う。
「だが――
自分を偽るための嘘がない」
赤い瞳が、再びこちらを向いた。
「少なくとも、
お前は“誰かを踏み台にして生きよう”とは思っていない」
胸の奥が、じわりと熱くなる。
それは、照れとも、安堵とも、少し違う感覚だった。
「……そんな、大した人間じゃないですよ」
ようやく、そう返す。
「俺は、ただの料理人で――
……いや。
記憶を取り戻すまで、
料理の知識もスキルも無かった」
一度、言葉を区切る。
「鰤出刃を手に入れるまでは、
雑魚スライムにも手こずるような男でした。
たまたま、運がよかっただけで……」
魔王は、俺の言葉を聞いて、一瞬だけ目を伏せた。
そして。
「だからこそ、だ」
短く、そう言った。
「力を持たず、それでも誰かを守ろうとする。
それを、“当たり前”のように選ぶ」
再び、こちらを見る。
「それは、長く生きていても、なかなか見ることが出来ない」
……そう言われて、胸の奥に、少しだけ引っかかるものがあった。
魔王は、何百年――
もしかすると、何千年と生きている存在だ。
そんな存在が言う、
「なかなか見ることが出来ない」という言葉の重さ。
「だから――」
魔王は、ワインを一口飲み、穏やかに続けた。
「そんなお前だから、この城に泊めた。
そして、こうして、酒を酌み交わしている」
理由は、それだけだと。
「フェルン」
名前を呼ばれ、視線を交わす。
「そんなお前にだから、リリスを任せられる」
その言葉に、俺は返す言葉を失った。
魔王の城。
深夜の廊下。
ワインの赤。
この状況のすべてが、現実感を失わせる。
それでも。
今、向けられている言葉だけは――
不思議と、胸に真っ直ぐ届いていた。




