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伝説の剣は鰤出刃でした ~元料理人がダンジョンで覚醒し魔王を餌付けしてしまった話~  作者: よつ葉あき


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21.確認と約束


 赤かったはずの血の跡は、もうどこにも残っていなかった。

 俺は拳を開き、閉じ、もう一度、確かめるように手の甲を眺める。

 皮膚はなめらかで、ついさっきまで確かにあったはずの痛みも、ひりつきも、嘘のように消えていた。

 ――本当に、治っている。

 

「……フェルンさん」

 

 呼ばれて顔を上げる。

 リリーの声は、わずかに掠れていた。

 

「今の……見間違い、じゃないですよね」

 

 一瞬、言葉に詰まりそうになる。

 だが、ここで誤魔化すわけにはいかない。

 

「ああ。俺も、はっきり見てた」

 

 答えると、リリーは小さく息を吸い込んだ。

 それは安心というより、状況を受け止めるための呼吸に見えた。

 俺は、ゆっくりと息を吐く。

 

「今ので、分かったことがいくつかある」

「聞かせてください」

 

 即答だった。

 逃げない、と最初から決めている目だ。

 じっと俺を見つめ、ちゃんと向き合おうとしている。

 だからこそ、俺も曖昧な言い方や誤魔化しはやめようと思った。

 

「まず一つ。

 俺の体は、傷を受けなくなったわけじゃない」

 

 そう言ってから、さっき殴った岩壁に視線を向ける。

 そこには、今もはっきりと亀裂が残っていた。

 

「ちゃんと痛みはあるし、血も出る」

 

 リリーが、静かに頷く。

 

「だが確実に、防御力は上がっている。

 本来なら、最初の一撃でも怪我をしていただろう。

 二撃目みたいに、壁に亀裂が入るほどの力で殴れば……骨折していても不思議じゃない」

 

 自分で口にして、背筋が少し冷えた。

 それほどの力を、俺は無自覚に振るっていたのだ。

 リリーも、その意味を理解したのだろう。

 小さく息を呑み、ゆっくりと頷いた。

 

「そして次に、鰤出刃でドロップした“食事”を摂ると……」

 

 言葉を区切った俺に、リリーが視線を向ける。

 

「……傷が、消える?」

 

 確信に近い声音だった。

 

「ああ。しかも、即効性がある」

 

 回復、という言葉では足りない。

 治療でも、再生でもない。

 もっと乱暴で、もっと根本的な――書き換えに近い現象だ。

 

「……この効果は、俺だけじゃない可能性がある」

「……私も、ですか?」

 

 リリーは、自分の胸元にそっと手を当て、不安を隠しきれない様子で問い返した。

 俺は、はっきりと頷く。

 

「寒さを感じなくなったのは、リリーも同じだ。

 ただし――俺とは違って、継続性はないようだがな」

 

 断定はできない。

 だが、これまでの感覚からすれば――。

 もう少し検証は必要だが、おそらく一晩も経てば、リリーの寒さへの耐性は、元に戻るだろう。

 そう思った、そのときだった。

 

 カシャン。

 

 乾いた、小さな金属音。

 反射的に顔を上げると、いつの間にかリリーの手には小さなナイフが握られていた。

 聞こえた音は、そのカバーを外した音だったらしい。

 

「……リリー?」

 

 名を呼ぶより早く、彼女は動いた。

 迷いがない。

 どこか覚悟を固めたような動きで、ナイフの刃を自らの腕に当て――引いた。

 

「リリー!?」

 

 止める声は、完全に遅れていた。

 音もなく、切られた傷口から血が滲み、

 やがて赤い滴となって、床に落ちる。

 リリーの眉間に、はっきりとシワが寄る。

 

「お前、何をして……!」

「黙って見てて下さい」

 

 ぴしゃり、と言い切られ、俺は言葉を飲み込んだ。

 声の強さよりも、その冷静さが、俺を黙らせた。

 リリーは視線を逸らさないまま、食べかけだったシチューを一口、口に運ぶ。

 次の瞬間。先ほどまで血を流していたはずの傷口が、みるみるうちに塞がり――跡形もなく消えた。

 

「……治りましたね」

 

 リリーが、ほっとしたように、わずかに口角を上げる。

 そして、傷の消えた腕を、確かめるように、俺の前に持ち上げた。

 

「な……っ!

 何やってんだよ、自分の腕を傷付けるなんて……!」

「そのセリフ、そっくりそのままお返しします」

 

 詰め寄る俺を、リリーは真っ直ぐに見返す。

 その目が、すっと細められた。

 

「私は確認のために、少しナイフで傷つけただけですよ?」

「う……」

 

 言い返せなかった。

 確かに俺は、検証のために短剣一本でズーと戦い、さっきは二度も壁に拳を叩きつけている。

 それと、何が違う?

 ……いや、俺の方が酷かった。

  

「……ごめんなさい」

 

 思わず漏れたその言葉に、リリーは一瞬だけ、目を丸くした。

 短い沈黙が落ちる。

 リリーは、消えた傷をもう一度確かめるように、布で腕を撫でていた。

 血が拭き取られ、そこには傷一つない、白く、きれいな腕があった。

 

「……正直、少し怖かったです」

 

 ぽつりと、そんな言葉が零れた。

 俺は顔を上げる。

 

「フェルンさんがズーになんて、負けるわけがないって、信じてました。

 でも……鰤出刃を持たず、反撃されて……怪我をして……」

 

 一つひとつ思い出すように、言葉が続く。

 リリーに、要らぬ心配をさせてしまった。

 気まずさから頭を掻いたが、彼女の言葉は止まらなかった。

 

「ズーから受けた傷が酷くなさそうなことに安心したと思ったら……

 今度は“これ”ですよ!?」

 

 “これ”と言って、殴るようなポーズをする。

 俺が拳で壁を殴りつけたことを、指しているのだろう。

 俺は、何も言えなかった。

 リリーが、振り上げていた拳を、ゆっくりと下ろす。

 

「……私、フェルンさんが、さっき壁を殴ったとき……止めたかったんです。

 でも、止められなかった」

 

 責める声ではなかった。

 ただ、自分の中の事実を、確かめるような声音だった。

 

「だから……同じことをしました」

「……本当に、ごめん」

 

 もう、謝ることしかできなかった。

 しばらくして、リリーはふっと息を吐いた。

 

「私もごめんなさい。

 ……次からは、ちゃんと相談してからにしましょうね」

「ああ。約束する」

 

 そう答えながら、俺は胸の奥で思う。

 ――次は、俺が守る側に立つ。

 もう、黙って怖がらせるような真似はしない。

 その誓いだけは、守りたいと思った。


 

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