23.終わりです。
オークキングは、こちらを見下ろすようにその場で停止していた。
――いや、正確には“止まっているように見えた”だけだ。
足元の埃が、わずかに舞い上がっている。
それが、あいつが今も風を操っている証拠だった。
「来るぞ……」
言葉にした直後だった。
オークキングの小さな翼が、ピクリと震える。
次の瞬間――
ドスンッ!!
床が震えた。
オークキングが短い脚を踏み鳴らしただけだというのに、足元の岩がびりりと揺れる。
「ブヒィッ!!」
甲高い鳴き声と同時に、丸い体が――転がった。
「なっ――!」
球体のような巨体が、勢いよくこちらへ迫ってくる。
見た目に反して、動きが異様に速い。
「避けてくださいっ!」
リリーの声に、反射的に横へ跳ぶ。
ドゴォンッ!!
さっきまで俺が立っていた場所に、オークキングの体が激突した。
岩床が砕け、粉塵が舞い上がる。
「……冗談だろ」
風魔法で飛んで突っ込んでくるかと思いきや、その球体のような体をボールのようにして突進してくるとは、完全に予想外だった。
あんな巨体が猛スピードで直撃していたら……骨が残っていたかどうかも怪しい。
オークキングは壁にぶつかって止まり、ぐるりと体を反転させた。
つぶらな瞳が、ぴたりと俺たちを捉える。
可愛い顔だ。
だが、その視線には、明確な“捕食者”の色が宿っていた。
「リリー、距離を取れ! あれは――」
言い終わる前に、再び床が揺れる。
今度は、跳んだ。
巨体がスーパーボールのように跳ね回る。
そして、ふわりと。まん丸の体が宙に浮き、影が一気に広がった。
「上から来ます!」
「くっ!」
俺は鰤出刃を構え、歯を食いしばる。
ドンッ!!
着地と同時に、衝撃波のような振動が走り、身体が大きく揺さぶられた。
踏ん張りきれず、数歩後退する。
その隙を、オークキングは逃さない。
鼻を鳴らし、短い首を振る。
そして――突進。
「チッ!」
俺は真正面から迎え撃つことを選んだ。
横に避けても、あの質量だ。巻き込まれれば、ひとたまりもない。
「リリー!」
「援護します!」
詠唱の声が、背後で重なる。
次の瞬間、オークキングの足元に淡い光が走った。
わずかに動きが鈍る。
「今だ!」
俺は踏み込み、丸い腹へと斬りかかる。
――ガギンッ!!
「……硬っ!?」
刃が、弾かれた。
そして次の瞬間、オークキングの体が、視界から消えた。
「っ!?」
まずい。
そう思った時には、すでに遅かった。
背後。
空気が裂ける音。
俺は振り向きざまに、鰤出刃を振り上げた。
金属と肉がぶつかる、鈍い衝撃。
次の瞬間、俺の身体は宙を舞っていた。
「ぐっ……!」
壁に叩きつけられ、肺の空気が一気に吐き出される。
視界が白く弾けた。
それでも――刃は、当たった。
オークキングの脇腹に、浅く、だが確かに。
ピンク色の皮膚に、赤い線が走る。
「ブヒィ……?」
困惑したような声。
たいして効いてはいない。
だが――通る。
それが分かっただけで、十分だった。
床に転がりながら、俺は立ち上がる。
息は荒く、腕が震えそうになる。
それでも。
「……いくぞ、リリー」
オークキングは、こちらを見ていた。
怒りでも、殺意でもない。
ただ、獲物を値踏みするように。
俺は息を吐き、呼吸を整える。
「頼むぞ――鰤出刃」
当然、返事はない。
だが、鈍く光る鰤出刃は、確かに応えてくれた気がした。
じっと、オークキングを見つめる。
――見えた。
軌道を読む。
世界が、ゆっくりと動いた気がする。
身の流れ。
オークキングの動き。
刃が通る角度――
ここだ。
――ズバンッ!
「――ぐっ!」
上手く切れた。だが、あまりの速さで突進してきたオークキングに一撃を入れたことで、俺の腕にも衝撃がきた。
それでも――鰤出刃の食事のおかげで、身体強化された俺の腕はどうにか持ってくれた。
本来のフェルンなら……奇跡的に上手く狙えたとしても、力負けしてたことだろう。
震える、腕。
――動け! 今がチャンスなんだ。トドメを刺さねば……。
「伏せて下さい!!」
俺は反射的に地面へ身を投げ出す。
次の瞬間――
キィィィン……ッ!
耳鳴りのような高音と共に、空気が一斉に引き絞られた。
伏せた視界の端で、オークキングの体が浮き上がるのが見えた。
丸い体の周囲を、螺旋状の風が取り巻いている。
――まずい!
直感が、そう叫ぶ。
あれは突進でも、跳躍でもない。
風そのものを刃に変える――本命の一撃だ。
「ブヒィィィィィッ!!」
咆哮と同時に、風が爆ぜた。
だが――
オークキングの攻撃が届く、その直前。
俺の背後を、何かが“抜けた”。
遅れて、爆音。
ゴォォンッ!!
オークキングの頭上、天井に亀裂が走り、岩塊がぱらぱらと落ちてくる。
――外れた?
先ほどまでの俊敏さが嘘のように、オークキングはゆっくりとこちらを振り向いた。
だが、その視線の先にいたのは俺ではない。
――俺の、背後。
「リリー!!」
まずい。
今の攻撃が、リリーから放たれたものだと――
オークキングは、気づいている。
なんとしても、リリーだけは……っ!
必死に地面を蹴り、彼女の元へ向かおうとする。
だが、気持ちばかりが焦り、脚が思うように動かない。
……間に合わないっ!
そう思った、その時。
恐怖に顔を歪めているかと思われたリリーは、
驚くほど冷静な目でオークキングを見据えていた。
「終わりです」
そのひと言が、合図だった。
ガラ……ッ。
不穏な音。
だが、今の俺たちにとっては――福音のように響く。
次の瞬間――
ガラガラ……ドゴォォン!!
轟音を立てて、先ほど亀裂が入った岩の天井が崩れ落ちた。
巨大な岩塊が、逃げ場を失ったオークキングの上へと降り注ぐ。
「ブヒ……ッ!」
最後まで声にならない悲鳴。
風が、散った。
粉塵が舞い上がり、視界が白く染まる。
やがて――
重い音と共に、すべてが止まった。




