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伝説の剣は鰤出刃でした ~元料理人がダンジョンで覚醒し魔王を餌付けしてしまった話~  作者: よつ葉あき


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20.検証


 俺はもう一度、指先で頬をなぞった。

 やはり、何もない。

 血の感触も、かさついた皮膚も、傷跡特有の引っかかりすらない。

 

「……消えた?」

 

 呟いた声は、セーフティーエリアの中でやけに大きく響いた。

 リリーは、不安そうに俺の顔を見つめている。

 

「さっきは……確かに、ありましたよね?」

「ああ。そのはずだ」

 

 ズーとの戦闘。

 反撃を受け、確かに頬に走った痛み。

 戦闘の直後は、血がにじむほどではなかったが、指で触れれば分かる程度の傷があった。

 だから、放っておいた。

 それが――今は、まるで最初から存在しなかったかのように消えている。

 俺は、視線を自分の腹へと落とした。

 ズーに蹴られた脇腹。

 打ち身になったはずの場所だ。

 服の上から、そっと押してみる。

 

「……痛く、ない」

 

 鈍痛すらない。

 違和感も、残っていない。

 まるで、戦闘そのものが“軽い出来事”だったかのようだ。

 

「リリー。さっき、シチューを食べてから……何か変わった感覚はないか?」

「え……?」

 

 一瞬、戸惑ったように目を瞬かせたあと、リリーは自分の手を見つめた。

「……体が、温かいです」

「それだけか?」

「……それと……」

 

 言葉を探すように、少し間が空く。

 そして、そっと自分の体を抱きしめた。

 

「寒さを……感じない?」

 

 自分で自分に問いかけるような、確かめる口調だった。

 温かいシチューを食べ、単純に体が暖まっただけではない。

 寒いという感覚そのものから、切り離されている。

 

「さっきまで、確かに寒かったはずなのに……」

 

 戸惑いを滲ませた声。

 俺は無言のまま上着を脱ぎ、先ほどリリーが手当てをしてくれた肩へと手を伸ばした。

 そこには――何もない。

 確かに、傷があった。

 頬のすり傷とは違い、それなりに深く、はっきりと残っていたはずの傷だ。

 それが今は。

 まるで、最初から存在しなかったかのように――。

 しばらく、俺もリリーも言葉を発さなかった。

 セーフティーエリアの結界は静かに揺らめき、外の洞窟から伝わる脈動だけが、一定の間隔で空気を震わせている。

 俺は、ゆっくりと拳を握りしめた。

 ――違和感自体は、もっと前からあった。

 この階層に転移した直後。

 息が白くなるほど、空気は冷たかった。

 リリーも、はっきりと「寒い」と言っていた。

 だが、俺は――。

 そのとき、寒さを「感じていなかった」。

 空気が冷たいことは分かる。

 だが、体が縮こまることも、震えることもなかった。

 それが異常だと気づかなかったのは、おそらく――

 それまでの階層が、暑かったからだ。

 暑い場所では、寒さを感じないこと自体が、異常として表に出ない。

 だが、寒い環境に放り込まれて初めて――

 “感じない”という事実が、はっきりと浮かび上がった。

 つまり。

 俺は、この階層に来て変わったんじゃない。

 この階層に来たことで、変化に気づいただけだ。

 そして、傷が消えたのは――

 シチューを食べた後。

 食事を摂ったあと、体の内側で何かが積み重なり、

 その結果として、傷が「なかったこと」にされた。

 別々の異変。

 だが、どちらも――俺の体で起きている。

 気づいた瞬間、背筋が静かに冷えた。

 これは偶然じゃない。

 俺の中で、確実に何かが進行している。

 拳を握ったまま、しばらく動けずにいた。

 寒さを感じない。

 傷が癒える。

 どちらも、偶然で片付けるには出来すぎている。

 俺は視線を落とし、自分の手を見つめた。

 少し前まで、血と泥にまみれていたはずの手だ。

 関節を一つずつ曲げ、伸ばす。

 ……違和感はない。

 むしろ、動きが滑らかすぎる。

 疲労が残っていない。

 ズーとの戦闘はもちろん、ダンジョンに囚われて連日戦闘が続いた状態だとは思えないほどだった。

 

 ――ゴッ!

 

「フェルンさんっ!?」

 

 リリーの悲鳴が響いた。

 俺は、壁を拳で殴っていた。

 だが――痛くない。

 拳にも、傷一つできていない。

 思い出す。

 最初に転移トラップにかかり、飛ばされた直後。

 苛立ちに任せて壁を殴ったことがあった。

 あのときは、たしかに痛みを感じた。

 傷になるほどではなかったが、拳に鈍い衝撃が残った。

 だが、今は――。

 

 ――ガンッ!

 

 今度は、はっきりと力を込めて殴りつけた。

 

「……っ!」

 

 今度は、痛みを感じた。

 同時に、岩壁に細かな亀裂が走る。

 拳を引き、手の甲を見る。

 殴りつけた部分から、赤い血が滲んでいた。

 

「何をしてるんですか! もうっ!」

 

 リリーの叱責が飛ぶ。

 だが、俺は拳から視線を離せなかった。

 ――出た。

 ちゃんと、痛みがある。

 ちゃんと、血が出ている。


 (だが、おそらく……)

 

 俺はある仮説を考えながら、床に置いてあった食べかけのシチューの皿を手に取った。

 そして、ひと口。

 スプーンで掬ったシチューを、ゆっくりと口に運ぶ。

 数秒。

 ――じわり、と。

 手の甲の痛みが、薄れていく。

 赤かった傷口が、目の前で塞がっていく。

 

「……傷が……消えた……?」

 

 リリーの、震えた声が聞こえた。

 俺は、何も言えなかった。

 

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