24.名を呼ぶ者
粉塵が、ゆっくりと落ちていく。
白く濁った視界の向こうで、何かが動く気配は――なかった。
「……リリー」
声を出してみて、ようやく自分が生きていることを実感する。
「大丈夫です。……完全に、止まりました」
そう言って一歩こちらに近づいた、その瞬間、リリーは膝から崩れ落ちた。
「リリー!」
駆け寄って手を差し出す。
リリーは苦笑いを浮かべながら、その手を取った。
「すみません……魔力を使いすぎちゃったみたいです」
その様子に、ほっと息をつく。
俺もリリーも疲労困憊だが……勝った。
リリーと手を取り合い、慎重に瓦礫の山へ近づく。
崩れ落ちた岩の下。
そこには、動かなくなったオークキングの巨体が半ば埋もれていた。
風は、もう感じられない。
「……勝った、んだな」
そう呟いた途端、全身から力が抜けた。
膝が笑い、そのまま床に座り込む。
今さらになって、腕の震えが止まらない。
「ええ、私たちの――勝利です」
リリーが駆け寄り、俺の腕を支える。
「反動が、きています。……それに、空腹も」
「……ああ」
言われて、腹が減っていることに気づいた。
二人して、視線を瓦礫の下のオークキングへ向ける。
もう、王ではない。
ただの――食料だ。
「……高級食材、だったよな」
「はい。このサイズなら、当分は食料に困りませんね」
あまりにも現実的な言葉に、思わず笑ってしまった。
「生き残った、って感じがするな」
「生き残りました」
リリーは、はっきりとそう言った。
その声を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……ありがとう。さっきのは、本当に危なかった」
「フェルンさんが、隙を作ってくれたからですよ」
少しだけ、照れたように目を逸らす。
二人で、小さく笑った。
「……あれ」
リリーの小さな声につられ、オークキングを見ると、見慣れた白い煙が上がっていた。
そして――
――ポンッ!
「「……あ」」
二人の声が、被った。
軽い音と共に、消えた巨体と煙の代わりに現れたのは――巨大な肉の塊。
豚カツでも、豚丼でも、生姜焼きでもない。
オークキングの肉――“生肉の塊”が、そこにあった。
リリーが、再び膝から崩れ落ちた。
「……すみません!
私がトドメを刺しちゃったから……っ」
そうだった。
鰤出刃で仕留めなければ、この刃の特殊な能力――
ドロップアイテムが“料理”になる効果は発揮されない。
だが、幸いなことに、ドロップしたのは“肉”だ。
(おそらく、今の俺なら……)
「大丈夫だよ」
「……え?」
リリーが顔を上げ、こちらを見る。
目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
……それだけ、オーク肉の料理を食べたかったのだろう。
「セーフティーエリアに戻ったら、火魔法を出してくれ」
俺の言葉に、リリーは目を丸くする。
そして、こてんと首を傾げた。
「火魔法を出して、どうするんですか?」
「俺が、オーク肉を調理する」
しばしの沈黙。
「え、ええええ……。
て、そういえばフェルンさん、調理が出来るんでしたっけ?」
リリーが、期待に満ちた目でこちらを見てくる。
この世界では、料理は【調理】スキルがなければできない。
それが、この世界の常識だった。
でも――
俺は、鰤出刃を握った右手を見る。
今の俺なら、できる。
俺とこの鰤出刃なら、料理を作れるという確信があった。
そんなことを考えているときだった――。
部屋の向こうから、ゴトン、と鈍い音がした。
思わず、リリーと顔を見合わせる。
「……今の、何だ?」
「……」
リリーは答えず、音のした方――部屋の奥を、じっと見つめていた。
そして――
コツ、コツ……
規律正しい足音が聞こえる。
それは、確実にこちらへ近づいてきていた。
暗闇の中から、その人物は姿を現した。
――人だ。
俺たち以外に、人がいた。
現れたのは、ひとりの男。
引き締まった体に、全身黒の服装。
髪色も、この世界では珍しい――前世の日本人を思わせる、艶のある黒髪。
だが、顔は――やたらとかっこいい。
日本人の顔立ちとは違い、彫りが深く、モデルのように整った造形をしていた。
ここが日本なら、確実に俳優かモデルだろう。
そのビジュアルを活かした仕事をしていたに違いない。
だが、残念ながらこの世界には、そんな職業は存在しない。
「……どうして」
リリーが、ぽつりと呟いた。
すると、黒ずくめの男が眉間に皺を寄せる。
ジロリと、赤い瞳でリリーを睨んだ。
――おおう。
美形が睨むと、凄い迫力だ。
「……“どうして”だと?
それは、こちらの台詞だ」
そして、その男は――
思いもよらぬ名を口にした。
「お前こそ、どういうつもりなんだ?
――リリス」




