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伝説の剣は鰤出刃でした ~元料理人がダンジョンで覚醒し魔王を餌付けしてしまった話~  作者: よつ葉あき


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19.消えた傷


 視界を埋め尽くしていた青い光が、ゆっくりと薄れていく。

 足元の感覚が戻った瞬間、俺は反射的に膝を折り、地面に手をついた。

 硬い。

 床――いや、岩だ。

 

「……っ」

 

 吐き出した息が、やけに白い。

 顔を上げた瞬間、思わず息を呑んだ。

 そこは、これまでの階層とはまるで違っていた。

 天井は低く、岩肌がむき出しになっている。

 壁には不規則な亀裂が走り、その隙間から淡い青白い光が滲み出していた。

 

 ――洞窟、か?

 だが、ただの洞窟ではない。

 空気が重い。

 肺の奥に入り込むたび、胸の奥がざわつくような感覚があった。

 

「フェルンさん……!」

 

 声に振り向くと、すぐ近くにリリーがいた。

 手を繋いだまま転移したらしく、どうやら一緒に飛ばされたようだ。

 それだけで、胸の奥に小さな安堵が広がる。

 

「大丈夫か?」

「はい。……ですが」

 

 リリーは周囲を見回し、眉をひそめた。

 そして、服の袖から覗く細い白い腕を、無意識にさすっている。

 あきらかに、今までとは空気が違う。

 これまでの階層は、どちらかといえば暑く、半袖でも問題なかった。

 だが、今は――。

 息をすると白くなるような、寒さだ。これでは、リリーは……。

 俺はマントを外し、そのまま彼女の肩にかけた。

 

「ありがとうございます」

 

 リリーはマントを掴み、少しだけ肩をすくめる。

 その指先が、わずかに震えていた。

 

「……寒いだけ、ですよね?」

 

 自分に言い聞かせるような声だった。

 否定も肯定もせず、俺は周囲に意識を向ける。

 洞窟の奥は暗い。

 だが完全な闇ではなく、壁の亀裂から滲む青白い光が、脈打つように揺れている。

 まるで――生き物の呼吸のようだ。

 足を踏み出すと、靴底が砂利を噛み、小さな音が洞窟内に広がった。

 だが、その音は思ったほど反響しない。

 むしろ、吸い込まれていくような感覚。

 

「……静かすぎる」

 

 思わず零れた呟きに、リリーが小さく頷いた。

 

「音が、吸い込まれているみたいです。反響しているはずなのに……」

 

 確かに、距離感がおかしい。

 近いのか、遠いのか。

 この洞窟そのものが、感覚を狂わせている。

 その時――。

 ひたり、と。

 背後で、空気が濡れたような気配がした。

 反射的に振り返る。

 だが、そこには何もない。

 あるのは、青白く光る岩壁と、深い亀裂だけだ。

 

「フェルンさん……今、何か……」

「ああ。俺も感じた」

 

 敵か。

 罠か。

 それとも――。

 

 俺は無意識に、リリーを背に庇うように立った。

 洞窟の奥から、低く、かすかな振動が伝わってくる。

 鼓動のような、脈動のような――不快な揺れ。

 ここは、今までの階層とは違う。

 ただ進めばいい場所じゃない。

 俺は静かに息を整え、前方を睨んだ。

 

「……慎重に行こう。ここに留まっているわけにはいかない」

「は、はい……」

 

 この階層にも、セーフティーエリアがあればいいのだが……。

 祈るような思いを胸に抱きながら、俺たちは先へ進んだ。

 

 ◇◆◇

 

「セーフティーエリアが見つかって良かったですね!」

「……ああ……」

 

 無事に見つけた、セーフティーエリア。

 実に、あっさりと見つかった。

 転移させられたあの空間から、ここにたどり着くまで、それなりに距離はあった。

 それにもかかわらず、魔物に遭遇することはなかった。

 それは、本当に幸運だったのか?

 それとも――。

 

「フェルンさん! これ、上手くできたと思うのですが、どうでしょうか?」

「どれどれ……お、すごいじゃないか。ばっちりだよ」

 

 俺がそう言うと、リリーは嬉しそうに笑った。

 リリーに頼んだのは、マジックボックスに保管していたグレートウルフとズーのドロップ品――

 シチューと串焼きを温め直すことだ。

 ドロップ直後は熱々でも、時間が経てば当然冷める。

 だが、こうして温め直された料理からは、湯気とともに懐かしい香りが立ち上っていた。

 その香りが、この静かすぎる階層で、やけに浮いている気がして。

 俺はふと、胸の奥に残る違和感から目を逸らすように、鍋へと視線を落とした。

 鍋から立ち上る湯気が、洞窟の冷たい空気に溶けていく。

 鼻腔をくすぐる香りは、間違いなく“いつもの”ものだ。

 だが――ここでは、それが妙に場違いに感じられた。

 

「いただきます」

 

 俺はスプーンを手に取り、シチューをすくった。

 口に運ぶ前、ほんの一瞬だけ、ためらいが生まれる。

 理由は分からない。

 ただ――この階層に入ってから、何かがずっと引っかかっている。

 それでも、食べないという選択肢はない。

 このダンジョンから、必ず脱出する。

 そのためには……生きるためには、食べなければならない。

 俺はスプーンを口に入れた。 

 ――熱い。

 舌に広がる、濃厚な旨味。

 グレートウルフ特有のコクと、香草の香りが、はっきりと分かる。

 美味い。

 間違いなく、美味い。

 それなのに。

 体の奥に広がる感覚が、今までとは少し違った。

 じんわりと温まる、というより――

 内側から、静かに火を灯されるような感覚。

 俺は無言で、もう一口すくった。

 さっきズーを倒したときに感じた、体の奥から湧き上がるような力。

 あれが、消えていない。今も、俺の中にある。

 それは、食事をするたびに、少しずつだが積み重なっているような――。

 

「フェルンさん?」

 

 リリーの声で、俺は顔を上げた。

 

「どうかしたか?」

「あの……顔に、キズありましたよね?」

「――え?」

 

 反射的に、自分の頬に触れる。

 先ほどのズーとの戦闘で、いつの間にかできていたはずのすり傷。

 爪か羽がかすってできたであろう、細い赤い傷。

 気になるほどではなかったから、手当てもしなかった。

 それでも――確かに、そこにあったはずだ。

 だが。

 指先に、何も触れない。

 

 傷が――ない。


 

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