37.再会のような味
小気味よい音が、静かに響いた。
それだけで、男がどれほど自然に箸を使いこなしているかが分かる。
無駄な動きは一切ない。
ただ、当たり前のように。
「…………」
リリーは、口を半開きにしたまま固まっていた。
「……なんで」
ぽつりと、かすれた声が落ちる。
「なんで、あんたは使えるのよ」
だが、その声は男の耳には届いていないようだった。
「……これが、とんかつか……っ!」
その呟きと表情から、心の底から“おいしい”と感じていることが伝わってくる。
――そういえば、この男は。
オークから豚汁、カツ丼、トンカツをドロップしたとき、俺はまだそれらの名前を教えていなかった。
それなのに、男は迷いなく「とんかつ」と口にした。
先ほど、豚汁を口にしたときも――
『これが……“味噌汁”ってやつか』
確かに、そう言っていた。
俺は“豚汁”としか呼んでいないし、味噌という調味料の存在は説明したが、“味噌汁”という言葉までは出していない。
なのに、なぜ――。
俺が呆然と男を見ていると、男はごくんとトンカツを飲み込んだ。
「……美味いな。これが、とんかつ……」
感情を滲ませるように、男は微笑んだ。
その笑みを見た瞬間、胸の奥が、ぞくりとした。
さっきの豚汁のときとは、明らかに違う。
あのときも美味しそうではあったが、今は――
まるで、何年も探し求めていたものに、ようやく巡り逢えたかのような。
そんな、心の底からの幸せが滲む笑顔だった。
俺は彼と出会ってから、まだ数時間しか経っていない。
だが、その笑顔は、長年付き合いがありそうなリリーにとっても意外なものだったらしい。
隣にいるリリーも、戸惑いの表情を浮かべていた。
男は、箸を止めたまま、しばらくトンカツを見つめていた。
まるで、目の前の料理が現実であることを確かめるように。
「……不思議だ」
ぽつりと、低く零れる。
「外は、香ばしく、力強い。
だが、中は……驚くほど柔らかい」
もう一口。
今度は、ゆっくりと噛みしめる。
「噛むたびに、口いっぱいに広がる旨み。
しっとりとした肉とは対照的な、サクサクとした衣……」
……大丈夫なのか、この人。
ちょっと、まじで泣いてない?
いやでも……もしかしたら、元々涙もろい人なのか……?
などと考えていると、横から戸惑いを隠せないリリーの声が聞こえた。
「ちょっと……どうしちゃったのよ?
トンカツは確かに物凄く美味しかったけど……何、泣いてんの!?」
――どうやら、
単に涙もろい人、というわけでもないらしい。
リリーの言葉に、男ははっとしたように瞬きをした。
その拍子に、頬を伝っていたものが、ぽとりとテーブルに落ちる。
「……あ」
自分でも、今になって気づいたらしい。
男はそっと目元を拭い、少し困った顔で笑った。
「……すまない。つい、な」
「つい、じゃないでしょ……」
呆れたように言いながらも、リリーはそれ以上強く突っ込めないでいる。
それほどまでに、男の様子が――切実だったからだ。
箸の扱い。
とんかつと味噌汁という料理名。
だが、この男の様子からして、口にしたのはおそらく初めてだ。
それなのに、この――再会したかのような感情。
偶然で済ませるには、多すぎる。
湧き上がる疑問に、俺は男を凝視した。
やがて彼は、最後の一切れを口に運び、ゆっくりと噛みしめた。
そして、深く息を吐く。
「……ありがとう」
唐突な言葉だった。
「これを、作ってくれて」
真正面から向けられたその言葉に、俺は一瞬、言葉を失う。
彼は、空になった皿を、どこか遠くを見るような目で見つめた。
「とんかつが、こんなものだとは思わなかった。
こんなに美味いものを食べたのは、初めてだ」




