22.重厚な扉
「リリー、準備はいいか?」
「はい。いつでも大丈夫です」
短く答えるその声に、迷いはなかった。
俺たちは今、重厚な扉の前に立っている。
この洞窟のような階層に飛ばされてから、すでに三日。
薄暗い岩壁と湿った空気。どこまで進んでも景色は変わらず、時間の感覚さえ曖昧になりかけていた。
俺たちは毎日、この階層の探索を続けてきた。
だが、強い魔物どころか、魔物そのものとほとんど遭遇しない。
――静かすぎる。
ダンジョンにおいて、それは決して安心材料ではなかった。
どうにか数回、スライムには遭遇できたおかげで水分に困ることはなかったが、それだけだ。
食べ物が、まったく手に入らない。
前の階層で大量に倒していたおかげで、食料のストックはまだ残っている。
だが、それも確実に減っていた。
一日、また一日と時間が経つたび、選択肢は狭まっていく。
――このまま、この階層に留まり続けることはできない。
俺は改めて、目の前の扉へと視線を向けた。
この扉は、この階層に飛ばされた翌日には発見していた。
探索を始めて間もない段階で見つかったにもかかわらず、俺たちは手を付けずにきた。
理由は単純だ。
分厚い金属板のような扉。
表面には傷一つなく、装飾もない。
だが、その無骨さが、かえって異様だった。
いかにも――
「中に重要なものがあります」と言わんばかりの存在感。
それが宝箱や安全な補給地点ならいい。
食料や装備が手に入るなら、これ以上ありがたいことはない。
だが、もしも。
この扉の向こうに待っているのが――
この階層の主だとしたら?
無意識のうちに、拳に力が入る。
進まなければ、いずれ詰む。
進めば、命を賭けることになるかもしれない。
それでも――。
「……行こう」
そう言ったのは、俺だった。
リリーは一瞬だけ扉を見上げ、
それから小さく頷いた。
「はい」
俺たちは同時に、扉へと手を伸ばす。
その先に何が待っているのか――
それを確かめる覚悟だけは、もうできていた。
――ギィィィ。
冷たい扉に手をかける。
最初こそ力を込めたが、その後は自然と扉は開いていった。
まるで、俺たちを迎え入れるかのように……。
そして――
バタンッ!
扉は、背後で勢いよく閉まった。
「扉が……っ!」
「リリー!」
後ろを振り返ろうとしたリリーを静止し、俺は鰤出刃を強く握り締める。
何かが――いる。
薄暗い部屋の中、奥を凝視していた、その時。
「上ですっ!」
リリーの叫びに、反射的に顔を上げた。
――風?
一瞬、空気の流れが変わったのを感じる。
その直後――
「ブヒィィィィッ!!」
耳の奥を突くような、悲鳴にも似た鳴き声が部屋に響いた。
思わず耳を塞ぎたくなったが、どうにか耐えた。
そして次の瞬間――
ドンッ!
上から、何かが落ちてきた。
「……ぶ、豚?」
まん丸と太った、ピンク色の豚が目の前に現れた。
だが、俺の知っている“豚”とは、いくつも違いがある。
まず大きさ。明らかにでかい。
そして形状。「球体か?」と思うほど、その巨大な体は丸かった。
まん丸の体に、豚特有の潰れたような鼻。
体の割には、くりっとしたつぶらな瞳。
その愛嬌のある見た目に、一瞬緊張感が削がれそうになる。
だが――油断は禁物だ。
「あれは、まさか……オークキング?」
背後から、リリーの声が聞こえた。
……オーク?
そう言われて、フェルンの記憶を辿る。
確かに、オークの特徴と似ている気がしなくもない。
だが、知識の中のオークは、前の世界で見た“豚”とさほど変わらない大きさだったはずだ。
しかし、目の前の魔物は――
“豚”の軽く五倍はありそうな巨体を持っていた。
そして、もう一つ引っかかるのが、その名称だ。
――オークキング。
フェルンの知識の中には、その名の魔物は存在しなかった。
「なぁ……リリーは、あの魔物を知ってるのか?
オークキングって……俺は“オーク”と“ハイオーク”しか知らないんだが」
「私も直接見るのは初めてですが……あの特徴。
オークを巨大化させたような丸い体。それに、短い手足と――翼」
「……翼?」
手足が短いのは最初から気づいていたが……翼?
そう思った瞬間、オークキングはさらに体を丸めた。
その動きで、背中に付いた小さすぎる金色の翼が、はっきりと見える。
「翼って……小さくね?」
あの巨体に対して、あまりにもアンバランスなサイズだ。
あれでは、とても飛べそうにない。
そう思ったのだが――
「通常のオークの翼も、体に対してあんなものですよ。
オークは翼の力ではなく、風魔法で飛んでいます。
その影響で、羽が退化したのではないかと言われています」
リリーはオークキングから目を逸らさず、静かに説明した。
――そうだ。
オークの最大の注意点は、風魔法。
あのような見た目ながら、風を操り、猛スピードで自由に空を飛ぶ。
見た目に惑わされれば、一瞬で命取りになる。
オークの肉は、噂ではこの国の王でさえ好んで食べると言われる高級食材だ。
味が良いのは確からしいが――
それ以上に、その価値を押し上げているのは、捕獲の難しさだった。




