Noir -黒色の王-
古道具屋『のすたるじあ』は本日も営業中。
それはそれとして……ユカリが帰ってこない。
「まったくもう、アイツは……。開店時間までには帰るって言ってたのに」
カウンターでルクシエルが「しょうがねえな」という表情でため息を付いている。
一応スマホにメッセージは来ていた。
『ごめ~ん! ちょっと開店時間回っちゃうかも!』
とだけ……。
「今日はいい天気~イチロウさんも男前でしたよ~んって」
変な歌を歌いながら店舗周りの清掃を終えたエトワールが戻って来た。
掃除用具を片付けると彼女はノートPCに向かう。
在庫管理の為のデータベースの編集作業だ。
……まあ、何というか。
余程の事がなければもう店主不在でもこの店は回るのだった。
相当難しい品物でなければ持ち込み品の買い取りもルクシエルで対応可能。
今は画像からネットで調べるという方法もある。
便利な時代になったものだ。
五年もスタッフをやっていると初見の客とはめったに遭遇しない。
やってくるお客もほとんどが常連でルクシエルとももう顔馴染も人ばかりで……。
(あれ……初めてのお客だ)
丁度その時、店の自動ドアが開いて入店のメロディが鳴った。
入ってきたのは長身の初老の男性。
珍しい……和服だ。
グレーの着物に紺色の羽織。草履履きで帯に畳んだ扇子を挿している。
何とも自然な着こなしだ。
(カブキとかラクゴとか……伝統芸能系の人かな)
以前ユカリがそういった業界に携わる人々には骨董収拾を趣味にしている人が多いと聞いた事がある。
ルクシエルの想像力では他に日常生活を和服で送る人というのは想像ができない。
着物の本場である皇国でさえ、今では日々を和服で過ごす人などそうはいないのではなかろうか。
……そう考えると男性は役者のようにも見えてくる。
白に近い灰色の髪の毛を中分けにしている細面の彼。
目元は涼やかで全体的にクールな雰囲気を身に纏いながらも熟成された男の色気のようなものをほのかに漂わせている。
彼が演者であればさぞ舞台映えするだろう。
商品を眺めている男の横顔を見ながらルクシエルがなんとなくそんな事を考えていると……。
「珍しーですね~。パイセンが男の人にポーっとすんのって」
「……!」
小声でエトワールに言われて思わず肩を震わせたルクシエル。
言われてみれば自分はまるで吸い寄せられるように和服の客をずっと目で追っていた。
「そ、そういうのじゃないから」
些か気まずい思いで弁明するルクシエル。ちょっと口籠っている。
確かにユカリと結ばれてからは自分はどれだけ魅力的な男性を見ても目を奪われることはなくなったのだが……。
「や、おかしくねーですよ。あれ、まともじゃねーです。あんま見ねー方がいいかも」
え、と口の中だけでルクシエルが声を出す。
振り返るとエトワールの軽く笑ってはいるものの目付きは真剣だった。
「あたしでさえ、ちょっといいかなーって思いますもん。そんな事ありえねーのに」
ユカリとルクシエル以外の全人類をモブだと……背景であり空気だと言い切っているこの娘。
その彼女ですら不思議な魅力を感じるという謎の和服の男。
「多分、生まれ持って魔術的な魅了みてーな能力を持ってんじゃねーですかね。取り込まれねーように気を強く持って……」
「私の話をしているのかな……?」
その時カウンターにゆらりと影が差す。
いつの間にか、和服の男はカウンターのすぐ前に来ていた。
「……!!」
二人の少女は同時に身構える。
向こうは武器を手にしているわけでもなく殺気を放っているわけでもなく……ただそこに自然体で立っているだけだというのに。
だというのに、ルクシエルはともすればあの魔人ゼクウと対峙した時以上に戦慄しているのだ。
危険。危険だ……。
男の低く良く通る声は耳から入って脳に溶け込んでいくような気がする。
痺れるような心地よさを感じる。
この先もずっと、この声に耳を傾けていたくなるような。
「そう警戒しなくてもいい。私はお前たちの敵ではない」
ああ、まずいまずい……。
涼やかに笑う男の顔から目が離せなくなっていることに気付いてルクシエルが愕然とする。
(ユカリ……助けて。ユカリ……!!)
