13.リリーの魔法
「クリーンって……リリー、魔法が使えるのか?」
「はい、使えますよ」
あっさりとそう返事をすると、リリーは俺の掌に洗浄の魔導具をそっと置いた。
「というわけで、これは必要ありませんので、お返ししますね」
そう言って立ち上がると、リリーは軽く息を整え、
「【クリーン】」
と、再び唱えた。
ふわり、と彼女の髪が揺れる。
どうやら自分にもクリーンをかけたらしい。
続いて、俺が出していた寝袋の方へ歩み寄ると、二つの寝袋に両手を置き、
「【クリーン】」
と、もう一度唱えた。
気になって、俺も駆け足で近寄り、寝袋を確認する。
「……なんだこれ……っ!」
使い古され、あちこちがよれていたはずの二つの寝袋は――
まるで専門のクリーニングに出した後のように、ふかふかになっていた。
この世界で、クリーニング屋など見たことがない。
不潔さに耐えられなかったフェルンが、どうにか手洗いをしていた程度で、長年使われてきた寝袋は、正直くたくただった。
それが、こんなに……。
思わず、リリーを凝視してしまう。
「なんですか?」
彼女は不思議そうに、小首をかしげた。
魔法は貴重だ。
使い手が少ない上に、使えるとしても魔力を消費する。
特に水魔法は、水のない場所では魔力の消費が激しい――
だからこそ、俺は今も信じられずにいた。
その貴重な魔法を、こんな水のないダンジョンの中で、しかも人ではなく、寝袋にまで使うなど、聞いたことがなかった。
「……すごいな。クリーンって水魔法だろ?」
「ええ」
「人間族で魔法が使えるだけでも珍しいのに、水魔法って……貴重だよな?」
その言葉に、リリーははっとした表情を見せた。
「そ、それは……」
困ったように視線を彷徨わせ、口ごもる。
――そこで、俺もようやく気がつく。
(しまった……この世界じゃ、スキルの詮索は失礼にあたるんだった)
スキルに関することは、プライバシーに深く関わる重要な情報だ。
パーティーメンバーや仕事の場では必要に応じて明かすこともあるが、俺とリリーは、ほとんど初対面。
日本で言えば、いきなり「年収いくら?」と聞いたようなものだ。
……失礼すぎる。
そんなふうに一人で反省していたが、それでもリリーは、ぽつりと口を開いた。
「実は……曾祖母が、エルフ族だったらしいのです」
少し恥ずかしそうに視線を伏せながら、続ける。
「それで、たまたま私に魔法のスキルも授かったようでして……」
なるほど、と腑に落ちる。
人間族は魔法が苦手だが、エルフ族は魔法に長けている。
その血が混ざることで、魔法を使える者が生まれることがある――確かに、そんな知識があった。
(……だが、それもまた……)
この国は、人間族が支配する国だ。
そして、人間以外の種族に対して、決して寛容とは言えない。
だからこそ、人間とは異なる種族の血を引いていることは、隠されがちだ。
「だから……」
リリーは、少し間を置いてから続けた。
「人前では、あまり魔法を使わないんです」
「……そうか」
理由は、痛いほど分かる。
しばらく沈黙が落ちたあと、俺は素直に聞いた。
「……だったら、なんで今日は使ったんだ?」
リリーは一瞬だけ目を瞬かせ、それから、ゆっくりと俺を見上げる。
「それは……」
言葉を探すように視線を揺らし、やがて小さく微笑んだ。
「フェルンさんも、特殊なスキルを……隠すことなく、私に見せてくれましたよね?」
「……あ」
言われて、気づく。
ドロップアイテムが通常の物とは異なり、すべて食べ物になる――
それは、かなり特殊な現象だ。
だが、それは俺自身のスキルではない。
あの包丁――鰤出刃の性能によるものだ。
とはいえ、そんなことは普通は分からない。
俺の特殊スキルだと思われる方が、よほど自然だろう。
「だから……」
リリーの言葉は、まだ続いていた。
俺も彼女に視線をやると、目が合った。
リリーは、まっすぐ俺を見つめながら続ける。
「私だけ、何も見せないのは……不公平かな、って思ったんです」
胸の奥が、静かに熱を帯びる。
「それに……」
少しだけ言いづらそうに、リリーは続けた。
「フェルンさんは、やさしい人で……信じられると思えましたから」
それは、簡単な言葉だった。
だからこそ、胸の奥に深く刺さった。
信頼されている。
その事実が、じんわりと胸に広がった。
「……ありがとう」
短く、そう言うのが精一杯だった。
「いえ」
リリーは、静かに首を振る。
「こちらこそ、です」
それきり会話は途切れたが、その沈黙は不思議と心地よかった。
◆◇◆
ふかふかになった寝袋に身を沈めながら、俺は思った。
リリーは、俺を信頼して、秘密を打ち明けてくれた。
それなのに、俺は――。
俺のすべてを語ることはできない。
それでも――誠実でいたい、と思った。
「リリー……起きてるか?」
「……はい」
隣で横になっていたリリーが、こちらを向く。
その顔は、少し眠そうだった。
「……起こしてごめん。でも、どうしても……」
一拍置いて、言葉を選ぶ。
「寝る前に、俺のドロップアイテムについて……ちゃんと話をしたかったんだ」




