33.腹が減っては……?
通路の奥は、思ったよりも近かった。
数十歩も進まないうちに、視界が開ける。
そこにあったのは、部屋――というより、隔離された空間のようだった。
天井は高く、壁は滑らかな石造り。
無駄な装飾は一切なく、中央に簡素な石のテーブルと、椅子が三つ置かれているだけ。
……拍子抜けするほど、質素だ。
さっきまでいた“ラスボス部屋”の威圧感が、嘘のように消えている。
ここには、敵意も威圧もない。
あるのは――静けさだけだった。
男は、何の躊躇もなく椅子の一つに腰を下ろす。
深くは座らない。
背もたれにも寄りかからない。
だが、その姿が妙にしっくりくる。
まるで、ここが「本来使うべき場所」だと言わんばかりに。
そして。
男が、ふいに手を上げたかと思うと――
――パチンッ!
乾いた音とともに、指が鳴らされた。
次の瞬間。
目の前に現れたのは――キッチンだった。
「……は?」
間抜けな声が、俺の口から零れ落ちる。
いや、キッチンというより……厨房だ。
火口の配置、作業台の高さ、刃物を置くスペース。
どれもが、本格的な造りだった。
それが、つい数秒前まで何もなかった空間に、
最初からそこにあったかのような自然さで存在している。
……意味が分からない。
呆然と立ち尽くす俺を気にすることもなく、
男は舞台の主役のように一歩前へ出て、両腕を広げた。
「……さあ」
一拍。
「これで料理ができるであろう?」
赤い瞳が、まっすぐこちらを捉える。
「早速、オークキングの肉を料理してくれ」
――その言葉は、
命令でも、冗談でもない。
当然の前提として、そう告げられた。
数秒、言葉が出なかった。
頭の中で、今起きていることを必死に整理しようとする。
隠し通路。隔離空間。指を鳴らしただけで現れた厨房。
そして――オークキングの肉?
「……待て」
ようやく、それだけを絞り出す。
「なんで、料理なんだ」
男は、さも不思議そうに首を傾げた。
「なんで、とは?」
「いや……なんでここで、料理を作るという話になるんだ?」
男は一瞬、目を見開いた。
その赤い瞳に、鋭さが宿る。
「せっかく最上級のオークキングの肉を手に入れ、料理人がいるというのに――料理をしない。
そんな選択肢が、どこにある?」
ぶわっと、鳥肌が立つ。
全身が強張り、息が詰まる。
まるで、獲物が捕食者に見据えられたかのようだった。
理屈ではない。
本能が、“この男に逆らってはいけない”と告げている。
その時――
パーンッ!
乾いた、気持ちのいい音が響いた。
「……お前っ! 何をする!?」
「だーかーらーっ! それはこっちのセリフよ!
あんたこそ、オークキングと戦った直後に、さらにオークと戦わされて疲れてるフェルンさんに、今度は何をさせようとしてるのよっ!」
恐ろしい気配を放っていた男に怯むことなく、
リリーがその整った後頭部を、思いきり引っぱたいた。
叩かれた男は、瞬きを一つ。
それから、少し考えるような間を置いて――
「……それも、そうだな」
そう言って、驚くほどあっさり引き下がった。
「悪かったな。とりあえず、飯にするか」
そう言ってニカッと笑うと、
張り詰めていた空気が一気に和らいだ。
思わず、胸の奥からほっと息を吐く。
そんな俺をよそに、二人の会話は続いていく。
「そうよ! もうオークキングと戦った後から、お腹ぺこぺこなんだから」
「よし。では、先ほどのオークからのドロップ品を食べるとしよう!」
そう言って、男は再び指をパチンッと鳴らした。
すると、先ほどまで何もなかったテーブルの上に現れた――
トンカツ、豚汁、そしてカツ丼。
先ほども思ったが、改めて見てもその量は異常だった。
明らかに一人前ではない。
それぞれ軽く十人前はありそうな、
まるで大食い番組に出てくるような特大料理が、所狭しと並んでいた。




