36.強そうな料理と、二本の棒
豚汁を飲み干したリリーが、じっと残りの料理を見つめる。
「他のふたつも、フェルンさんがいた世界の料理なんですよね?」
「ああ。トンカツとカツ丼だな」
名前を告げただけで、リリーはぱっと目を輝かせた。
「名前も強そう!」
「強そう……?」
予想外の感想に、思わず聞き返してしまう。
リリーは目をきらきらさせたまま、楽しそうに続けた。
「名前もですが、これ。なんだかトゲトゲしてて、強そうじゃありません?」
そう言われて目を向けると、そこにあるのはトンカツ。
衣をまとった肉の塊が、盛り付けの定番である山盛りの千切りキャベツを背に、堂々と皿に鎮座していた。
粗めのパン粉を使ったのだろう。
黄金色の衣は立体的で、確かにどこか刺々しい印象がある。
――なるほど。
この衣が、“強そう”に見えたのか。
そう理解すると、思わず笑ってしまった。
リリーは、今度はカツ丼へと視線を移す。
「こちらのカツ丼というのは……上に乗っているのは、トンカツですか?」
「ああ、その通りだ」
カツ丼は、伝統的な卵とじ。
揚げたてのカツの上に、とろりとした半熟卵と甘辛い汁が絡み合い、湯気とともに食欲を刺激する匂いを放っている。
その上に、三葉がささやかな彩りを添えていた。
「さっきのは“落ち着く味”だったけど……」
リリーは喉を鳴らしながら言う。
「これは、どんな味なのかしら!」
その横で、男もまた無言で二品を観察していた。
視線は鋭いが、向けられているのは俺ではなく、料理そのものだ。
「……早く食べるぞ!」
男のその一言で、場の空気が一気に動いた。
「はいはい、分かってるわよ」
そう言いながらも、リリーはどこか嬉しそうだ。
あまりに大きすぎる料理。
俺は再びアイテムボックスを開き、取り皿とフォークを取り出した。
そして、トンカツと一緒に出てきた箸を手に取り、皿に取り分けてやる。
「なんですか! それ!?」
え?
リリーが興味深そうに、俺の手元をじっと見ていた。
「ああ、これは――箸だよ」
最近……と言っていいのか分からないが、前世の俺――日本での最後の方の記憶では、インバウンド客が増え、日本料理を食べ慣れた外国人も多く、箸を普通に使える人が珍しくなくなっていた。
だが、ふと思い出す。
昔は、料理人である俺や、他の日本人客が器用に箸を扱うのを見て、感動している人も多かった。
基本的にフォークやスプーンしか使わないこの世界の住人にとっても、箸はやはり、不思議な道具なのだろう。
「箸……?」
リリーは恐る恐る、俺が差し出したそれを受け取った。
細長い二本の棒を見比べ、首を傾げる。
「これで……食べるんですか?」
「ああ。挟んで使う」
簡単に説明すると、リリーはしばらく箸とトンカツを交互に見てから、意を決したように構えた。
「私もこの……箸! 使ってみたいです!」
そう宣言したリリーは、しばらくじっとそれを観察した。
「本当に、ただの二本の棒なんですね」
そう言って箸を握る。
――うん、握り箸だな。
それでは、うまくいかない。
「……えい」
――つるっ。
トンカツが、皿の上で無情に転がる。
「あっ」
「惜しい」
もう一度。
――ぐらっ。
「む、むずかしい……!」
眉を寄せ、真剣な顔で挑戦するリリーを見て、思わず苦笑する。
「最初はそんなもんだ」
「本当に? フェルンさんは簡単そうなのに……」
俺が何気なく箸でトンカツを持ち上げると、リリーはじっとその動きを追った。
「……魔法じゃないですよね?」
「違う。でも、箸を使うにはコツがいるんだ」
そのやり取りの最中――
無言だった男が、箸を手に取った。
特に説明を求めることもなく、試しに動かすこともなく。
ただ――自然に。
すっと、トンカツを掴み上げる。
「え」
リリーの声が、間の抜けたものになる。
「……なんで使えるの!?」
驚くリリーに、男はにやりと得意げに笑った。
そして――
――さく。
小気味よい音が、静かに響いた。




