34.懐かしい匂い
「さすがは、オークね。こんな大きなものがドロップできるなんて!」
テーブルに現れた、湯気の立つ出来たての料理たちを前に、リリーは胸の前で手を組み、目を輝かせた。
先ほどまでの緊張が嘘のようだ。
その声には、純粋な驚きと期待が混じっている。
「それにしても……また見たこともない料理が出てきたわね?」
首を傾げながら、リリーはテーブルに並んだ料理を順に見渡す。
そして、ひときわ湯気を立てている椀に目を留めた。
リリーの一番近くに置かれていた、それ――豚汁。
彼女は興味深そうに身を乗り出し、そっと顔を近づける。
「特に、豚汁は……不思議な匂いがするわね」
立ち上る湯気と一緒に、濃く、温かく――俺にとっては、どこか安心する香りが漂っていた。
リリーのその一言に、俺は思わず息を止めた。
不思議な匂い。
確かに、そうだろう。
この世界の料理は、香草や魔獣の脂の匂いが前に出る。
だが、この椀から立ち上る香りは、それとは明らかに違う。
――懐かしい。
そう感じてしまった瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。
「……それは、味噌の香りだ」
無意識に、言葉が零れる。
「え? 味噌?? なに、それ?」
リリーが振り返る。
男もまた、赤い瞳を細めてこちらを見ていた。
だが、口は挟まない。ただ、様子を観察している。
「味噌っていうのは、調味料だ。
前の世界――特に、俺が住んでいた国で、昔から親しまれている調味料なんだ。
大豆を発酵させて作る」
説明しながら、俺は豚汁の椀を持ち上げ――
……ようとして、思ったより重くて断念し、代わりに手前へと引き寄せた。
湯気が、顔に当たる。
熱いはずなのに、不思議と嫌じゃない。
「肉や野菜を一緒に煮て……こういう汁物にする」
言葉にしてしまうと、胸の奥にしまっていた記憶が、次々と浮かび上がってくる。
湯気の向こうに見える、狭い厨房。
忙しなく動く背中。
鍋をかき混ぜる音。
――ああ。
やっぱり、知ってる。
リリーは、興味深そうに豚汁を見つめた。
「飲んで……いいのよね?」
「……ああ」
俺はアイテムボックスを開き、お玉とお椀を取り出す。
豚汁を注いでから、リリーに手渡した。
受け取った彼女は、少し緊張した様子で、そっと口をつける。
次の瞬間。
「……っ!」
リリーの目が、ぱっと見開かれた。
「なに、これ……! すごく……」
言葉を探すように一度息を吸い、
「……ほっとする味」
その一言に、俺は思わず笑ってしまった。
「だろ?」
豚汁は、そういう料理だ。
腹を満たすだけじゃない。
身体と一緒に、心まで温める。
味噌汁は、日本の代表的な家庭料理だ。
だが、その独特な風味――特に“匂い”は、食べ慣れない外国人などから
「臭い」と言われたり、「苦手だ」と感じられることも少なくない。
だから、リリーが美味しく食べられるか、少し不安だった。
だが――それは、いらぬ心配だったようだ。
美味しそうに豚汁を飲むリリーを横目に、
俺は次の椀に豚汁を注ぐ。
椀を持ち上げ、静かにその味を確かめる。
舌に広がる塩味と旨味。
脂の甘さ。
そして――懐かしさ。
「……美味いな」
思わず、自然と零れてしまったひと言。
想像どおり、懐かしくて、どこかほっとする味がそこにあった。
「やはり、これらは“お前が居た世界”の料理か」
ずっと俺を見ていただけだった男が、ようやく口を開いた。
じっとこちらを見ている。
いや――正確には、俺ではなく、豚汁を。
「えっと……食べます?」
「ああ!」
男は勢いよく頷き、
横にいたリリーは「はぁーっ!」と、盛大な溜息を吐いた。




