17.満腹のその先に
「それは……」
良いことなんじゃないか?
そう言いかけたところで、リリーの言葉に、俺自身も思い当たる節があり、口をつぐんだ。
鰤出刃を使えば、俺の実力以上の力が出せる。
それは確かだ。
だが、それだけではない――。
俺はこの階層に突然転移させられ、食料も尽きかけ、喉の渇きと空腹に苛まれていた。
そんなとき、鰤出刃に出会ったのだ。
前世――日本での記憶がよみがえり、今の世界の不便さや食事の不味さを考える暇すらなく、鰤出刃のあまりにも特殊な技能によって生み出された、美味しい食事。
初めて食べた、グレートウルフからドロップしたシチュー。
それを口にした瞬間、生き返るような力が体の奥から湧き上がった。
あれは――本当に、腹が満たされたから感じただけのものだったのか?
その直後、驚くほどあっさり倒せたスライム。
さらに、ドロップしたスポーツドリンクを飲んで、また一段と活力が増した。
もしかしたら、あれは――。
「フェルンさんっ!」
緊張を帯びたリリーの声に、俺の思考は遮られた。
彼女の視線を追うと、そこには一匹のズーがいた。どうやら、先ほど一体仕留め損ねたらしい。
リリーが、ほっと息を吐く。
「よかった……。一匹だけのようですね。私が倒しましょうか?」
「いや、いい。俺がやる」
――ちょうどいい。あのズーで、検証させてもらおう。
俺はアイテムボックスから、鰤出刃を――
ではなく、短剣を取り出した。
スライム相手ですら苦戦していた俺が、普通の武器でズーに勝てるはずがない。
だけど……俺の考えが正しければ――。
俺はゆっくりとズーに近づく。
一歩ごとに、心臓の鼓動が耳に響いた。
間合いに入った、その瞬間。
ズーは俺の気配を察知し、甲高い鳴き声を上げて羽を広げた。
――速い。
地面を蹴った次の瞬間、鋭い嘴が一直線に迫ってくる。
反射的に身をひねったが、完全には避けきれず、肩口をかすめられた。
「ぐっ……!」
浅い。
それでも、骨に響くような衝撃だ。
ズーは一撃で距離を取り、空中で羽ばたきながらこちらを睨みつけてくる。
――やっぱり、強い。
鰤出刃なら一瞬で終わっていただろう。
短剣では、明確に分が悪い。
それでも――。
体は、思ったほど重くなかった。
息も乱れていない。
痛みはある。
だが、それでも恐怖に飲み込まれてはいなかった。
ズーが再び突っ込んでくる。
今度は真正面だ。
俺は短剣を逆手に持ち替え、わずかに腰を落とした。
避けるな。迎え撃て。
鰤出刃での戦いを思い出すんだ――!
嘴が目前に迫ったその瞬間、俺は一歩、踏み込んだ。
ズーの動きが、わずかに遅く見える。
――いや、俺の判断が追いついている。
俺はそのまま、ズーの首元を斬りつけた。
硬い感触。
だが、刃は確かに肉を裂いた。
ズーは悲鳴を上げ、勢いのまま地面に転がる。
すぐさま追撃しようとした俺の脇腹に、羽ばたいた脚が叩きつけられた。
「っ……!」
鈍い痛み。
体勢が崩れ、硬い石の床の上に転倒する。
それでも――立てる。
普通なら、もっと効いているはずだ。
息が上がり、恐怖が先に立つはずだ。
だが今の俺は、痛みを「認識」しているだけで、押し負けていない。
ズーが再び距離を詰めてくる。
羽音が耳障りなほど近い。
俺は地面を蹴り、正面から飛び込んだ。
短剣を突き出す。
狙うのは、さっき斬った場所――首の付け根。
刃が深く刺さった瞬間、ズーの体がびくりと跳ねた。
断末魔の声を上げ、そのまま力なく崩れ落ちる。
「倒した……やったぞ……!」
短剣を引き抜き、荒く息を吐く。
被弾はあった。
確かに痛みもある。
それでも――。
「……やっぱり、そうか」
体の奥に、微かな熱が残っている。
消耗よりも、むしろ“余力”を感じていた。
リリーが駆け寄ってくる。
「フェルンさん、大丈夫ですか!? 何しているんですか、今のはかなり危険でしたよ……!」 「ああ。でも、問題ない」
俺はズーの死体を見下ろしながら、短剣を握り直した。
鰤出刃を使っていない。
それなのに、この感覚。
――あのときの活力は、単なる満腹感じゃない。
鰤出刃の“食事”は、俺そのものを強くしている。
確信に近いものが、胸の奥で静かに形を成していった。




