35.この世界にはない料理
「えっと……食べます?」
「ああ!」
男は即答だった。
待ってました、と言わんばかりの勢いで、力強く頷く。
俺が男の分の豚汁を用意していると、横にいたリリーが、「はぁーっ!」と、わざとらしいほど大きな溜息を吐いた。
思わず視線を向けると、リリーはじとっとした目で男を睨んでいる。
「なんであんたまで、食べるのよ」
「食べない訳がないだろう!」
男は悪びれもせず答え、俺が差し出した椀を両手でそっと受け取った。
まるで、大事な宝物でも扱うような慎重さで。
男は椀を鼻先まで近づけ、ふっと息を吸う。
「これが……“味噌汁”ってやつか」
その呟きに、少し引っかかるものを覚えたが、とりあえず黙って見守った。
「香草とは違う。嗅ぎ慣れない匂いだが……嫌な匂いではない。むしろ……」
男は言葉を探すように、ほんの少しだけ間を置く。
「落ち着く」
その評価に、俺は内心でほっと息をついた。 そして男は、ゆっくりと椀に口をつける。
ごくり。
一口。
次に、もう一口。
そして――
「……ふう」
短く、低い声。
だが、それだけで十分だった。
「どう?」
リリーが身を乗り出す。
男は椀の中を覗き込みながら、率直に答えた。
「ああ……美味いな」
シンプルなひと言。
だが、それが心からの言葉だということは―― 頬をわずかに紅潮させ、本当に嬉しそうに微笑むその表情が、何より雄弁に物語っていた。
ドキンッ!
胸が、はっきりと高鳴った。
ついさっきまで、恐ろしい存在だと思っていたはずなのに。
なのに、その反応が――妙に、可愛く思えてしまった。
…………可愛くって……っ!
――男相手に、何考えてんだ、俺っ!?
ひとりで勝手に動揺し、勝手に焦る俺を、リリーが不思議そうな顔で見つめていた。
そんな俺の混乱など、知る由もなく。
男は椀を両手で包み込むように持ち、再び湯気を吸い込んだ。
「不思議だな……」
しみじみとした声。
「口に含むと、強い主張はない。
だが、飲むたびに腹の奥へ、じわじわと染みていく」
そう言いながら、もう一口。
「肉の脂も、野菜の旨味も、きちんと感じるのに……」
「全部が前に出てこない、って感じ?」
リリーが首を傾げて口を挟む。
「ああ。競い合っていない。互いを邪魔せず、それどころか支え合っている」
――表現力、高くない?
思わず突っ込みたくなるのを必死で堪える。
「こういう料理は、この世界には――ない」
男は椀の中を覗き込みながら続けた。
「この世界の食事は、力を誇示するものが多い。 強い香り、濃い味付け。素材の味を生かさず、殺す料理だ」
――食材の味を生かさず、殺す。
すごい例えだが、確かにこの世界の料理はそんな感じだった。
この世界では、料理を作るためには【調理】のスキルが必要だ。
調理のスキルを持たない大半の人は、基本的には屋台や食堂で食事をとる。そして、その料理は――あまり“美味しい”と言えるものではなかった。
それが“当たり前”と思っていた。
前世の――日本の記憶がなかったフェルンは気にしていなかったが、日本を思い出してしまった今。
もう、あのような食事は、耐えられないだろう。
たまにであれば我慢するが、あれが毎食となると……想像しただけでかなりキツイ。
前世で料理人だった俺。料理の知識は確かに俺の中にあるし、それを実行する技術も発揮できる。
そんな自信が、今の俺にはあった。
思わず、拳を握る。そして、強く思う――
俺、前世で料理人で良かった!!
料理ができず、日本の食事だけを思い出してしまったとしたら……風呂のこと以上に食事に悲鳴をあげていただろうことが、容易に想像できた。