自分が自分でなくなる。
溶かされて……どこか遠くへ連れて行かれてしまう。
エトワールも立ち竦んでしまっている。
茫然としていて動かない。動けないのか。
「お前たちが望むのであれば、私はお前たちを更なる高みへと……天の頂に立つ存在へと導いてやることができる」
「……………」
差し出された男の右手。
「その果ての景色を見たいと欲するのなら……この手を取るがいい」
ルクシエルが震える右手を伸ばして……。
「はいはい、そこまでよ。うちのスタッフ、ナンパすんのやめてくれる? このエロ親父」
「!!」
ハッと我に返ったルクシエルが慌てて手を引っ込めた。
その右手を左手で掴んで押さえ込むようにして彼女は呼吸を乱している。
「壬弥社ユカリか」
和服の男がゆっくりと振り返る。
口元の笑みは消したが未だ彼は戦闘態勢というわけでもなくゆったりとした佇まいのままだ。
店の入り口に立つ二人の女性。
不機嫌そうなユカリと薄笑いのマキナ。
「うわ~、あれか~……あーゆーのか。スッゲー……マジでいんのね」
マキナは面白がっている。目の前の男に。
超人ともまた異なる超常の存在に。
いつの間にか彼女の手の中には鉄の錫杖があった。
その先端の円環がしゃらんと鳴る。
「ちょちょちょちょーい、うちの店ぶっ壊したらあんたの弱点どこだったかあんたのSNSでぶちまけるわよ」
「エロテロリストやめーやー……。うちのフォロワー二十万くらいいんだからね。ワッショイ炎上祭りになっちまうじゃろー」
うへえ、と舌を出してマキナが錫杖を何処かへと消した。
「少しは落ち着いたらどうだ。私はお前たちと戦うつもりはない」
両手を袖の内にしまって和服の男が軽く肩をすくめている。
「お前たちが私の昔の手下どもとここの所あれこれやっている事は知っているがな。私にとってはどうでもいい事だ。関わろうとも思わない」
「一つ確認するけど……あなたが黒い王様?」
目を細めるユカリ。
和服の男は……答えない。
だがその沈黙は肯定と同義であった。
「私のことは白色の王に聞いたのか? それともジェイムズが喋ったのか。……まあ、どちらでもいいが」
「戦うつもりはないって、私の大事な子たちにちょっかい掛けておいてその言い分は通らないでしょーよ」
目を細めて和服の男……黒色の王を睨んだユカリ。
だが彼は泰然自若の態を崩そうとはしない。
「私の話を聞いていなかったのか? 私はただ高みに至る気があるのか問うただけだ。望まないというのであればそれまでのこと。無理強いをするつもりはない」
「ヘンな能力で相手を魅了しといてなにゆってんのよ」
「……それは仕方のないことだ。私はそういった存在なのだからな。飛べない身のお前たちが空を往く鳥に文句を言っても詮無きことだろう。それと同じだ」
むむむ、とユカリが唸った。
「押されてんじゃ~ん。気張んなよユカリぃ~」
「うっさいなぁ……」
隣には煽ってくる奴がいるし……。
「私は闇の王だ。かつての夜の支配者だったものだ。歩いて進めば何かを意図せず踏み潰すこともあるだろう。私はそれを顧みることはしない」
黒色の王は目を閉じる。
「お前はどうだ? 壬弥社ユカリ……お前は今よりも強大な存在になってみたくはないか?」
「いや~……遠慮しとくわ。今んとこまだ人間辞める予定ないんで……っていうか私はもう人間辞めちゃってんのか? 人間辞めちゃった人を辞める予定ないんで、あーややこし」
はっ、と短くため息をついてユカリは左右に首を振る。
「決裂か。まあいいだろう」
目を閉じたまま、ふーっ……と眺めの息を吐く和装の男。
「お前たちはまだ私の視界には入っていないが……このまま公爵たちと戦いを続ければいつかはそうなる日が来るのかもしれん。私がお前たちを……いずれかの手段で対処するべき対象と見なす日がな」
ふふふ、と笑って黒色の王は目を開けた。
その瞳が血のような赤色に光っている。
「楽しみだ。その時私は何を思うのだろうな。力ずくで手に入れたくなるのか、それとも打ち砕いて永遠に消してしまいたくなるのか……」
まるで漆黒の霧のように男を中心として周囲に闇が広がっていく。
真昼の照明輝く店内が黒く塗りつぶされていく。
「私の敵は白色の王だけだ。遥かな昔からあの男一人だけだ。私に何かを届かせたいというのならお前も同じ高みまで来るがいい」
闇の向こうから男の声が聞こえてくる。
「……それまでは私はただ進むだけだ。恐らくは私も知らない数多のものたちを踏み潰しながらな」
そうして闇が晴れ店内にいつもの風景が戻った時、和服の男の姿は既にどこにもなかった。
「だってさぁ~。相手にされてないっすよ~ユカリ~」
「だったらうちの店に来んなっつーの!! いや、これがアイツの言う気にしないで歩いてるだけでーすって? うお~めんどくさ!!」
がしがしと鷲掴みにするような手つきで頭を掻きむしっているユカリ。
「ユカリ……」
そこにフラフラとルクシエルが歩み寄る。
彼女はまだ顔色が悪く体が震えているようだ。
「ごめんね、怖い思いさせちゃって。私が留守してたから……」
ルクシエルの体を包み込むように優しく抱きしめるユカリ。
「うちとホテルでエロいことしてましたからね、コイツ」
「うおおおお黙ってろって言ったでしょー!!!」
抱きしめたルクシエルの両耳を手で押さえて塞いでユカリさん大慌て。
しかし時すでに遅し。
「なんで……」
ずごごごご、と地響きのような音をさせながら腕の中のルクシエルがユカリを見上げて睨んでいる。
そして彼女は首相撲でユカリの頭を引き寄せつつ鋭く下から膝を突き出した。
「なんでちょっと前に殺し合ってた相手とそんな事になってんのよ!! このどすけべアホ女ッッ!!!」
「昨日の敵は今日のエロスと申しましてッッ!!!」
顔面に思いきり膝を食らって鼻血を噴きつつ崩れ落ちるユカリさんであった。




